イギリスのオールドチェロ、トーマス・スミス | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。


これは何を削っているかというとカツオ節です。
鰹節はヨーロッパではスペインやフランスで生産されていて日本食材店で削ってあるものを買うことができます。これは私が日本から持ち帰ったものです。

アメリカの工具メーカー、スタンレーの「ローアングルブロックプレーン」で削っています。
これでだしを取って汁を作ってお蕎麦を同僚に振舞いました。
大西洋岸で生産されているとはいえ、こちらの人たちは魚をカンナで削るなどは信じられないように驚いていました。
削りたては香りがすごく良く、昆布とともに大量に入れてだしを取れば本格的ですね。濃縮つゆでも日本の味が出せますが、新鮮な出汁は格別でした。
みなあっさりと平らげていました。かつおの味は西洋の人にもわかるようです。

ちなみにそば粉は昔は西洋でも食べられていたそうです。加工の仕方は違うのでしょうがそば粉は食べていたそうです。今ではほとんど食べられなくなりました。おばあちゃんの味という感じのもので同僚はそば粉の風味が好きだそうです。日本風のだしもお気に入りで教えた濃縮つゆでスープを作っています。今回のものは格別でした。うまく宣伝すればトリュフくらいの扱いになるんじゃないかと思うほど評判は良かったです。

他に白菜を浅漬けにしました。これも好評でぱりぱりとした食感とみずみずしさが珍しく「さわやかだ」と言っていました。
外国人はこんなもので喜ぶのですから意外です。

外国に住むと日本食の完成品が売っていないので自分で作ることが多くなります。かつおも削り節よりも自分で削ったほうがふんだんに使えます。

日本でもかつおを削ってだしを取る人は少なくなったでしょう。カンナは相当切れ味が必要で刃が研げないといけないからです。

イギリスのオールドチェロ


前回まではフランスのチェロを紹介しました。これがいかに優等生であるかはこれから紹介するイギリスのチェロと比べれば明らかです。

以前にも紹介したトーマス・スミス、1764年製のチェロを修理しました。
イギリスのオールド楽器はシュタイナー型のものが作られていました。当時はシュタイナーが名器として有名だったからです。ミッテンバルトからも輸入されていたようです。シュタイナーの流れをくむミッテンバルトの楽器が当時はもてはやされていたのでしょう。イギリスで作られた楽器もいわゆるシュタイナー型です。

ちなみにフランスやオランダではアマティをお手本にしたものが作られていました。フランスの作者がストラディバリ風に移行するのは比較的容易だったとも言えます。リュポー以前にも中間的なものがあり、リュポーが始めてストラディバリのコピーを作ったのではなく、リュポーは単に支配者としての偉い地位にいただけかもしれません。リュポーやヴィヨームは単に職人としての能力だけではなく権力を握ることに長けていたのだと思います。もっと腕の良い職人を弟子などにして楽器を作らせていたのかもしれません。これは「ゴーストライター」のようなものですが、西洋の社会では当たり前のことです。日本でも職人の世界では屋号を継ぐ「長男」はメディアには職人として出てきても熟練の雇われ職人からは未熟者だと思われているケースは少なくないでしょう。
同様にトリノのグァダニーニ家ではフランス人の職人に楽器を作らせてフランス風の作風だった時代があります。

職人の世界がこういう物だということは知っておくべきです。
ヴァイオリンなどは訓練すれば誰にでも作れるもので、特定の作者を信仰の対象にすべきではありません。音はなぜか知らないけどもみな違います。試奏して好きなものを選ぶだけです。

話はそれましたが、まずイギリスのチェロの写真を見てもらいましょう。

まず大きさが小さいです。右がこの前のフランスのモダンチェロで左がスミスのチェロです。胴体はスミスが73.5cmでモダンチェロが76.5cmです。75cmくらいが今では普通のチェロの大きさです。ストラディバリは若い頃には巨大なチェロを作っていてだんだん小さくなっていきました。若い時期のものは胴体を小さくする改造を受けているものが多くあります。大きすぎると演奏しにくいというのがチェロの問題です。
子供用では3/4が69cm、7/8が72cmなので73cmということは大人用の大きさはあることになります。

それに対してストップ(表板の上端から駒まで)の長さが38㎝です。標準的な寸法は4/4が40cmで、7/8が39cm、3/4が37cmです。ちょうど7/8と3/4の間の長さになります。ネックの長さも短く弦長(振動する部分の長さ)も7/8と3/4の間です。

このチェロの厄介なところはサイズが規格に合っていないことです。
値段の相場は最大で550万円ほどです。オールドにしては安いのはサイズの小ささも原因かもしれませんが、子供用に買うにしては高すぎます。

トーマス・スミスはチェロを多く作ったようでオークションなどの記録にも常に出ています。

オールドチェロが難しいのは作られた絶対量が少ない上に、サイズの規格が決まっていなかったことです。バロックチェロなどに改造して「ピッコロ・チェロ」にしても面白いかもしれません。しかしバロックチェロ奏者は割合としてモダンチェロに比べて極端に少ない上にお金持ちは多くなく500万円を超えるようなチェロを簡単に買うことができません。

このためモダンフィッティングとして今回は売り出すことになりました。
チェロは古い割には状態が良く、表板の陥没なども見られません。
過去には修理が行われていて必ずしもやり直さなくてはいけないことはありません。

アーチはオールドらしくぷっくりと膨らんだものでドイツ的なものです。

指板を交換して厚みを増せば駒もいくらか高くできます。駒の高さは4/4と考えると低すぎます。3/4と考えると十分な高さがあります。解釈によってどの高さにしていいかわかりません。

以前より幾分高くすれば7/8としては理想的な高さになったでしょう。
それ以外はペグやテールピースなどの部品の交換とニスの補修だけです。

意外にもニスの補修はフランスのモダンチェロよりもはるかに楽でした。いわゆる黄金色で強い色はなく傷や汚れも多すぎて目立ちません。
横板はモダンチェロほどではないにしてもやはり割れだらけです。チェロでは普通です。ニスが乾燥してひびが浮かび上がっていたのでクリアーのニスで埋めて平らにしました。
全体的にうっすらとクリアーのニスを塗り磨きあげれば完成でした。
上からニスを塗るべきかは迷う所でしたが、過去にも何度も施されているので私が初めてではありません。光沢が出る最低限の量です。

トーマス・スミスのチェロ



形も雰囲気もモダンチェロとはだいぶ違います。f字孔はシュタイナー的なものです。難しいのは弦のチョイスです。
長さのことです。
まずピラストロのパーマネント・ソロイストの4/4のもので試してみました。AとDはオールドらしい味のある音で本当に素敵なものです。スチール弦とは思えない柔らかい音です。うっとりするような美音です。
しかしDとGは張りが弱くプランプランになっていて弓が駒付近から離れると急に音が弱くなってしまいました。そこで3/4の弦を張ることにしましたが、実は3/4は製品のラインナップがとても少ないのです。ラーセン、ピラストロ・エヴァピラッチ、トマスティク・スピルコアなど限られています。スピルコアは4/4のようなタングステン巻きはありません。
エヴァ・ピラッチを張ってみるとゆるいという問題は解消されましたが、音はしっくりきません。
低音のボリューム感は小さいチェロとは思えないほどあるのですが、鈍いというかピタッと決まらないのです。
検討の余地がありますが、選択肢が多くありません。次はラーセンでしょうか?

シュタイナー型でも南ドイツ系の黒っぽいニスではなく黄金色のものです。これはニスに秘密があるのではなく古くなると木が変色して普通のニスが黄金色に見えるようになるのです。イタリアの太陽は関係ありません。


アーチはモダン楽器とは全然違うものです。初めにこんもりと丘のようなアーチを作ってから周辺に溝を彫ったようです。土手のようになっています。

木材は繊維のうねりが表面に現れて波打っています。このうねりが杢と呼ばれる縞模様を生むのです。

コーナーは細くてヴァイオリンくらいしかありません。

この前のフランスのものがこちらです。

スクロールもシュタイナー的な形で「喉元」が大きくくびれています。

これは以前に紹介した写真ですが緑の線ところが丸みが無くまっすぐになっています。これはおそらくのこぎりで切り抜くときに失敗してしまったのでしょう。手作りです。

フランスのストラドモデルとはだいぶ形が違います。

こちら側はノコギリのミスが出ておらず丸みがあります。
色はアマティ的で仕事のタッチもオールドらしい繊細なものです。



ここも独特です。次のフランスのものがストラディバリに近いです。

グラデーション理論に基づく板の厚み



こちらがこのチェロの板の厚みです。センターの合わせ目には修理跡があり寸法は信用できません。
まず言えることは表と裏の板の厚さがほとんど同じということです。
そして中心が厚く同心円状に板が薄くなるグラデーション理論が見られます。
私が知る限りこのようなはっきりしたものでは最も古い時代のものです。
私にとっては驚きです。グラデーション理論がオールドの時代のイギリスにすでにあったということですから。グラデーション理論の楽器は1900年頃から増えてきます。
あとの時代に改造された可能性も否定はできないのでもう少しサンプルが必要です。

前回のフランスのものに比べると中間の厚みのところが多くなります。一方薄い所は3.0mm以下でヴァイオリンのような厚さです。エッジ付近はアーチが溝から土手になっているところでカーブが不雑なので内側を彫るときには不規則な厚さになりやすいです。

もしかしたらグラデーション理論はイギリスから出てきたのかもしれません。知っている人がいれば教えて欲しいですが、今後の課題です。

魅惑的な音

G線とC線については未だにセッティングを見つけていませんが、AとDは暖かみのある美しい音色を持っています。うっとりするような魅惑的な音です。全体としても小型なのに低音に寄った「暗い音」がします。オールドらしい音と言っても良いでしょう。厚みの話をしてきていますが、この楽器はそこまで薄くはありません。それでも古いものは暗い音になっていくのでしょう。
コピーなどを作るとき「オリジナルと同じだから正しい」というのではなくて再現したときに音も似てくるようなものを選ばないといけません。
低音もボリューム自体はあります。サイズでは考えられない豊かな低音です。ただし演奏者にはしっくりこないのです。

音量についてはホールで試してないのでよくわかりませんが、特別小さいという感じはしません。体が小さな人にとっては4/4と変わらない音を出せるチェロとして貴重でしょう。

難しいのは弦の長さが合わないことです。

3/4では長さが足りず糸を巻いてあるところがナットにかかっています。
これはテールガットを伸ばせば解決するでしょう。
ラーセンの3/4を試してみようということにはなっていますが、弦の選択肢が極端に少ないのが小さいチェロの問題点です。

それとて細かいことであって全体としてはオ―ルド楽器らしい味のある魅惑的な音がします。この前のフランスのチェロが優等生だったの対して全く違う世界があります。

弦楽器の面白い所です。
普通に考えれば音大生やオーケストラ奏者など万能なチェロが必要な人はフランスのモダンチェロはとても優れていると思います。一方小型のスミスのチェロは味のある愛らしいチェロです。

チェロに限らずヴァイオリンにも言えることです。
優秀なモダンチェロのような楽器も確実に需要があるでしょう。さらにオールドチェロのようなチェロを作ったらどうなるか面白いですね。ヴァイオリンではまさに実現しています。…時間が無いのです。

チェロのサイズの問題についても話しました。
女性など体や手が小さいと4/4では大きすぎるので7/8のチェロが無いかという問い合わせは時々あります。普通は3/4から4/4に変えるときは子供の成長が喜ばしいことですが、大人はこれ以上自分が大きくなる可能性がありません。

ヨーロッパでは体格が大きいので7/8はめったにありません。チェロもヴァイオリンもそうです。普通にお店に行って好きなものや価格帯を選んで買えるような状態にはありません。音は絶対に悪いということは無いと思います。うちで仕入れている量産品はG.B.グァダニーニのモデルで楽器の中央付近はゆったりと作られているので4/4とそん色ないです。もちろん4/4は数が豊富なのでいくつもあるものの中らから音が良いものを選んだりできる分有利です。弦の長さもあっています。

オールドの時代には大きさが定まっていなくて、グァダニーニもサイズが小さいチェロを作っていました。フランスの楽器製作の真価はこんなところにもあります。今では当たり前になっていることがフランスで確立したのです。