御刀神社(福島県南相馬市鹿島区)
御刀神社(みとじんじゃ)。

福島県南相馬市鹿島区に鎮座。
御祭神は経津主神(フツヌシノカミ)。
社格は村社に列格。
また、行方郡延喜式内八社のうちの一社でもある。
景行天皇の御世、皇子・日本武命が東夷を征伐に下向した際に勧請したというのがはじまり。
その後、延喜五年(905年)に御正体を納め奉り、国家鎮護の神とした。
御神体は御鏡と御刀であり、剣の宮、剣大明神などと呼ばれた。
ちなみに現在の社地の住所も「劔宮」という地名になっている。
寛喜元年(1229年)に行方連から社田の寄進があった。
当時は大社であり、社から二百間(約360m)のところに鳥居を建て、そこを鳥居門と称するほどの大きさだった。
しかし、その後は次第に小さくなり、やがて神田も失うに至る。
正徳二年(1712年)に相馬中村藩第七代藩主・相馬尊胤公が当社の由緒をただし、社田五石三斗を寄付。
これにより、里人の崇信も高まった。
明治十一年、御刀神社・鶏刀神社ともに北・南右田、北海老・南海老の村社と定められたものの、
明治三十四年に町村制となり、御刀神社は北・南右田、鶏足神社は北・南海老と、氏子地域を分けることとなった。
以前の社殿は明治三十二年に造営されたものだったが、
平成二十八年三月に発生した東日本大震災に伴う大津波で社殿を流失した。
さてさてさて。
鶏足神社につづいてお参りしたのは行方郡延喜式内八社のうちのひとつ、御刀神社。
こちらも山田神社同様に津波で社殿を流失しておりまして、仮社殿が建てられております。

【 鳥居 】
こちらが被災後の鳥居。
恐らく流失する前はもっと大きな鳥居が建っていたんだと思われます。
社号標も無かったので、津波で流されてしまったんでしょう。



【 境内の様子 】

【 仮社殿 】
こちらの仮社殿は北海道神社庁札幌支部の寄贈により、
東京都下谷神社さんの協力のもと建てられたとのこと。
(参考:福島県神社庁、福島県神道青年会)
費用の面からも課題があるとは思うんですが、
仮社殿から正式な社殿への建て替えができるよう、ご祈念申し上げる次第です。

御朱印はここ数回の記事と同様、御刀神社さんを兼務してらっしゃる伊勢大御神 下大神宮さんで頂きました。
◆神社への地図
◆神社の情報
御刀神社 みとじんじゃ
御祭神 : 経津主神
社格等 : 村社、延喜式内社(小社)
鎮座地 : 福島県南相馬市鹿島区北右田劔宮112

福島県南相馬市鹿島区に鎮座。
御祭神は経津主神(フツヌシノカミ)。
社格は村社に列格。
また、行方郡延喜式内八社のうちの一社でもある。
景行天皇の御世、皇子・日本武命が東夷を征伐に下向した際に勧請したというのがはじまり。
その後、延喜五年(905年)に御正体を納め奉り、国家鎮護の神とした。
御神体は御鏡と御刀であり、剣の宮、剣大明神などと呼ばれた。
ちなみに現在の社地の住所も「劔宮」という地名になっている。
寛喜元年(1229年)に行方連から社田の寄進があった。
当時は大社であり、社から二百間(約360m)のところに鳥居を建て、そこを鳥居門と称するほどの大きさだった。
しかし、その後は次第に小さくなり、やがて神田も失うに至る。
正徳二年(1712年)に相馬中村藩第七代藩主・相馬尊胤公が当社の由緒をただし、社田五石三斗を寄付。
これにより、里人の崇信も高まった。
明治十一年、御刀神社・鶏刀神社ともに北・南右田、北海老・南海老の村社と定められたものの、
明治三十四年に町村制となり、御刀神社は北・南右田、鶏足神社は北・南海老と、氏子地域を分けることとなった。
以前の社殿は明治三十二年に造営されたものだったが、
平成二十八年三月に発生した東日本大震災に伴う大津波で社殿を流失した。
さてさてさて。
鶏足神社につづいてお参りしたのは行方郡延喜式内八社のうちのひとつ、御刀神社。
こちらも山田神社同様に津波で社殿を流失しておりまして、仮社殿が建てられております。

【 鳥居 】
こちらが被災後の鳥居。
恐らく流失する前はもっと大きな鳥居が建っていたんだと思われます。
社号標も無かったので、津波で流されてしまったんでしょう。



【 境内の様子 】

【 仮社殿 】
こちらの仮社殿は北海道神社庁札幌支部の寄贈により、
東京都下谷神社さんの協力のもと建てられたとのこと。
(参考:福島県神社庁、福島県神道青年会)
費用の面からも課題があるとは思うんですが、
仮社殿から正式な社殿への建て替えができるよう、ご祈念申し上げる次第です。

御朱印はここ数回の記事と同様、御刀神社さんを兼務してらっしゃる伊勢大御神 下大神宮さんで頂きました。
◆神社への地図
◆神社の情報
御刀神社 みとじんじゃ
御祭神 : 経津主神
社格等 : 村社、延喜式内社(小社)
鎮座地 : 福島県南相馬市鹿島区北右田劔宮112