日吉神社(福島県郡山市)
日吉神社(ひよしじんじゃ)。
福島県郡山市に鎮座。
御祭神は大山咋命(オオヤマクイノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)。
由緒によると、延暦年間、時の征夷大将軍・坂上田村麻呂が奥州征討の折り、近江国・日吉大社から当山王舘に分祀して祈願したのがはじまり。
その後、康平五年に八幡太郎源義家が陸奥の安倍貞任を追討の途、太刀その他を奉納して征討の安全と戦勝を祈願したと言われる。この神刀は子供の夜泣き止める御神徳があると伝えられているんだとか。
また、戦国時代の天正十六年、この地は伊達政宗が佐竹・芦名氏の軍との戦い(窪田の合戦)の際に本陣となった場所。
この合戦において、伊達政宗の身代わりとなり伊東肥前守重信が討ち死に。
そのため、当社境内には伊東肥前守重信を称えるため、奥州仙台藩四代・伊達綱村公が建てさせた碑があるのだそうだ。
寛保年間以前、この地方では氏子が土蔵を造ると必ず疫病か災害が起きるという、奇異な状況にあった。
そのため、「土蔵を建てることは氏神様の見心にそわない」と固く禁じられていたのだという。
しかし、延享二年、当時の神祇官領卜部兼雄に請願。
幣帛を奉り解禁の祝詞を奏上したところ、それ以後は災厄が起きることは無くなったのだそうだ。
こういった経緯から、現在の氏子宅の土蔵はそれ以降に建てられたものらしい。
さてさてさて。
実はこちらの神社にお参りしたのは去年の年末。
更新するタイミングをすっかり逃したせいで、九ヶ月も寝かせておりました (´・ω・`)
車での移動なら、郡山駅から10分もかからない程度の距離だった気がしますが、いかんせんずいぶん前のことなので……
【 一の鳥居 】
こちらは石造りの神明鳥居。
日吉神社というと山王さまとして親しまれているわけですが。
鳥居は山王鳥居ではないようですねえ。
むしろ、福島県内では山王鳥居を見かけたことが無いような……
年末の参拝ということもあって、鳥居の両脇には松飾り。
大祓などの看板も添え付けられておりました。
【 鳥居付近の神猿の像 】
こちらは一の鳥居をくぐってすぐのところにある、神猿(まさる)の像。
山王さまの総本社・日吉大社では猿が神の使いとされていて、当社もそれにならったものだと思われます。
神猿(まさる)はその響きから、「魔去る」「勝る」などと魔除け・必勝の御利益があるものとして有難がられてきたのだとか。
狛犬よりも表情豊かで人間味があって、見ていて面白いねえ。これ。
実はこの神猿の像、境内にもう何対かあったようなんですが撮影したのはこの一対のみでした (´・ω・`)
【 手水舎 】
一の鳥居のすぐ近くの手水舎。
屋根には三つ巴と、山王系の神社で多く用いられる二葉葵の御神紋。
【 二の鳥居 】
こちらは朱色の明神鳥居のよう。
年末の準備のためか、両脇には提灯が下げられていました。
【 拝殿 】
二葉葵の紋の入った幕が張られていた拝殿。
すっかりお正月の準備中といった様子で、女性が境内を掃除なさっておりました。
拝殿の提灯や境内の「月次祭」の旗はこれに合わせていっしょに準備したんでしょうかねえ。
【 本殿 】
一段高いところに位置する本殿。
覆屋になっているのか、これがそのままの姿なのか分かりませんが、非常にシンプルな外見。
鳥居のあたりを見ると、ちょっと手狭な境内なのかな?と思ったものの、社殿の近くは非常に広々として気持ちいいくらいの空間。
冬だったんで木々の葉はすべて落ちてしまっていたんですが、夏季だったら清涼感のある緑の葉で覆われてるんでしょうねえ。
さてさてさて。
無事に参拝も済んで、社務所へ。
御朱印をお願いします。
社務所の前にちょうど宮司さんがいらっしゃったので、スムーズに御朱印をお願いできました(`・ω・´)
初穂料はお気持ちで、だった気がします。
ひし形というか、斜め45度というか、変わった形の御朱印。
四角い印影が多いだけに、◇型の印影はちょっと見かける回数は少ない気がします。
■ 日吉神社への地図
◆ 神社の情報
日吉神社 ひよしじんじゃ
御祭神 : 大山咋命、大己貴命、少彦名命
社格等 :
鎮座地 : 福島県郡山市富久山町久保田字山王舘4-1















