モダンヴァイオリンは1800年ごろにフランスで確立され19世紀の間にヨーロッパ中に広まりました。このためモダン以降のヴァイオリンは世界中そっくりです。それまで地域ごとに伝わっていた作風は失われ、国際標準のモダンヴァイオリンにとってかわられました。
見た目の違いも僅かで、おおよそ同じような考え方で作られていて音については原因もわからない個体差のような差があります。ですから試奏して気に入ったものを選ぶ必要があります。もちろん職人はそれぞれ独自の工夫をしたつもりになっていますが、客観的に評価できるほどのものではありません。
天才だの名工だのそのような概念が実際とはかけ離れていて間違っていることは前回指摘しました。そのようなウンチクは間違った知識であり、間違った知識を集めることは「ヴァイオリン通」からは遠ざかっていくものです。知識があればあるほど間違っていて、何も知らずに音を耳で聞いて判断する方が上です。
日本では西洋のヴァイオリンは未知のものであり、現在のように西洋で職人の教育を受けることも難しかったはずです。独学で西洋のヴァイオリンを真似て作るには個人の情熱や才能が必要だったでしょう。
住んで分かるのはわりと西洋の人は相手を褒めるのです。日本にいた西洋のヴァイオリン奏者がお世辞でほめたのが新聞記事に乗ると「世界が認めた日本の天才職人」となるわけです。ヴァイオリンは天才によって作られるというイメージが形成されてきたのかもしれません。しかし西洋では普通の工業製品で、誰にでも作れるように道具の持ち方から体の姿勢まで手取り足取り製法がマニュアル化されて確立しています。西洋式で学んだ私には弟子に「教えないで盗め」というのは全く理解できません。
また現代の工業技術など理系の心得がある人にとっても、「原因が分からない」という事実を受け入れるのは難しいでしょう。自分の頭脳に自信を持っていらっしゃるだけに、思い込みを無くしてもらうのに苦心する所です。理論で説明できるのはフルートとヴァイオリンの音の違いのようなレベルで、ヴァイオリン同士の音の違いは微妙すぎます。それだけ微妙な違いを人間が感じているのですが、個人差も大きいのです。
現在ヴァイオリンとして信じられているのは、モダン以降の考え方です。「モダンヴァイオリン=普通のヴァイオリン」ということでもあります。
決まった一つの理想を皆が信じているために、上手下手というのがはっきり表れます。それが前回の話でした。下手な職人がつくるものは世界中で似ています。音痴な人が世界中同じような歌い方をするように下手な職人の作るものは似通っています。下手な職人はまじめにやらずにずるい所があるので、思いつくずるの仕方が同じなのです。勉強もせず楽な方、簡単な方に流れるのです。だからたくさん楽器を見てくると下手な職人の作るものを「個性的」と言うのは無理があるようです。
弦楽器製作がこのように画一的であるのがなぜなのかは、考えてきました。例えば男性の服装に「スーツ」があります。これに似ていると思います。19世紀にイギリスで考案されると1900年頃に世界中で広まって皆同じ服装をしていました。戦前の写真などを見ると都市の男性はほぼ全員がスーツを着ています。
日本人からすればスーツは西洋の服装と考えられていたのでしょうが、ヨーロッパの人にとっても昔から続く伝統衣装ではなく、イギリスやアメリカで流行した外国の服装だったのです。
当然スーツを仕立てる職人がいたわけですがそれとヴァイオリン職人も同じようなものだったのでしょう。もしヨーロッパの音楽祭のプラチナチケットが手に入ったら何を着ていくでしょうか?スーツです。夏どんなに暑くてもです。他のジャンルの音楽ならスーツなんて着て行かないでしょう。スーツを着ていくのはクラシックくらいです。
それが戦後にはカジュアル化が進んで行くわけですが、クラシック音楽やヴァイオリン業界は、金融や商社、営業職や政治家などとともに最も遅れている業種でしょう。
一方ギターなどは時代をリードしていったので型にはまらずに様々なものが考案されて行きました。
紳士服や紳士靴に「仕立ての良さ」という基準があるように弦楽器も同じ形のものをいかに高い品質で作るかが「違い」となっています。品質が高いものが高価だというのはこのためで、スーツの機能性と同じで、音が良いからではありません。
これが現代の人には理解できないことかもしれません。
現在ではデザイナーが毎年新しいデザインの流行を生み出し、新製品が出るごとにスペックの数字が上がっていくのです。それとは全く違う時代の考え方のままなのです。しかし近頃の製品はスペックが上がるとともにそれ以上値段も上がっています。世界の頭の良い人たちがいかにお金を払わせるかというからくりを考えるのに頭脳を使っているようです。
モダン楽器の創成期
自分たちがやっていることを理解するのに面白いのはモダン楽器がどうやってできたかや、どうやって広まって行ったかというものです。職人の間でも分かっている人は少なく、保守的な職人や下手な職人が勉強していないことでもあります。
モダン楽器は突然生まれたのではなく、オールドの時代からすでにその動きはあったと思います。1750年頃にはドイツのダビット・ガブリエル・ブッフシュテッターという人がストラディバリのコピーを作っています。若い頃はシュタイナー型と言われる典型的なドイツのオールド楽器の製法を学んだ人が突然フラットなアーチのヴァイオリンを作っています。ルイ・シュポアも使っていたと言われています。
すでにその頃にはストラディバリが優れたものだということは知られてきたのでしょう。ウィーンでもフランツ・ガイゼンホフが1800年ごろにはストラディバリモデルのヴァイオリンを作っています。音楽の都ウィーンにストラディバリがあったことでしょう。
そのような画期的な変化だけではなく、徐々に変化があります。アマティやシュタイナーのような典型的なオールドのスタイルから、ストラディバリやデルジェス、ベルゴンツィ、G.B.グァダニーニなど時代が進むにつれて作風に変化が現れました。
ミッテンバルトなどでも1700年代後半には徐々に作風が変化していきます。典型的なシュタイナー型と言われるf字孔から細くとがったものになって行き、アーチもドイツ的な四角いものからストラディバリ的ななだらかなものになっていきます。
南ドイツのオールドヴァイオリンでも1800年頃のものはだいぶモダン化されてきています。
一方シュツットガルトの宮廷楽器製作者の息子ニコラ・リュポーも初期はシュタイナー型のようなものを作っていました。その後のリュポーの作風が1800年代前半のフランスではお手本となりました。弟子を娘と結婚させて一族として同じ作風のものを作ったのでした。リュポーが一人で考えたというよりは同じ時代の職人たちが研究し、リュポーは権力の座に就いたということが言えるでしょう。例によって深い闇がありそうです。
フランスではそれ以前にはアマティを元にした楽器を作っていました。アマティからストラディバリはそれほど大きな違いではないのでそれも下地になったでしょう。しかしストラディバリの特徴としてフラットなアーチは誇張されすぎたようです。このようにしてできたフランスのモダンヴァイオリンはとても優れたもので今では世界中のヴァイオリン製作の起原となっています。
ヴィヨームも若い頃の自分で作っていたころのものはリュポーそっくりのものでした。その後弟子や下請けの職人に楽器を作らせるようになると新たにストラディバリのメシアを元にしたモデルなどをたくさん作らせました。彼らはみな一流の職人たちですから完成度は高いものです。
モダン楽器の一つはフィッティングの違いがあります。ネックの取り付けやバスバーの大きさ、駒の形などに違いがあります。それだけでなく楽器本体にも作風の違いがあります。オールド楽器もフィッティングを「改造」することでモダン楽器として使えます。
モダンフィッティングも一度に確立したのではなく時代によって今も変わってきています。20世紀の初めには裸のガット弦を弾いていたのが今ではハイテク弦に変わっています。
モダンヴァイオリンというと初めからモダンフィッティングを前提として作られました。
モダン楽器の作風とはどんなものかと言えば、「ストラディバリモデルのフラットなもの」が典型でしょう。実際のストラディバリはアーチにはばらつきがあり、様々な高さのものがありますが、今日からするとむしろ高いアーチのものが多いです。ストラディバリのアーチは高さが高くてもアーチがなだらかでボコッと膨らんだ感じがしません。そのような印象を誇張して、それまで各地に惰性で伝わっていた古典的なオールド楽器との違いを明確化したということはあるでしょう。
それ以外に板の厚みなどはオールドのものが踏襲されたようです。フランスでもドイツでも初期のものは薄いです。つまり様々な作風があったオールド楽器の中からストラディバリやデルジェスの一部のものを選んで、特徴を誇張したものと言えるでしょう。
範囲がものすごく狭くなったというわけです。
全く別物ではなく、バラバラの作風のオールド楽器の中から一部のものだけを選んだのがモダン楽器の作風だということです。
当初はオールド楽器の作り方を学んだ人たちがその作り方を応用して、ストラディバリ型のモダン楽器を作ったのです。さらにそれ以降になると初めからモダン楽器の製造法を学んだ世代になってきます。フラットなアーチを作るために適した道具や作業手順、品質の基準が考案されて行ったでしょう。このため現在の職人では古典的なオールド楽器のようなものを作るのは困難です。
そして今では19世紀のモダン楽器も忘れられ、自分が作っているものが「フランス起原」であることも知らない職人が多くなっています。自分の師匠やそのまた師匠くらいまでしか知らないのです。人間は直接関係のない過去については知らないものです。
現在でもヴァイオリンの製造国について語るのを聞くと、「どれもフランスのモダンヴァイオリンの出来損ないのなのに…」と私は思うわけです。職人ならフランスの楽器を否定するなら自分の楽器も否定することになります。
モダン楽器は優れているか?
フランスのモダン楽器が優れていたので一世を風靡してそれまでのものにとってかわられました。その時期は産地よって違いがあります。イタリアではトリノが最先端だったでしょう。スイス出身のアレッサンドロ・デスピーネがパリでヴァイオリン製作を学び、トリノに移住するとフランス人の職人が何人もやってきてフランスの作風をイタリアに伝えました。プレッセンダやロッカなどがフランス的なストラディバリ型の楽器を作るとともに、フランス人の職人がフランス風の楽器を作ってグァダニーニ家のラベルを貼って売っていました。
ボローニャにもガン家の職人が移住してフィオリーニ親子にも影響を与えた事でしょう。それが現在のクレモナにも一部受け継がれています。
モダン楽器といっても個体差があるのでモダン楽器だからどんな音かというのは難しい所があります。よりフランスのものに近い典型的なものを考えてみましょう。
リュポーやヴィヨームなどフランスの一流のモダン楽器はこちらの音大教授では使っている人も多くソリストでも使っている人がいます。現代の演奏法にはまさにぴったりのものでしょう。これが私が中高生や学生などにフランス的なモダン楽器を薦める所以でもあります、しかし教授にも人ぞれぞれこだわりがあり、いろいろな人がいます。ただメインストリームであることは確かでしょう。
フラットなアーチの板を震わせて豊かな音を生み出す独特の弓づかいがあると思います。これが高いアーチのオールド楽器では柔軟性が無くコントロールがシビアで音をつぶさずに豊かな響きを引き出すのは難しいでしょう。
しかし一定以上の演奏者ならモダン楽器を使っている人でもオールドに持ち替えてもすぐに弾くことができるようです。そういう意味では最終的にはオールドに移行するということもあり得ます。モダン楽器で腕を磨いてオールドをついに手にするというわけです。オールド楽器は当たりはずれも多いのでいきなり選ぶのも難しいのでその方が合理的です。
上級者がモダン楽器を使いこなしている演奏を聞いているとあまりにも見事でモダン楽器を悪く言うことなんてできません。
チェロではモダンでも貴重ですから良いものが手に入ればモダンだのオールドだの好みは言ってはいられません。オールドではサイズすら定まっていません。
ただ、自分が好きな音の楽器が欲しいとなるとモダンで満足できるとは限りません。
2流のオールド楽器と1流のモダン楽器のどちらが良いかは演奏者の間でも永遠に意見が分かれると思います。頭ではオールド派と思っていても弾いたら虜になるモダン楽器もあり得ます。
オールドとモダンの中間
オールド楽器は個性も強く音にも味があります。しかし誰にでも弾きこなせるというものではなく弾く人を選ぶことも少なくありません。私としては比較的癖が少なく、音も魅力的なものがベターと考えます。
そうなるとオールド楽器の中で、癖が少ないものか、モダン楽器の中で味のあるものを探すことになります。
イタリアのオールド楽器で癖が少なくスケールの大きな演奏のできるものは最高の名器でしょうが当然高価です。そうでないものまで高価なのですからとんでもない値段になります。
私が面白いと思うのは有名じゃない流派のオールド楽器の中から掘り出し物を見つけ出したり、モダン楽器の中から音色の味のあるものを探し出したりすることです。もちろん自分で作ることも大事で参考になります。
今回はそんなものを紹介します。
一見して古いということは分かると思います。
裏板も木材自体に古さを感じます。肉眼で見るとニスの雰囲気にはマルクノイキルヒェンなどのザクセンの感じがあります。
しかしオールドと言うほど古くはなく、シュタイナー的な感じはありません。むしろガルネリモデルのようです。アーチもそれほど高くありません。ただし、マルクノイキルヒェンでモダン楽器が量産される19世紀終わりごろのものとは雰囲気が違います。
スクロールも完全にオールドのマルクノイキルヒェンの感じではなく、かと言って近代の定まったものでもないのです。
時代は過渡期で大雑把に1850年頃じゃないでしょうか?
もともとマルクノイキルヒェンにはオールドの時代からフラットなアーチで四角い幅の広いモデルがあります。それよりはモダンっぽいのですが、完全にモダンになっていません。
このため近代の作者よりも個性的です。でも全く無名で作者名もわかりません。
品質も高くなく値段は仮に状態が万全だとしても100万円もしません。表板の割れ傷ははっきり見えていて修理が綺麗とは言えませんのでこの楽器に至ってはもっと安いでしょう。
残念ながら時間が無くて音を試すことができませんでした。しかし、オールドのような味のある音でモダン楽器のような弾きやすさがあるのではないかと思います。そういう意味では究極のヴァイオリンに近いものです。
でも値段は作者不明で100万円もしません。こういうものが一番コストパフォーマンスが良いものです。
癖の強い下手なオールドヴァイオリンよりも好ましく、高価なモダンヴァイオリンよりも渋く暖かみのある音で、値段は格安なのです。みな安物と思って気にも留めないような楽器ですが、私はこういうのは興奮します。
実際プロの演奏者で作者不明の楽器を使っている人はいます。音だけで選んだものです。また偽造ラベルが貼られているかもしれません。マルクノイキルヒェンに限らずこういう感じというのはあります。作者などはよく分からないけど音が良さそうな古めの楽器です。
作者が分からなければ値段は安いものです。コレクターなどはいわれのはっきりしたものが欲しいからです。商業的にもノーブランドでは売りにくいものです。
一般の人がこのようなオールドとモダンの間のような楽器とただのガラクタの区別がつくのかは私にはわかりません。
それが分かればかなりの目が利くことになるでしょう。
当然ただのガラクタもアンティーク塗装で古く見せかけてありますし、それだって戦前より前の物もですから。
型にはまったシュタイナー型でもないし、モダンの常識を完全に学んでいないのでモダンの職人よりも個性的でもあります。イタリアのモダン楽器は個性があるから良いというのなら、この楽器も数千万円しないと理屈はおかしいですよね。理屈は商売人が口で生み出すもので、楽器は職人が手で作り出すものです。
今度は一昨年にニスを全面的にコーティングする修理をしたものです。マーティン・シュトッスのラベルが貼られたものです。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12636563980.html
今見るとニスは乾燥し溶剤が蒸発して層はかなり薄くなっています。音への悪影響が出るレベルではないでしょう。
今度は昔の修理の個所である表板の割れ傷が開いたということで持ち込まれました。
楽器は面白いものでオールド楽器の特徴とモダン楽器の特徴の両方が見られます。
アーチはモダン楽器や現代のものと違ってはっきりとした特徴があります。ストラディバリの若い頃のものにも似たような感じもあります。この作者がそのようなものを見て真似たのかもしれません。
板の厚さはとても薄くて持ってみるととても軽いヴァイオリンです。
スクロールにもイタリアのアマティ派の影響があります。またペグボックスに棒を差した跡があります。これはドイツのオールド楽器に見られるもので作ったときからそうなのか、後の時代にそうしたのかははっきりわかりませんが、少なくともドイツ語圏で使われていたのでしょう。
しかし典型的なシュタイナー型のものではなく、完全に近代のフランス式のモダン楽器でもありません。
ラベルは剥がされて貼られた形跡があります。こうなると信ぴょう性は厳しいです。しかしセンターの合わせ目が開いてしまって付け直す修理がされているのでその時に邪魔になるのではがした可能性もあります。
今回私も補強や接着をやり直しました。
強度は保ちながらも最小限の補強で隙間が乾燥して開いてこないように気を使いました。それ以前は補強がやりすぎでした。チェロくらいのレベルでした。
表板を開けてみると過去に3回は修理されているのが分かります。継ぎ足した木材の色が違うからです。一番良くない修理が一番最近のもので古い修理はけっこうきれいにされていました。このため修理技術が時代に伴って必ず向上してきたというよりは、職人次第ということが大きいのでしょう。
私は割れ傷の接着をし直すと、このように補強をやり直しました。楽器作りについてありがちな誤解は、作者はすべて音のことが分かっていて計算しつくして作っているという思い込みです。何かを少しでも足してしまえば、作者の意図から外れて音が台無しになってしまうのではないかという心配があります。
実際はよくわからずに「こんなもんだろう」という感じで作っています。このため多少付け足しても、削り取ってもそもそも何が正解なのかわからないので、良くも悪くもならないものです。
弦楽器というのはそれくらいのアバウトさで考えないといけません。
持ち主の方はヴァイオリン教師であまりのほったらかしに呆れたものでした。今回も割れたから保険で直してくれというわけです。この楽器は私はとても面白いもので完璧な状態にすれば、オールド楽器の音とモダン楽器の性能を併せ持つ素晴らしい楽器になるのではないかと思っています。しかし一円も払う気はないようで、もったいない話です。
ペグは短くなりすぎていてもうすぐ終わりです。現在でも調子はイマイチですが、軸を削りなおすと終わってしまうので手が付けられません。
見るとペグボックスのほうが指板よりもずっと幅が広くなっています。作られた当初はとても幅広の指板がつけられていたはずです。バロックの時代にはとても太い指板がつけられていたのでこれもオールド的な要素が残っている楽器といえます。
前回の修理後には柔らかい音だったと記事に書いていますし、何となく覚えています。バスバーを交換すればさらに太い豊かな音になってソリスト的な楽器になるかもしれません。
指板も薄くなっているし、ペグも短くなっているので直せば良いのですが、一切興味がないようです。
表板を接着すると以前つけた駒がそのまま使用可能でした。普通は表板を開けてもう一度つけると、微妙にネックの角度が変わってしまい弦の高さ(指板との間隔)が変わってしまうのです。しかし今回は全く以前と同じになりました。普通はこのような修理では駒は新しくしないといけません。修理の精度が高いということでしょうか?たまたまです。
修理が終わって弾いてみると、はるかに元気のある強さが出ていました。室内楽用の弱い音とは感じないと思います。
割れを補強しただけで音がかなり変わったようです。
魂柱も新しくなっています。表板や裏板の魂柱のところには過去の魂柱でできた凸凹があります。表板は古い修理で魂柱パッチがつけてありました。その表面を少し削って滑らかにすると後で魂柱を合わせる時にフィットしやすいです。逆に言うとあってない魂柱は表板や裏板にデコボコを作ってしまいます。
魂柱もアーチが不規則で板が薄く表板も不安定なので苦労はしました。その甲斐も音になって現れたようでした。
出来上がってすぐに弾いてみると高音が柔らかいのはそのままに、低音にも角のある強さが出ていました。ガット弦を張っているため慣れないと音は出しにくい部分もありますが、枯れた乾いた音がします。こもったような音は全くありません。オールド楽器の高いアーチのような反応があります。
翌日私はいませんでしたが同僚によると、音はさらに良くなっていて、受け取りに来た持ち主もとても驚いて「ずっとずっと良くなった」と喜んでいたそうです。
壊れたほうが音が良くなるという例です。
この高音の柔らかさは普通のモダン楽器ではまず無いと思います。低音も枯れた乾いた音になりました。
音が強くなったことは喜ばれたようです。
これが難しい所でじゃあもっと強い音のものは他のモダン楽器にもあります。強いほど良いかと言うとそうではないと思います。美しさと強さ、高音と低音という相反する要素が両立するようになったというのは素晴らしいと思います。
またこの程度の補強で音が変わるというのは私も意外でした。持ち主の人は良い方に変化したと感じたようです。
オールド楽器が柔らかい音がする一つの理由は「傷んでいるから」というのもあると思います。
でも傷みすぎていると音が弱くなりすぎてしまうというのです。だから補強するとちょっと元気が戻ってくるというわけです。
新しい楽器は丈夫すぎます。壊れないように作ろうとすれば頑丈すぎてしまい音には良くないでしょう。たくさん割れているような楽器が古い楽器のような音がするのです。作者が意図したのとは全く関係なく楽器が変化していくのです。
前回は故障がしにくいなんて話題も出ましたが、絶対に壊れないような頑丈なものも音にはよくありません。ちょっと適当なくらいの作者のほうが音が良かったりするものです。
今回の二つの楽器もモダン楽器のように整ってはいません。でも単なる安上がりな量産品や下手くそな職人の楽器とは違うように思います。
こういうフランス式のモダン楽器の「正解」がまだ知られる前のものは興味深いです。
またオールド楽器らしいぷっくらとしたものでも、癖が少なくてスケールの大きな演奏を可能にするものがあってそれも面白いです。自分の楽器やコピーを作る元としても興味深いものです。
19世紀の初めにはオールドヴァイオリンは古臭い田舎的なものと考えられ、モダンヴァイオリンが進歩的で進んだインターナショナルなものだと考えられていたでしょう。それを何も知らない日本人が製造国名にこだわっているのですから。
しかし今となってはモダン楽器のほうがありふれていて、オールド楽器が希少になっています。
オールドヴァイオリンの欠点を改良するために進化したモダンヴァイオリンだったのですが、狭く厳密に定められた作風よりももうちょっと外れても大丈夫なのではないかというのが私の考えているところです。それによって音の違いを意図的に作り出したり、個性的な外観を作り出したりできるのではないかと考えています。
それが今の時代の人々の求めているものではないかと思います。