戦前の平凡なチェロを改造 その3 古いチェロのリスク | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

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クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。


古い楽器のほうが手放しに優れているとは言えません。むしろ問題点が多くあります。
機械でも建物でもそうです、魅力的な味わいがあってもそれだけでは済みません。


こんにちは、ガリッポです。

前回の記事では私のドイツの量産品のイメージに反した音のチェロの話でした。私でさえ産地のイメージと実際の音が違っていたわけですから、一般の人が持つイメージも当てになりません。

中国製の4万円くらいの非常に安価なチェロをインターネットで買った人が試しに60~80万円クラスの新品の量産品を試してみると音の柔らかさに驚いていました。非常に安価なチェロでは耳が痛くなるような音がするのだそうです。
弦をラーセンかエヴァピラッチゴールドにすればいくらかましになるでしょうがチェロの値段と変わりません。

安い楽器というのはどちらかというとギャーと耳が痛くなるような音がすることが多いです。古い量産品でも安いものほどそういう音のものがイメージされます。
ザクセンの流派と言えば戦前に大量生産し粗悪品を多く作ったというイメージがありますが前回紹介したようなチェロはひどく耳障りなものではなくザクセンの流派の楽器のイメージとは違うものでした。

それもそのはずで、産地によって「こういう音にしなくてはいけない」という取り決めをして音を統一させようとしても、取り決めの通りの音の楽器を作るのは困難です。ましてや多くの人が働く工場で決まった音の楽器を作るのは無理です。今では機械を使っているので同じものが作られるようになりましたがかつては手作業がほとんどでした。音はバラバラになってしまうのは当然の結果です。
うちの会社でも販売している機械で作られたチェロはいずれも安定したレベルにはありますが、音は一つ一つかなり違います。正反対とまではいきませんがバラつきはかなりあり、人によって好みに合うものを選ぶべきです。カーボン製の弓も同じはずなのに微妙に違います。

こうなると、仮にイタリアの音とかドイツの音とか国ごとによって「こういう音にしなくてはいけない」と音を統一した製品を作るのは難しいはずです。それから逸脱したものができてしまいます。もちろん実際にはそのような決まりはありません。
従って国ごとに決まった音になっているはずがありません


当然私が作る楽器の音は他の日本人が作るものと同じではありません。
日本人の職人の間でこういう音にしなくてはいけないという決まりはありません。


「生産国によって音の特徴はあるか?」という問いかけがあれば「国ごとに音を統一することは不可能なので無い」という結論が導き出されます。そのため楽器屋に行ったときに生産国を気にする必要はないということになります。

表板


表板を開けてみるとこのような感じです。

2か所の割れがはっきり見えます。表板の下側、バスバーの付近と反対がのf字孔から下までです。古い傷のように見えますので過去に修理されているようですがちゃんと直されていませんでした。表板を開けずに接着するだけでは完全に修理はできません。バスバーの側は厄介なところです。バスバーが邪魔になって木片で補強ができないからです。
戦前のチェロであればこれくらいは当たり前です。無傷なものが欲しければ新品を買ってください。

バスバーを削り落として接着しなおします。

こちらも一度傷を開けて付け直します。もし木工用ボンドを使っていると剥がすのは大変です。

接着ができたら厚みを変えてしまいます。表板と裏板を合わせて3日くらいの仕事です。当然費用はかかりますが割れ傷を直すためにどうせ表板を開けるのなら3日追加するだけで劇的に音を変えることができます。

バスバーを削ってぴったりになるように加工します。


私にとってはルーティーンワークですが初めての人には最も難しい作業の一つです。当然安価な楽器では接着面がぴったり合っていません。

取りつけてからバスバーのフォルムを仕上げます。

木片を付けて補強します。

これできれいに修理されたと考えてください。このような木片を付けると音が悪くなると思うかもしれませんが楽器全体からすれば些細なことにすぎません。良くなるかもしれませんしわかりません。
もともと細かく考えて設計されているわけではないので異物がついてもそこから外れても結果オーライです。細かく考えて設計しても自己満足だけで音がどうなるかはわかりません。

過去の修理ではひどいコーナーになっていました。これは直さなくても演奏には差し支えないので悩むところですが、私は許せなかったので直すことにしました。

違いが分かりますでしょうか?
普通はこんなにコーナーを継ぎ足したりしません。欠けているところを直すだけです。過去の修理がひどいのですべてやり直しました。

角を付け足してパフリングも同じ太さのものを作って入れ直します。材質はおそらく梨の木を黒く染めたものだと思います。もちろん洋梨です。同時代の量産品で安いものは指板にも同様の木材が使われています。これはとても柔らかくて指板としてはすぐに擦り減ってしまいます。スポンジのように水分を吸い込むので色が付けやすい材料です。カエデなどではこんなに色が付きません。古いものは色があせています。今回は古い指板から材料を取りました。

黒檀などを入れてしまうと真っ黒になってしまうので他と合わなくなります。


下端のサドルが来るところも埋めなおしました。きれいなサドルに交換しましょう。

これで表板の修理は完了です。

ペグの穴埋め



これもルーティーンの仕事でこれ以上太いペグが無いということになるとペグだけを交換することができなくなります。穴を埋めて穴をあけ直します。こういうのも正確さの問われる仕事です。木目の向きが違うのでニスの色を合わせるのが非常に難しいです。正当な修理なので隠す必要は無く、これくらいなら十分でしょう。

裏板


ボタンが片方割れていました。接着して補強します。

全部壊れているわけではないので片側だけ新しい木を埋め込んで補強しました。何でもかんでも完璧に直すわけにもいきません。

上部ブロックは交換せず溝だけを埋めなおしてネックを入れ直します。

中を見た感じはこのようなものです。

裏板の周辺付近にも削り残しは無くラインニングやコーナーブロックもきれいに仕上げてあります。

こちらは前に紹介した日本で修理したミルクールのチェロです。内部の加工のクオリティはマルクノイキルヒェンのこのチェロのほうが高いことが分かります。
このように東ドイツの量産品の中でも比較的品質が良いので修理する値打ちがあると判断されたのです。

ミルクールのチェロでは裏板の合わせ目がひどく開いていましたが、このチェロでも下の端が開いていました。古いチェロでは大半の楽器で抱えている問題です。フランスのものよりもこちらの方がましといえます。

裏板も厚いのでごっそり削ります。
ちょっとやそっとではございません。

厚みを出すとともに表面はなめらかに仕上げます。

特に補強するべきところは合わせ目だけです。

横板も割れていたのはここだけでした。チェロの場合には横板の被害がとても多いです。このチェロでは奇跡的にもこの程度の割れで済みました。

鬼門は横板のコーナー

横板の話に入りましたがそれ自体は健康でした。しかしザクセンのチェロの問題はコーナーにあります。

ひびが入っています。

こちらもです。
なぜかと言えば本来なら中にコーナーブロックと言って木材が隙間なく入っているはずです。しかしザクセンの楽器では中に空間があります。作られた当初は見えないのでそれで良いと考えられていたのでしょうが、中が空洞なので割れやすいのです。

このようにしてみると隙間が無いように見えますが見えるところだけ埋めてあります。横板のコーナーをつまんでみると妙にとがっているのですぐにザクセンの量産品だと分かります。雰囲気が良くてもドイツのハンドメイドではなく量産品だと分かります。これは外枠式で作られていることが原因です。
内枠式ではこういうことは起きません。またフランスの楽器も外枠のはずなのですがこういうトラブルはドイツのものに特有なものです。
イタリアの作者のラベルがあってもコーナーがこのようになっていたらドイツの量産品である可能性は高いでしょう。
イタリアでもボローニャやジェノヴァでは外枠式で作られていたことが分かっています。
チェコでは左右半分だけの外枠を使っていた写真が残っています。

ドイツの量産品で特に安価なものはコーナーにブロックが入っていません。f字孔からのぞくと入っていないのが分かります。もう一つランクが上のものになるとf字孔から見える下側のコーナーだけ「ふた」がしてあります。中は空洞です。
小さな鏡を使えば上のコーナーも見えます。上もふたがしてあるものもあります。このチェロはふたよりは上等なもので表板を開けても先まで入っているように見えます。しかし中は空洞になっているので横板が割れます。

こんなつまらないところで手を抜いてあるのが量産品です。

ちょっと専門的になりますがブロックとライニングとの継ぎ目に特徴があります。

こちらは前回紹介したもう一つの方のチェロです。ブロックの形や厚み、ライニングの差し込んである様子が全く同じです。どちらもマルクノイキルヒェンのチェロでしょう。

裏板の修理完了です。ラベルはもともとついていませんでした。当時は自社のラベルを貼るとうことはあまりありませんでした。一つの会社というよりはマルクノイキルヒェンの地場産業で組合として活動していたようなので、どこの工場のものかというのは興味が無かったようです。

ヴァイオリンならカタログにはストラディバリウスとかガルネリウスとか製品名が書いてありました。チェロは皆ストラディバリモデルです。売り手の都合によって好きなラベルを貼って売ったということもあります。

ストップの問題




割れ傷のところは過去に汚い塗装がされていたのでそこだけ剥がして塗り直します。
ごく普通のストラディバリモデルのチェロです。

ザクセンのチェロでいつも問題になるのはストップの長さです。ストップとは駒の来る位置のことでf字孔の内側の刻みのところに来るはずです。
ザクセンのチェロでは必ずと言って良いほど現在の標準に比べると長すぎます。表板の上の端から駒の足の中央までの長さは現在では400mmとなっています。これがザクセンのものは410mmあるのが普通で場合によっては420mm位のものもあります。

これは我々もとても頭を痛めるものでこれが長いと弦の長さが長くなり抑える指の間隔が広くなります。標準的なものを弾いている人が持ち変えると少し指を伸ばさなくてはいけないので遠い感じがします。

さらにネックも長すぎる場合があります。このチェロでもストップが1㎝長く、ネックが0.5㎝長いので1.5㎝弦が長いことになります。
ヨーロッパであれば体格も良いので大柄な人なら全く問題なく弾ける人もいますし、女性などで困難になる場合もあります。
いずれにしても他のチェロと持ち替えて弾くのは困難になります。

表板の方は直す方法がありません。f字孔を埋めなおしてあけ直すということは普通はやりません。まれに古いチェロでそのような改造が施されたものはあります。そのためf字孔の刻みの位置とはずらして駒を立てることになります。基本的に刻みの位置はf字孔の長さの半分(ちょっと下)のところにあります。f字孔は切れ目が入っていることで表板の中央が柔軟になります。その真ん中に駒が来ると強度としても理にかなっていますのであまりにもずらすと理想的ではなくなります。同じ条件でf字孔の位置だけを変えた実験はできないので本当のところはわかりません。別の表板や別のチェロではそもそも音が違うからです。

ネックの方は「継ぎネック」という修理ができます。しかしこれはとても高価な修理なのでこの程度の量産チェロでは難しいところです。またネックだけ短くすると比率が変わってしまいます。極端にネックが短ければ高いポジションを弾くときに親指をネックの根元に添えると抑えるところが遠くなります。

何とかごまかして今回は405mmのところに駒を置いて、ネックもごまかして3mm長いくらいにしました。
特別小柄な人に向いてはいませんがこのチェロに慣れれば弾けないレベルではないはずです。

完璧なものが欲しいなら新品かずっと高価なものを買うべきです。

完成

あとは駒と魂柱、ペグなどを取り付ければ演奏できます。ニスの補修も大変な作業です。

割れ傷のところも塗装を補修して目立たなくなっています。

これは修理前で真っ黒な線になっています。

コーナーは完全に継ぎ目を見えなくするのはむずかしいです。色を合わせるだけでも難しく気に入らなくてもう一度剥がして塗り直しました。

全体としてみれば違和感がは無いでしょう。

裏板はもともと木目もきれいでわざとらしいイミテーションもないのできれいに見えます。
ニスの色やコーナーの丸みなどを見るとチェコのボヘミアの楽器のようにも見えます。内部の構造などを見てもマルクノイキルヒェンのものとそっくりなのでマルクノイキルヒェンの可能性のほうが高いと思います。

ごく普通のものです。ひどく粗悪には見えません。

アーチの高さも現代の楽器としてはごく普通です。

ニスはいわゆるラッカーです。
ところが最終的に音を試してみると決して悪くはありませんでした。ラッカーは安い楽器に塗られているというだけで必ずしも音が悪いというわけではないと私は最近は考えています。
ギャーッと耳障りな安価な楽器にはまずラッカーやアクリルなどの人工樹脂のニスが塗られています。しかしながら原因がニスにあるかどうかは定かではありません。

私は以前、アクリルのチェロのニスを溶かして剥がし天然樹脂のものに塗り替えたことがあります。音は柔らかくなりました。したがって人工樹脂のものには鋭い音の傾向はあると思います。しかしラッカーでも嫌な音ばかりではないことを経験しています、楽器全体を台無しにするほどひどいものではなく本体とのマッチングによってはどうにでもなるのではないかと思います。



値段は?

値段としては150~200万円くらいだと思います。
本来ならチェロはヴァイオリンの値段の倍だと言われています。しかし実際の相場からはかけ離れているように思います。このレベルのヴァイオリンなら30~50万円くらいでしょう。倍にすると60~100万円ということになりますが、機械で作られたドイツ製の新品でも上等な量産品は150万円くらいしますからそれより安いというのはおかしいです。
やはり100年近く経っていてきちんと修理されているものはずっと少ないからです。もちろんこれもドイツ製です。


次回はこのようなチェロの真価について考えていきます。
もう一つのチェロについても紹介します。