Photographic Laboratory@shonet99
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逆走

車を運転する者としてどうしても許せないものがある。

それは自転車による車道の逆走だ。

自転車といえども乗れば車の仲間じゃなかったっけ?

自転車もライセンス制にして欲しいし、もっと厳しく取り締まって欲しい。

子供ならまだしも、大人が我が物顔で当然のように逆走するのは許せない。

だからと言って車と接触すれば、車の方が悪くなる。

皆さんはどういう風にお考えですか?

東野圭吾

何かを辞めると必然的に時間が生まれる。

この一年、僕はオンラインゲームに熱中していた。

その為、あれ程打ち込んでいた写真が当然の如くおろそかになった。

しかしついひと月ほど前僕のインターネット環境に変化が起きた。

好きな時間にネットに繋ぐことができない不自由な環境になった。

そこで何をしようかと考えて始めたのが読書だった。

タイトルにも書いた作者の本に今は熱中している。

本というものは、最初にとても面白い作品に出会うことができるかでその後が違ってくると僕は思っている。

たまたま東野圭吾の作品に出会えたことが僕の読書熱に再び火をつけた。

彼はとても頭のいい人だというのは作品を読んでいると自ずと解る。

今日1日をかけて読み切った作品にとても感動した。

「秘密」という作品だったが胸が熱くなる場面が何度もあった。

少し古い作品なので既に読んでいる人もいると思う。

まだの人は是非読んで欲しい作品の一つだ。

きっと東野圭吾ワールドにどっぷりハマることになるかもしれない。

 

話は変わるが写真を撮る行為に欠かせないのがイメージ力だ。

写真は料理と似ていると思う。

完成した料理をイメージできなければ美味しい料理は作れない。

写真も同じだと思った。

小説を読むことも写真力を上げるためには必要だと思った。

読み進めていくうちに文章が頭の中で絵になっていく。

それが写真に繋がると僕は思っている。

写真を上手くなりたい人は、料理と読書がオススメである。

instagram

とっても久しぶりの更新ですが、お知らせです。
諸般の事情により、以前のinstagramアカウントを削除しました。
すべての写真、すべてのコメント、すべてのフォロワーさんが消えてなくなりました。
非常にスッキリしましたが、新しいアカウントで再スタートしています。
instagramをなさってる方で、フォローしてくださる方がおられましたら宜しくお願いします。
すべて消えたので以前のフォロワーさんを探せません。
ユーザーネームは、shoichiworks です。
検索してみてください。
同じネームでFacebookページも開設しております。

f1.4

壱岐の島


いつ訪れても、故郷の海は美しい。

テレビは必要なのか?その2

昨日書いたブログの続きのようなものを書こうと思う。

ボクはテレビが好きではない。

なぜか?

一時停止ができないから。

たったそれだけのことだ。

そういう意味では映画館の映画も同じだ。

一方的に流れてくる情報になぜ縛られなければならない。

テレビが無かった頃をボクは知らないが、ケータイが無かった頃は知っている。

自由だった。



テレビは観ないが、テレビ番組や映画は観ている。

Huluで。YouTubeで。

一時停止がいつでもできる。止めたとこから再生できるし、考え事をしていて話の筋がわからなくなっても戻って再生できる。

テレビとはそういう時代に入り、そんな風に変わって行くのだろうと思う。

近頃はHuluで毎日毎晩何時間でも観ている。

今日見終わったのが「雲の階段」という日テレの連続ドラマだ。

先日までは「Q10」という連続ドラマを観ていた。

遡れば思い出深く良いドラマや映画と出合った。

ボクがテレビを観なくなった10年間で素晴しいドラマが放送されていたんだなと発見できた。

最新のドラマを観る必要はどこにもなく、もっと自由に選択し自由な時間と場所で観れるこの時代の幸せな環境が好きだ。

そんな時代遅れのドラマを観ながら、自分の人生を考えてみたり感動して涙を流してみたりしながらボクは日々を過ごしている。

ここまで書いて、この文章には感情というものが無いなと思った。

だからこの文章は誰の心にも響かないだろうとおもう。

きょうはここまで。

テレビは必要なのか

テレビというものを観なくなってもう10年位になるのだろうか。

テレビが点いているのが当たり前の時代があった。

いつも何かしら 音がしていた。

音がないと寂しかった記憶がある。

音に依存していたのだろうか?



依存とは何ぞや?

考えたことが無かったので調べてみた。

「渇望が生じている状態を依存が形成された」と言うそうだ。

何に渇望していたのだろうか?

寂しさなのか?

テレビを観なくなったということは、寂しさが消えてしまったのだろうか?

いや、そうではない。

テレビからMacに機械が換わっただけのことである。

あの頃と何ら変わらないボクがここにいる。

他の人からみれば、なぜこのような考察をするのか訳がわからないかもしれない。

ボクも正直わからないのである。

時折このようなことに対して思考を巡らせてしまう。

この文章だって何の脈絡もなく、そして何の答えも見つからないまま終わるかもしれない。

でもなぜか無性に文章を書き起こしたくなるときがある。

なんなのだろう? 自問自答か?



さて、もしもこの世からテレビ放送がなくなり、インターネットの世界も閉じられたとしたらボクはどうやってこの時間を過ごすのだろうか?

悪い事をして刑務所で罪を償っている人と同じ時間の過ごし方をするだろうか?

きっと本を読むのだろうな。

星を観るために離島に行くかもしれない。

蛍の光を観る為に川縁や山の中に入り込むのかもしれない。

そんな時間を大切にしたいので、くだらないテレビ番組は観なくなったのだろう。

たぶん、きっとそうだと思う。

ミッドアルファ波

昔の事だが、仕事中に脳波を測定する機会に恵まれた。

そのときは仕事の真っ最中であったがアルファ波が出ていた。

通常、仕事中はベータ波が多く出ているそうであるが、ボクの場合は全くのアルファ波であった。

リラックスしているときに出るのがアルファ波で、測った人から「仕事中に和んでいますね~」と冗談ぽく言われた記憶がある。

50人位の人が見守る中での測定なので少しは緊張が出てもいいのにである。

多分ボクはどんなときでも冷静で集中することができるので、そういう風な結果になったのではないかと考えている。

撮影に行く車中でも、撮影しながらでもボクは音楽を聴いている。

よく聴いている音楽はクラシックやピアノ、ヴァイオリン、チェロなどの楽器を使った曲が多い。

ヴォーカルが入る場合には、心地よい声の持ち主の楽曲が好きだ。



ボクにとって写真も音楽も同じ1/fのゆらぎなのである。

歌を唄ったり演奏したりすることは苦手でできないが、ボクが感じた1/fのゆらぎの波を誰かに伝える方法として写真があるように思う。

ボクはその為だけに写真を撮っている。

目的は、誰かの役に立ちたい。

その手段が写真だ。

最高の写真を撮る為に、脳波をいつもアルファ波にしておく必要がある。

撮影の瞬間にはミッドアルファ波がいいらしい。

最高の集中力が発揮できる脳波だそうだ。

ボクの写真のテーマはやっぱり「1/fのゆらぎ」みたいだ。

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気合い

今日から4連休だ。

写真を撮りたくても撮れない日々が続いていたので初日から気合いが入っている。

それは就寝時間と起床時間に表れた。

夕べは20時に寝て午前1時半には起床していた。

あまりに早く起きてしまったので4時までHuluで映画を観ていた。

まだ暗いうちから現場に向かって出発した。

6時2分に到着したのだが、テレビ放送用の撮影が既に行なわれていた。

見頃ではあったが最高の日はきっと6日のような気がする。

夕べのうちにISO400のフィルムを準備していたのに・・・・。

忘れてしまったものはしょうがないのでISO100で撮ってみた。

フィルム写真はまた後日にでも。


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大山しゃくなげ園

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