久米田寺の紹介前編 久米田池と久米田寺星まつり 梅の花 | みどりの木のブログ

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今日は苗字の日だそうですね。明治維新で全員が名字を持つことになった
時に、それまで持っていた名字より、かっこいい名字に変えた人もかなりい
たようです。「天皇陛下」という名字の申請には、さすがに許可がおりません
でした。「苗字」は江戸幕府の公式ですが、より一般的には「名字」の方が
使われます。この名は「名田」の名から来ています。
 
今日は大阪府岸和田市の久米田池と久米田寺の紹介です。
 
 久米田池の築造は奈良時代にさかのぼります。行基年譜によれば、
神亀2年(西暦725年から天平10年(西暦738年)の14年の歳月を
かけて完成したと言われます。
 当時、久米田池北西に位置する八木郷一帯は、水量の少ない天の
川に頼っており、干ばつに悩む農民を見て、僧行基と橘諸兄が、神亀
2年(725年)~天平10年(738年)にわたる14年という歳月をかけ
て、農民を集めて当時の久米田池を築造したと言われます。大阪狭山
池が1400年前の築造なので、久米田池はその約100年後に築造さ
れています。
 その後、岡山町よりの物部田池と当時の小さな数個の池を集めて、
現在の大きな久米田池にしたと伝えられます。当時は、現在の春木川
から水を引いていました。以後、改修や下流の新田開発に伴う拡張を
幾度となく繰り返しています。この池を「籠田(込田)」(田に水を入れる)
と呼んだことから、のちに「久米田」に転じたとする説があります。
広さ45.6Ha、周囲2.6kmの大阪府で一番広い水面積のため池です。
農業用水として80Haもの水田をうるおしています。池には、年間100
種類以上の野鳥が訪れ、絶滅危惧種のカワチブナの養殖も行われ、
釣り堀に出荷しています。2010年(平成22年)3月35日に農林水産
省のため池百選に選定されました。2015年(平成27年)に国際灌漑
排水委員会による灌漑施設遺産にも登録されました。
 
久米田池です。
冬場は水が抜かれています。(深さが浅いので灌漑用水として使い切れます)
大阪狭山池や河内長野の寺ケ池は中心部が深いので水を使いきれません。
 
古文書によると
「東は角河の流れ、春木の峯ならびに上の津川の東峯、七層の峯を限り、
南は葛城の横峯、西は松村の登路ならびに延年ヶ峯・八坂切上を、そして
北は熊野詣大通を限りに、この四至内の田畑地利を挙げて仏聖の灯油
重僧のころ依怙となさしむ」
とあり池が広い規模であったと記されています。
 
グーグルより引用の久米田池地図です。地図左上に久米田寺があります。
 
池の傍に建つ久米田寺
 池端に建つ久米田寺は、行基が天平6年に開創した名刹です。
久米田寺の別名「隆隆池院」は、築造当時の寺名で、このため池
管理するために、久米田寺が建立されています。
 
久米田寺の解説板です。
 
久米田寺の解説板です。

平安時代には奈良興福寺一条院の支配下でした。平安時代後期、
承久の乱により武士が乱入し荒廃します。鎌倉時代には安東蓮聖
によって再興されました。室町時代になると足利尊氏・直義兄弟に
より全国に設けられた安国寺のひとつに指定されます。南北朝時
代に入ると、応仁の乱で当寺も寺領を脅かす事件も多く、南北朝
時代の歴代天皇、皇族の帰依も深く、楠木正成からも手厚い保護
が得られました。
楠木正成の自筆文書です。
 
戦国時代には久米田の戦いがあり、安土桃山時代には、織田信長
の高屋城の戦いの兵火で寺ほぼ焼失します。
永保2年(1674年)には復興して、桜の季節には花見の名所とな
ります。
江戸時代の久米田寺です。池の傍に山門が描かれています。
 
 久米田寺は昭和14年に、その2年後の昭和16年に久米田池
は大阪府の「史跡・名勝」に指定されています。
 
久米田寺の山門です。
 
山門から中を見たところです。
 
護摩供養をしていました。焚火の背後が大師堂で、左端が本堂です。
 
この日は2017年2月3日で節分でした。お寺では星まつりがありました。
節分とは「季節を分ける」という意味です。江戸時代以降は特に立春(毎年
2月4日ごろ)の前日を指す場合が多いです。この場合、節切月日の大晦日
にあたります。
星まつりのポスターです。
星まつりの「星」とは、夜空に輝く「星」のことではありません。
ここで言う「星」は、人が誰でもが持つ「運命の星」を指してい
ます。いろいろな吉凶禍福(よいことや悪いこと)は、実はこの
「運命の星」から来ているのです。密教では、その「運命の星」
を分析し、人の運命を知る。それが、「密教占星術」です。
しかも、その人の「運命」を見極めるばかりではなく、悪い運命
の流れを好転させ、よい運命の勢いを強くする開運法を編み
出したのです。これは、「除禍招福、運気・運期転換の秘法」と
いわれる密教最高の秘法の一つであり、その中で特に霊験
あらたかな秘法が、旧暦の年始めである節分に護摩を焚き
「星」を供養(おまつり)する、「星まつり護摩供」です。中国で
は「春節」で正月並みの長期休暇があります。
 
無料駐車場です。星まつりのため満車でしたが、
1台が出たので駐車出来ました。
 
露店もいくつか出ていました。
 
供養が終わると、参拝した人に梅干と豆を配布します。
配布してもらうために並んでいます。
 
大師堂前で、お参りした人に梅干と豆を配布するところです。
 
次に、境内に咲いていた梅の花です。
 
 
梅の背後は寺務所です。
 
 
 
境内の梅の花でした。
 
おしゃべりインコのぴよたんの動画を
お借りしました。信じられないくらいほんとによく喋ります。(1分26秒)
今日はここまでです。明日は境内案内です。
 

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