和泉の国伯方藩陣屋 3 | みどりの木のブログ

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前回の続きです。
伯方藩陣屋の藩主屋敷周辺の紹介です。





藩主屋敷跡に咲いていた花です。下地図の⑥で咲いていました。

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表門から東方向に坂道を登ると


道の両サイドは江戸時代に武家屋敷でした。
さらに行くと


右に武家屋敷の塀らしきものがあります。地図①のあたりです。
江戸時代はこんな感じだったのでしょう。


ここは地図②のあたりです。
たばこ酒とあるところが藩主御殿の角です。
さらに行くと


武家屋敷の石碑があります。

上の地図③の所です。この家が武家屋敷です。
残念ながら建て替えられています。武家屋敷だった頃は


建て替え前の武家屋敷の様子(ウイッキペディアより)
角を左に曲がると


この道の左側が藩主の御殿です。



ここも元武家屋敷です。上図④のところです。
③と④の辺りは伯方藩の重臣だった、向山家の敷地です。
向山氏(むこうやまし)は、甲斐国に起こり八代郡向山郷
(現山梨県甲府市上向山・下向山、旧東八代郡中道町)を
地盤とした豪族です。神姓を名乗る諏訪大社の氏人である
神党のひとつで、その祖先は甲斐の大開祖とも言われます。
戦国時代は武田氏に属し、その滅亡後は徳川家康の家臣
になり、その分家がここの伯方藩渡辺家の重臣になります。
向山家と藩主の渡辺家は親戚でした。

次に、上地図⑤の位置より少し南は


右の道の先が⑤になります。御殿の発掘調査があった所です。


地図⑤の位置です。


地図⑥の位置です。右側は御殿跡です。
北の大阪方向を見ています。

次に⑦の位置です。


伯方藩跡の石碑があります。近づくと

さらに近づくと


伯方藩跡の石碑です。戦前の昭和12年に建立されています。
これで藩主御殿を一周したので、

次に③にもどり、さらに東に歩き、振り向くと

ベージュ色の塀の家が武家屋敷跡の石碑がある所です。
手前も武家屋敷だった所です。
向山家所蔵の陣屋絵図です

もう一度グーグル地図で、現在の様子を見て下さい。


さらに⑧に行くと、左手に丸笠山古墳があります。

丸笠山古墳です。


古墳の説明板です。
最後に⑨は


この道の両側に堀に見立てた池があります。

以上で陣屋の紹介を終わります。
明日は富田林市にある錦織神社の紹介です。