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政治力で曲げた?路線たち
こんにちは、ビンディーの小林です。
鉄道路線には素人目にも違和感のあるルート設定があるね。これには政治力があると昔から言われてきているんだね。
中央線の辰野駅付近の迂回を「大八廻り」というのを知っているかな?現在の中央線は岡谷からほぼ直線で塩尻までトンネルで抜けているけど、中央線開業当時は、辰野経由で塩尻に抜けていたんだね。実をいうと中央線は、伊那谷を通るルートと木曽谷を通るルートで揉めていたんだ。
最終的に木曽谷になったんだけど、伊那谷出身の当時の帝国議会議員の「伊藤大八」は強引に伊那谷入口の辰野ルートを推進しといういきさつがあるんだね。この時に「我田引水」ならぬ「我田引鉄」という言葉が生まれ、政治家の鉄道誘致が盛んになったんだね。この付近の鉄道路線の複雑な配置はこのような経緯があったんだ。
東北地方で有名なのが、盛岡から釜石を結ぶ山田線だ。普通に考えれば盛岡から宮古まで直線で国道106号線に平行して走るのが一般的だけど、地元選出の原敬首相が強引に山間の北側迂回ルートで決定してしまった。鉄道ファンからは「鍋蓋線(鍋の蓋のように突起したイメージ)」と称された話だね。
その後、「我田引鉄」は新幹線へと変わっていくんだ。以前触れたけど、岐阜羽島駅はその典型だね。東海道新幹線のルートを模索していた当時の国鉄に岐阜県が、岐阜市もしくは大垣市に駅を要望したんだ。京都への最短ルートを模索していた国鉄は地元選出の大野
伴睦に斡旋を依頼して、国鉄路線の走らない岐阜羽島駅という折衷案で両者、妥協したんだね。今でも岐阜羽島駅前には大野 伴睦の銅像が立っている。
ただこんな無理して誘致した岐阜羽島駅も一日の乗降客数も2800人程度と低迷している。岐阜市民からみればひかりとこだまが数本しか停車しない岐阜羽島よりも、ほぼ同時間でアクセスできる名古屋に向かう方が利に適っているからね。
上越新幹線の「浦佐駅」長野新幹線の「安中榛名駅」や九州新幹線の「筑後船小屋駅」なんかも何故って思った人多いと思うね。このあたりの駅は地元選出の議員がかなり影響している。あえてこの記事では政治家まで触れないけれど、「〇〇駅 政治家」で検索すればその謎は解けると思うよ。
「我田引鉄」は今も脈々と受け継がれているんだね。
ここまでお読みいただきまして
ありがとうございました。
小林治巳