相馬太田神社(福島県南相馬市原町区)
相馬太田神社(そうまおおたじんじゃ)。
福島県南相馬市原町区に鎮座。
御祭神は天之御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)。
社格は県社。
社伝によると、今から一千数十年前の承平年中(931~937年)に相馬氏の遠祖・平将門公が下総の国猿島郡守屋城に妙見社を創建したことに始まる。
平将門公から十二代にあたる相馬師常公が源頼朝の軍に従い、奥州藤原氏との合戦での功績により奥州行方郡の地を賜り、同族の千葉氏から相馬を継ぎ、奥州相馬の初代となった。l
その後、元享三年(1323年)に六代・重胤公の時、家来を引き連れ下総国をはなれ奥州行方郡太田へ移り住み、氏神妙見尊を奉じて宮祠を創建して祀ったのだとか。
それが現在の相馬太田神社なのだという。
さてさてさて。
南相馬市鹿島区の男山八幡神社 を後にして、さらに南下。
原町区の相馬太田神社に向かいます。
車で25~30分くらいで到着したかなあ。
参拝から三ヶ月も経過すると、だんだんと移動時間とかの記憶が薄れてきて(;´・ω・)
で、こちらの相馬太田神社。
相馬中村神社 、相馬小高神社とともに相馬野馬追いの神事を行う、相馬妙見三社のひとつなんですね。
もう何度もこのブログでは触れているのでご存知の方も多いと思うんですが。
その妙見三社のうち、相馬小高神社のある南相馬市小高区は福島第一原子力発電所から20キロ圏内ということで参拝することが出来なくなってしまったんです。
相馬小高神社の他にも、代表的なところでは……
延喜式内社の『益田嶺神社(南相馬市小高区)』、同じく延喜式内社の『くさ野神社(浪江町)』などなど。
深い歴史と由緒を持つ数々の神社が立ち入り禁止区域ということで、現在も近づくことすら出来ません。
一日も早く除染を完了させ、以前のように戻れるのを期待するのみですね。
んで。
こちらの相馬太田神社は原発からどれくらいの距離なのかというと、なんと約22キロという立ち入り禁止ギリギリ手前。
緊急時避難準備区域でしたっけ?それに該当していたと思います。
ただ、22キロと言っても。
南相馬市の空間放射線量より高いポイントが、もっと原発から遠い飯舘村や霊山町にあったりするので……
距離で区切るのってホントに無意味だったなあ、と。
もう少し早い時点で、距離で杓子定規に線引きするのではなく、実態に合わせた対応が出来なかったものかと悔しい思いがあります。
そんなわけで、この相馬太田神社。
立ち入り禁止ラインに最も近い本務社という事になりそうです。
普段は無人のところも含めると、相馬小高神社が兼務されている延喜式内社『多珂神社』でしょうか。
ちなみにその多珂神社。
相馬小高神社が兼務ということで、今年の相馬野馬追いの代替会場となりました。
来年は本来の形で神事が執り行われてほしいものです。
参道。
両脇には大きな木が参拝者を迎えるようにそびえ立っていて、迫力がありますな(`・ω・´)
こんな大木に育つまで、いったいどれくらい時間がかかるもんなんでしょうかねえ。
【 鳥居 】
こちらの鳥居は石造りの明神鳥居。
この鳥居には地震の被害が無かったようで何より。
鳥居に掲げられた額の文字は何と読むんでしょうかね……
「萬□景□」の二文字しか読み取れません(´・ω・`)
【 手水舎 】
鳥居のとなり、参道左手にある手水舎。
【 社号標 】
鳥居をくぐった先、石段の下にある社号票。
こちらには『縣社 太田神社』と刻まれている。
ということは、戦前は「太田神社」という名前で、その後「相馬太田神社」に改称したということなのかなあ。
【 石段の両脇にいる狛犬 】
白っぽい石で造られた狛犬さん。
左側の狛犬の足の下で控える子犬は口元をキッと結んで歯ァ食いしばっているように見える。
【 参道の石段 】
結構な高さのある石段。
ちょうど真ん中に手すりがあるので、参拝者がうっかり正中(神様の通り道)を歩いたりしなくて安心……
というか、そこに手すりがあると神様も通れないのでは(;´・ω・)
そう考えると、手すりをすべり台にして「キャッホオオオオオオゥ!」と滑り降りるハリウッド映画スタイルな神様のイメージが湧いてきて頭から離れなくなったりするおいらです(´・ω・`)
石段の上から参道を眺めてみる。
参道入り口付近の木々の緑が鮮やかだねえ。
一口に緑と言っても、深い緑や若芽のようなものもあって、濃淡の変化がまた趣深いもんです。
【 拝殿前の左右の狛犬 】
こちらは石段の下にあったものより年代が古そうな狛犬。
風雨によってなのか、石の表面が丸みを帯びてなんだかかわいらしい外見。
【 拝殿前の石灯籠 】
こちらは先ほどの狛犬の後ろにあった石灯籠。
両脇に立っていたんでしょうけども、二つとも崩れていました(´・ω・`)
古い石灯籠はただ重ねて置いただけのものだったりするのか、崩れてしまっているものが多いですねえ……
ちなみに、この画像の右手奥にある瓦屋根の建物が社務所です。
【 拝殿 】
こちらは明治二十年に再築されたという拝殿。
相馬地方の神社、妙見様ということもあってしっかりと九曜紋が入っています。
というか、真正面の屋根にも千木・鰹木があるのってちょっと珍しい気が。
扁額は真ん中あたりで割れているようでしたけど、これは地震によるものなのか、それとも経年による痛みが出たものなのか……
【 絵馬殿 】
拝殿向って右手にある絵馬殿。
こちらの中には神馬像と絵馬が飾られておりました。
【 本殿 】
拝殿より一段高い位置にある拝殿。
【 祈祷殿 】
拝殿右手の階段を下っていったところにある祈祷殿。
社務所のとなりにある建物。
こちらの祈祷殿、その昔は別当寺院だった星蔵院というお寺のお堂だったそうだ。
しかし明治以降の神仏分離令によって、現在は相馬太田神社の祈祷殿として使われている。
御祈祷というと拝殿でするもんだという印象なので、御祈祷専用の建物があるというのはちょっと驚き。
【 神楽殿 】
祈祷殿のとなりにある神楽殿。
さて、無事にお参りを済ませて社務所へ。
御朱印をお願いする……わけなんですが。
この日はどうやら宮司さんたちの集まりの日だったようで、男山八幡神社 に続いて宮司さんご不在で(´・ω・`)
こちらの相馬太田神社さんは旧県社ということもあって、職員さんがいるような大きな神社なんですが、原発事故のあとはみんな避難している状態なんだとか。
お若い女性の神職さん?奥様?娘さん?に対応頂いたんですが、書き置きのものも切らしていたらしく、後日郵送で御朱印を送っていただけることになりました。
なんだか大変お手数をおかけして申し訳ない形に(;´・ω・`)
ちなみに初穂料なんですが、御朱印の初穂料は今までもらってなかったという事だったので、受け取ってもらえず……
お手数をおかけするので、お賽銭箱の方に初穂料と送料にあたる金額を納めさせていただきました。
で、後日送って頂いた御朱印がこちら。
妙見様ということもあって、『妙見総本宮』の文字が。
印影も特徴的な印で素敵。
社号ではなく、『相馬妙見宮本社』という印のようですね。
社務所脇の階段から見上げた夕日。
太陽は変わらず昇っては沈みを繰り返す。
でも、福島県民の生活はあの日から大きく変わってしまいました。
伝統を持つ神事に影響を与えるほどに。
一日も早く原発事故が収束し、徹底的な除染が行われることを願うばかりです。
■ 相馬太田神社への地図
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◆ 神社の情報
相馬太田神社 そうまおおたじんじゃ
御祭神 : 天之御中主大神
社格等 : 県社
鎮座地 : 福島県南相馬市原町区中太田字腰舘139