時代を超えた楽器作り | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

こちらの事情を日本の人に説明するのが難しいのと同じで、日本の事情をこちらの人に説明するのが難しいことがあります。
先日はプロのビオラ奏者が店に来て、試奏したモダンビオラをとても気に入っていました。演奏や休暇でさまざな都市を訪れると、合間にヴァイオリン工房を訪ねているようです。それで掘り出し物の楽器を探そうというわけです。
それは人口が10万人程度の町にでもヴァイオリン工房が何軒もあります。それくらいどこにでもある普通の職業です。
それぞれの職人は一国一城の主としてやっていて、自分で楽器を作ったり、お客さんの求めるものを集めて売ったりしています。弟子の育成もしています。

これが日本なら、東京を中心とした文化があり、東京で噂になったことが全国へと広がっていきます。韓国のソウルもそうです。
東京から情報が広がっていくのです。
でもこちらではそんなことは無くて、それぞれの地域に音楽家がいて、楽団があって、音大があって、職人がいてそれぞれが勝手にやっています。
地元の人たちの間でコミュニティができているのです。

日本では「世界的に評価が高い」というイタリアのマエストロの楽器が東京に集まっています。そのようなものはこちらでは見ることはありません。発想が違うのです。イタリアの現代の楽器を今年見たのは2台で、そのうち1台は日本から来た読者のものでした。休暇で日本に帰っている時期の方がたくさんイタリアの現代の楽器を見ます。

なぜ世界的に評価が高いマエストロの楽器が東京のいくつもの店にあるのでしょうか?一人の職人が年間に作れる本数は限られているのに東京にほとんどが割り当てられているのはおかしくありませんか?
普通に考えれば東京ばかりで売っているのです。
そう言うとこちらではだれの楽器が評判になっているのかと聞く人がいますが、そういう流通の仕組みが無いのです。それぞれの職人が自分の店で売っているからです。興味があれば作者のところを訪ねるしかありません。それでも評判の作者のうわさが外国に漏れて日本にまで伝わります。現地の方が知らないです。
私はそういうお金の匂いのするうわさ話に一番興味がない人なので、聞く相手が間違っています。

前回も話したように、音は普通でも有名な作者の名前がついていて先入観を持っていると良い音に聞こえるでしょう。そういうことを狙って、日本の楽器店は少しでも有名な作者の楽器を集めているのです。私たちの感覚だと、なぜそこまでしないと楽器が売れないのかと不思議に思います。勤勉な日本人はわずかでも売れる可能性が高い物を選んで輸入しています。
子供たちが楽器を習い始め、大人用のサイズになり、さらに本格的に勉強しようという生徒が出てくると楽器の需要が発生します。品質の良いものを揃えておけば無名な作者の楽器でも弾き比べて音が良いものを選んで買っています。今は棚がスカスカになってしまいました。
それだけ演奏者の人口が少ないのでしょう。わたしも日本に帰るのが怖くなります。

先日はこんな人もいました。
学生の頃ヴァイオリンを習っていて、しばらくやっていなかったのが、また再開したそうです。ヴァイオリンを買い替えようかと店に来て試奏して、何本か家に持って帰って試奏してもらいました。結果は自分の楽器が悪くなく、買い替える必要はないという結論に達し、弓を探すことになりました。
弦楽器というのはそういうもので、10年20年前に売っていたものよりも、今売っているもののほうが良くなっているということはありません。
自分に自信があって、自分の持っているものを高く評価する傾向があります。日本人は自分の持っている楽器を卑下することが多いです。よほどひどくなければ、それを信じて弾き続ければその楽器を使いこなしていって、鳴るようにもなってきます。私は自分の楽器を信じていられるかが大事なことで、楽器自体がどうであるかはあまり重要ではないとも思います。


弾いてみて音が良ければ買うし、音が良くなければ買わなければ良いのです。
それを、「作者が天才だ」とか木材やニスがどうだとかいろいろ言って褒めちぎることができる要素が無いと売れないというのは悲しいですね。テレビショッピングじゃないですから。買う方のメンタリティだと思います。
飲食店に行っても「〇〇産牛肉」とか書いてあることは無いですね。
そういう事じゃなくて、肉食文化の伝統の長い国なので肉の質で客がついたり離れたりすることでしょう。


完成したヴィオリンの続報です。

ヴァイオリンの先生に弾いてもらいました。
音については「美しい」と言っていました。
楽器をどう評価するか、音をどう評価するかも人によって様々です。
西洋の人は弦楽器の音ではなく日常的に物事で「美しい」ということを重んじます。日本では美しいというのは女性的な価値観で男性はあまり言わないですね。
ともかく西洋の人が美しいと感じる音であるということですね。

それから音の個性がとても強く出ていることを言っていました。
付き合いが長いので、私が作った楽器をずっと知っています。
何度か飛躍的に音が変わった変化がありました。

私も初めは現代のセオリー通りにきっちりとしたものを作っていました。それがとても難しいもので、正確に決められた寸法に加工し、でこぼこや傷が無いようにきれいに加工しないといけません。そこまで到達する職人は多くありません。教科書通りの楽器をきちんと作れるようになると腕前が認められるわけです。実際に目にする楽器はコストを下げるために安価に作られたものや、自信過剰な下手くそな職人のものが多いですから、それでも希少です。
そういうものがあれば、職人同士では「きれいな楽器だ」と認め合います。量産品ではないとはっきりわかるので中古品でも高い値段になります。しかし、高い値段をつけても売れるとは限りません。お客さんは加工の正確さや綺麗さには興味が無く音しか気にしません。

そんな中実際にストラディバリを目にする機会があり、全く自分がやってきたことと違うことに驚きました。他のオールド楽器についても興味を持つようになりました。私が、一つは謙虚であった事、もう一つは違いが分かったという事です。

これを自分たちの楽器を最高だと信じて疑わなければ、ストラディバリを見ても「私の楽器と同じだ」と考えるかもしれません。

考え方を変えて古い楽器について調べることを始めました。
またアンティーク塗装についても、先輩や師匠が始めていました。私はニスをむらなく完璧に塗ることに挑戦していたので、邪道だと思っていました。
ところが先輩や師匠がやったアンティーク塗装があまりにもひどいので、私が手直しをしたこともあります。

そうやって研究を始めると音は飛躍的に変わりました。
特に板の厚みを薄くしたことで、スケールの大きな本格的な遠鳴りする楽器になりました。音色にも深みが出て、「新作らしい明るい音」ではなくなりました。
ストラディバリやデルジェス、アマティのモデルで多く作ってきました。ニコラス・リュポーの実物を元にコピーを作ったこともありました。

高いアーチの楽器はその試みの初期のころからやっています。
ベネチアのピエトロ・グァルネリのモデルでは、世界的に知られた古楽の楽団のヴァイオリン奏者に音が気に入られてその後バロックヴァイオリンに改造しました。
アレサンドロ・ガリアーノの実物を元にコピーを作ったものは、ミラノのヴァイオリン製作学校の先生に見せると、目を丸くして驚いていました。
アマティのモデルのビオラでも高いアーチのものをいくつも作っています。

そのなかでも、マントヴァのピエトロ・グァルネリのモデルは、要素の組み合わせがバチッとはまったような強い個性的な音です。最初に作ったベネチアのピエトロのモデルでも、見た目や音は印象的でしたが、弾き手を選ぶ難しい感じでした。

最近のものはそこまで難しい感じでは無いでしょう。
そこが長年の高いアーチの楽器作りの経験です。見た目の完成度も上がっています。上級者ならフラットなアーチを弾いている人でも問題なく弾けると思いますし、アマチュアであればどちらにしても限界まで鳴らしきるということは無いので、楽器そのものが持っている個性的な音を味わうこともできるでしょう。


ヴァイオリンの先生も、「暗くて柔らかい音」と言っていました。私らしい音だということも言っていました。付き合いも長いので20年ほどの間で音が変わってきたことを言っていました。

他の新作楽器には無い珍しい音ですが、方向としては魅惑的な音です。
私は「快楽主義」ということを言っています。理屈が正しいかどうか、自分が正しいかどうかではなく、そこに心地良さや気持ちよさを感じるかということを重視しています。
とかく西洋では、「自分は正しい」と主張することで対価として収入を得ることができます。偉い職人としての地位もあります。西洋で高い地位というのはオリンピックのバッハ会長のようなことです。それは財産や家族を守るために必要なことでしょう。しかしお客さんにとっては得になりません。いちいち聞いていたらお金が無くなってしまいます。
そういう屁理屈を言うよりも「私はお金が欲しいので値上げしました」と正直に言ってくれた方がまだ信用できます。
その誠実さに対して余計にお金を払う気になります。

そういう態度は透けて見えます。
私は聞く価値が無いつまらない話だと感じてしまうからです。社会やニュースについての意見も自分の正しさを主張しているだけで聞く価値が無いと感じてしまいます。


今回はピエトロⅠのモデルで以前作って音を気に入った上で、さらに小型化したものが欲しいという依頼がありました。弦長は5mm短くなっています。
先生も弦長が短いことがはっきりと分かって、「快適だ」と言っていました。慣れないので「音を探さないといけない」と探り探り弾いていました。
弦長が短くなると、抑える場所の音と音の間隔が近くなるのです。数ミリでも気づく人は気付きます。特に長すぎるものは問題です。

西洋でできたものですから、日本人には大きすぎるかもしれません。
特にビオラではその問題があり、小型で低音が豊かな楽器を作る経験を得て来て、それをヴァイオリンに生かしたわけです。

アマティの頃には小型のヴィオリンがあって、それをそっくりそのまま作ればコピーとしては「正しい」でしょう。でもわたしは自分が正しいということを主張して利益を得ようとしているわけではありません。音でフルサイズのものに引けを取ってはいけません。今回はオールドに多い小さなヴァイオリンをそのまま作るのではなく、フルサイズのピエトロ・グァルネリをモディファイして小型化しました。


「高価な名器と全く同じに作ったから音が良い」と主張するのではなく、その中でも奇跡的な条件が何なのかを探してきたところです。いくつも異なるものを作ってたまたまた音が印象的なものを見つけたということです。もちろん、自分の中でこういう構造のものを作りたいということがあって、それにあったものとして選んだモデルでもあります。

マントヴァのピエトロの場合には見た目も丸みがあって、アマティ譲りの美しさと、全体としてのバランスの良さもあります。ストラディバリの影響もあるからでしょう。しかし、丸みには独特なこだわりがあったのかアーチのふくらみも丸みがあります。形が整っているのでピエトロ・グァルネリのモデルで作る新作楽器もたまにあります。しかし、現代的な作法が多く残っている人が多いです。

こればかり作れば、それでも全く同じわけではないので自分の癖が加わって私の強烈な個性となります。
「自分オリジナル」モデルを作るよりもはるかに個性的です。
いわば、ピエトロ・グァルネリの弟子、カミロ・カミッリやトマソ・バレストリエリのようなマントヴァ派の一人になるようなものですから。


しかしながら、人によって音の好みや楽器を使う目的が違います。
ストラディバリやデルジェスのモデルであれば、もっと広く一般的に優れた楽器として薦められることでしょう。
その反面より「普通」の感じがします。

構造から常識外れの部分が少なくなってくると音もより普通になってきます。
これは私の楽器に限らず、現代のセオリーに近づくほど音は普通になっていくことでしょう。そういう一人前の職人がまじめにきちんと作ったものすら、世の中では少ないので、そういうものが悪いものだと言っているわけではありません。でも私以外に作れる人がたくさんいます。

これは古い楽器でもそうです。
20世紀の戦後に作られたものは、新品の楽器と音は似ています。しかし新品よりもよく鳴るようになっています。同じ音で鳴りが良いのならそっちのほうが良いですよね。有名な作者の新品よりも、無名な作者の50年くらい前のものであればその方が音が良いかもしれません。ただの中古品ですから値段は半分以下かもしれません。

1900年頃になると、鋭い音のものが多く感じます。
したがって音は最も強く感じるでしょう。
音が強い=良い楽器と考えるなら最高ですよね。

それに対して1600~1800年頃のオールド楽器は全く違う音がします。
個体差も大きく、数が少なくて、同じようなものと再び出会うこともないかもしれません。

モダン楽器で値段が数千万円してもやはりオールドの音とは違います、慣れ親しんでいる身近のものと似ています。名前が有名なら価格は高騰しますが私はそこまで出す価値があるのかなと思います。


ガット弦とナイロン弦でも同じような葛藤があります。
ナイロン弦を開発するなら多くの人が求める条件を満たしたものを製品化することでしょう。多数派で言えば張力を高め、パワーパワーと力を求める人が多いでしょう。新製品ほどそういう傾向です。ヨーロッパよりもアメリカやアジアで顕著です。ヨーロッパローカルではなく「世界的な評価」を得るにはそういう音にしないといけません。
それに対して本来はガット弦が使いたいところを、実用性のためにあきらめてナイロン弦を使っている人もいることでしょう。
ガット弦になるべく近いものを目指すというのも難しいです。メーカーのカタログには「ガット弦のような」と書いてある製品がたくさんありますがガット弦の愛好家はどれも代わりにはならないと言います。
これもまた「ガット弦の音」をどうとらえるか人によって違うからです。とにかく聴覚というのは人によって信じられないほど違います
それで言うとその先生はガット弦を使っているのですが、クリスマスに教会で弾かないといけないそうです。教会はオルガンが古くてピッチが低いし、冬には寒くて音程が安定しないそうです。それでこれまでのたくさんの弦を試して来ました。先生曰く最悪なのは、ピラストロのパッシオーネです。調弦が狂いにくいように改良された現代のガット弦です。そうかと思えば別の古楽に精通した教授は使っている人もいます。
先生の好みも知っているので、コレルリのカンティーガを薦めました。今まで試した人工繊維のものでは一番良いと言っていました。コレルリではさらに新しいソレアという製品が出ていますが、まだ手元にはありません。またカンティーガにも張力が違うバージョンが3種類あります。普通は弱い張力のバージョンを買う人はほとんどいないでしょうが理論上はガット弦に近づくはずです。響きは豊かで複雑な音になるかもしれません、この辺は楽器との相性もあります。コレルリはフランスのサバレスという会社の製品です。世界のトレンドと違うような製品は面白いですね。値段もそれほど高くなっていません。


話はそれましたが、じゃあオールドとモダンのどちらの音が優れているのでしょうか?それは多数決で決めることではなく、人それぞれ自分自身でどう思うかだけです。

時代が遠くなるほど、音も身の回りにあるものと違いが大きくなっている印象はあります。
良いか悪いかはそれぞれが判断してください。
しかし、違いが大きいということは、やはりその作風の違いによる部分があるのではないかと思います。それに加えて古さも音への影響があることでしょう。

新品の楽器で「オールド楽器のような音」を再現する条件はとても厳しいと思います。オールドの時代には周りの職人がやっていたのと同じことをしていれば、今頃はオールド楽器の音になっているのです。しかし、今その音を再現しようと思うと、周りの職人が誰もやっていない作り方で、なおかつ、奇跡的な条件を見つけないといけません。

「オールド楽器のような音」というのも、人によって何をオールド楽器の音の魅力ととらえるかが違います。単に音量があると考える人もいます、それならモダン楽器でもありそうです。

板の厚みについて、職人が説明します。
ある人は木材の硬さによって変えますとか、タッピングして音を聞いて最終的に決めますと言うかもしれません。それを聞くとなるほど分かってらっしゃるんだなと思うかもしれません。
最初に与えられた寸法に近くなってきて、師匠や先輩に見せると、板を持って何やら曲げてみたり、叩いたりして「もうちょっとここを削れ」のような指示を出すのです。
私が言ってるのはそういう事ではありません。

根本から最初の設計が全く違うのです。
その程度の加減では本当に音が変わったのかわからないです。
分からないことを分かっていると思い込んでいることが危険なのです。それは頭で考えているだけで効果を確認してないのです。そういことが職人には多いんです。

そうじゃなくて、常識からかけ離れたくらいに板を薄くすると、木材の質の違いを超えて特徴のある音になるのです。私は実現できているかどうかは別として「オールド楽器のような音にしたい」というはっきりした目標がありますが、普通は新作同士で他のヴァイオリンよりも派手な音なら評価されることでしょう。もっと言うと「(えらい師匠に教わった)正しい方法で作った私の楽器の音が正しい」と主張する人が多いです。

でも弦楽器というのはそれくらいやらないと音の違いが出てこないということが私は分かってきました。小さな違いはあまり重要ではないのです。職人は0.1mmという単位で仕事をしているので本人は工夫したり、調整をしているつもりになっているものです。0.1㎜単位の正確性は意味がないのです。「音が悪くなるのでやってはいけない」と信じられているくらいのことをやらないと音に違いが出ません。

細かいことを言う人の方が精通しているように見えます。
しかしざっくりとつかんでいる方が私は力があると思います。


私は今でも、学生さんのためにヴァイオリンを作るなら、真っ平らなアーチのフランス風の楽器にしたほうが良いかもしれないという考えがあります。もし自分がもう一人いれば両方作るのですが…。
実際に使っている音大生もいます。本当のフランスの楽器は音が鋭いものが多いので、それに比べればマイルドな音になります。逆に言えばそこまで鳴らないので、それを鳴らす技量が必要です。ホールでは豊かに響くので、人に聞かせる場合にも使えることでしょう。より現実的なチョイスです。

一方で、オールド楽器を弾きこなしてこそ一流の演奏者だとすれば、それに近いものを使ったほうが良いとも考えられます、そうなると今回のようなものはうってつけです。弾いていて気持ちがよくて楽しいということも無視できない要素です。
いずれ高価なオールド楽器が手に入れば良いですが、そうでなくても何十年も弾き込めば音も出やすくなり、稀有な存在になることでしょう。理想を求めたチョイスです。


実際に上級者でも、一流のモダン楽器か二流以下のオールド楽器かは、「究極の選択」と言える問題だと思います。意見は人によって分かれることでしょう。


そうやって答えは決まらないのが弦楽器のおもしろさだと思いますし、現代の職人が正しいと信じているものから離れるほど、思いもよらない音が出るのだと思います。正しいと職人が皆信じているものを作っても音は普通になってしまいます。
私が飛躍的に音が変わったのは、「良くない」と常識では信じられているものを作ったからです。
だから私の楽器の音は「ヨーロッパの音」ではありません。現代の楽器の音はヨーロッパも日本の作者も変わりません。日本ではそのような現代の楽器を褒めちぎって多く売って来ただけです、こちらではそのようなものは売れなくなってきています。


普通が悪いという事ではありません。むしろ妙なこだわりのない普通の人には真っ当なものです。
そちらの音が好みの人もいるでしょう、私の20年前の楽器のほうが今のものよりも音が良いと感じる人もいるでしょう。
普通に作っても個体差のような音の違いがあり、私が作りを調べてもなんでそのような音になるのかわからないこともあります。たくさん弾き比べれば魅力的なものもあるでしょう。

一方、普通のものすら作れない技能の低い職人の方が多いです。
下手な職人の作る楽器の音は予測不可能です。

下手な職人のほうが意外性があるというわけです。こうなると「運」ですね。
なのでどこの誰が作った楽器に気に入る音のものがあるのか全く分かりません。
私の言っている理屈もまた、何でもない楽器に覆されることもあるでしょうね。

才能とか、腕の良さと音は関係ないのです。

最初はピラストロのオブリガートを張ってみました。E線には同社のNo.1というものです。これは巻き線と言って一般的なスチールの単線ではなく金属を巻いてあります。弦の性格と楽器のキャラクターが似ています。個性がとても強く出るでしょう。

次にA,D,Gをラーセンのイル・カノーネにしてみました。細かな響きが豊かになり量感が増えたようです。暗い一辺倒ではなくなりました。E線を強いテンションのものにすると他の線でも響きが無くなって単純な音になりました。そこでカプランのソリューションズにするとまた響きが戻りました。楽器の特徴を強く感じるにはオブリガートのほうが良いかもしれませんし、総合的にはイル・カノーネのほうがバランスが整っているのかなとは思います。

こういうのは最後の詰めの作業であって、楽器自体の音を変えるのは難しいようです。新しい楽器ではすぐに取り掛かるよりも弾き込んでからのほうが良いかもしれません。

音が明るくなる弦はたくさんあるのに、暗くなる弦はオブリガートくらいのものです。だから板の厚みが重要なのです。ビビッて攻めきれずに十分に薄くできないと音が明るくなってしまいどうしようもありません。

ドミナントプロも一度だけ試したことがあって、その楽器には良い感じでしたが、うちではトマスティクを使う人自体が少ないので経験が少ないです。日本の方がメーカーに親しみを持っている人が多いでしょう。トマスティクは新製品を連発していますが、トマスティクユーザーが少なすぎてうちで試す意味が無いようです。

ピラストロが多いのはガット弦の時代から「高級ブランド」になっていたからでしょう。
日本ではドミナントの時代にブランドイメージが定着したのに対して、こっちではもっと古い時代からブランドが定着しているという事でもあります。それで言うと日本の方が最新の知見があるというわけです。それも30年以上前の知識ですが…。

日本人はとことん突き詰めて確固とした正解を求める傾向が強く、その分一度定着すると変えにくい。80~90年代バブル期のごく短い期間の状況の中で価値観が決定づけられたことが多いのではないかと思います。

それがいろいろなところでひずみとなって表れていることでしょう。弦楽器はまさにその一つです。