ニスの乾燥について | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

ヴァイオリン職人の修行を始めてから20年ほどになりますが、神経を使う仕事でいつもフラフラでやってきました。それだけ面白かったからなのですが、今は免疫力が落ちるとまずいので久々に睡眠をしっかりとるようにしています。




指板がつきました。
光沢も抑えて塗りたて感は無くなっています。


裏板の着色も適度なもので、これが全く染めていなければ物足りないものになったでしょう。しかしながら染みのようなわざとらしさはありません。最近の量産楽器は人工染料で染めてあるのでいかにも染めた感じがします。古い時代のドイツの量産品は今日では手に入らない特殊な薬品で染めてあるので独特の雰囲気があります。

ペグにはシンプルな黒檀のものを取り付けました。

オイルニスの材料の亜麻仁油は紫外線を受けると酸素と結合して固まる性質があります。さらに粘土を調整するために溶剤としてテレピン油を使っています。これは針葉樹の樹液から油の成分を蒸留したものです。残った固形物がコロホニウムでいわゆる松脂です。

テレピン油は揮発性なので蒸発するのに時間がかかります。
アルコールニスのエタノールよりも時間がかかるようです。

アルコールニスは大半がエタノールのなので乾くと層が薄くなります。何年か経つとぺっちゃんこになります。そのため多くの回数を塗らなくてはいけません。アルコールニスは塗りながら、これまで塗ってきた層を同時に溶かしていくので塗るのがとても難しいです。何度も筆や刷毛でなぞると塗ったものが溶けてしまい大惨事になってしまいます。垂れたりしてもアルコールが多く含まれているので溶かしてしまいます。
私なら最低20回は塗らなくてはいけませんが、オイルニスを使うようになってから10年以上塗っていないので塗れるかわかりません。あまりの難しさに二度と塗りたいとは思いません。しかしきれいに塗ればオイルニスと見た目に違いはありません。きれいに塗るのは難しくて刷毛の跡が帯状に残っていればアルコールニスか、ラッカーのニスです。ラッカーもシンナーのような溶剤を使った揮発性のニスなので同じような性質です。そのため安価な量産品はスプレーで塗ってあります。スプレーで塗った雰囲気があれば安価なものと査定されます。

オイルニスにも油性の溶剤を使った揮発性のものがあり、これもアルコールニスやラッカーと同じような性質があります。これが一番乾くのが遅い物でしょう。
オイルニスでも古代エジプト以来の伝統的なものは油が酸化することで固まります。

私は伝統的なものと揮発性のものを混ぜて使っています。それぞれにメリットとデメリットがあるからです。10回も塗ればアルコールニスよりも分厚い「リッチなニス」になります。

ドイツのモダン楽器によくある柔らかいオイルニスはおそらく揮発性の物でしょう。硬い樹脂を溶剤に溶かすには特殊な技術が必要で、とても柔らかい樹脂を使ったのでしょう。100年経った今でも柔らかいものがあります。樹脂の成分が柔らかいので乾いても柔らかいのです。ケースの跡がついてしまったりベトベトして汚れが付着したりします。

このようにニスにとって重要なのは楽器を保護する役割を果たすことです。
ニスは薄い方が音が良いと言う人もいますが、すぐにこすれてニスが剥げてしまいます。メンテナンスは厄介です。そのようなニスを塗る職人は自分でメンテナンスをしてほしいものです。

特にアンティーク塗装のように濃い色の場合にはニスの厚みが十分にないとすぐにこすれて色が薄くなってしまいます。ニスを塗る作業にはじっくりと時間をかける必要があるのです。作業を手早くし見栄えが良いだけで自分を天才だとアピールする職人の多いこと…。ものとしての最低限の品質を確保しなくては売り物になりません。
実際アマティを見てもわずかに残ったオリジナルのニスには厚みがちゃんとあります。クレモナ派のオールド楽器のニスはそのようなぺったんこなニスとは違うと思います。



私のニスも乾くと若干薄くなっていきます。一年くらいするとニスが痩せて表板は年輪の木目のところが沈んでいきます。木目の表情が出てきます。すでにちょっと出てきています。アマティもコレクションになっていたものはニスが痩せて年輪のラインが沈んでいます。しかし演奏に使われているものはニスが全部剥げ落ちて後の時代の人がニスを塗って磨き上げているので表面は平らになっていることが多いです。


またオイルニスは酸化して固まるときに縮みます。引っ張る力で表板のアーチが低くなるほどです。ニスを塗る前に高さを合わせた指板が合わなくなるのでヴァイオリンでも1~2mmは駒を高くしなくてはいけなくなります。それも数か月から1年くらいで戻っていくので今度は駒が高くなりすぎます。そのため新しい楽器は点検が必要です。同時に魂柱もゆるくなります。これも交換が必要になります。

というわけで弦を張るのは4月下旬の予定です。
一時的に試してみることはあるかもしれません。

アルコールニスのような揮発性のニスで乾いていないと駒のところがぐにゃっとつぶれ、駒が引っ張られてずれるのでブルドーザーのようにかき出されてしまいます。オイルニスの場合には粘性があるので駒が張り付いてしまいます。無理にはがそうとすれば木材まで持って行かれてしまいます。
そのため職人としては慎重になるのです。

修理でも特に問題になる部分でラッカーの様な量産品でない限り駒の下のところは損傷を受けやすいのです。私は特殊な配合のアルコールニスを開発して十分な硬さでべとつきのないものができました。それでも乾くのに1週間は欲しい所です。このようにニスのメンテナンスには時間がかかるのでその日のうちに持って帰ろうなどというのは無理です。


ニスは塗ってから徐々に乾燥していき、指で触って指紋がつかないようであればかなり硬くなっています。これはニスの硬さとも関係があります。硬い材質の樹脂でできているニスならわずかな時間で指紋がつかなくなりますが、柔らかいものならずっと指紋がつきます。これを乾燥が早いとか遅いと言いますが、本当の意味で乾燥する時間は樹脂の硬さでは変わりません。一般には十分な硬さになるまでの時間を言っているのです。硬いニスもさらに時間が経てばもっと硬くなります。


修理には普通アルコールニスを使います。
修理でも理屈の上では20回以上塗らないと厚みが十分になりません。実際には小さな面積であれば塗りムラはできにくいので一回を厚めに塗ることができます。前に塗った層が完全に乾いてなくても塗ることもできます。

アルコールニスは乾いたところで刷毛の跡を研磨して滑らかにしなくてはいけません。アルコールニスは最後の層を塗ったときにアルコールが浸透していき下まで柔らかくなります。ちゃんと研磨できるまでには2日は必要です。

実際の修理ではこれを2~3日で何とかしなくてはいけません。
修理用に違う配合のニスを作るのです。


オイルニスは層ごとに乾燥していきます。下の層が乾かないうちに上を塗ってしまうと半生のままになって乾燥が遅くなります。一方まだべとついているくらいのほうが次に塗った層がくっつきやすいです。カラカラに乾いたところに塗ればはがれやすくなるということです。オイルニスは層ごとに剥がれることがあります。
オイルニスでも紫外線を24時間ライトで照射しても研磨できるには2日くらいかかります。

ニスの乾燥は初めは急激に進み、だんだんゆっくりになって行きます。アルコールニスにしてもオイルニスにしても半年から数年かけて徐々に乾燥が進んで行きます。その後も乾燥は続き、場合によってはひび割れしたり風化してボロボロになることもあります。私はできてから1か月くらいで実用十分な硬さになることを目指しています。
チェロなどでは何年かケースの跡がついて毎年のように直していたのが、つかなくなったりしました。

音についても少なからず影響があるようです。
楽器が古くなることで音が良くなることにニスも関係してくるでしょう。



去年の10月からビオラの制作に没頭してようやく区切れがやってきました。
勤め先の工房ではかつては楽器の制作と修理を半々くらいでやるつもりでしたが、次々とお客さんが来て修理ばかりになって行きました。レンタルの楽器をたくさん貸しているので売り上げが無くても浪費さえしなければやって行けるはずです。
この機会を利用して師匠も新作ヴァイオリンを作ろうと考えています。作るのは私ですが。
ゆっくりアイデアを考えていきましょう。


また見習いの職人が練習のために作っているヴァイオリンも割安なので買い手がついています。ニスについては注文が難しいので私が担当することになるでしょう。

➀魅力的な楽器を作ること、➁品質を安定させること、➂効率的に作業すること、この優先順位を守って続けていれば必ず欲しい人はいるはずです。大儲けしようとしたり、銀行出身の人なら違うことを考えるでしょうが、これが職人の頑固さです。