試奏のお知らせの続報と今年の量産チェロの改造 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

まずは試奏のお知らせの続報から
多くの方に申し出頂いています。
まだ受け付けていますので前の記事をご覧ください。


まずは首都圏のヴァイオリン試奏の方から連絡をしています。他の方はしばらくお待ちください。

1月5日から13日まで首都圏で試奏が可能です。
夜も可能です。
メールでもお知らせしましたが、分かり次第希望する日を教えてください。
首都圏で良い場所があるという方はぜひ場所の確保をお願いします。



量産品を改造したチェロは横浜の方が使っているものがあります。数日間借りることができそうです。そんなに長い間借りるわけにもいきませんので1月6日~9日でお願いしたいです。


チェロと多数のヴァイオリンを同時に持ち運ぶのは難しいので同じ日にチェロとヴァイオリンの試奏は出来なくなるかもしれませんので、上記の期間でもできない日が生じますのでご了承ください。

チェロの話


コストパフォーマンスに優れているのでよく売れるのが量産チェロを改造したものです。勤め先で毎年一台くらいずつやっていますが常に完売です。

量産楽器は音が悪いから安いのではなく、安価な製造法で作っているので安くできるのです。そのため問題点もあります。それを直してあげることでハンドメイドの楽器と遜色ない音のものになります。実用的には優れたものです。


果たしてハンドメイドの楽器のほうが「量産品より音が良い」ということが言えるのでしょうか?

「音が良い」ということを定義できないと長年仕事をしているほど思えてきます。
量産品の中でも特に安価なものは表板や裏板を厚い板から削りだすのではなくて、薄い平らな板を曲げて作ってあるものがあります。またチェロやコントラバスでは無垢材ではなく薄い板を貼り合わせた俗にべニア板と呼ばれるような合板でできているものがあります。
これらが絶対に音が悪いかと聞かれれば「音が良い」という定義が無いので確かな答えを言うことはできません。

もしこのような楽器のほうが音が良いと感じるなら、胸を張ってこのような楽器を愛用すればいいと思います。値段は安く済みますからお得です。ただし修理が困難になることもありますからその時は買い替えが必要になるかもしれません。

音が良いとは?

音が良いというのがどういうことなのか考えてみたいと思います。

ずっと日本にいないので不快な思いをすることはありませんが、日本では選挙が近くなると選挙カーや街頭で候補者が大音量で自分の名前を連呼したりします。

この時使っているのが安価な拡声器です。値段を調べてみるとスピーカー部分は1万円~2万円くらいのものです。
これがライブコンサートで使うようなものになるとずっと値段が高くなります。録音スタジオで使うものはさらに高く、家庭用の高級品になると上限は無いようなものです。

楽器屋の私からすれば聞く人に思いやりがあるのなら選挙の立候補者も音の良いスピーカーを使うべきだと思います。拡声器の音質が悪いためにひどく耳障りで不快に思います。私のような人はマニアックな少数派なのでしょうか?

国や地域のために働きたいという人も後援者も拡声器のような音質で誰もおかしいと思わないわけですから、何か教えを受けない限り弦楽器を弾こうという人でも同じはずです。
拡声器の音に不満を感じないのが常識人だとすれば楽器でもその常識はそのまま適用されることになるでしょう。

したがっていくつかの楽器を弾き比べをしたときに「拡声器のような音」の楽器は高く評価されることもあるでしょう。現在では電気で音量を増幅することができますが、かつてはそのような技術はありませんでした。戦前には欧米でもジャズが大流行し、金管楽器ばかりが演奏されたのも弦楽器では音量が小さすぎるからです。今では珍品となった「ラッパ」のついたヴァイオリンも本気で製造されていました。

弦楽器は音量に弱点があるため少しでも音が大きい楽器を求めようとすれば拡声器のような音質になります。それを不満に思わない人が常識人なのですからこのような楽器を「良い音」と考える人は多数派のはずです。

この場合音が良い楽器の定義は音が大きく聞こえるものということになります。

魅惑的な音色?

先ほどの定義によるとうすい板を曲げて作られたプレスのものや、べニア板で作られたチェロにも音が良い可能性は十分出てきます。素人には見分けはつかない場合も多く、音で楽器を選んだらプレスだったということは十分あり得ることです。プレスの楽器は19世紀のフランスで実用化されましたから19世紀後半から20世紀初めの楽器ではプレスのものがあります。店頭では売り手が必ずしも「これはプレスです」とは言わないものです。外見ではわからないことも多いのであながち騙そうとしているとは言い切れません。試奏して音を気に入って買ったものがプレスだったということはあり得ます。だからと言ってプレスの楽器に200万円も払うのはばかげています。

選挙カーの例で音の質に関しては気にする人としない人の大きな個人差があるという例を示しました。これは私も仕事をしていて実感することです。

一方で「ストラディバリウスの音色」などと謳って記事やイベントになったりします。これは弦楽器を演奏したことのない人が企画しているので弦楽器の弱点である音量を意識していません。高価な楽器が違うのは音色だと思っています。かつてはひどいスチール弦を安価な楽器に張っていたので下手な人が弾くと酷く耳障りな音がしたものでした。そのようなイメージもあって安い楽器は音質が悪く高い楽器は心地よい音色だというイメージがあります。

この価値観に従えば良い音の定義は「心地の良い音」とうことになります。演奏会を聴きに来るお客さんの価値観とも言えます。
素人の趣向とも言えますがお客さんが欲している音であればプロなら無視できないですね。選挙カーのように聞いている人を不快にするようでは支持も得られません。

大人になって弦楽器を始める人もこのようなイメージで始める人も多いと思います。音色が魅力的じゃなくても良いのなら他の楽器でも良いはずです。それに対して子供ころから始める場合には親の影響が大きいと思います。

大人になってビオラやチェロを始める場合にはさらに音色の暖かさを魅力に感じる人も多いでしょう。

十人十色

「良い音」が人によって違うということでした。目的や自分の好みに合った楽器を選ぶことが重要となります。

限られた予算の中で楽器を買う場合、音質と音量の両方を得るのは非常に困難です。お金が無限にあっても困難です。アコースティックの楽器の限界があるからです。音楽家ならお金を稼ぐことに労力を注ぐよりも腕を上げて楽器をうまく機能させる技量を身に着けるほうがまだ実現の可能性があります。実際に優れた演奏者であればどんな楽器でも優れた音量を聞かせてくれます。一方未熟な人は何を弾いても貧弱な音しか出ません。その中で少しでも音が大きく感じる楽器を選ぼうとします。その結果拡声器のような音の楽器が選ばれます。


特にチェロの場合とても安価な楽器はまさに拡声器のような音質です。安価なスチール弦を張っていることもあってひどく耳障りな音がします。これも気にしない人には気にならないでしょう。そのような人は楽器にかかる費用が安く済みますからラッキーです。その音で満足しているのですからそれ以上高いものを買う必要はありません。

それに対して不満と思う人はもう少し値段の高い楽器を試してみる必要があります。50万円から100万円のクラスになるとギャーギャーいうようなやかましい音では無くゆったりと落ち着いた音になってくるものがあります。安価なチェロで不満を持っていた人にとってはさすがに値段が高いだけのことがあると実感できるものです。

このように非常に安価な楽器では音の好みの幅が無く選ぶことすらできないという状況です。
大量生産品は100万円くらいまでのものが多く生産されていて店頭にもたくさんあり、使っている人も多いものです。そうなるとこれ以上のものが無いのか?となってきます。

100~200万円のチェロ

ハンドメイドでチェロを作れば最低300万円くらいするのが普通です。そうなると買える人は少なくなりますがありふれた大量生産品とは違うものが欲しいという人は多くいます。
ハンドメイドでも雑に作られたものがありとくに、修理などの収入減が無いクレモナの職人は破格の安さで買い叩かれている人もいるでしょう。このような楽器は機械を使って作られた量産品よりも質が悪いことが十分にあります。機械の性能が上がっているので中途半端なハンドメイドの楽器のほうがずっと粗悪なのです。

うちではとても人気があるのは
①古い量産品 
②量産品を改造したもの
です。

古い量産品では木材が変質し弾きこまれたことで新品よりも音が出やすくなっているので拡声器としてさらに優れているわけです。拡声器の音に不満が無いのが常識人ですから①のようなものが最も求められています。新品の大量生産品よりもワンランク上の楽器と言うことができます。

それに対して心地の良い音のものが欲しいという人にとっては選択肢がありません。このような要望にピッタリなのが私が量産工場で途中まで作られたものを改造するものです。

今年のチェロ

今年はコントラバスの表板を新しくする修理があり、その時のニスを流用して塗りました。弦楽器のニスの色には様々ですが特に暗い色のものです。着色料には天然アスファルトのみを使用しました。アスファルトはこげ茶色が得られるもので溶液をインクのようにしてペンで書くと緑がかったセピア色になります。もっと言うとセピアというのはイカスミのことです。色があせてセピア色になります。
つまり黄色やオレンジというような色は全く入れていない二スです。新作の楽器では黄色やオレンジ色の強いものが多くあります。楽器製作を学ぶなら最初に使うニスはたいていそのようなものです。






軽く古びた感じにしてあります。素人目にはあまり量産品のアンティーク塗装と変わらないように見えるかもしれません。
量産品とことさらに差別化を図るなら新作のハンドメイドのチェロのようなニスにするほうが分かりやすいです。

しかし「汚い」という感じではなくて品良くまとめているので長く使っていても飽きないでしょう。本当に古くなってくると100年分くらい早く古くなります。古い量産品のようなわざとらしさとは違うと思います。

弦にはピラストロ・パーペチュアルのソロイストを張っています。同社のエヴァピラッチゴールドではこのようなチェロには音が柔らかすぎると思うからです。このあたりは弾く人の好みですから所有者が決まってから好きなものに変えれば良いものです。

気になる音

今回は板をそれほど薄くしませんでした。現代の新作や量産品よりは薄いものです。

結果的にはニュートラルなバランスになっていると思います。特に深々とした暗い音というのではなく、ほどほどに深みがあると思います。もちろん新しい楽器によくあるような明るい音ではありません。この結果からも板の厚さと低音の量感に相関関係があるのは明らかです。

そのためキャラクターがとても強いチェロではなくバランスの整った楽器と言えるでしょう。
それでもC線だけが弱くてD線から急に音量が増すというようなことはありません。そのようなバランスの悪い残念な楽器というのはハンドメイドの楽器でもよくあるものです。値段も中途半端に高くて結局ずっと売れないものです。やるならちゃんとしたハンドメイドの楽器でなくてはもったいないです。

高い方でも耳障りな音は無くてそれだけでも貴重なものですが、全体的に弦の影響か軽くスパイスも利いていて甘すぎるということもありません。

弾いた人によると開放弦と第3ポジションなどの音の差が小さいと言っていました。開放弦が鳴るのは当たり前ですが高いポジションでもブレーキがかかる感じが無いということですね。


同じメーカーの完成品の量産チェロを比較してみました。音は明るくなり、刺激的な硬い音でいかにも量産品の音です。完成品でも非常に安価なものに比べれば柔らかくて常連のチェロ教師達からも信頼の厚いメーカーです。それに比べて私が改造したものは余韻がずっと長く、ゆったりとキャパシティの大きさを感じさせるものです。楽器としてはより上級者向きでしょうね。初心者なら完成品のほうが音を出しやすいかもしません。

弾いている本人には完成品のほうが音が強く感じられるそうです。数メートル離れて聞いている方はそれほど音量差は感じません。いずれにしても改造したから音量が増大するというよりは逆の印象を受けるはずです。改造したもののほうが静かに感じるでしょう。耳障りの音のほうが強く感じるからです。

したがって改造したものの方が音は美しくそういうものを探している人には珍しいものです。

私は改造した本人ですから当然ひいき目にとらえてしまいます。楽器というのは一長一短なので良いところを褒め、悪いところをけなすことができます。
予備知識無い人達が音だけを聞いてどちらが優れているか投票すれば意見は分かれるでしょう。

しかし改造したものは雑音が少なく純粋な澄んだ音で、どう弾いても同じ音がするのではなく弓の使い方によって音の変化が大きいもので練習によってより潜在的な可能性があると思います。あくまで私の考えです、強制することはできません。

楽器まかせにするなら拡声器のような音のものがすぐに結果を出すでしょう。
楽器としての器が大きいと弾く人が弾きこなせなければすぐには結果に現れないと思います。


問題は値段であり100~200万円というゾーンではとても真っ当なもので、100万円に近ければより魅力的な楽器と言えるでしょう。ハンドメイドの楽器に対しても遜色は無いと思いますし、バランスの悪い楽器や中途半端なものに比べたら間違いの少ないものだと思います。


去年のものの方がより個性的で低音の魅力にあふれたものでした。

私の作るチェロ

同様のチェロは日本にも使っている人がいて数日間借りることが出来そうです。あれもバランスはニュートラルで上品な音のものです。派手な音だったり強いキャラクターのものではありません。すごく暗い音のチェロではありません。

何もかも適切なバランスに持ってくれば良いものであるはずですが印象としては弱くなります。あるべきものを備えていて癖が無くて不満点が少ないというのは地味ですが貴重な事なのです。たくさんの楽器を試奏するとこのような地味な良品を選ぶのは難しくなります。売ろうと思うと派手な特徴を与えようとしてしまいがちです。あのチェロは注文制作だったので職人を信頼して任せてもらうことで実現したものです。

いつできるかわかりませんが来年からチェロを作りたいと思います。私が一から作ればより「落ち着いたチェロ」になると思います。アーチを高めにすることで手ごたえを感じさせるようにしたいとは思っていますが、間違っても拡声器のような音にはならないでしょう。そのようなものを求めているのなら他の作者のもののほうが良いと思います。

前に作ったのはバロックチェロで音大教授の方が使っています。直々に私にお礼をしていただきました。
この方は他にもうちの会社のモダンチェロを使っていますが、数年も弾きこんだら見違えるようになります。
チェロなんてのは基本的にちゃんと作ってあれば上級者が弾きこめば古いものなんか要るのか?というくらいに鳴るようになります。だからこそ大事なのは楽器が持っている固有の音の質だと思うのです。



去年は量産品を改造して学生のためにバロックチェロを作りました。これも音大の先生からこの値段でこれだけのものは素晴らしいとのことです。バロックチェロは良いものが少ないですから。


300万円以上するハンドメイドのチェロといってもただ普通に作ってあるだけです。
それが大変な作業量です。