弦楽器のサマーチェック | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

夏になるとヨーロッパの人たちは皆バカンスに出かけますが、私たちは仕事をしています。オーケストラなどが休みで楽器を預けて旅行に行くので帰ってくるまでにメンテナンスをするのです。今日は定期的な点検整備についてお話しします。


こんにちは、ガリッポです。

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今はコントラバスの表板を新しくする修理で、新しい表板にニスを塗っているところです。過去にアンティーク塗装で作られたものなので当然アンティーク塗装にする必要があります。
コントラバスでも5弦あって特に幅が広く面積が大きなものです。見慣れると普通のコントラバスが小さく見えます。

ただ普通にニスを塗るだけでも大変なのにオリジナルと同じにするのが修理の場合です。ただ普通に塗るだけなら今ではできるようになりました。塗りやすいニスを自分で開発したからです。就職した当初では考えられないことです。

さらに難しい点はオールドのバスの表板をオリジナルに忠実にするのはやったことがありますが、それほど古くないアンティーク塗装のバスは今回が初めてです。
非常に頭を痛めるのはアンティーク塗装がわざとらしくヘタクソだという点です。オリジナルに忠実に再現するには同じようにヘタクソにやらなくてはいけません。私にとってはとてもつらいことです。

そこで考えられるのは
①オリジナルにできるだけ忠実にする
②アンティーク塗装はせずに色合いを合わせる
③私のスタイルでアンティーク塗装をする

修理のセオリーとしては①です。仕上がりが美しいのは③です。②でもバスとしては機能しステージに立っても客席からはそんなに違和感はないはずです。

師匠と相談した結果③になりました。
表板は同僚が作ったものを私がニスを塗るという共同作業です。もともとついていた表板の出来が悪くてそのまま再現しても衝撃や弦の力にに耐えられずにまた割れてしまうでしょう。そのためオリジナルに忠実に再現するのではなく耐久性を重視して構造を変えました。その結果バスのほかの部分、裏板、横板、スクロールに比べても表板のクオリティが一番高くなりました。おそらくバスで一番価値があるのは表板でしょう。特に歴史的に価値のあるバスではないのでオジリナルに忠実に再現することには意味がないのです。
せっかくヴァイオリン職人レベルの良い表板になったので塗装もきれいにしましょう。
全体の雰囲気はオリジナルに寄せていきますが、もっと美しくしてしまいます。私はヘタクソなアンティーク塗装をするのが何よりも嫌いだからです。始めのうちは私も下手でした。それが嫌だからずっと試行錯誤をしてきたのです。多くの職人は下手くそなアンティーク塗装で自画自賛しているのです。

一般の人にはアンティーク塗装の上手い下手が分からないとすれば上手すぎても怒られることは無いでしょう。

当然バスでできることはチェロでもできるはずですからそれも見越しての研究となります。

バスもニスを塗れるかと言うといろいろと問題があってバスをどうやって固定するのかわかりません。表板だけならスタンドに立てれば大丈夫なのですが360°ニスを塗るとなると難しいです。塗ってあるところを下にして置くことも持つこともできません。

チェロでも軽いアンティーク塗装の研究はしていますが、手順も手法も確立していません。やってみて「こんなはずじゃ」ということがまだまだあります。ヴァイオリンに比べると木目が荒い物を使います。それだけでも全然違うようです。
今回上手くいけばチェロにも応用できそうです。

ルジェリモデルのチェロを作ろうと思っていますが、材木を決めました。いろいろな時代のチェロを見ていると上等な木材というのはあって、近代の優れたフランスの楽器などでは均一で整った深い杢のものが使われているのに対して、量産楽器に使われるようなものも意外と使われています。アマティでもそんなに上等な木材は使っていません。
雰囲気を出すには近代的に上等な木材とは違ってイレギュラーなものを使いたいと思いました。多少アンティーク塗装があって初めて「味」として生きてくると思います。オールドのチェロは材料が希少だったのか「変な」木材を使っていることが多くそっちの方が雰囲気があります。

オイルニスでチェロのアンティーク塗装は数年前から始めたばかりですが、ちょっと見えてきたように思います。作業にかかる手間は普通にフルバーニッシュで塗ることに比べ4~5倍になるでしょう。ニスの乾燥がカギとなるので乾燥機になる作業台を作ったのです。

それにしても、バスのアンティーク塗装はとても難しいです。
世の中には自分は立派な職人だと思ってお金を稼いでいる人がたくさんいますが、「バスのアンティーク塗装ができないとヴァイオリン職人の免許を貰えないという仕組みにしたらどれだけの人がプロとして残るか?」とふと考えてしまいます。バスに限らずヴァイオリンでもある楽器を課題にしてそれとそっくりにニスを塗るという試験をパスしなければ修理の仕事はしてはならないとすればどれだけの人が合格できるか?と考えてしまいます。もしそのような試験を課す国があれば塗装技術は飛躍的に向上するでしょう。

実際修理を極めようと思うと新作より高い技術が求められます。
新作なら「これが俺の作風だ」と言い切ってしまえばどんなに稚拙でも良いです。しかし一流の腕前の楽器の欠落した部分を再現するには同じだけの腕前が必要です。
それだけでなく新しく付け足した部分を他と違和感が無いようにしなくてはいけません。価値のある楽器ならオリジナルに忠実であることが求められますし、欠落している部分では想像で再現しなくてはいけません。古い楽器では古く見えなければいけません。

実際には大きな楽器店に就職する人は、新作をやるには腕前が不十分でサラリーマンとして給料のために割り切って会社勤めをしている人が多いです。


社会的なシステムで下手な職人を排除することはできません。もし上記のような試験をしたとしたら偉い立場の人が仕事ができなくなりますから、自分を排除するような試験を課すことはありえないです。だから資格試験なんてあっても誰でも合格するものにしかならないと思います。

点検



新品の量産品で5年くらい使用したものです。人によって傷み方は大きく違いますが5年くらいならこんなものでしょう。

指板をチェックします。うちで売った製品なので新品の時には工場から出荷されたものをそのまま売るのではなく指板は削りなおしてから売っています。それでも金属巻の現代の弦は指板を摩耗させます。直線定規を当てると大きくくぼんでいることが分かります。指板も木材なので勝手に曲がってくることもあり予測は不可能です。


人工樹脂のニスが塗られていてもこのように手が当たるところのニスが剥がれています。オールド楽器などではオリジナルのニスは失われ保護のために薄い透明なニスが塗ってあることがあり擦れるところはすぐにはがれて木材がむき出しになってしまいます。むき出しになると水分が浸透しカビなどの原因になります。

コーナーも擦れてニスが剥げています。軽いアンティーク塗装になっているのでそんなにひどく見えませんが、フルバーニッシュでピシッと作られたハンドメイドの新作楽器では痛々しいダメージに見えます。最初のうちは目立つのでできるだけ新品のように直します。20年もすると直しきれなくなってきて味になってきます。


駒は弦に引っ張られて曲がってくることがあります。この場合は全く問題ありません。

弦をかける溝は深く食い込んでくることがあります。あまり深くなってくると駒を交換する必要が出てきます。木を足して埋めることもできなくはありませんが応急処置にすぎません。
溝が深くなってカーブが合わなくなると弓が他の弦まで触ってしまう原因となります。
もともときちんと調整されていない楽器でも同様です。

その前に駒の位置が正しいところにあることを確認して弦と指板の間隔を測ります。この間隔が広くなっていると指で押さえるときに力がいるようになります。
狭くなりすぎると振幅する弦が指板に触れてしまいビリついてしまいます。
ヴァイオリンではE線は3.5~4.0mm位を標準としておりユーザーのリクエストに応じます。ビリつかないためには最低3mmは必要で、5mm以上になると押さえるのはかなり厳しくなります。
G線は振幅の幅必要なので5~6㎜です。高すぎてもナイロン弦なら張りは強くないのでそんなにきつい感じはしません。
AとD線は指板のカーブと駒のカーブが一致していればE線とG線を正しくすると適切な高さになるはずです。

弦と指板の間隔(弦高)が異常に高くなっている場合「ネックが下がっている」可能性があります。
指板の延長線の駒の位置での高さを測るとこの場合は27mm程度になっているので許容範囲です。新作の場合には弦を張ってすぐに楽器が安定するまで変形が大きいので安全のために28~29mm位にします。

これが低くなっていれば大きな修理が必要になります。

以上から
①指板が摩耗している
②ニスが剥げている場所がある
③汚れが付着している

大した異常は無く問題点はこれくらいです。使っていれば自然とおきることで変わったことではありません。自動車なら2回目の車検ですからはるかに安く済みます。

修理です



カンナを使って削りなおします。

新しく削ったところは少し明るい色になっています。中央付近はカンナの刃が当たっていないので濃い色に見えます。ここは深くくぼんでいるということです。このようなくぼみがなくなるまでカンナをかけなくてはいけません。
そのためマメに指板の削りなおしても指板の寿命は変わりません。まとめてやると一度にたくさん削らなくてはいけなくなるだけです。

指板を仕上げて亜麻仁油を浸透させると濡れ色になります。目の細かい研磨剤で磨くと光沢は出ますがプラスチックのような質感になるのでマットな感じが良いでしょう。
これは安い楽器なので指板の質はあまりよくありません。さらに安いものでは白い木や茶色の木を黒く染めてあるものがあります。場合によっては着色することがあります。この時余分なステインは除去しないと演奏すると指が黒くなります。指板を上等に見せるためにどんな楽器でも指板を黒くする業者もあります。指が黒くなるとしたらそのためです。



駒の来るところはどうしてもニスが剥げたりしてしまうところです。また駒が同じところに来れば目立たないので完全に直す必要はありません。新しくニスを塗ってもまた駒にくっついてしまって取れてしまいます。
それで私はニスの成分を研究して丈夫なニスを目指して試行錯誤をしていました。このことを非常に気にされるお客さんがいて同僚が私の作ったニスを使ったところ結果は良好でした。同僚は私以上にそのニスを気に入っていて「あのニスを貸してくれ」としょっちゅう使っています。
このような丈夫なニスは手が触れる部分など剥がれやすいところに塗るのも有効なので、このようなメンテナンスでは引っ張りだことなりました。量が減ってきたのでまた作らなくてはいけません。



テールピースは松脂やほこり、皮脂が付いています。D線はねじが終わりまで行っています。弦は次第に伸びて来るのでアジャスターだけを使って調弦しているといつかねじが最後まで行ってしまいます。特にチェロ奏者に多いです。基本的にはペグを使って調弦しアジャスターは微調整というのが本来の役割です。
これはプラスチック製なのでアルコールで拭いてあげればきれいになります。木製でも同じことですが、表面が塗装されているようなものだと溶けてしまうことがあり、研磨剤で磨くのも方法です。

ねじを外すと細かいところまで掃除できます。ねじには機械油かグリースを付けると動きがスムーズになります。ただしほこりが付着するのが欠点です。

普段から掃除するのは難しいところではありますが筆のようなもので松脂やほこりを払ってあげるときれいにできます。

ニスも表面に付着した松脂やほこり、皮脂や汗などをクリーニングして磨き直します。今回は自動車の塗装を磨くためのコンパウンドを使用しました。ひどく汚れておらず人工樹脂のニスだったので相性はばっちりです。コンパウンドだけでも軽く光沢が出てきますがアルコールを布に付けて磨き上げるとピカピカになります。これは訓練が必要なので一般の人は真似をしないようにしてください。

ニスが剥げていたところは補修してピカピカに磨けば完成です。


楽器の胴体の中はほこりがたまりやすいところです。f字孔から中にお米を入れて海の波の音を効果音として作るようにザーッと左右に動かすとほこりを一緒に取り出すことができます。

ほこりが取れたら中をのぞいて魂柱がちゃんと立っているか確認します。新しい楽器の場合には楽器が変形して魂柱が合わなくなっていることが多くあります。緩くなっていると転倒する危険が生じます。音響的にも楽器本来の音が損なわれます。(結果としてそっちの方が良いこともあります)

ペグ

今回は新品で買って5年くらい使ったものでそんなに傷んではいません。簡単にすみました。このようなものはオールド楽器であったり、使用頻度の高いプロの演奏者であれば一年に一回くらいチェックした方が良いと思います。

そのほか定期的に必要なのはペグです。今回はコンポジションを付ければ十分です。コンポジションは摩擦と滑らかさを両立するように成分が調合されています。
コンポジションをユーザーは滅多に使わないうえに数年すると乾いてカチカチになってしまうので行きつけの職人にやってもらう方が効率が良いです。先生などは持っているべきだと思います。

長年使用していると具合が悪くなってきます。ペグ自体が曲がってきてしまうことがあります。これも木材でできているからです。この場合はペグを回してみるとギッコンバッタンとした動きでスムーズに回らなくなります。

それ以外にも

摩耗によっても具合が悪くなります。
このように直線定規を当ててみるとペグボックスと擦れているところがくぼんでいます。ペグは楔状になっているので押し込むとブレーキがかかります。このように摩耗してくると押しこめなくなります。そのため弦が止まりにくくなるのです。これを無理にぎゅうぎゅう押し込むとペグボックスが割れたりする原因となります。

これも普通のことで削りなおす必要がります。

こうするとペグが細くなるので少し奥に入って短くなります。それを何回か繰り返していくとペグが最後まで行ってしまうので交換が必要になります。
新しいペグを入れるときは少し太いものを入れます。これ以上太いものが無いとなると穴を埋めなおす修理が必要になります。

この写真のように始はつまみの方を長めにしておいて数年ごとに削りなおして20年くらいは十分使えるはずです。反対側にはみ出た部分は切り落とします。


日常的な点検

あとは駒を正しい位置に立て弦を張ります。弦もしばらく使っていると劣化していきます。今回はE線ははっきりと錆びているのが分かります。徐々に劣化していくと音の変化には気づきませんが、新しい弦を張ると劣化していたことに気づきます。
非常に短期間で変える人もいれば切れるまで使う人もいます。日本では数週間や1か月で劣化したという人もいますが、こっちでは弾きこまれて音が良くなったと言う人が多いです。日本人にはとても神経質な人がいます。ヴァイオリンならアマチュアでも2年もしたらかなり劣化していることでしょう。チェロは低弦は長持ちします。A線は特に劣化しやすく耳障りな音になってきます。すべて交換するのではなくA線だけ交換し、次の年はAとD線を交換するというのもあります。そうこうしているうちに弦の新製品が出てきますのですべて交換することになるでしょう。特にチェロの弦は高価なので買って試すのはお金がかかります。うちの店は店で試して気に入らなければ他のものにすることもできます。一回張っただけの弦は他の売るためのチェロに張ります。このあたりは神経質な日本人は中古の弦を張るということを許せないかもしれませんが、お互いさまで自分が弦を買う立場になれば理解できるでしょう。

弦に松脂が付着してくるのも音が変わってくる原因です。日常的に掃除すると良いです。専用のクリーナーなども売られています。私はエタノールを使って掃除しています。このような溶剤はニスを溶かす性質があるのでくれぐれも表板には触れないようにしてください。

あとは当然弓の毛も劣化してきます。音が出づらくなってきて松脂をたくさんつけるようになってきます。真っ白に汚れている楽器を見ます。そうなったら弓の毛が劣化しているのかもしれません。
プロの人なら年に数回張り替えをします。アマチュアでも音が出づらくなってきますので1年に一回くらいは交換したほうが弾きやすくなります。

松脂も数年すると乾燥して粘り気が無くなってきます。これも交換が必要です。
あれを全部使い切る人はまずいません、その前に劣化してしまいます。



サマーチェック

夏にやらなくてはいけないということはありませんが夏休みを利用して依頼してくる人が多いので大忙しになります。

日本の人なら夏休みこそ練習してと思うかもしれませんが、そのあたりはヨーロッパの人たちです。

ある人はチェロを購入されました。チェロの代金を支払うお金が無いので分割で支払うことになりました。その話がまとまると、これから旅行でアメリカに一か月くらい行くと言っていました。チェロに支払うお金は無いのにアメリカに1か月も旅行に行くお金はあるのです。
私ならアメリカ旅行を止めてもっと良いチェロを買おうと思いますが、ヨーロッパの人はそんな感じです。旅行は他のことよりもはるかに重要な事のようです。


そのほか私が10年以上前に作ったヴァイオリンも去年徹底的にメンテナンスを行ったおかげで今年は弦の交換だけでニスの剥げているところにちょっとニスを塗ったら終わりでした。今度演奏会があるということで来ていました。
新品の楽器に比べるとはるかに音が出やすくなっています。特に低い音でより顕著です。できてすぐの時は低音はもう一つでも心配はいらないと考えて良いと思います。
高いアーチの楽器で枯れた渋い音のするものです。高音も全く耳障りな音が無くきれいにのびのびとした音になっていました。当初のほうが細い鋭い神経質な音でした。
自分がやってきたことが正しかったと証明される瞬間です。