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機織神社(福島県伊達郡川俣町)

機織神社(はたおりじんじゃ)。



福島県伊達郡川俣町に鎮座。
御祭神は小手姫(おてひめ)。


小手姫は第32代・崇峻天皇の妃。
出羽三山の開祖・蜂子皇子の母。

日本書紀によると、献上された猪を見た崇峻天皇が漏らした「いつかこの猪の首を斬るように、自分が憎んでいる者を斬りたいものだ」という言葉を小手姫が蘇我馬子に密告してしまい、崇峻天皇暗殺事件の引き金となった。
このような密告をした理由は、「崇峻天皇の寵愛が薄れてきたことを恨んだため」と言われている。

これを知った蘇我馬子は東漢駒(やまとのあやのこま)という人物を刺客として差し向け、儀式の場で崇峻天皇を暗殺させた。

その後、崇峻天皇の御子である蜂子皇子は聖徳太子に匿われ、密かに宮中を脱出。
丹後國から船で北上し、出羽國に辿り着き、出羽三山の開祖となった。


さて、では暗殺事件のきっかけを作った小手姫はどうなったのか。
実は小手姫も宮中を脱出し、小手姫の父・大伴糠手、小手姫の娘・錦代とともに蜂子皇子を探す度に出たのだという。
しかしながら、旅の途中で錦代皇女は亡くなってしまう。
そこで小手姫は、故郷の大和國に似た小手郷(現在の伊達郡川俣町・伊達市月舘町)に留まり、この地で養蚕の技術を人々に広めたのだという。

この伝承を裏付けるかのように、川俣町には須恵器や土師器が出土する古墳群があるのだとか。


人々に養蚕の技術を伝え当地を「絹の里」にした小手姫だったが、蜂子皇子に会えない悲しみに暮れ、ついには大清水の池に身を投げて崩じれらたのだという。


里の人々は小手姫を思い、この大清水の池のほとりに祠を建てて祀ったのだと伝えられている。
この祠は「機織御前堂」と呼ばれていたが、明治十二年には「機織神社」に改称。
その後、明治四十三年に現在の鎮座地である御庵舘に遷座したのだそうだ。



そんなわけで、今回ご紹介するのは小手姫を祀る機織神社。
川俣町、月舘町には小手姫にまつわる伝承が数多く残っておりまして、以前紹介した布川熊野神社さんにも小手姫神社の遥拝殿があったりしましたね。




【 鳥居 】
石造りの明神鳥居。
扁額の文字の色が緑色で綺麗だなー……と思っていたら蜂の巣が。

蜂……蜂子皇子……!?

こういう形で小手姫との再会ですか!?(ちがいます)



【 参道 】
さてさて。
こちらの境内なんですが、公園のようになっておりまして。
画像中央の石段を登った先が広場のようになっているんですね。
ちょうど親子連れが遊んでいたので、その辺りの画像は撮ってなかったりします。


【 神輿庫 】
参道をまっすぐ進んで突き当りにある神輿庫。




【 手水舎 】
拝殿前の手水舎。
画像に滑り台が写っていますが、こちらの境内はホント、親子の憩いの場という雰囲気なのでした。










【 社殿 】
コンクリート造り?の社殿。
見たところ、拝殿と本殿が分かれていない形のようです。
月舘町と川俣町の境にある女神山の山頂にも小手姫を祀った祠があるそうですんで、そちらが御本殿という形なんでしょうかね。
宮司さんに詳しく聞いておけば良かった……と後悔。


さて、これでこちらの境内はおしまいなんですが。
今度は場所を移してもう一箇所。






こちらはかつて機織御前堂、機織神社があった旧社地です。
以前はここに深い池があって小手姫入水の地と言われているんだとか。



さてさてさて。
そんなわけで無事にお参りも済みまして、御朱印をお願いするわけですが。
こちらの機織神社さんは普段は無人。
川俣町の羽田春日神社さんが兼務社として管理されています。



そして羽田春日神社さんに伺って頂いた御朱印がこちら。
達筆で素敵ですね。


ちなみに御朱印を頂く際に宮司さんとお話したところ、

宮司さん「最近はインターネットとかで情報を得てお参りしている人が多いみたいですね」

とおっしゃっていたので、

わたし 「あ、はい。私もインターネットで情報頂いたりしてお参りしてるんですよ~」

とお答えしたんですが。



情報頂くだけじゃなくブログで情報発信してるとは言えずに帰ってきてしまいました……
なかなかこういうのって話題に出せないですよねえ……
まあ、最近は頂いた情報の後追いが多くて、自分からの情報発信が出来てないのが心苦しいところでありますが……


あ、ちなみに次回以降も羽田春日神社さんの兼務社が続きます。




◆神社への地図



◆神社の情報

機織神社   はたおりじんじゃ

御祭神 : 小手姫
社格等 :
鎮座地 : 福島県伊達郡川俣町舘58
(機織御前堂の旧社地は 福島県伊達郡川俣町飯坂字東大清水9)