【初心者の疑問】ヴァイオリン職人のお仕事② 素敵な職業? | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

ヨーロッパでは生活に密着した現実的な普通の職業の弦楽器職人ですが、ファンタジーの世界の職業のようなイメージを持っている人もいるかもしれません。
現実の職業として見たときどんなものなのか考えていきましょう。


こんにちは、ガリッポです。

初めてヴァイオリン工房を訪れた人からは「素敵な職業ですね」と言われます。
弦楽器を習い始めた人たちはこれから足を踏み入れていく世界に夢と希望を持っています。ベテランの人たちはこんな気持ちは忘れているでしょう。

素敵な職業ということは私もそう思って始めて夢中になって行ったわけですが、ステーキならともかく「素敵」ではお腹はいっぱいになりません。

職業の選択について人それぞれいろいろな価値基準があると思います。
「そんなのはお金が一番に決まっている」という意見もよく聞きます。そこで「ヴァイオリン職人の職業は儲かるのか?」となると「儲けている人もいるし、儲かっていない人もいる」という他の職業と同じ答えになります。

当然安く仕入れたものを高く売れば儲かります。
そのような業者はおなじみです。楽器業界でも「そんなのはお金が一番に決まっている」という人が多数派だからです。
業界特有の方法としてはごく普通に作られたものを「天才職人の逸品」と大げさに紹介するのはいつものことです。
偽造ラベルが貼られるのもいつものことで流通している楽器の90%が「ニセモノ」と考えて良いでしょう。

もう一つは従業員の給料を減らすことです。一般的には非正規雇用などがありますが業界特有の手法としては「弟子」という一般の人からは闇の雇用形態です。
ヴァイオリンの演奏を習うなら生徒ですからお金を払って勉強します。従業員は労働ですからお金をもらって仕事をするわけですが、そのために必要な事は教えてもらえます。
それに対して「弟子」というのはもっと古い時代のものです。
日本の場合、住み込みで寝るところと食事は用意してもらえる代わりに師匠の身の回りのことから世話をして秘儀を学ぶというのは落語家などでは今でもあるかもしれません。しかしお客さんの前でプロとしてお金をもらえるような腕前でないのなら「働く」ということすらできません。師匠の機嫌ひとつで「お小遣い」とか「お年玉」とか貰うことになります。職人の世界でも昔は丁稚奉公などと言って勉強させてもらって「のれん分け」を受けて一人前になったのでした。

これは当然雇用契約ではありません。雇用契約を結べば最低賃金のようなことが生じます。時間給を払わなくてはいけません。

そういう意味では「弟子」という関係なら給料すら払わなくても良いということもできます。一方弟子の方もそれだけの旨味を求めます。「有名な師匠の元で修業した」と肩書きが付くことで箔が付くと考える人もいます。クレモナに留学した学生では就労ビザはありませんから働くことはできません。日本で有名なクレモナの職人に師事したといえばそれが何日であっても肩書きがものを言います。そうなるとwin-winの関係になりますから無償労働も成立します。優秀な日本人学生に楽器を作らせて日本で売れば給料はタダですから儲かります。日本人のユーザーはイタリアの巨匠の楽器と思って買ったのが日本人が作ったものだったりするかもしれません。結果論から言えば優秀な日本人が作ったので物自体は良いものだったということになるかもしれません。最近は中国人がたくさんクレモナにいると言いますから中国人の手によるものかもしれません。それでもイタリア人よりよくできているかもしれません。

チェロなどを作ろうと思ったらすごく時間がかかります。多忙な職人がたくさん作れるはずがありません。東京のお店に同じ作者の楽器がいくつもあるとしたらおかしな話です。つまり自分で作っていないということです。

このようにして作られたクレモナの楽器を日本の楽器店が彼ら以上に利益を載せて販売するわけですからクレモナの実業家の職人と日本の弦楽器店の間でwin-winです。

さらに弦楽器店は教師が生徒に楽器を薦めてもらう代わりにリベートを支払います。教師も楽器店もwin-winです。

当然限られた選択肢から楽器を購入せざるを得なくなるのはエンドユーザーです。
このように企業努力をしてきたわけです。


「儲かるか儲からないか」という疑問に関しては「やり方による」という答えになるでしょう。こうなった時に「素敵な職業」というのは間違いだったということになるかもしれません。


楽器の売買のむずかしさ


楽器の売買で難しいのは「人によって好みが違う」ということです。
いかにうまく作られた楽器であってもそれを好きだという人もいればあまり好きではないという人もいます。
なぜかわからないけど弾きやすいとか、弾きにくいと感じることもあります。それが人によって全く違うのです。
私は技術者として問題のあるおかしなものは避けたり修理したりします。しかし万全を期しても人によって反応は違ってきます。

弦楽器を資産として考える人もいます。古い楽器の相場は常に右肩上がりで下がったことがありません。そのためリーマンショック以降確かな資産として注目されています。
しかし、弦楽器の資産としての流動性は低いと覚悟しておいた方が良いと思います。不動産に似ています。土地には価値があり、場所などの条件によって資産価値は生じます。しかし意外と町のど真ん中に廃墟のようなものが残っていたりします。使い道が無いと買い手がつかないのです。

同様に弦楽器も資産価値を数字で表現できても「その楽器を弾きたい」という人がいなければただの数字にすぎません。

ただ近年このように考える人が多くなれば自分が演奏するためでなく楽器を購入する人が後を絶たないようになり流動性は高まるでしょう。楽器の演奏とは縁のない成金の人たちが新たな顧客となっていくでしょう。

そして本当に良い楽器が必要な人が使えなくなってきています。
そのため当ブログでももはや有名な作者の楽器について知ることは演奏者にとっては縁のない世界の話で、値上がりしすぎた結果、少なくともコストパフォーマンスは最低です。同じ値段なら他にもっと良いものがあるかもしれません。現実的に「使える楽器」を中心に紹介してきています。


このように楽器は一つ仕入れて一つ売れるかというとそうではありません。
演奏者はいくつもの楽器を弾き比べて気に入ったものを選びます。そのため一つしか楽器が無いとなるとお店にお客さんは来ません。お客さんの好みに合う楽器を確保するにはそれ以上の数の楽器が必要になるということです。場合によっては何十年も売れない楽器もあるかもしれません。そうなると仕入れの費用が取り返せません。

ファミコンなどの昔のテレビゲームの中古ソフトが1000円くらいで売られているとすると資産価値としては1000円くらいです。
しかし実際に買い取り業者に持っていくと10円とか20円とか言われることがあります。それを1000円くらいで売っているとしたらなんというボッタクリだと思うかもしれません。しかしファミコン本体を持っている人が少なく買う人がめったにいないはずです。断ることなく買取を続けていれば店はファミコンのカセットでいっぱいになります。一つか二つだけ在庫を置いてあとは買い取らないと決めればもう少し高い値段でも良いかもしれません。必ず買い取るということになると10円20円になってしまうのも無理はないでしょう。

つまり希少金属とか有価証券と違って必ず買い手が決まるわけではないということです。
業者が300万円で売っているヴァイオリンでも同じ業者に買い取ってもらおうとすればはるかに安い値段でしか買ってくれません。ヴァイオリンを資産として考える場合とても危険なことの一つです。他にも「偽物」、破損や紛失などのリスクもあります。


要するに弦楽器の演奏している人が限られているという事です。
その中でも稼いだお金の大半を楽器につぎ込むという人も多くは無いはずです。一度買った楽器を何十年でも使うことができます。


弦楽器というのは誰にとっても良い楽器というのはありません。
そのため業者はあたかも誰にとっても優れている「巨匠」とか「天才」とか「評価が高い」とかそういう楽器があるかのように思わせることがビジネス上必要になってくるわけです。
「楽器を売るのは難しい」と言っても日本の場合、有名な作者のものなら売るのはとても簡単で作ってもらえることが分かればその時点で買い手がつくほどだそうです。それに対していかに優れたものでも有名で無いものははるかに難しくなります。

消費者の方も自分の好みを持っていなかったり、初心者にとっては「良いものを買った」と思い込みやすいので需要があります。それであとで音に不満を持つようになるのです。

丁寧に仕事をするほどもうからない

職人の手作業について言えば作業に時間をかけるほどコストが高くなります。それにたいして、大半のお客さんは値段が安い方が良いということになります。

安い代金で仕事を丁寧にやっていれば儲かりません。
高い代金で仕事を雑にやっていれば儲けは多くなります。


いくら仕事熱心だと言っても一日にたとえば40時間仕事するということはできません。根性が足りないという人もいるかもしれませんが時空を捻じ曲げることは人間では無理です。
また過労は仕事の質を落とします。疲れていれば集中力が散漫になり寸法を間違えたり手元が狂ってしまうかもしれません。休養も仕事に質を維持するために必要となります。


丁寧に仕事をするほどもうからないのです。


丁寧な仕事が評判となり高い作業代を払うお客さんが多くなれば収入も増えるでしょう。しかし評判を高めるために仕事を丁寧にするというのは効果的な方法ではないでしょう。人はもっと派手なものに注目するからです。さっきの「誰かの弟子」とかメディアに取り上げられたとか、名演奏者が絶賛したとか・・・そのような売名行為の方が効果的です。そうなると丁寧に仕事をする必要もありません。名演奏者に取り入って都合のいいことを言ってもらってメディアに取り上げてもらう…そんな能力と努力と資金力が必要なのです。だから職人の仕事を丁寧にしているような人は儲からないというわけです。

職人が集まるような機会があっても集まる人数が多くなるほど、楽器についてとか作業についての話は減っていきこのような話が主流になっていきます。職人の中でも楽器や作業に興味が強い人は少数派なのです。


これが現代の産業なら、工場で設計したものと同じものを大量に生産します。優れた製品であればたくさん販売することができますから特許を持っている人は大きな収入が得られます。しかし楽器を自分が一人で作るのならいかに優れたアイデアでも自分が作業して作れる量しか売ることができません。ヴァイオリンを作るには1~2か月はかかりますから1.5か月と計算すると年間に8本しか作れません。その一方で50~100年位前に作られた楽器は新しいものに比べると音が出やすくなっていて特別な音の好みを持たないなら新作楽器よりも優れています。そのような楽器もよほど有名でなければ100万円を超えることはありません。
日本で日本人の作者が作ったものは100万円くらいで売られていると思います。すべて売れたとしても工房の維持費など経費を差し引いたとしたら大した年収にはなりません。


短時間で楽器を作れるのが腕が良い職人だということもできます。
それでやってきた職人なら弟子にはとにかく早く作ることを叩きこむことでしょう。工場などでもベルトコンベアで次々と製品がやってきてすばやく作業しないとそこで溢れてしまいますから速さは求められます。

私は凝り性なので慣れて作業が早くなる一方でどんどん手間を増やしたくなってしまいます。趣味で模型を製作するのなら早く作ったなんてことは自慢にもなりません。細部まできっちり作ってあれば称賛されます。


職人には「お客さんが気付かない程度で雑な仕事をして平気でいられる才能」が求められるのです。
私は職人には向いていないのでしょう。

素敵な職業?

「ヴァイオリン職人として最も重要な資質は何か?」という問いに対して「イタリア人であること」という答えに業界関係者なら異論はないでしょう。
イタリア人で雑に仕事をすることが平気で、売名行為に喜びを感じる人は間違いなく「天才職人」です。それをハイエナのように食い物にすればさらに儲けることができます。


それでも私は「素敵な職業」ということを否定しません。
私にとって至福の時というのはこのようなことは一切忘れて作業に没頭している時です。日頃することが多くて楽器製作が中断することが多くあります。楽器製作が始まると他のことは一切忘れてすぐに時間が過ぎてしまいます。
何百年という歴史の中で美しい楽器を作ることに喜びを見出した人たちがいました。そのような楽器を見ていると背筋が正される思いです。タイムスリップして過去の時代に自分が生きているイメージになります。
神経を集中して刃物を研ぎ、鋭い切れ味でサクッと木材を切り落としていくだけでもゾクゾクする気持ちよさがあります。美しい形が浮かび上がってくる時喜びが湧いてきます。出来上がった時の音をイメージしながらああでもないこうでもないと考えていくのもワクワクするものです。アンティーク塗装では模型を作っているような面白さです。

音のことになると本当に難しいです。
最善を尽くした結果味わい深い音になったり、お客さんに喜んでもらえた時はさらにボーナスです。楽しんで仕事をした上に人の役に立つのですから。お客さんの素晴らしい演奏を聴くのも励みになります。自分の仕事の後で演奏が上達していればわが子の成長のようにうれしいものです。


「弦楽器というものは素敵なものだ」という思いを忘れないで高めていくことが弦楽器の発展につながっていくのだと思います。そう思ってやってる職人もいるということを知ってもらいたいです。

大儲けできないとはいえ、仕事が無くて暇を持て余すことはありません。
やることは山ほどあります。良い仕事をしていれば食うに困ることは無いでしょう。
幸いにも趣味や娯楽にお金を使う必要がありません。仕事が趣味みたいなものなので。