忘れられた? ウィーンのオールドヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

ブログの問い合わせの機能が何か月か前から生きていなかったようなので新しくしました。


ヴァイオリン職人として20年以上やって分かったことは、弦楽器に関する知識はいい加減なもので何もわからないということが分かったにすぎません。私が体験できることも全体像では限られています。ですから当ブログでも世間で言われていることは何もあてにならないので「自分で感じてください」というだけです。具体的な知識ではなく、思い込みを抜け出すような考え方のヒントになればと思っています。

私は職人なので、品質の低い量産楽器を見ればすぐに安物だと分かりますが、それを音大教授が音が良いと絶賛することもありました。こんなこともあるので私が何か言ったことに絶対にすべての演奏者も同じ感想を持つかはわかりません。

20年やってわかったことは時代遅れの弦楽器業界には構造的な問題があり職人の労力では手に負えないということでもあります。我々職人も弦楽器業界もみなさんが当然のように期待しているレベルからははるかに未熟なのが現実です。職人もそこら辺にいる質の悪い困った「普通の人間」と同じです。どれだけ無知で無力かを一生懸命アピールしていますが、受け手が真剣に受け止めてくれないと伝えるのが難しいです。特に昨今の日本では他人に対して期待度が上がっているように思います。

弦楽器について知ることは人間のどうしようもなさについて知ることとなるでしょう。同時にそれは素晴らしさでもあるかもしれません。



さてウィーンは音楽の都としてクラシックファンには有名ですが、ヴァイオリンの生産地としてはそれほど知られていないでしょう。しかし実際にはオールドの時代から職人が多くいて楽器を供給していたようです。他の産地と違うのは「消費地」であるという点です。

なぜウィーンの職人が知られていないのかはよくわからない所ではありますが、一つはモダン楽器の開発競争で敗れたということが大きいでしょう。ウィーンでもっとも有名な職人はフランツ・ガイゼンホフです。商人的にはウィーンのストラディバリという感じですね。ちなみにロシアのストラディバリもいます。
ガイゼンホフは1800年頃からストラディバリを模したヴァイオリンを作り、各地で同時に起きていたモダン楽器開発者の一人です。しかし組織的に力を持っていたフランスのモダン楽器が勝利し世界標準となりました。今日まで続いています。

この辺りは西洋史に詳しい人は背景も想像できるかもしれません。

19世紀以降職人の間ではストラディバリを模したモダン楽器が優れたものだと考えられるようになっています。このためストラディバリを真似てヴァイオリンを作ったガイゼンホフがウィーンでは最高の職人と考えられています。そうなるとそれ以前の職人たちは「従来の」の劣ったものとなってしまいます。

現在の国境でオーストリアまで範囲を広げると、ヤコブ・シュタイナーがもっとも有名な作者となるでしょう。これも「従来の」スタイルと考えられています。

しかしこれがイタリアの作者になると状況は全く変わります。ストラディバリ以前のアマティ型の楽器でも「従来のもの」と否定的には考えられず名器とされ値段は数千万円は下りません。楽器の作風ではなく、ストラディバリと同じ「イタリア」ということで扱いが全く違うのです。

オーストリアのザルツブルクにもヴァイオリン職人がいました。そのうちダビッド・テヒラーはベネツィアやローマに移ったため「イタリアの楽器」と扱われています。つまり楽器自体がどうかではなく、住所によって値段が10倍くらい違うということです。何故かというと、多くの人には楽器の作りの違いが分からないからです。
テヒラーはテクラーと呼ばれることがあります。それは英語読みで、英語圏から楽器の売買の慣習が伝わったということを表しています。つまりイギリス人やアメリカ人の趣味が入っているのです。日本人からすればイギリスやアメリカは海外と思うかもしれませんが、ヨーロッパ大陸から見ても文字通り「海外」です。ちなみにヨーロッパ大陸内は外国でも海の向こうではないので「海外」ではありません。
逆に日本の寿司などは世界中にSUSHIとしてアメリカを経由して伝わっています。このためカリフォルニアロールが入っています。世界中の人はアメリカ風のSHUSHIを寿司だと思っているわけです。弦楽器も同じことです。

ドイツ系民族で最も高価な楽器はゴフリラーでしょうかね?特にチェロでは最高峰の評価です。調べてみないとちょっとわかりません。フランス人ではリュポーでもヴィヨームでも無くベネツィアのデコネーが一番高価な作者ではないでしょうか。週明けには確認してみます。

つまり値段は違いが分からない無知な人たちでも分かる肩書で決まっていると考えて良いでしょう。


こんなヴァイオリンが来ました。

ラベルにはブッフシュテッターと書いてありますが全く違います。普通なら「こんなものはニセモノだ」と門前払いするものですが・・・・。

私はラベルを見るよりも先、見た瞬間にウィーンのオールドヴァイオリンではないかと思いました。輪郭の形に特徴があります。
この楽器は色が真っ黒いのが目立ちますが、19世紀の終わりころのミルクールや20世紀の初めマルクノイキルヒェンでも真っ黒なラッカーで台地状のアーチの「シュタイナーモデル」の量産品が作られました。よくあるのはそのようなものです。
しかしこれはそれらとは繊細さが違います。綺麗な丸みがあります。もちろんラッカーではありません。

量産品のような台地状のアーチではなく中央に向かってきれいなアーチを描いています。20世紀の量産品でも低品質なものは横板がもっとグニャグニャです。うまく作られたオールド楽器は恐るべき耐用年数があります。表板の中央も陥没などが起きていません。

表板のアーチの高さは測ってみると19mmありました。現在の標準が15mmくらいですから高いアーチに入ります。しかし典型的な「室内楽用」と言われるような極端に高いアーチではありません。その上カーブが滑らかで癖があまりありません。これはイタリアのオールド楽器の特徴で、ドイツのものは四角いアーチなのが特徴です。シュタイナーの癖がそういうものだったので真似て作られました。それに対してこれは素直な膨らみをしています。

裏板も若い頃のストラディバリのような感じもあります。典型的なドイツ的なものというよりもイタリア的なアーチです。
板の厚みもオールドなのでもちろん薄いのですが、裏板の中央に厚みがありドイツの典型とは違う物です。

仕事は全体的に繊細で丸みもきれいに作られています。唯一粗さを感じるのがf字孔です。

文献でウィーンのオールドの作者を調べてみるとこのようなf字孔の作者を何人か見つけました。そのため、仕事の粗さでこうなったというのではなく、こんなスタイルがあったようです。

時代は1750年頃だと思います。それより前だと素朴な感じがしますし、それより後だと近代的な感じがします。ちょうどモーツァルトが生まれたころになります。そう考えると面白いですね。最もよく似ている写真が出ていたのがライドルフという一族のものでしたが、他のウィーンの作者もそっくりだったので特定は難しいです。

ウィーンではガイゼンホフの印象が強くオールドの作者は忘れられているようです。値段はそれほど高いものがありません。500万円以上もするようなものは皆無です。

私はウィーンの楽器と思いますが、私がそう思うだけです。ブッフシュテッターのラベルは偽造で、一般的には「南ドイツのオールドヴァイオリン」ということになるでしょう。
フュッセン、ミッテンバルト、ザルツブルク、ウィーンなどは作者の行き来もあり作風に類似性が見られるためひとまとめにして「南ドイツの流派」と考えられています。現在の国境ではドイツとオーストリアにまたがっている地域です。チェコのプラハにも移住した職人の影響があるようです。国の概念が島国の我々とは違う所です。

ドイツ系の楽器の鑑定は難しくそれ以上詮索しない方が消費者にとってはお買い得です。「作者不明の南ドイツのオールドヴァイオリン」ということにしておけば、この楽器も2万ユーロもしないでしょう。1万5000ユーロくらいを考えています。南ドイツのほうが東ドイツ(マルクノイキルヒェン)のものより高価です。

はっきり言ってこれは新作楽器の値段です。今は空前のユーロ高なので200~300万円です。それでも東京の新作楽器の値段でしょう。ユーロ高でイタリアの現代の楽器はそれ以上に値上がりするかもしれません。

長年手入れがされていない感じですが、音を出してみるとオールドらしい音がします。G線は角があり締まっています。D線は急に鳴る感じで量感があります。古いスチール弦が張られているA線とE線は柔らかく太さがあります。特にE線はモダン楽器では無いような柔らかさではないかと思います。

少しでも音量があるほうが優れているというようなそんな評価の仕方をしてる人にはピンとこないでしょう。音が全く現代のものとは違います。

現代の職人が職人同士で音を競うのと全く違う音の楽器です。それもそのはず見た目も違います。

アーチをまたいでサイズを測ってみます。
裏板のボディサイズは353mmですから現代の標準355mmよりはやや小さく、フランスの19世紀のものよりは1㎝ほど小さいものです。

横幅はアッパーバウツが164mmで現代のストラド型なら168mmくらいです。ミドルバウツは113mmあり現代のものよりも幅があるように思えます。しかしアーチが高いとかなり大きめに出ます。アーチを含めずに測ると108mmで現代のストラド型と同じくらいです。
ロワーバウツは199mmでストラド型は205mm以上あるでしょう。
モダンや現代のストラド型よりは小さめの楽器ですが、オールド楽器の中では極端に小さい方ではありません。特にミドルバウツがアマティよりも広めになっています。ドイツの楽器にはよくあります。


オールド楽器としては典型的なものでありモダン的な影響を一切受けていないものです。フランスのモダン楽器のようなものとは設計思想が全く違います。どちらが優れているかは上級者の間でも意見が分かれることでしょう。使う人の考え方次第です。数千万円足してアマティ型のイタリアのオールド楽器にしてもこれと同じことです。

新作楽器の予算で探していてこの楽器が売っていれば全く音が違う事でしょう。「現代のマエストロ」のようなよくあるような音とは全く違うでしょう。優れているか劣っているかという評価の仕方は役に立たないくらい違うと思います。逆に言えば現代の名工も無名の職人もそんなに違いが無いということです。

表板には割れがあり、過去の修理も怪しいものです。完全な状態に直せば立派なオールドヴァイオリンになるのではないかと思います。少なくとも音量も並みの新作器以下ということは無いでしょう。

モーツァルトなどの時代にウィーンでこんな楽器が使われていたというのは面白いです。ザルツブルクにも職人がいましたが残っている楽器の数はもっと少ないでしょう。

作曲家の評価に比べると全く知られていないのがウィーンのヴァイオリン職人たちです。フュッセンなどから移住してきた職人がルーツのようですが、仕事の繊細さには当時のウィーンの気質がしのばれます。
今でもウィーンと言えば優雅で繊細な趣味を持つ、日本で言ったら京都のようなイメージがあるでしょう。
しかし楽器の音については必ずしもそうは言えません。フランスの影響を受けた後のウィーンのモダン楽器で耳が痛くなるようなとても鋭い音のものを知っています。職人は自分たちの望む音を作れないのです。

しかしこの楽器はなにかその時代の音楽のインスピレーションを感じることができるかもしれません。優劣という次元では語れないものなのではないでしょうか。弓もバロックとモダンの間の時代のものがありクラシック弓と呼ばれています。古典派などを得意とする人は持っている人もいます。

職人は「考え方」に染まっていて楽器の魅力を素直に感じられなくなっています。良い楽器の特徴とされるものを修行するときに信じ込まされるので、このように現代の常識からかけ離れたものの良さを感じることができません。専門家ですらこんな状況ですから、「評価」なんてものはあてになりません。自分が自分で何を感じるかだけです。


このヴァイオリンは売りたいということで持ち込まれたもので今がチャンスです。誰も興味が無いならこの楽器はうちでは販売せず流れていきます。

もし読者の方で興味があるというのなら連絡ください。
修理して販売することを前向きに考えます。日本に持って帰って試奏することもできるでしょう。

新作の値段で本当のオールド楽器ですから売れるのは時間の問題だとは思います。高音の柔らかさだけでもめったにないでしょう。

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