見習の作ったヴァイオリンの音と人生 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

インターネットプロバイダーとの契約見直しのため、週末に記事の投稿ができない可能性がありました。無事完了しました。

今年完成させたチェロも持ち主が1~2か月弾きこんで微調整をしましたが、当初よりは音が豊かに響くようになっていました。最近話している50万円のチェロを260万円で買った人も初めに試奏して気に入らなかったものです。今では音量でそのチェロよりも豊かさがあります。聞く側からすればはるかに豊かでボリュームがあり柔らかいきれいな音がします。おそらくホールでも遠くまで聞こえることでしょう。でも特に若い演奏者などは自分の耳に強く聞こえる鋭い音を好む人が多いです。楽譜と向き合って仕事をするとき使いやすいという事でしょう。美しいとか心地いいとかそういう事ではないようです。また聞く人のことも頭には無いようです。多くの職業でも同様でしょう。お客さんのことを考えていない人は多いです。私がそう思っても私がそう思うというだけで、その人が「良い音」だと思って選んだので文句は言えません。客観的に音の良し悪しなどは無く、人によって感じ方が違うということです。音の良し悪しを公平に評価する方法はありません。自動の弓を開発して、測定器で測定して数字が大きいほど良いというルールを作れば、自動車レースのような「試合」ができるようになるだけです。もちろんそれによって技術は飛躍的に進歩するでしょうが…。実際にはそのような試みはありません。ゴルフで飛距離を競うようなものです。美しいとか心地よいとかそのような概念は優劣の尺度にはならないでしょう。音楽の解釈によっても求められる音は違ってくるかもしれません。


さて当時見習だった後輩が作って私がニスを塗っていたヴァイオリンです。

指板がついて部品が付くとヴァイオリンらしくなります。こうやって仕上がると苦労した甲斐があるものです。アンティーク塗装というと普通はもっと大げさにわざとらしくやるものですがこれくらい控えめなのが私は良いと思います。一般の人はストラディバリやグァルネリのようなオールド楽器に憧れがあって、19世紀の終わりころのモダン楽器の良さを知る人は少なくあまり憧れは無いかもしれません。そういう意味で需要は無いかもしれません。
高い楽器に見せかけて売るというよりも、私は純粋に100~150年経った楽器を見たときに感じる「趣」を無意識的に感じられると良いなと思います。

裏板は安めの材料を使ったのがもったいないくらいに出来上がりました。ヴァイオリンの製作は材料代はそんなに大きなウエイトは占めません。職人の作業にかかる手間暇のほうがはるかに大きなコストになります。せっかく手間暇かけて作るなら材料代をケチらないほうが良いと思うことがあります。だから音が良いといことではありません。

スクロールもニコラ・リュポーのモデルですが、フランス的な形になっています。現代では写真資料があるのでカメラ並みに再現することができます。多少仕事に甘さがあり、面取りがルーズになっています。フランスの19世紀のものは縁が黒く塗られていることが多いです。今回はフランスの楽器のコピーとまでは行かないので黒くはしませんでした。
モダン楽器はフランスで確立して各地に広まっていくうちに、はっきりしたフランスの作風が薄まって行きました。私が「フランスのモダンヴァイオリンの出来損ない」と言うものです。したがってフランス以外の楽器の場合、フランスらしさがあると、よく勉強しているという感じがします。フランスらしさが少ないと自己流という感じがします。
フランスのモダン楽器は再現するのはとても難しく見習にできるはずはありません。モデルをフランスの楽器から取れば、クオリティが落ちでもまだ他のモダン楽器とそん色がないものができるのではないかという読みが当たりました。

過去に作られた楽器と比べても十分ビシッとした印象があります。

反対側は手元が狂って失敗してしまいました。私もこちら側のほうが難しく、過去に作られた楽器でも完璧ではないことが多いです。私の目がおかしいのかもしれません。これで失敗というのは職人にしかわからないことかもしれません。

後ろ側も近現代の楽器としては十分なレベルにはありますが、もう少し直せるところもあります。でも時間がありませんでした。近くで撮影しているので立体物ではカメラに近い所が大きく写ってしまいます。望遠レンズで遠くから撮ればもっと歪みが少なくなると思います。
それくらい微妙なものです。

アーチはモダン楽器らしいフラットなものです。これも失敗して削りすぎてこうなってしまったということもあります。
横板は写真の下側の部分だけ違う木材になっています。作っている途中でひびが入って割れてしまったので急遽作り直したのです。これもいい思い出です。

コーナーやパフリングの先端はそれ以前に作ったものでは苦労していました。私が教えたコピーの手法で嘘のようにうまくいったので私を「ずる賢い人」と言っています。明らかにフランスの楽器の特徴があります。ヴィヨームになるとさらにトリックがあるのですが、それは今回無しです。

アーチには一流のフランスの楽器のクオリティはありませんがフラットながらエッジに向かってエレガントな流れがあります。
仕上げの品質がもうちょっと高いとニスの塗るのも楽だったのですが…。



ニスはピカピカに磨いたのでいつも楽器を撮っている作業場ではこんなになってしまいます。正面から撮ると撮影者が写り込んでしまいます。

気になる音は?

この楽器では初めにニスを塗らない状態で弦を張って音を出しました。モダン楽器らしいスケールの大きな音で、音色に深みもあり驚いたものです。
ニスを塗って音がどう変わるかということですが、完全に覚えているかも微妙です。

完成しての音は出来立てホヤホヤの新作楽器とは思えないくらいうまく機能して音が出ていて、モダン楽器という物のすばらしさを知ることができます。現代のよくあるようなものに比べてキャパシティが大きく深く味のある音色もあります。やかましい新作楽器とは違って高音もひどく耳障りではありません。
低音は枯れた角のある音というよりは丸く豊かな太い音です。これは低音だけでなく楽器全体のキャラクターです。これはニスも影響しているかもしれません。ニスを塗る前のほうが極端なキャラクターでそれが円満な豊かな音になったようです。つまり響きが増えて明るくなり太く豊かな響きが加わりました。単純にニスの厚みが板を厚くしたのに似たような効果もあると思います。またつややかでクリアーなエレガントさも加わったと思います。極端なものではなく中間的なバランスになってきました。
いよいよ優等生の音で高級感もあります。私が作るものよりも、多くの人に望まれるものだと思います。学生さんにはピッタリですし、アマチュアでもこのレベルの楽器を持っていれば相当なものでしょう。

音は優等生でも、作業では苦労していました。板は削りすぎて私が指定した寸法よりも薄くなりすぎていました。しかしそのことは結果としてプラスに作用したようです。もし怖がって、気持ち厚めで完成としていたら音がさらに明るくなり現代的な音になっていたかもしれません。

たまたま放送局のオーケストラで弾いていた親しいプロのヴァイオリン奏者が来ていて試して素晴らしいと言っていました。プロの演奏者では楽器の音というよりは演奏者の音になってしまいます。我々は楽器を弾くとき「この楽器はどんな音を持っているだろうか」と探りながら音を出しますが、プロの演奏者は自分の普段の弾き方で自分の音を出します。とても美しいきれいな音がしていました。全く荒々しい耳障りな音はありません。
力強い演奏をする人ならまた違う音になるでしょう。

私が教えたのに私の楽器とは違う音があるのも面白いですね。より万人向きの音です。私の方が他に同じような音が無い珍しいものです。もちろん将来エレガントで美しい音のするオールドの名器と同じような音になるんじゃないかという雰囲気はあると思います。その代わり現時点でパフォーマンスは控えめです。

それもヴァイオリンを作るごとに徐々に音が良くなるのではなく、見習でいきなり並のプロ以上の音のものができるのです。それはモダン楽器の構造を私が教えた事と、本人の癖が影響しているでしょう。ニスは私と同じものなので、そこは共通する音の特徴があります。またうちの工房で作られたものは鋭い荒々しい音のものはありません。工房全体としての文化というものもあると思います。

ヴァイオリン職人の人生

このようなヴァイオリンは多くの人に魅力的だと思いますが、後輩の家族が記念に大事にしたいという意向で販売はできません。本人も50万円くらいの古い量産楽器を持っていましたから、グレードアップです。

こんなに良いものができるならもっとたくさん作ってほしいと思っていました。

しかしこのヴァイオリンが完成するとこの仕事を辞めると師匠と合意しました。私はとても驚くとともに寂しい思いをしています。
本人はヴァイオリン職人の仕事があまりにも困難で毎日つらい思いをしていたようです。私は仕事の楽しさを教えたり不安を和らげるように接してきたつもりでしたがそれを何十年も続けていくと思うととても耐えきれそうにないと感じたようです。私とヴァイオリンを作っていた時間は楽しかったそうです。しかし職業人として重圧を感じていたようです。責任感が強すぎるのではないでしょうか?

私は才能については全く問題が無いと思います。これよりひどい楽器を作って自分を天才だと思い込んでいる職人がいくらでもいます。今はうまくできなくてもずっとやっていればそのうちできるようになるはずです。

私でも始めの何年かは何をやってもうまくいかず失敗ばかりで、今でも簡単ではありません。練習していけばできるようになるのは誰でも変わりません。しかしそれ自体が後輩にとっては苦行だったようです。私も右も左もわからない外国での生活で、つらかったですが、むしろ楽器作りや職人の仕事が心のよりどころだったように思います。

私の場合には他の仕事では大したパフォーマンスを発揮することはないでしょう。ヴァイオリン職人の仕事しかできません。後輩の場合にはもっと他に輝ける仕事があると思います。新しい人生を応援したいと思います。

つまりまじめにヴァイオリン職人を続けられるという時点ですでに才能があります。オークションでは値段は上がりませんが世の中にはそのような無名な天才によって作られた楽器がたくさんあります。そんなことも知ってもらいたいです。