おはようございます!
奥山リエ子です。
ゴールデンウィーク、
みなさんいかがおすごしですか?
奥山は今千葉の実家に帰ってきています。
1月に医療関係のお話会で知り合った方が
奥山は今千葉の実家に帰ってきています。
1月に医療関係のお話会で知り合った方が
近くにお住まいで、今日はこれから
お会いすることになっています^^
前回お会いした時も潜在意識の話や、
天命・天職のお話で盛り上がったので、
今日もとても楽しみです!
今日もとても楽しみです!
さて、今日は
「挨拶ができなくてずっと悩んでいた私」と「父」とのこと
を書こうと思います。
父は難聴で、
いつからか覚えてはいないのですが、
気づいた時には補聴器を使ってました。
だんだん悪くなっていって
今は補聴器がないとほとんど聞こえません。
補聴器も雑音などで聞き取りづらいようで、
テレビなども字幕でみています。
長女が2才のとき、
私はこんなことが気になってました。
父が耳が悪いために、娘が話しかけても
気づかないことがよくあります。
私はそれで、娘が、
話しかけても無視していると思って、
おじいちゃんのことを嫌いになってしまうのでは?
と心配していました。
もちろん、
おじいちゃんはお耳が悪いから
聞こえないことがある
ということは話していましたが、
まだ2才なので、どれだけ分かるかな?
と思ってました。
この時、そう私が心配することについて
考えてみていました。(自己観察です)
結局「私が」、
父に話しかけても返事がないことが
とっても嫌だったんです。
特に、父に朝「おはよう」など、
挨拶するようなことが一番苦手でした。
ずーっと多分小学校高学年、
中学校くらいからかな・・・?
葛藤・抵抗がありました。
例えば、私がおはようといったのに、
目の前をそのまま通り過ぎられることが
多くありました。
父から挨拶してくれることもないし、
目をあわせてくれることもなかった。
もう気づいた時には、私と父の間で、
挨拶したり、相手の目をみて挨拶する
ということがない状態になってました。
自分から話しかけることもなくなりました。
IRMを始めて父に向き合うまでの長い間、
家で父がいても、いないように
振る舞っている感じでした。
で、私はIRMを始める以前、
学校や、社会に出てから
自分がちゃんと挨拶できないことに対して
かなり悩んでいました。
今はこの頃がうそのように気になりませんが、
後から考えると、
この、父とまともに挨拶できなかったことが、
学校や、社会に出てからも
挨拶ができない原因だったことが
よくわかってきました。
父に自分から挨拶できないのは、
何が一番の原因だったのか?
考えてみると、
返事がないから、
無視されるから、
返事があってもそっけないから
それが嫌で声をかけられなかったんです。
自分から声をかけて、
返事がないことに対しての寂しさを、
もう味わいたくないことから、
挨拶できない私が創られていったんです。
でも、娘は父が聞こえるまで
何度でも話かけました。
何度話しかけても聞こえてないときは、
いったん諦めるけど、
また何か話したいことがあるときには
話しかけに言っていました。
おじいちゃんはなかなか聞こえないから
話すのはやめようとは別に思わないわけです。
思っていたのは娘の私。
そして、挨拶しようとした時に
父から感じていたのは、「壁」でした。
その壁を感じて、
私は父に話しかけられなかった。
目を見て挨拶もできなかった。
でも、そのことを考えた時、
葛藤しながらどのタイミングで挨拶しよう
また返事してくれないんじゃないか
そんなことを考えていること自体
自分がもの凄く父に対して
壁を作っていたのだと気づきました。
考えてみてください。
自分が好きで、相手も自分が好きだと思えている人、
そこまでではなくても、
普通に信頼している人に対して、
挨拶返してくれないんじゃ?
なんて思考は出てきませんよね。
返してくれなかったとしても、
どうしたのかな?と相手に聞いたりすると思います。
全然そんな反応ではなかった私。
「私が」大きな不信感を父に抱いていたのでした。
話しかけても返事しない父、
挨拶しても無視する父を
自分の心の中で創っていたから
それがブロックになっていたんですね。
その壁が、相手の目を見ておはようと
自分から挨拶できなかった原因だったと思いました。
自分から挨拶できなかった原因だったと思いました。
父となんでこんなに話ができなくなったのか、
挨拶できなくなったのか、
原因もキッカケもよくわからないまま、
気づいたら父は挨拶してくれない人になっていました。
でも、思いだしてみて、
私は父が耳が聞こえなくなっていることを
ちゃんと知りませんでした。
小さいことはきっと挨拶していたはずなので、
しなくなった頃、
本当に父が私を無視して返事しなかったのか。
ただ耳が聞こえなくていただけなんじゃないのかな・・・
この時になって気づきました。
この時になって気づきました。
気づくのが凄く遅かったです。
もしかしたら気づいていたかもしれないけど、
父の方から声をかけてくれないことが嫌だったから、
そんなこと関係なかったのかもしれません。
父のことを考えてみると、
耳が聞こえなくなって、
家族の会話もちゃんと聞こえなくなって、
話しかけられても聞こえなかったりして
どんな気持ちだったのかなあと思いました。
父のことを思いやるということを
私はしてきませんでした。
私は聞こえなかったから
無反応だったかもしれない父に対して、
無関心だとか、話しかけても
一言返ってきてすぐ終わるとか思って
どんどん話したくなくなり・・・
大きな声で何度も話さないといけないのは
面倒だと思っていたり。
父と会話がなくなったキッカケは
思いだせないですが、
私が父と良好なコミュニケーションを
とろうとしてなかったことが
本当によくわかりました。
私が父に与えていたエネルギーを理解して、
本当に反省しました。
でも、これで、父との
信頼関係・コミュニケーションは
ちゃんと取り戻せると確信しました。
反省することもとても大事だけど、
自分の寂しかった気持ちを
感じることがそれより前にとても大事です。
私が挨拶できなかった原因は、
こんな気持ちをずーっと心の中に
持っていたからだった。
ああ、本当に寂しかったんだな・・・
しっかりその自分の気持ちに共感して、
肯定できて始めて
その反省が生きてくると思います。
自分の気持ちを置き去りに、
どうして自分がそうしていたのか感じないままに
反省だけしても、自分を責める方向に行きがちです。
どうして挨拶できない私になったのか?
3年前、その原因をしっかり観ていくことで、
自分にとっての真実が変わりました。
これをキッカケに
今まで足りなかった角度からの
父に対しての思いやりの気持ちが
出てきました。
父の気持ちを計ることができたことは
本当に良かったと思います。
今までどれだけ相手の気持ちにたって
ものごとを見れていなかったのかも
よくわかりました。
娘がキッカケで気づけたこと。
これも、娘が鏡となって
観せてくれたということです。
娘への感謝の思いが湧いてきました。
このように、自分が体験することって、
いろいろな気づきやギフトが隠れています。
それを上手にキャッチできるように
なれたらどんどん人生が変わっていきます^^
これを、「自己観察」で
できるようになりませんか?
一生もののスキルですよ!
最後までお読みいただきまして、
ありがとうございました。
今日もあなたにとって
最高の一日でありますように!
IRM認定インストラクター
奥山リエ子