コスト削減の手法と闇のヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
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こんにちはガリッポです。

商業ではいかに安く買ったものを高く売るかが追及されます、そのため製造者には安く作ることが求められます。そこで様々な手抜きが行われるわけですが、計画的に行われることもあれば、怠け心から行われることもあり得ます。
どんな職業でもそうでしょうが、厳しく管理しない限り仕事をおろそかにする人が多いでしょう。どれだけの数をこなしたかで評価をすれば勝手に面倒な作業はごまかします。

前回は中国製のヴァイオリンの話でした。
中国でヴァイオリンを作る目的は、賃金水準の面で西欧や日本よりも安いからです。

こちらはGEWA社のヴァイオリンで2024年に仕入れたものです。どこにも書いてはありませんが、このメーカーは戦略的に2000年以降中国に生産を移しているために値段から考えると中国製であることは暗黙の了解です。
GEWAはもともと東ドイツ地域の会社で戦後は西ドイツのミッテンヴァルトに拠点を置き、村の伝統産業の中心として雇用を創出していましたが、経営難に陥り中国にシフトしました。現在では港から遠いミッテンヴァルトでは立地のメリットがなく東ドイツの発祥の地に本社を移しています。弦楽器以外の楽器も扱うヤマハのような大手総合楽器メーカーです。
若い人は東西ドイツのことも実感として分からないかもしれません。今は中国や東欧で工業が盛んになっていますが、当時は技術が進歩せず。中国の出版物はインクの変なにおいがしていました。

高級ケースなどの一部は今でもドイツで生産されていますが、特別ドイツ製と表記されていないものは皆中国製と考えて良いでしょう。この戦略も一時しのぎで現在も苦境に立たされているようです。
安価なケースは中国製ですぐに壊れるのでレンタル用にも頭を痛めています、日本でも日本製の東洋楽器よりずっと高い値段で売られていますがお薦めできません。

さすがにドイツ企業が品質管理を行っているだけあり、見た目はきれいに見えます。

板の厚みを測ってみても、ちゃんと教科書通りに作られています。

ニスは人工樹脂でアクリルでしょう。かつては量産品にはラッカーが使われ「ラッカーは硬いので音が悪くなる」と信じられてきました。硬いニスは振動を妨げると先輩から教わりました。この教えはラッカーが実用化した当時から言われていることで高級品にはとても柔らかいオイルニスが塗られました。

実際にはラッカーでも鳴る楽器はいくらでもあり、ラッカーの楽器に多い荒々しく強い音の楽器は現代では好まれる音になっています。
ラッカーだからそんな音なのか、もともとそのような音の楽器にラッカーが塗られていることが多いのかはわかりません。高価な楽器にはガット弦、安価な楽器にはスチール弦が張られていてひどく耳障りな音がしていたのも、合成繊維の弦が普及した今では過去の話です。
いずれにしても音の好みが変わってきてかつての常識は通用しません。

それでも未だにニスの硬さの理屈が信じられているために、この製品ではとても柔らかいニスが塗られています。現代のアクリルのニスであれば硬さも自由に変えられるのでしょう。

柔らかいニスだと駒が弦の圧力でグニュッと押し出されてずれてしまいます。2024年(現在は2026年)に仕入れたこの楽器でもその修理をしました。ケースの跡もついていました。
このような面倒なことが起きないように量産品では硬いラッカーが使われてきたのです。

隅っこも削り残しが無く何もかも理屈通りに正しく作られているこの楽器の音はどうでしょうか?

はじいて調弦すると重く古い楽器のようにパーンと鳴る感じはしません。弓で弾いてみるとギャーという音が強く出ます。柔らかい響きが無く骨だけのような音です。
なぜそのような音なのか理由はわかりません。ヴァイオリンというのはそういうものです、音に理由なんてありません。
同様の製品を以前試したことがありますが、もっと明るく響いたので個体差でしょうか?製造年代によるのでしょうか?セッティングの違いでしょうか?

ですからメーカー名や生産地ではなく一つ一つの楽器として向き合わないといけません。値段は音ではなく製品のグレードでつけているだけです。クオリティと値段が一致しているかという事を問題にしています。


次はこちらのヴァイオリン

買い替えのために下取りしたもので、パッと見た瞬間に量産品よりはよくできてるように見えます。
いかにもガルネリモデルですが、オリジナルに忠実なものではなく、デルジェスのイメージして定着したもので、丸みのカーブもきれいで近代的なものです。今日では印刷物の資料から型を起こすことが多いのに対して、流派や作者ごとのストラドモデルやガルネリモデルがあったのは近代の特徴になります。つまりガルネリモデルでも作者の個性があるというわけです。

裏板も小ぎれいな印象を受けます。

アーチの表面はきれいに仕上げられています。

ラベルにはトゥッリオ・ジウレッティと書かれています。

ミラノで1930年に作られたと書かれています。
イタリアのモダン楽器はもっとも値上がりが著しいものです。
ミラノの流派と言えばアントニアッジやビジアッキを思い浮かべます。
地理の知識についてどこまで説明すれば良いかわかりませんが、ヨーロッパにいると名前だけでどこの国の人かわかりますし、ミラノはクレモナにも近いイタリアの都市です。

各国の近代の楽器製作のおさらいです。
フランスやドイツでは大量生産が行われて粗雑な楽器が作られました。
一人前の職人の手作りの楽器は量産品とは明らかに異なる高いクオリティで作られたので見分けることができます。

それに対してイタリアではアメリカなどに輸出する場合に「イタリア製」であれば何でもよく特別クオリティの高いものは多くありません。したがってフランスやドイツの量産品と、一流の職人の間くらいのクオリティのものが多いというわけです。

この楽器はまさにそんな感じです。

スクロールもフランス的な完璧さではなく、甘く手作り感があります。

しかし安価な量産品よりはよくできています。

そこでトゥッリオ・ジウレッティという作者について調べてみましたがほとんど記述がありません。ネットで検索しても、見るからに量産楽器に偽造ラベルが貼られたものしか出ていません。
わずかな記述によるとローマの出身の大工が独学で楽器作りを会得したようです。
こうなるとミラノ派の特徴も関係ないです。写真もないためどんなものなのかわかりません。息子のヴァイオリンは二つタリシオのサイトに出ていますが。

要するに本物かニセモノかわからないです。絶対にニセモノとは言い切れず、もしかしたら本物かもしれません。

このようなものが比較的安く売られていると飛びついてしまう人がいます。頭の中では夢が膨らんで脳内麻薬が分泌され現実が見えなくなってしまいます。詳しくない人でもイメージで何となく良さそうと思うかもしれません。

阿漕な業者の手に渡るとあたかもこれが本物であるかのようににおわせて、理由をつけて特別に今回は安く販売すると申し出るかもしれません。
無名な作者でもイタリアのものなら300万円はくだらないでしょう、それを「今だけ200万円です」と・・。

一方慎重な業者は、かもしれないという場合には安い方の可能性で売ることでしょう。量産品とハンドメイドの高級品の間くらいなので値段はコロナ前なら50~100万円のゾーンです。

ラベルは文字を印刷して貼り付けただけなので信ぴょう性は全くありません。ネットでも「ラベルド○○」のように掲載されていることがありますが、何の信ぴょう性もありません。
多くは明らかに量産品と分かるもので産地も分かります。

しかし中にはプロが見てもどこで作られたのか産地の特徴が分からないものがありイタリアの作者のラベルが貼られています。古いものから近代のものまであります。
国際交流が盛んとなった今日になるともうどこの国の作者の楽器なのかは全くわかりません。

この楽器では開けた形跡がなくラベルもきれいに接着されているので作ったときにすでにラベルが貼られていた可能性が高いです。古い楽器であれば修理の時に貼り換えるのは慣習といえるくらいよく行われました。

作られたときにすでにラベルが貼られていたとすればそれを専門に作っていた職人という事になりますが、店舗として開業せず業者相手に自宅などで作っていたのかもしれません。そのような偽物はどこで誰が作ったかは闇のままです。他にも同じ偽造焼き印のついた楽器をいくつか見た例があります。

ですからどこで誰が作ったかわからない楽器という事になります。中古品として出回ったときに業者によって対応が異なりますよ、ということです。

私の個人的な見解では鮮やかなオレンジのニスが人工着色料のように見えます。実際にニスの補修をしました。
独学で学んだ作者にしてはプロの職人の作ったもののように見えます。
横板の合わせ目には外枠式の特徴が見えます。
スクロールは西ドイツのブーベンロイトで渦巻を専門に作る職人の作ったものに似ているように思います。

それとてオレンジのニスはイタリアの作者も多くあります、外枠式は量産品だけでなくフランスやイタリアのジェノバなどでも使われています。プロ並みの楽器を作る素人もいます。


ブーベンロイト周辺では大量生産のメーカーだけでなく、個人で家で楽器を作る職人もいました。スクロールだけを専門に作る職人がいてそれを購入して使うことができました。
表板や裏板は機械で途中まで荒加工されたものに、電動のミニルーターでパフリングの溝を彫ることができました。
横板だけを専門に作る業者もありました。
ニスもラッカー、アルコールニス、工業的に作られたオイルニスが市販され、人工着色料で色を自由に変えることができました。
そのような技術的な背景を考えるとこの楽器には合っているように見えますし、今ではもっと機械が発達しているので時代はブーベンロイトの全盛期1980年代くらいまででしょう。

これは私の予測でしかありませんがもし記述しないといけないなら「トゥッリオ・ジウレッティのラベルが貼られた20世紀後半に西ドイツで作られたヴァイオリン」ということになります。お値段は量産品よりは高い5000~6000ユーロくらいはしてもおかしくありません。
もし産地が間違っていたとしても楽器のクオリティから値段はそんなものなので形式的なものです。より正確さを求めるなら20世紀のヴァイオリンという以外にはありません。

このような場合重要なのは「西ドイツで作られたヴァイオリン」ということであって、「トゥッリオ・ジウレッティのラベル」は情報として何の意味もありません。
それに対して「トゥッリオ・ジウレッティラベルのヴァイオリン」とだけ紹介すると含みが出てきます。「ラベルド○○」の意味を理解していなかったりラベルドを見落とす人がいます。

興味がある人であればそのような記述はよく見ることでしょう。
そういう書き方をしている時点で売り手に気をつけたほうが良いです。


それはともかくコストを下げるために以上のようなことが考えられます。板の厚みを調べると結構バラバラで厚い所と薄い所があります。それもイタリアらしいとも言えますが、雑に作ればどこの国でも同じになります。裏板は厚めで、表板は部分的に削り残しがあるようです。

GEWAのヴァイオリンの後に弾いてみると明るくて柔らかい音がします。「明るい音がするからイタリアの楽器だ」と信じている人がいれば商売はやりやすくなるかもしれません。音で本物か見分けられると思っている人がいれば良いカモです。
私が初めて作ったヴァイオリンもこんな感じでした。明るい音の楽器は日本人でも作れます。量産品よりは上等でよくある現代の楽器の音を低コストで実現しているという事です。
手抜きであっても音は現代の職人がまじめに作ったものと遜色ないという事です。
安い値段で買えばお買い得で、イタリアのモダン楽器と信じて買えば大損です。
高価な楽器が安く買えるという理由で楽器を選ぶと音は好みと一致しないかもしれませんし、ありふれた音のものかもしれません。その点でも大きな損となります。

この楽器では安く作り、それっぽい名前がついているとお客さんが興味を持ちやすいので魅力ある楽器としてビジネスが成立して作られたという事です。他の産業でもみなそうです。アパレルでも詳しい人は分かっていることでしょう。
正直に「西ドイツ製のヴァイオリン」と書いてあったら手に取ってさえもらえないかもしれません。事態は消費者が招いているとも言えます。


売る時には悪用することも十分考えられます。個人の職人は商標登録などはしていないので偽造ラベルは犯罪にはなりません。また日本では詐欺の立証が難しく巧みに証拠は残しません。中古品でもニセモノの値段で仕入れているので分かっているはずです。

商売人にとって魅力ある楽器は私は匂いでアンテナが反応します。それに敏感な人が商売をやっていて彼らの語ることが楽器の本質から逸脱しているからです。
それに対して地味で良い楽器は心が安らぎます。


そもそもイタリア人が教育を受けず独学で楽器を作ると天才と言われ、他の国の人が独学で作ると素人の作ったガラクタで売り物にもなりません、おかしいと思いませんか?


今回のような話は弦楽器の現実について知る具体的なエピソードです。気をつけろと言われても想像しにくいものです。学ばない限り最初からこんなイメージを持っている人はいないでしょう。