石清水八幡宮の紹介1 | みどりの木のブログ

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今日から石清水八幡宮の紹介です。

去年の暮れにニコンクールピックスB700というカメラ

が特価でしたので、3万5千円くらいで買いました。

何故買ったかというと、レンズの拡大倍率が光学60倍

で、望遠鏡並の撮影が出来ると思ったからです。あと、

2000万画素で綺麗に撮影出来そうだと思いました。

この日、1月5日の夕方に月を撮影しました。

クレータなどが、以前よりかなりきれいに撮影出来ました。

以下の写真はこのニコンクールピックスB700で撮影しています。

 

それでは石清水八幡宮の紹介です。

去年2月に本社が国宝になっています。

 石清水八幡宮本社の社殿は、寛永11年(1634年)に造られた社殿群です。

八幡(はちまん)造づくり形式の本殿と、前面に連なる幣殿及び舞殿等を瑞籬

や廻かい廊ろうで囲み、緊密に一体化するという、古代に成立した荘厳な社殿

形式を保持しつつ、近世的な装飾を兼備した、完成度の高い神社建築として

極めて高い価値を有しています。ということで、去年の平成28年2月9日に、

「石清水八幡宮本社」10棟が国宝に指定されました。それまでは国重要文化

財でした。

 

歴史

 八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請された神社です。京都盆地

南西の男山(鳩ヶ峰、標高143メートル)山上にあり、皇室からは遠国の宇佐神宮

に代わる神社として崇敬されるとともに、京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の

代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに重要視されました。

貞観元年(859年)に南都大安寺の僧行教が、豊前国宇佐神宮で天皇護持のた

め宇佐八幡宮に90日間参篭します。このとき神託を受け、「われ都近き男山の峯

に移座して国家を鎮護せん」との神託により、翌年貞観2年(860年)清和天皇が

社殿を造営したのが創建とされます。

「石清水」の社名は、男山に既に鎮座していた石清水山寺(現・摂社石清水社)か

らとも、男山の中腹から湧き出ている"石清水"からとも言われます。天皇・上皇・

法皇などの行幸啓は約250回(うち行幸70数度)を数えます。中世以降になると

勧請元の宇佐神宮に代わって、伊勢神宮と並び二所宗廟の1つに数えられました。

河内源氏が武神として信仰し、河内源氏の広がりとともに壺井八幡宮・鶴岡八幡

宮など、当社から各地に八幡宮が勧請されました。

 

この日は電車で来たので、京阪電車八幡(やわた)市駅で降りて、

一の鳥居から紹介します。

 

現地の地図です。

 

現地にあるイラストマップです。石清水八幡宮は本宮のある山上の上院と、

頓宮や高良神社のある山麓の下院とから出来ています。

 

頓宮(祭のときにご神体が入る御旅所)周辺を拡大すると

今日はここを紹介します。

 

駅前です。

 

神社の入口です。

 

一の鳥居です。

 額の字形に特徴があり、八幡宮の『八』の字は向かい合った二羽の鳩が

互いに顔だけを外に向けた形に作られています。この額は一条天皇勅額

で、天皇の勅により藤原行成が長徳年間(995~999年)に書いたものを、

松花堂昭乘が元和5年(1619年)に正確に書写し、それを銅製の額に打ち

出したものです。

 

進むと

筒井と頓宮の門が見えます。

この右には放生池があります。

放生池です。

 

放生池です。

 

筒井です。

 

筒井の内部を覗いたところです。水があります。

 

門の中に入ると

頓宮殿です。

 

頓宮殿正面です。

 

 

 

頓宮殿の出口門のところから中を撮影しました。頓宮殿と斎館(左)です。

 

頓宮殿の外に出て出口門です。

この左側に高良(こうら)神社があります。

 

長いのでもう一度地図です。

 

高良神社鳥居です。

 

説明板です。立派な社殿があったようですが、1868年の

戊辰戦争で焼失しています。現在の社殿は1884年再建

です。高良社は八幡の産土神様です。

 

『徒然草』 第52段「仁和寺にある法師」の話では
 仁和寺の老僧は「一生に一度は石清水八幡宮へ行きたい」と思っていた。

ついに石清水八幡宮へ行ったが、麓の高良社や極楽寺を石清水だと思い込

んで、そこのみ参拝し、他の人が山を登っていたのに、「神へ参るこそ本意

なれと思ひて、山までは見ず」と、自分は登らなかったという話があります。

「すこしのことにも先達はあらまほしきことなり」(些細なことも案内人が必要)

と結ばれている有名な話です。私としては「聞くは一時の恥、聞かぬは末代

の恥」の思いで歴史探訪しています。当時の坊さんには末代はありませんが。

 

簡素な拝殿です。

 

本殿です。

 

御神木のタブの木です。

 

続いて安居橋に行きました。

左の石碑に「やわた放生の景」とあります。

 

説明板です。江戸時代の橋は平橋で、太鼓橋ではないようです。

神事である石清水祭(放生会)の舞台です。

創建以来、当社は境内の護国寺と一体になる宮寺形式でした。往時は

多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、その様子は山麓社殿を八幡宮

と勘違いしたという『徒然草』の話でも知られます。その後、明治維新の

神仏分離において仏式は排除されます。仏式で行われていた放生会も、

その際に「石清水祭」と名を変えますが、現在も同祭は大祭として葵祭・

春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられます。安居というのは、

ブッダがインドの雨期に同じところに留まり、そこで修行したことです。

 

橋の中央から撮影しています。

 

ノリノリ①

のオウムのマイちゃん(48秒)

長くなるので、今日はここまでです。続きは明日UPします。

 

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