書棚を整理していて、久しぶりに懐かしい本(アンデルセン童話)が出てきたので読み返してみました。
そこでふと感じたことを書いてみました。
巫を信じて医者を信じない者は不治である。(扁鵲)
『野の白鳥』(H.C.アンデルセン、小学館)
アンデルセン童話に「野の白鳥」というのがあります。
悪い王妃の魔法によって11人の王子達は次々に白鳥に姿を変えられて追い出されてしまうという話なのですが、ただ一人、エリサという王女だけはその魔法がかからない。
それをアンデルセンは「エリサの心があまりにも純粋だったから」と書くのです。
若い頃それを読んで、アンデルセンのいう魔法とはきっと、私たちを騙す世の中の誘惑や嘘、幻想などのことなのだろうと理解し、大きくなっても私は澄んだ水のように純粋で正直、無邪気でありたいと思いました。大人になっても、本当に大切なことは、利口な大人になることでも、現実的な力を身につけて世の中をスイスイと渡ることでもなく、ただ一つ、エリサのような「純粋な心」を持ち続けることだと……。
昨今のスピリチュアル・ブームという社会現象をみていると、既存の宗教に変わるものとしての新しい価値観を代表するものであり、今後もますます注目されることになるだろうと予想されます。
ただし、スピリチュアリティは、概念的な枠組みがはっきりせず、個人の感覚や理解に委ねられるために、人間のストレートな要求や願望が反映されやすいという危険性を孕んでいるように思います。
最近マスメディアを賑わす「スピリチュアル」というという流行語は、いかにも軽薄です。霊能者がセラピストと称して、何の根拠もない実体的な霊魂の存在や死後の世界、生まれ変わりや輪廻転生などの物語をあたかも現実であるかのように語って、自身の現実と苦悩と向き合うことを忘却させる。いまやスピリチュアルは、癒しや健康といったチャッチコピーのもとで、現代人の漫然とした精神的不安をかき消そうとするための安易な慰めとなっているように感じます。
虚しく過ぎる日常を覆い隠すための巧妙な装置、やさしくて妖美な心の麻薬──これがスピリチュアル・ブームの実情ではないか、と思うのは私だけでしょうか…。
スピリチュアリティを無批判に受け入れることは、気づかぬうちにカルトへの道を突き進んでいくことにもなりかねません。少なくともその気配だけは感じ続けていて欲しいと思うのです。
「じゃぁお前はどうなんだ」……と言われそうですが、
近頃流行りのパワースポットでもそうですが、御利益信仰や偶像崇拝のウラにある自己愛をしっかりと認識し、自分の人生を変えられるのは自分の思いと行い以外にはないのだ、とあきらめて(明らかに究めて)人生を送る方が自分の性に合っているように思います。
信ずべきことと疑うべきことを自分の中でしっかりと見つめてこれからも生きていきたいと思います(^^♪
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