【初心者の疑問】ヴァイオリン職人のお仕事① | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

体に不調があれば病院に行くわけですが、受診が遅れたことで重病が放置されるケースもあれば病院に行ったら待っている他の患者さんがとても辛そうで自分程度では来るべきじゃなかったと思うケースもあります。どうなったら病院に行くべきか素人には判断が難しいところですが、同様にどのような場合ヴァイオリン職人のお世話になるべきかは初心者には不安なところです。職人さんは頑固で敷居が高いというイメージを持っている人いるかもしれません。


こんにちはガリッポです。

勤め先でも初めてヴァイオリン職人の工房を訪れる方々が毎週のようにやってきます。とても現代の商業施設とは思えない工房の様子に驚かれます。

一般的には音楽教室や学校、個人でやっている先生などに習って弦楽器を始めます。先生の紹介などもあって楽器店を訪れることがあります。最近ではインターネットで安価な楽器を買ったところ使い物にならないので何とかしてもらえと先生に言われてくる人もいます。
日本の場合には高校や大学の部活やサークルから始めるケースもあります。

個人のヴァイオリン職人は大きな店を構えていることもなく繁華街の一階や商業施設に店を構えておらず特に日本の都市では「マンションの一室」みたいな工房がよくあります。
本格的に音大などを目指している学生などはこのような職人のお世話になっていることは珍しくありません。

全くの初心者がいきなり職人の工房を訪ねるのは敷居が高く感じるかもしれませんが、大きなお店などに行く前に「これからヴァイオリンを始めたいんですけど…」と相談するのがベストだと思います。

日本の場合にはピアノや管楽器に比べて弦楽器の人口は少なく大きな総合楽器店では弦楽器に精通している人がいない店が多いです。
また大きな弦楽器専門店も月の売り上げ目標を達成するため数をさばくような商売の仕方で「クレームが来たら直す」というスタンスで一つ一つの楽器を丁寧に調整してあるというものではありません。私たち職人も生活のためということがない限りあまり就職したくないところです。そのため働いている職人も人生をかけて道を究めようというような人達ではありません。相手は営業のプロですから素人が買いに行ったら足元を見られます。

上級者は使いやすい状態に調整してある楽器を使っているのに対して、初心者が使いにくい楽器から始めるというのは余計に大変です。

弦楽器がとてもデリケートなのは基本設計が500年も前のものだからです。


弁護士事務所と違ってヴァイオリン職人は相談するだけでお金を取るということは普通しないと思います。ヨーロッパならどこの街にも何件かヴァイオリン工房があって、大きな街なら何十件もあります。日本の場合演奏者人口が少なく身近に無い場合も多くあり弦楽器に対するイメージも現実離れしています。

当ブログでは現実的な話も取り上げて肩の力を抜いてもらいたいと思っています。


楽器の演奏を習う前に職人の元を訪ねるのなら演奏や知識が未熟であることを恥ずかしく思うこともありませんし、評判の良い先生も紹介してくれるかもしれません。
職人は珍しいので普段から通りすがりの人がやってきたり、新聞やテレビなどから取材を受けることがあります。未経験の人に説明するのは慣れているはずです。

お店に行くとまず「どこの国の製品か」ということを言われます。国によって品質や性能が違うのではないかと思うかもしれません。
職人は大きな楽器店で買った楽器の修理の仕事を常にしていますから品質が悪いものが分かっています。そういう意味でも先に行ってどんなものは避けた方が良いか聞けるかもしれません。

個人の職人でもメーカーや商社から楽器を仕入れて調整して販売してくれる人はいると思います。大きなお店のようにずらりと在庫は並んでいませんが職人の目で見て楽器を選んで調整してくれるものなら初心者にとっては確実なものです。

もちろん職人は癖が強くて、いろいろな人がいるので当たり外れが大きいということは言えます。
きちんと修業した人もいれば独学のように素人のまま始めている人もいます。
そこが難しいところです。


最近は機械の性能が良くなっているので、機械で作られた安価な楽器の品質は良くなっています。大きな楽器店でもそんなに悪くないものが売られていると思います。

我々もいろいろなメーカーや商社から楽器を仕入れていますが、楽器の質に全く興味のない業者もあります。

ヴァイオリン職人の仕事

弦楽器にふれたことがない人なら、ヴァイオリン職人はせっせとヴァイオリンを作っていると思っているかもしれません。

しかしヴァイオリン職人と言っても、自動車なら自動車産業全体まで仕事の範囲が及びます。
弦楽器の演奏者の人口は自動車を利用する人の人口に比べるとはるかに少ないためそれぞれの仕事を専門の人が担当したり、専門の会社が担当することができません。
多くの仕事を職人がしなくてはいけません。

病院に行ってもいきなり医者に会うのではなく、受付をしますが、ヴァイオリン工房では受付の事務員を雇うほどの余裕はないかもしれません。事務員、看護師、医者など病院でも役割分担がありますが、健康保険のように弦楽器で保険に加入している人が少なければ高額な修理代はすべて自己負担になります。高額な修理代を請求することができないのであれば補助のための人を雇うこともできません。

自動車メーカー、販売店、整備工場、中古車店、輸入業者、クラシックカー専門の店や整備工場などいろいろな業者に分かれています。販売店はメーカーごとに分かれています。自動車の部品は皆別の下請けの会社が作っていてブランド名が付いているメーカーは組み立てているだけです。

それぞれの会社の中でも役割が分かれています。自動車メーカーでも設計を担当する人と製造を担当する人、製造でも場所ごとに別の人が担当します。製造設備を担当する人もいれば、働いている人の健康管理の仕事をする人もいます。広告や営業などありとあらゆる職種があるでしょう。自動車の塗料は塗料メーカーが作っていますが、弦楽器では職人が自分で作っています。


ヴァイオリン職人はそれらをすべて一人でやらなくていけないほど小さな規模の産業なのです。

一方でメリットもあります。
大きな会社の従業員や下請け企業の従業員の生活を支えるためには「最大公約数の製品」を作る必要があります。多くの製品を作り多くの人に販売するため、一部の人だけが作っていて違いが分かるようなものは作れません。

かつてヨーロッパでも弦楽器製作は大規模に産業化されました。例えばドイツのミッテンバルトでは工場で大量に楽器が製造されましたが分業化され職人は自分の担当する工程しかやってことがなく、自分一人では楽器を作ることができなくなっていました。

弦楽器というのはそれぞれの部分が相互に作用することによって楽器特有の音を生み出します。しかし部品ごとに違う人が作っていれば意味も分からずに一ついくらと単価のために、なぜかはわからなくても怒られない程度に出来るだけすばやく仕事をして数をこなすことが目標となります。
そうやって作られたものが組み合わされて製品になるわけですが誰も音について責任を負う人がいません。
そのため大量生産の弦楽器を買う時にどの国やどのメーカーの物かを考えても意味がないのです。特定の音になるように作っていないのですから。


そのような反省からミッテンバルトにはヴァイオリン製作学校が作られ今では一人の職人が楽器を作れるように教育がされています。
それでも「マニュアル化」された楽器製作法を教える事しかできません。
現役の職人はそれぞれ自分の考えや経験がありますがマニュアル化できるのは「平均」的なものです。

楽器製作には500年の歴史があり、数えきれないほどの職人が様々な楽器を作ってきました。それらは皆微妙に違いマニュアルとして数値化、理論化できない要素が詰まっています。昔の人は自分の感覚を頼りに作っていたからです。

これら昔の楽器を調べていけば一人の人間が試行錯誤するよりはるかに多くの経験をすることができます。そのため楽器を製造するだけでなく古い楽器について調べることも重要です。修理をしているとより詳しく見ることができます。一方欠陥や傷みやすい部分も分かって自分の楽器作りに生かせます。

学校でマニュアルを学んだから自分の楽器は優れているとうぬぼれていると、演奏者から過酷な現実を突き付けられます。他の楽器と弾き比べたときにさほど大したことがないのです。
様々な他の楽器と比較されることがとても重要な経験です。新しい楽器だけではなく古い楽器も重要です。

このように一人の人が限られた領域だけの仕事をするのではなく、幅広くすることによって微妙な「感覚」のレベルで楽器を作ったり調整したりできるようになります。それは微妙すぎて他人にマニュアルで指図することができないものです。それがメリットでもあります。

一般的な産業なら

お客さんの声→販売店→メーカーの営業→商品企画→設計→製造

という風に多くの人に「言葉」で伝えていく必要があります。もちろん一人の声を聴くことなんてできませんから平均化されたものです。これだけの人数になると伝言ゲームでさえ難しそうです。

もし一人の職人なら弾いているお客さんの顔を見て表情が曇っているようなら失敗作だし、思わず笑顔になれば成功です。成功した楽器の作り方を次の楽器作りに生かせばいいのです。

このようなメリットを生かしている職人ばかりではありません。伝統的な職人の世界で生きていくのは全く違うものでした。今日では考え方を変えてユーザーにフレンドリーにならなくてはいけません。お客さんに説教する人までいるのですから困ったものです。

楽器職人の専門分野

病院なら内科や外科など専門分野ごとに分かれていますが、楽器としてみれば弦楽器の中でもさらに擦弦楽器という専門分野です。
ギターは撥弦楽器ですから他の専門分野ということになります。撥弦楽器はギターのほかリュートやテオルボ、マンドリンなども含まれます。チターと呼ばれる楽器もオーストリアや南ドイツにはあり、ヨハン・シュトラウス2世の『ウィーンの森の物語』で使われています。琴の一種ですね。これらは弦をはじいてならす楽器です。

擦弦楽器はヴァイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスがメインです。
ビオラ・ダ・ブラッチオやビオラ・ダ・ガンバ、ビオラ・ダ・モーレ、ヴィオローネなども入りますが演奏者の人数はきわめて少なく私も作ったことはありません。親方や先輩は作ったことがあります。多少のメンテナンスくらいはやっています。
このようなコントラバスを除くヴィオール族の楽器は「古楽器」という扱いでさらに専門的な分野です。

コントラバスを専門に作ったり修理しているメーカーもあります。
一般的にヴァイオリン職人でコントラバスを作っている人は少ないでしょう。大きな規模の工場で作られることが多いです。
擦弦楽器は多くの場合クラシック音楽のジャンルで使われますが、コントラバスになると吹奏楽やジャズ、ロックンロール、民族音楽など幅広く使われます。アメリカではヴァイオリンもフィドルとして民族音楽に使われます。エレクトリックヴァイオリンもあります。

ヴァイオリン族の楽器でもバロック楽器というものがあります。
これは1800年頃にモダン楽器が考案される前のスタイルのものです。私はわりと詳しい方で自分でも作ったことがあります。


弦楽器職人でもいろいろな楽器があって演奏者が少ない楽器や大きな楽器ではより専門化して詳しい職人もいます。


さらに別の職業で弓職人というのがあります。
弓の製造を専門に行う職人で修理や鑑定も重要な仕事です。材料は入手が困難なものも多くそちらのノウハウも必要です。
ヴァイオリン職人でも日常的な弓のメンテナンスや修理はやっています。弓の毛は消耗品ですので交換が必要でヴァイオリン職人の仕事の一つです。弓職人はもっと複雑な修理を担当する事になっています。


これは現在のことで昔は幅広くいろいろな楽器を作ったりしていました。ストラディバリもハープやリュート、ギターも作っていました。ドイツのオールド楽器のラベルには「リュート&ヴァイオリン職人」という職業名が書かれています。
私の勤め先でも創業者の職人はギターも作っていました。
個人のキャリアや興味関心によって兼任していることもあるでしょう。

今では高度に専門化していると考えて良いでしょう。
ギターが壊れたらギター職人、ヴァイオリンならヴァイオリン職人のところに行くべきです。大きく違うのはギターはポピュラーミージックで使われることが多く大規模なメーカーがいくつもあり産業化されているところです。そのため楽器や消耗部品などの値段がずっと安いのです。ヴァイオリン職人の手法では高くなりすぎてしまいます。
もちろんギターでも高級なハンドメイドのギターを作ったり修理する職人もいるし歴史的に価値のある古い楽器を修理する人もバロックギターや古楽器などに精通した人もいるでしょう。

どのメーカーの楽器でも販売修理

特に修理で取扱いメーカーが決まっているということはありません。交換部品などはメーカーによって用意されているわけではなくどのメーカーの楽器にも共通の荒加工されたものを楽器ごとに合わせて加工します。駒が壊れたとしてもそのメーカーに変わりの駒を注文することはできません。表板のふくらみのカーブに合うように駒を加工してピッタリに合わせ、弦の高さが指板と合うように高さも加工します。

このようなことは初心者なら知らないのも無理はないのですが、教師などでも分かっていなくて壊れた駒を送ってきて「同じものが欲しい」ということがありました。ヴァイオリン本体が無いと駒を用意することはできません。

私たち職人はあらゆるメーカーのものを修理しなくてはいけません。それが現代のものだけではなく200年も300年も前のものも修理しなくてはいけません。

自動車の修理とは違いメーカーがストックしてある部品を取り寄せて交換すれば終わりというのではなく、部品から作らなくてはいけません。しかし自分で楽器を作っている職人なら部品から作ることができます。300年前の楽器を修理するには300年前と同じ技術が必要だということです。

当然このように部品から作るような修理になるので値段は結構なことになります。しかし弦楽器の耐用年数は非常に長くそのような修理をするだけで何百年も使えるということもできます。

具体的な仕事について次回

楽器だから似たようなもんだろうとウクレレを持ってこられても私にはわかりません。木工はできますから壊れた場所は直せますがどうなっていなくてはいけないのかが分かりません。

モンゴルの馬頭琴とか中国の二胡とかアジアにも擦弦楽器があります。たまに珍しい楽器が持ち込まれることもあります。弓ではなくてハンドルを回して音を出すハーディ・ガーディという楽器もあります。アコーディオンが普及するまではヨーロッパでは広く使われていたものでたまに見ます。

あと珍しいのはノコギリを楽器にするものです。
ミュージックソーとして普通に売られているものです。

しかし一般的にはヴァイオリン職人が作るのはヴァイオリン、ビオラ、チェロまででコントラバスは専門の業者となります。
子供用の小さなサイズも技術的には作ることができますが使用期間が短いため高価なものを買う人が多くありません。そのためこれらは工場で大量に作られているものがほとんどです。修理については幅広く扱います。
ヴァイオリンなどのケースでもちょっとした修理をすることもあります。大手のメーカーなら金具やねじ、弓を固定する部品など交換部品を用意しているところもあります。

他に扱っているものは譜面台とかメトロノームなどもあります、子供用のチェロの椅子もあります。


このように職人の仕事は複雑多岐にわたります。
修業に終わりがありません。そのため人によって得意不得意というのは出てきます。丁寧にきちっと仕事する人は何をやってもそうです。熱心に楽器製造を学んだ人は修理でも熱心に取り組みます。

詳しい仕事の内容は続きます。