狭山池尻城の紹介 | みどりの木のブログ

みどりの木のブログ

毎日UPでブログ

昨日の続きです。
池守田中家の南に、池尻城跡があります。
7月5日の日曜日の撮影なので雨でした。
なので、水玉写真を撮影しました。


水玉に花が写っています





池尻城にあったお宅の花でした。

池尻城ですが、狭山池の平成の改修がされるまで、
その全貌がよく分からなかったのです。
狭山池博物館の中に、大阪狭山市の郷土歴史博物
館があります。
ここの資料より引用します。
昭和30年と60年の発掘からです


発掘されたけれど、狭山池の堤防との関係がよく分からない
状態でした。狭山池の改修で接続しないことが確認されました。この写真は右が北です。
グーグル地図と比べると


グーグル地図の引用です
2つの地図の①から③の場所は
①は


①です。道の先に池尻体育館が見えます。

次に②です


左に池がありますが、堀として利用したと思います。
池尻体育館も池を埋め立てた上に建造してます。

次に③の方に行きます。


②から③の方向を見た写真です。
歩いていくと

こんな感じで
次に③です


③の所ですが、こんな感じにえぐれています。
これが堀の跡と思います。
さらに歩くと


この坂を登ったところ④から、来た道を見ると


④はこんな感じです、左側は沼地だったと思います。
発掘の跡は宅地開発されています。

次に⑤の位置は


こんな感じで高くなっています。
ここを下から見ると


こんな感じで、かなり段差があります。

城の縄張りは


池尻城の前身は豪族池尻氏の館でした。

福池は宅地開発で平地化されていますが、
昔は斜面(法面)で、西側の堀として利用さ
れたと思います。


副池で、右側が池尻城

(グーグル地図再表示)

④よりさらに北に行くと
城の北限らしき窪みがありました。


左右の道になっていて、埋め立てられたと思いますので、
ここに北側の堀があったと思います。
 
最後に池尻城跡に咲く花の写真です






今日はここまでです。
明日は
池尻城は南北朝時代の城で、その歴史です。

皆様方のおかげで、今日は歴史ブログ10位とベスト10
に入りました。誠にありがとうございます。

お手数をお掛けしますが、
ブログボタン押しよろしく→
街・建物写真 ブログランキングへ
ブログボタン押しよろしく→
にほんブログ村
                  お願いします。