阿倍晴明と西高野街道の晴明塚 | みどりの木のブログ

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阿倍晴明は伝説がいろいろとある人で、映画・小説・アニメ
などで有名です。その実像について考えてみます。
西高野街道の河内長野市にある原町あたりで、天皇一行は
村の老人が「そろそろ雨になるよ」とつぶやいたのを聞きます。
晴明は自分の占いでは「そんなことはない」と言って怒り、行列
はそのまま進んだ。しかし、紀見峠にさしかかった時に、大雨が
降り出したのです。高野山からの帰路に、この老人になぜ雨が
降ると分かったのかと聞くと、「全身のできものが、かゆくなると
雨になる」と答えました。
 自らの浅学を恥じた晴明は、この場所に陰陽道や占いの道具
を埋めていったという。それが下の晴明塚です。


後ろには地蔵尊が祭られています。

安倍 晴明(あべ せいめい921 - 10051031
日は、
平安時代の陰陽師です。多くの伝説でも有名です。その子孫
は嫡流が安倍姓から土御門(つちみかど)姓に変わっています。
晴明は鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した土御門家
の祖となります。晴明は陰陽術が認められて、官位が従四位下・
播磨守まで破格の出世をします。
 晴明塚近くの西高野街道を歩いてみました。
 西高野街道を北から南へ歩いていくと


古い家がたくさんあります。上の写真の道の右側の蔵の後ろが晴明塚です。


中央に晴明塚があります。
晴明さんも普通の人間だったのかという伝承でした。

嫡流の土御門家は平成6年に当主土御門範忠(のりただ)氏が
亡くなります。
奥さんと娘さんはいらっしゃいますが、婿養子を
取らないと嫡流が絶えてしまいます。
一方、江戸時代初めに
土御門家から分かれた分家の倉橋家が今も残っています。
現在
の当主は倉橋純信氏です。

フリーのテレビ番組で、晴明の伝説が奇術で可能か検証した番組
がありますので、ユーチュブの動画を貼っておきます。