岡部春日神社(福島県福島市岡部)
岡部春日神社(かすがじんじゃ)。

福島県福島市岡部に鎮座。
御祭神は武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、経津主命(フツヌシノミコト)、天津児屋根命(アメノコヤネノミコト)、比賣神(ヒメカミ)。
社格は村社に列格。
建武年間、後醍醐天皇の御新政の御世のご創建。
正二位 権大納言兼鎮守府大将軍・北畠顕家卿が霊山に国府を遷していた頃、
その家臣である間山十太夫という武将が現在の前山に住んでおり、
『春日大権現』を勧請したというのがはじまり。
江戸時代に入り、元文年間(1736~1740年)に社殿が崩壊。
それまでの鎮座地である前山から現在の鎮座地である新山に遷座。
村民が力を合わせ、社殿を造営する。
当地は福島にあった板倉藩の鬼門に位置することから、藩公は宝剣を奉納。
天下安穏・領民安泰を祈願した。
しかし、ここから春日神社にとって苦難の歴史が始まる。
文化十年(1813年)に盗賊の火により焼失。
続いて文政十年(1827年)にも火災により全山尽くが焼け落ちた。
さらに、天保七年(1836年)には再び盗賊の放火により社殿が焼失してしまう。
……なにやら鬼門を鎮めていたのを破ろうとする勢力が居るのかと思うほどの災難の連続。
だが、この苦難を乗り越え、弘化三年(1846年)には社殿を再建。
この時に建造された社殿は現在の拝殿ということで、
実に170年もの間、無事に保たれてきているわけですね。
その後、明治二十八年に氏子の寄進により幣殿と本殿を造営。
幾度と無く危機が訪れていながらもその度に再建されてきたというのは、
やっぱり崇敬が篤かったというのと、神職・氏子の皆さんが努力しておられたということの証左なんでしょうね。
こちらの岡部春日神社さんの宮司さんは女性の方なんですが、境内社の案内板を手作りで作っておられたりするんですよね。
間を置いて何度かお参りしているんですが、お参りする度に変化があって一生懸命さが伝わってくる感じです。
以前は無かった手水舎も氏子の方々のお陰で完成したようですし、神社をみんなで守っていこうという気質は歴史を振り返ってみても、昔からずっとあるようです。

【 鳥居 】
石造りの明神鳥居。
白っぽい石なので背後の緑が映えて綺麗ですね。
参道は石段で上り階段になっています。

【 だいこくさま 】
参道途中、右手にある大黒天の石像。
詳細は不明ながら、左側の像は明治三年には存在していたとのこと。
実はこの左側の大黒天像。
顔が壊されていて、のっぺらぼう状態なんですよね。
なぜこんな状態なのか、風化してしまって自然に壊れたのか?というとそうではなく、
神仏分離令・廃仏毀釈による破壊の名残りなんだそうです。
ちなみに右側の像は平成18年に氏子の方より奉納されたものなんだとか。
この辺りの大黒天に関する説明の案内板も以前お参りした時には無かったので、こういう取り組みをして頂けるのはお参りする者にとってはありがたいですね。

【 手水舎 】
こちらが手水舎。
氏子の方々によるものだそうです。

【 石灯籠 】
絶妙なバランスを感じさせる石灯籠。
自然石をそのまま活用していて、実に風流ですね。

手水舎のあたりから参道を振り返ったところ。
パイプのようなものが見えますが、これは恐らく水道のパイプ。
近年、氏子の方々によって水道設備工事の寄進があったそうです。





【 拝殿 】
前述のとおり、江戸時代に造営されて170年ほどになる拝殿。
桐と菊の神紋がきらびやかですね。




【 境内社 】
拝殿右手にある境内社の数々。
死霊神社というのはなかなか見かけない名前なのでちょっとドキっとしたり。
境内社ごとに手作りの案内板がついていて、おもてなしの心を感じます。



【 本殿 】
一段高いところにある御本殿。
武神らしい堂々とした佇まいですね。
さてさてさて。
そんなわけで無事お参りが済みまして、御朱印をお願いします。
こちら、宮司さんが神社にいらっしゃる時もあるようなんですが、
ご自宅が近くであるものの別なところにあるということで、
拝殿に連絡先が書かれています。

で、電話を差し上げてしばらく後に頂いた御朱印がこちら。
下り藤の御神紋の印も押されています。
社殿の御神紋は菊と桐で、藤紋は無かったんですが……見落としたかな。
春日神社といえばやはり藤の紋なので、そうですかね。
ちなみに書き置きのものを頂きました。
岡部・黒岩から川俣と、この地域には春日神社が結構多いんですよね。
宮司さんも氏子さんも頑張ってらっしゃるのが伝わってくる神社ですので、是非お参りされてみてはいかがでしょうか。
◆ 神社への地図
◆ 神社の情報
岡部春日神社 かすがじんじゃ
御祭神 : 武甕槌命、経津主命、天津児屋根命、比賣神
社格等 : 村社
鎮座地 : 福島県福島市岡部字新山2

福島県福島市岡部に鎮座。
御祭神は武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、経津主命(フツヌシノミコト)、天津児屋根命(アメノコヤネノミコト)、比賣神(ヒメカミ)。
社格は村社に列格。
建武年間、後醍醐天皇の御新政の御世のご創建。
正二位 権大納言兼鎮守府大将軍・北畠顕家卿が霊山に国府を遷していた頃、
その家臣である間山十太夫という武将が現在の前山に住んでおり、
『春日大権現』を勧請したというのがはじまり。
江戸時代に入り、元文年間(1736~1740年)に社殿が崩壊。
それまでの鎮座地である前山から現在の鎮座地である新山に遷座。
村民が力を合わせ、社殿を造営する。
当地は福島にあった板倉藩の鬼門に位置することから、藩公は宝剣を奉納。
天下安穏・領民安泰を祈願した。
しかし、ここから春日神社にとって苦難の歴史が始まる。
文化十年(1813年)に盗賊の火により焼失。
続いて文政十年(1827年)にも火災により全山尽くが焼け落ちた。
さらに、天保七年(1836年)には再び盗賊の放火により社殿が焼失してしまう。
……なにやら鬼門を鎮めていたのを破ろうとする勢力が居るのかと思うほどの災難の連続。
だが、この苦難を乗り越え、弘化三年(1846年)には社殿を再建。
この時に建造された社殿は現在の拝殿ということで、
実に170年もの間、無事に保たれてきているわけですね。
その後、明治二十八年に氏子の寄進により幣殿と本殿を造営。
幾度と無く危機が訪れていながらもその度に再建されてきたというのは、
やっぱり崇敬が篤かったというのと、神職・氏子の皆さんが努力しておられたということの証左なんでしょうね。
こちらの岡部春日神社さんの宮司さんは女性の方なんですが、境内社の案内板を手作りで作っておられたりするんですよね。
間を置いて何度かお参りしているんですが、お参りする度に変化があって一生懸命さが伝わってくる感じです。
以前は無かった手水舎も氏子の方々のお陰で完成したようですし、神社をみんなで守っていこうという気質は歴史を振り返ってみても、昔からずっとあるようです。

【 鳥居 】
石造りの明神鳥居。
白っぽい石なので背後の緑が映えて綺麗ですね。
参道は石段で上り階段になっています。

【 だいこくさま 】
参道途中、右手にある大黒天の石像。
詳細は不明ながら、左側の像は明治三年には存在していたとのこと。
実はこの左側の大黒天像。
顔が壊されていて、のっぺらぼう状態なんですよね。
なぜこんな状態なのか、風化してしまって自然に壊れたのか?というとそうではなく、
神仏分離令・廃仏毀釈による破壊の名残りなんだそうです。
ちなみに右側の像は平成18年に氏子の方より奉納されたものなんだとか。
この辺りの大黒天に関する説明の案内板も以前お参りした時には無かったので、こういう取り組みをして頂けるのはお参りする者にとってはありがたいですね。

【 手水舎 】
こちらが手水舎。
氏子の方々によるものだそうです。

【 石灯籠 】
絶妙なバランスを感じさせる石灯籠。
自然石をそのまま活用していて、実に風流ですね。

手水舎のあたりから参道を振り返ったところ。
パイプのようなものが見えますが、これは恐らく水道のパイプ。
近年、氏子の方々によって水道設備工事の寄進があったそうです。





【 拝殿 】
前述のとおり、江戸時代に造営されて170年ほどになる拝殿。
桐と菊の神紋がきらびやかですね。




【 境内社 】
拝殿右手にある境内社の数々。
死霊神社というのはなかなか見かけない名前なのでちょっとドキっとしたり。
境内社ごとに手作りの案内板がついていて、おもてなしの心を感じます。



【 本殿 】
一段高いところにある御本殿。
武神らしい堂々とした佇まいですね。
さてさてさて。
そんなわけで無事お参りが済みまして、御朱印をお願いします。
こちら、宮司さんが神社にいらっしゃる時もあるようなんですが、
ご自宅が近くであるものの別なところにあるということで、
拝殿に連絡先が書かれています。

で、電話を差し上げてしばらく後に頂いた御朱印がこちら。
下り藤の御神紋の印も押されています。
社殿の御神紋は菊と桐で、藤紋は無かったんですが……見落としたかな。
春日神社といえばやはり藤の紋なので、そうですかね。
ちなみに書き置きのものを頂きました。
岡部・黒岩から川俣と、この地域には春日神社が結構多いんですよね。
宮司さんも氏子さんも頑張ってらっしゃるのが伝わってくる神社ですので、是非お参りされてみてはいかがでしょうか。
◆ 神社への地図
◆ 神社の情報
岡部春日神社 かすがじんじゃ
御祭神 : 武甕槌命、経津主命、天津児屋根命、比賣神
社格等 : 村社
鎮座地 : 福島県福島市岡部字新山2