石清水八幡宮の紹介2 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

昨日は安居橋まででした。

 

駐車場は正月料金で1500円です。源頼朝ゆかりの松(何代目?小さい)

が見えます。

 

昨日UPの下院のマップです。

 

高さ6m近い「航海記念塔」とも言われる、重要文化財である

日本最大級の五輪塔です。

 

裏参道は一方通行で通れませんでした。土砂崩れがあったそうで、

その復旧工事の掲示板がありました。

 

前回UPの地図です。

 

二の鳥居です。

 

さらに進みます。

 

 

江戸時代後期の石清水八幡宮(八幡市史跡巡りより引用)

 

江戸時代までは宿坊がたくさんありましたが、明治の神仏分離令

により、現在はほとんど撤去されています。地図下にある徳川家

祈願所の豊蔵坊さえ何もありません。

 泉坊内に、松花堂昭乗が名付けた草庵茶室松花堂(茅葺の2畳)

がありましたが、明治の初めに泉坊書院とともに、現在の松花堂

庭園(八幡市の南部にある)に移築されました。

 

移築された「松花堂」です。(八幡市史跡巡りより引用)

 

宿坊が無くなったのは悲しいですね。源氏の信仰は、ここが清和天皇

により創建され、源義家が石清水八幡宮で元服したので、八幡太郎と

称しています。

 

小さい滝が見えてきます。

 

滝が流れ落ちています。左下を見ると

 

下図の山の井戸の辺りです。この滝は下の地図から見ると石清水社の

下にあるので、これが石清水ですね。

 

国宝表示のある新しい絵地図です。

松花堂跡は「松花堂弁当」の由来となった、当社社僧の松花堂昭乗

が晩年暮らした2畳の庵跡です。「松花堂弁当」とは農家が種入れと

して使っていた器をヒントにこの形の器を作り、田の字の枠に各種の

おかずを入れた懐石料理弁当です。

 

ここから七曲りです。

 

表参道の七曲りです。

 

七曲りを登りきると、大扉稲荷社が見えます。

 

この稲荷の右に石清水社への分岐がありますが、

右への分岐の所です、「影清塚」の石碑があります。

参拝前に己の影を映して心身を祓い清めた所です。

中をのぞくと

通行止めでした。宿坊跡の石垣が続いています。

 

そこで、グーグルストリートビューより引用しました。

石清水社(右)と石清水井です。

ふゆに凍らず夏に枯れない、霊泉「石清水」が湧き出る、

石清水八幡宮の名の由来と言われる、創建以前からあ

る場所です。

 

さらに表参道を登ります。

右の石垣は宿坊跡です。

 

右の石垣は宿坊跡です。

 

右の石垣は宿坊跡です。

 

豊蔵坊(徳川家祈願所)跡です。

 

絵地図にある茶店です。1月5日ですが休業しているようです。

 

中にかわいい「にゃんこ」がいました。

キジトラ猫のにゃんこです。「こんにちはにゃ」と言っているようです。

 

この辺りまで来ると、開けて見晴らしの良い所があります。

 

宿坊跡の石垣が続いています。右の石垣は宿坊跡です。

 

さらに階段を上ると

 

やっと三の鳥居に着きました。

この鳥居は創建時木造だったようで、その後江戸時代に石造りに

建て替えられますが、1961年の台風で倒壊します。現在の鳥居

は1962年に建てられたものです。台風で倒壊した際に鳥居は砕

けましたが、右側の柱に刻まれていた銘文の部分は新しく建造さ

れた鳥居にそのまま使用されてるそうです。

 

おしゃべり上手なオウムの幸太郎くんの

どうがをおかりしました。(92秒)

今日はここまでです。この続きは明日UPします。

 

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