戦前の平凡なチェロを改造 その4 実用品と高級品 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。


偉い職人が語るように理屈の上では優れているはずのハンドメイドの楽器も現実に出て来る音では量産品に対して優れているとは限りません。サッカーの強豪国でもいざワールドカップになると負けてしまうのと似ています。複雑に要素が絡み合うので一筋縄ではいかないのです。


こんにちは、ガリッポです。
本格的に暑くなってきました。
来週は35℃を超える予報が出ています。住居も職場もレンガの建物で冷房はありませんから恐ろしいです。ヨーロッパの建物はせいぜい28℃くらいまでを前提に作られていると思います。

近所の川を見ると強い太陽の光が底まで届いて水が澄んで見えます。清流なのでしょうか?傾斜が緩やかな地形なので日本の渓流のような感じがしません。単に浅いだけかもしれません。谷が深くならないのも地形と関係していることでしょう。


こんなこともありました。
チェロを学ぶ音大生が、もっと良いチェロが無いかと探していました。お父さんもヴァイオリンを弾くそうで熱心な家族です。
本人はミルクールの100年以上前のチェロを使っています。
フランスの一流のハンドメイドのチェロに比べるとクオリティは落ちますのでミルクールの工場のものでしょう。つまり量産品ということになります。
工房に来ていろいろなチェロを試そうと、まず自分のチェロから弾くと腕前はさすがに音大生という感じでとても音量もありました。

他にいろいろなチェロを試してみました。
結局一番気に入っていたのは別のミルクールのチェロでした。
ハンドメイドの現代のチェロもいくつかありましたし、19世紀にオールドを模して作ったはるかに高価なものもありました。


このケースでは弦楽器に興味があるというわけではなく単に弾いてみて気に入った楽器を選んでいるということが特徴です。
チェロ協奏曲の山場のフレーズを弾いて試すわけですが、高い方の音しか出しませんでした。同じフレーズをチェロを変えて繰り返していました。これは典型的な楽器の愛好家ではない人の選び方です。
「モノ」として選ぼうとすれば低音から高音まで音を出してその楽器がどんな性格かを知って慎重な評価をします。しかしこの場合は高い方の「速弾き」だけをして楽器を選んでいるのです。

結局自分の楽器が一番良いということになり調整を試みる方が良いんじゃないかということになりました。



聞いていても一番音量があるのが本人のチェロです。したがって他のチェロを試しても「手応えが無い」という印象を受けたでしょう。音色に関しては自分のチェロは美しくなく、他のチェロのほうが美しい音がするとは言っていました。教授にもそのことは指摘されているそうです。
しかし音色が美しいチェロも「何かよくわからないけど弾きにくい」と言って気に入りませんでした。自分は手が小さいのでしっくりくるものを見つけるのは難しいとも言っていました。古い楽器ではストップやネック、弦の長さが標準と違うことがよくあります。弾きにくいというチェロは1㎝近く弦が長かったです。そこで本人のチェロを測ってみるともっと長かったのです。一方正しい長さのチェロを弾いても「弾きにくい」と言っていました。
細いネックのものを薦めてもピンときませんでした。
他のチェロ奏者は同じことを言いませんから何が原因なのかはよくわかりません。

自分のチェロが一番弾きやすいという結論になりました。
音も大きくて他の楽器がかすんでしまいます。

量産品のチェロは音が良くないかというとこのようなことがあるので、そうとも言えないということになります。むしろ音の強さでは優れていました。普段から弾きなれているチェロを試演奏で超えてくるのは難しいです。
もしかしたら板の厚さが、ちょうどその人が試奏した音域に合っていて、その音域だけに限れば他のどのチェロよりも優れているのかもしれません。

量産品が良いのかハンドメイドの楽器が良いのかというのは好みの問題でしかありません。今回のケースでは現代のハンドメイドの楽器は100年以上前のミルクールのチェロに対して勝負になりませんでした。
低音の部分をほとんど弾かなかったので、低音が豊かな楽器も何のメリットもありませんでした。別の人がコンサートホールで試して絶賛していた楽器も「なんか弾きにくい」で却下されました。

こういうことはよくあるケースで単に実用的な道具として楽器を選ぶとこういうことはあります。それも好みとしか言いようがなく、我々が「あなたが選んだ楽器は安物で間違っています。」とは言えません。


弦楽器とはそういうものだと思ってほしいです。

いかに高価な高級車でも荷物の運搬や農作業に使うには向いていないかもしれません。職業人はシンプルな貨物車を選んで高級車を選ばないかもしません。狭い住宅街を訪問するなら大型のリムジンは向いていないかもしれません。
プロが選んだから良い楽器だとなると自分の使い方にあった楽器ということになって、必ずしもコストのかかる製法で作られたものを選ぶとは限りません。

高級品というのは必ずしも道具としてしっくりくるとは限りません
値段としては製造コストが高いもののほうが高くなるのは当然です。それは高級品です。

もっと近い例では高級ステレオというものがあります。それに対して拡声器というものがあります。業務用としてプロに使われるのは拡声器の方です。声を多くの人に聞かせるという機能に優れているからです。じゃあ高級ステレオに価値が無いかというと熱心な愛好家の人がいます。

仕事で拡声器を使う人とステレオの愛好家では選ぶスピーカーも違うはずです。
今回のチェロは拡声器のようなものです。


楽器店の品ぞろえとしても拡声器を目指すのか高級ステレオを目指すのかというのは難しいところです。量産品はもともと拡声器として優れているものがあるかもしれません。私は高級品というものを知っているので良かれと思ってそういうものを研究していますが、すべての人にとって優れたものではないということを自覚しなくてはいけません。

一方で熱心な愛好家にとって魅力的な楽器もあるということです。
高級品は分かる人には重大な違いがあって、興味がない人には違いが分からないということはよくあります。逆に全くの初心者にこれが高級品ですよとして見せれば「これが高級品なんだ、すごい!!」と思うこともあるでしょう。しかし実際に使う人になるとまた違ってきます。

このようなブログを見てくれている人達はどちらかというと愛好家に近いと思いますが、必ずしも高価な楽器が優れていて、量産品が音について劣っているという風には考えないでください。ましてや古い量産品ともなると、新しいハンドメイドの楽器に比べてずっと優れていることは十分あり得ます。

音大生はうちの会社にあったチェロの中ではミルクールのものを一番気に入っていました。これを読むとミルクールのものが優れていると思うかもしれませんが、そのチェロはベテランの名門オケのチェロ奏者に自身のチェロを修理する間に代わりに貸していたことがあります。そのベテランのチェロ奏者の方は教科書通りに文句なくハンドメイドで作られた10数年前の現代のチェロを使っています。その人が弾き比べると現代のチェロのほうが豊かに鳴っています。


こういうことを知ってはじめて「弦楽器通」になっていくと思います。
安い楽器の方が良いこともあるなんて営業成績を上げたい人はあまり言わないでしょう。うちのブログだけの話です。


もちろんプロの演奏家でも上質な楽器を好む人もいます。
学生のころと音の好みも変わってきますし、荒々しい音を嫌い繊細で微妙なニュアンスまで表現できるものを良しとする人もいるでしょう。

全てを兼ね備えたものとなると見つけられる日がいつ来るのかわかりません。

もう一つのチェロ

今回紹介したチェロは、私の師匠が「これなら行ける」とプロの目で選んだものです。師匠は良い意味でいい加減なところがあって金儲けに徹しているというわけではありませんから、自分で気に入ったので修理しようということになりました。
金儲けに徹するなら手ごろな偽造ラベルが貼ってあるほうが有効でしょう。フランス製のほうが聞こえがいいかもしれません。修理も最低限にとどめるべきです。

しかし長年の付き合いで師匠の性格も分かっていますから、自分のコレクションのようにきれいに修理することで喜ぶことを知っています。じっくり手間をかけても怒られたりしません。それが可能だとして選んだチェロなのです。
一般的には古い量産品は状態が悪かったり、作りが荒かったりすることが多いです。そうなると安い値段でしか売れませんから凝った修理はできません。買い取らない事の方が多いです。

二つのザクセンのチェロを紹介してきましたが、もう一つの方はこのような感じです。はるかに大きな損傷を受けています。このようなことは古いチェロではよくあることです。ヴァイオリンでは100年程度ではここまで傷んでいることは多くありません。白い木のところは新しく追加した部分です。特に重要なのは魂柱の来る部分です。魂柱のところに割れがあるとその時点で安価な量産品なら「この楽器は修理する値打ち無し」ということもあります。魂柱のところは強く力がかかるのでただ割れを接着しただけでは耐えられません。木片で補強しようにも魂柱の邪魔になってしまいます。横板にも多数の割れがあります。
表板も何か所も割れています。
エッジも過去の修理で傷ついているので部分的に新しい板を張り付けています。

裏板のボタンも折れていましたが過去に不十分な修理がされていました。

このチェロでは石膏で表板の型を取って修理したのでかなり大掛りな修理となりました。

このような状態のチェロが持ち込まれることは多くあります。ヨーロッパですので家の物置からチェロが出てきたんだけど価値はあるか?と持ってくる人もいます。なかなか良さそうなハンドメイドのチェロでも横板がバリバリに割れていたり、表板に無数の割れ傷が合ったりすることは少なくありません。ネックの角度は狂い、ペグや指板は消耗し、ネックの長さもメチャクチャで・・・・そのようなことは良くあります。
このチェロでもまだ良い方で直し始めたらきりがないということはよくあります。ドイツのオールドヴァイオリンやビオラにもそのような残念な楽器はしばし見られます。

前回ザクセンの低いグレードのものはコーナーブロックが入っておらずふたをしてあるだけと書きました。このヴァイオリンもそうです。f字孔からのぞくとコーナーブロックが入っているように見えるのです。中は空洞なので横板は簡単に割れてしまいます。

上のコーナーはf字孔から見えないのでふたもしてありません。同じ産地でもグレードに差があるのです。国で分けるのはばかげている所以の一つです。

「このチェロは音が良いから価値があるんだ」とおっしゃる教師のような人もいますが、売り物にするにはバリバリに割れたものではお金を取れません。音で値段が決まっているわけではないので音が良くても量産品であれば安い値段しかつきません。その「音が良い」というのもその人の主観にすぎません。

中古品として安く売っていたり、教師や演奏家仲間から譲り受けたりすることがあります。修理にはそれ以上のお金がかかる可能性があるということをあらかじめ知っておくべきです。100万円を修理代が超えることはざらにあるのです。

日本のケースでもそうでしたがもっと悪質なのは専門の業者がろくな修理もせずに、高すぎる値段で売っている場合です。
技術者の目で見て楽器の質を見分けて売る必要があります。商人はそういうことはわかりませんから、産地の名前で区別するわけです。


腕の良い職人が悪質な業者の元で働きたいと思うでしょうか?

商人と職人とは価値観が全く違うので高価な楽器を扱うような「立派な店」でもそこで働く職人は2流以下ということは普通だと知ってもらいたいです。商人がいかに善人だったとしても職人としては考え方に納得できないところがあるものです。

板の厚みを変える修理

今回の修理でも板の厚みを変えました。
しかしこれは必ずしも「音が良くなる」というものではありません
人によって求める音が違うので好みにピッタリ合うかわからないからです。板は薄いほど低い音が出やすくなり、高い音の方は量感は抑えられてしまいます。特にチェロの音域では顕著で冒頭のような場合には板が薄くなっていることに何のメリットもありません。
ヴァイオリンの場合には、特に高い音は楽器の作りからは全く予測が付きません。中間の音域では同様のことが言えます。板が薄い楽器は低音が豊かで中音が控えめになります。厚い楽器は中音が豊かになり低音は控えめになります。それが明るい音というものです。19世紀のフランスのヴァイオリンは薄い板で作られていることが多く、表板は全部同じ厚さで薄くなっていることが多くあります。典型的な音はG線からD線の下が強くD線の上からA線が弱いものがよくあります。E線は板の厚さと関係なく鳴ります。

したがってチェロの場合には音域が低いので板が薄いと下の方が豊かに鳴り上の方が控えめになるとはっきりしています。
普通ソロの華やかな部分は高い音の領域が多くなります。高い音が豊かな方が「ソリスト向き」と考えることもできます。通奏低音のように低音パートとして演奏するなら低音が豊かの方が良いでしょう。
いやソロでも低音の部分が音楽上重要だとか、音色の暖かさがチェロの魅力で、合奏と違ってソロや独奏ではよりその魅力が味わえると考えれば低音が豊かな楽器こそがソリスト向きと考えることもできます。意見は分かれます。

お客さんの希望で修理する場合はその人の好みを考慮して厚みを決めます。今回は売るための楽器だったので希少性なども考えました。厚めの楽器はたくさんありますが薄めのものは希少です。

厚みと低音の量感は新しい楽器ほど顕著だと言えます。
新作のチェロで板が厚いものは確実に低音が控えめになります。よく弾きこめば鳴ってくるのがチェロなのですが、厚めのチェロは明るい音のままで私は残念に思います。古くなってくると強度が落ちて来るのでそこまで厚みと音は直結しないように思います。


修理前のものでは明らかに厚すぎると思います。
もう一つのチェロでは表板はこのチェロの修理後とほぼ同じで、裏板が修理前と同じように厚かったです。
すべてが厚いものに比べれば極端にひどいチェロということは無いでしょう。古いものなら表だけでも薄ければずっと良くなることでしょう。表だけ薄くするという修理はよく行われています。裏までやる人が少ないのです。

裏まで薄くすると音色の深みや低音のボリューム感が増すとともに、私は遠鳴りする楽器になると考えています。弾いている本人には良さは分からないかもしれませんが音が部屋中に響き渡る感じがします。


このチェロで特徴的なのは初めから表板や裏板の内側の周辺部分の削り残しが少ないことです。量産品では周辺部分に削り残しがある場合が多くあります。

この「ふた」のついたヴァイオリンでも端まで削っていませんから実質表板が一回り小さいことになります。


エッジ付近が薄いと全体の厚みが薄いのと同じような効果があるように感じますので非常に重要です。意外と厚めの楽器でもエッジ付近が薄ければ何とかバランスが取れてしまうこともあります。このチェロが量産品らしからぬ音がするとすれば、一つはこのようなことも考えられます。そのため周辺付近はほとんど手を付けていません。

実用品と高級品

今回の記事のタイトルです。

高級品というものにはいろいろな人達の様々な思いが反映されています。
見せびらかして一目置かれようという人もいれば、無神経に作られたものに嫌悪感を覚える人もいるはずです。

ただチェロの場合には普通に作ると手間がかかるので高価になってしまいます。現代人の生活を前提に考えると半年も作るのにかかれば半年分の生活費と工房の維持費がかかります。その間は他の仕事が一切できなくなるということも重要です。他の収入源がなくなるということです。その上で出来上がったものも人によって好きだったり嫌いだったりしますし、古い安価な楽器にかなわなかったりします。作る方もリスクが高すぎます。

それに対して量産品は短い時間で製造できるように多くの手抜きがされています。音響上重要な部分さえちゃんとしていれば十分良い音にある可能性はありますが、多くは粗悪品です。しっかり見極める必要があります。
隅々まできちんと作ってなくても古くなることによって有利になることもあります。

したがって職人がきちんと作ったものがとても性能が優れているというよりは手抜きせずにバカ正直に作っただけのものです。





高級品というのも時代や職人、流派によって考え方は違います。

現代の製作コンクールで賞を取る楽器は、オールドの名器とは全く雰囲気が違います。全く違うのにどちらも高級品として考えられています。ほとんどの人は「高い=高級品」と考えていて、そのような矛盾もどうでも良いようですが私は納得がいかないので何が違うのか研究しています。


チェロの場合にはニスを塗るのもとても難しい作業でわざとらしい汚いアンティーク塗装をされたものを見ると私は嫌悪感がを覚えますが、それが平気で自信作という人も、売買する商品としてどうでもいいという業者もあります。


作っていた作業台が完成したところです、作業台自体は既製品でも構いませんがちょうど下にチェロが入る大きさなのが自分で作らないと手に入らないものです。紫外線のライトを取り付けるとニスを短時間でしっかり乾燥させられます。これで当初考えていたよりも凝った塗装もできるんじゃないかと思います。

音楽家は誰も気にしないところかもしれませんが、無神経に作られた楽器は見てて腹が立ちます。職人としての正直な気持ちを言えばそんなのをイタリア製だからといって高い値段でありがたがっているのにも腹が立ちますよ。

音に関しても同様のことが言えます

高級品とはなんなのか?
自分の立場で必要なのかそうでないか考えてみてください。

「高い=高級品」と考えるなら値札の数字を変えてもっともらしいウンチクを言えば高級品の出来上がりです。