いきなり変なタイトルですね(^_^;)
長いお付き合いの方はご存じでしょうが、私にはどうもひとつの事をじっと見つめる(=考え続ける)傾向があるようです。
そのマイブームのひとつが、『桃太郎』です。
誰でも知ってる『桃太郎』の世界も、ちょっと視点を変えるだけで、その見え方や考え方がガラリと変わります。もちろん『桃太郎』の世界だけでなく、どんな事柄でも同じです。
今回から数回にわたって、日本で最もポピュラーな童話『桃太郎』をいくつかの異なる視点から再解釈することで、皆さんの『桃太郎』に対するイメージを少しでも広げることが出来ればいいなぁ、と思っています。頑張って書きますので最後までよろしくお付き合いください。
……というわけでまず最初は、「桃太郎は盗人だった!」説です。
童蒙おしえ草 ひびのおしえ 現代語訳 (角川ソフィア文庫) [ 福澤 諭吉 ]
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福沢諭吉が家訓として残した『ひゞのをしへ』の中で、桃太郎について、次のように記しています。
「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなくとりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝともいふべき、わるものなり。」
ひらがなばかりで読みにくいですね。ちょっと現代語訳してみます。
「桃太郎が鬼が島に行ったのは、宝を取りに行くと言ったのだ。とんでもないことである。宝は鬼が大事にしまっているものであり、宝の持ち主は鬼である。持ち主のある宝を、訳もなく取りに行くとは、桃太郎は盗人とも言うべき悪者である。」
つまり、宝は鬼が大事にしまっているもので持ち主は鬼なのに、それを理由もなく取りに行くとは、桃太郎はとんでもない悪者だな、と言っているのです。
また、次のようにも記しています。
「もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。」
現代語訳するとこんな感じです。
「もしまたその鬼が悪い奴で、世の中に害を与えていたのであれば、桃太郎の勇気をもって鬼をこらしめることは、とてもよいことではあるが、宝を取って家に帰り、おじいさんとおばあさんにあげたということは、ただ我欲のためにやったことで、卑劣千万である。」
すごいですね!
鬼が悪さをしているのであればこらしめるのは良いことだけど、宝を奪って家に持って帰って、それをおじいさんとおばあさんにあげたのはただの我欲であり、卑劣千万である、と言っています。
あのみんなの英雄桃太郎を、卑劣千万とまで言っています!
福沢諭吉は、鬼=悪と見ていなかったのがよくわかります。
たしかに、鬼が悪いことをしていないのであれば、鬼からしたら、桃太郎は猿・犬・雉を味方につけていきなり攻めてきた侵略者ということになりますね。
今の世界情勢を見ていても、これと全く同じことが言えます。どちらが正しくてどちらが間違っているとかいう問題ではなく、物事には常に裏と表があり、それらを踏まえて多様な側面や視点に立って解釈する必要があるのでしょう。そうすることできっと新しい世界観が広がるのではないか…そんな風に思います。
ちなみに桃太郎盗人論に関しては、
慶応義塾福澤研究センター顧問の桑原三郎は、『ひゞのをしへ』の中で、桃太郎が鬼が島へ宝を取りに行ったことが「けしからぬこと」であり、「もゝたろふは、ぬすびとヽもいふべき、わるものなり」ということを注目して、「桃太郎盗人論」と名づけて重視している。そして、福澤が桃太郎盗人論を述べた背景として、「「ひゞのをしへ」は、言わば『学問のすヽめ』の幼年版とも見做すべきもの」であって、「一身の独立のためには、他人の独立も侵さないという考えが前提にあり、桃太郎盗人論になったのでありましょう」と説明しています。
(桑原三郎 『諭吉 小波 未明―明治の児童文学―』慶應通信、1979年7月)
今の世に福沢諭吉が生きていたらどのように言うのでしょうか……
ボクのおとうさんは、
桃太郎というやつに殺されました。
「桃太郎」については、もう少し続きます…
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