こんにちは♪
IRMエキスパートガイドの奥山リエ子です♪
IRMのプロをめざし、
IRMを皆さんの人生に役立ててもらうためのガイドとして活動しています!
今日は少し前に突然浄化できた、寂しい悲しいことについて書こうと思います♪
お誕生日についてです。
誰もが誕生日って特別だと思うのですが、
私は多分、特別具合が違ったみたいでした。
ここ数年は、誕生日前後にさみしく悲しくなることが続いていました。
なんか書き出すと、自分でも恥ずかしいんですけど、
なのであまり書きたくないのですが(笑)
簡潔にいうと、誕生日だから、という理由で人から気にかけてもらうことを求めていたんですね。
なぜかものすごく悲しくて、そのころは涙がいっぱい出ていました。
「誕生日」のとらえ方っていうのが問題です。
生まれてきたことに感謝する日
産んでくれたことに感謝する日
ここまでかかわったいろんな人に感謝する日
与えてもらう日じゃなくて、感謝する日と思えたら、そんな感情は出て来ないのだと思います。
でも、結構、誕生日を機に両親や周りの人に対してありがたいな、とか、
生かされているってすごいなとか心から思えて涙が出たりとかはしていました。
それでも現実にはいろいろとさみしい悲しいと感じることが起こります。
起こるというか、そう感じることが何回も続きました。
誕生日が大切なのはなんでか。
その日なら自分を見てもらえて祝福されて当然だから。
だから特別で価値のある日。
ということに気づきました。
私はかなり人見知りも激しかったし、なかなかクラスになじんだりできなかったので、
幼稚園の時からいつも日蔭にいる感じで、注目されることなんてほとんどなくて。
誰も関心を持ってくれていなくて。(・・・と思っていて。)
そんな自分が一年で唯一自信を持って祝福されていい日。
・・・だったんだなあ。
そんな小さいころからの体験から、このさみしさは来ていたんだ。
だからその日に祝福されないとものすごく悲しかった。
でも、いつだって私は祝福されていた。
今ならそれがわかります。
いつだって私は祝福されていた。
そのことに気づくためにさみしい誕生日の体験があった。
あなたもわたしも
いつだって、祝福されている。
今日も素晴らしい一日を♪
奥山リエ子