2017年の8月13日に訪問しました。
大乗院庭園文化館で庭園が回遊出来るようになりました。
文化館は無料でも、庭園への入園料金は100円です。
大乗院庭園文化館入口です。下のグーグル地図①のところです。
グーグルより引用の地図です。
興福寺の門跡寺院である大乗院の寛治元年(1087年)創建と、
同時に築造された庭園は、12世紀に平重衡による南都焼討で
被災し、興福寺別院である定禅院跡地に移築されたが、ここも
15世紀中期の徳政一揆で荒廃したため、復興を目的に尋尊が
銀閣寺庭園を作った善阿弥父子を招いて、池泉回遊式庭園を
改造させた庭園で、以降、明治初頭まで南都随一の名園でした。
しかし、明治の神仏分離令で廃寺となり、庭園だけが残りました。
戦後その一部が整備され、1958年に国の名勝に指定されまし
た。
現地で配布していた観光地図です。大乗院庭園文化館は
右上にあります。四角い赤枠の所を訪問しました。
今日はその内の旧大乗院庭園文化館紹介です。
これは江戸時代の大乗院古地図です。
入口の前には、大乗院の南側築地塀跡の位置が、
手前地面に赤レンガ色で表示されています。
文化館の中には大乗院の史料があります。
館内にある室町時代の書院造りの大乗院ジオラマです。
違う方向から撮影しました。
当時は奈良が興福寺の領地で、大乗院の住職が
本坊興福寺の住職になることが多く、門跡寺院
である大乗院は、たいへんな権威を持っていまし
た。住職は大名並みの庭園を持つ、この大乗院
に住んでいました。
江戸時代の大乗院古地図です。下のグーグル地図と比較
すると、②の辺りに建物がありました。(左が北)
現在のグーグルより引用の地図です。
西側の小さい池の西側に建物がありました。
近くにある今西家書院はここからの移築だと
言います。
西側の小さな池部分が水色で着色されています。
左端に休息施設があります。
手前が発掘調査から、復元された西小池部分です。
発掘調査で現れた西小池です。
尋尊の肖像画です。寝殿造りの大乗院が焼けた後に、
書院造りの大乗院を建造しました。また、銀閣寺庭園
を造った善阿弥父子を招いて、平安時代の池泉回遊
式庭園を改造させました。尋尊は関白一条兼良の子供
でした。
尋尊の解説板です。
今日はここまでです。明日は復元された庭園の紹介です。
読者募集中ですので、読者登録はここのリンクです。
希望があれば、相互登録します。相互アメンバーも募集中です。
どちらもチェックを外して「読者とわかるように」に設定して登録してください。
読者のブログ村・ブログランキングを出来るだけ押しに行きます。
Ctrlキーを押したままで、ポチしたら画面が飛ばされません。
お手数ですが、よろしく。ぽちっと押すだけ