大量生産品について | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

前回はうまくいった修理の話でしたが今回はひどい目にあった修理の話をしましょう。



こんにちは、ガリッポです。
ヨーロッパであれば弦楽器の演奏に歴史があるので使われなくなった中古の楽器がそこらじゅうに眠っています。それを使えるようにしたいという依頼が多くあります。多くの場合持ってくる人は楽観的すぎるイメージを持っています。つまり思ったより手間がかかるので修理代が高いということです。

表板の駒の足元に割れがあれば大掛かりな修理が必要になります。小さすぎて割れに気付かないので何十万円も修理代がかかるとは想像もつかないでしょう。

中古品の修理

古い量産品が持ち込まれたときにまず修理代が楽器の値段を超えないか調べます。とても安価なものなら修理代が楽器の値段を超えてしまうため新しく楽器を買ったほうが安いからです。

通常交換が必要なのは前回も紹介したように駒です。多くの場合酷使された駒は弦のまたがる溝が摩耗していたり、駒自体が変形していたりします。また音のことを考えても新しいものが必要になります。魂柱も古時代の量産品ならひどい材質のものが入っていて表板や裏板との面とも合っていません。材質も劣化して張りを失ってしまいます。

それから指板の状態です。
まず間違いなく削りなおす必要があります。長年使われたものなら指板は摩耗してガタガタになっていますし、当時の新品のままでも歪みが発生しています。それ以前に新品の時に正しく加工された可能性も低いです。
厚みが十分にあれば削りなおすだけで使えますが、薄くなっていれば交換が必要になります。

それからペグです。
これも摩耗してうまく機能しなくなる部分ですが、初めからちゃんと加工されていなかったり、白い木を黒く染めたような材質の場合もあります。最悪プラスチックのものもあります。これは摩擦が大きすぎてどうにもなりません。


さらに弦やテールピースも傷んでいてアゴ当ても古い時代のものは形が現代と違って小さいものだったりします。

それらをすべて行うと5万円くらいはかかります。
でもこれらは無傷で状態の良い楽器の場合です。故障個所があればさらに修理代が上乗せになります。


次に見るのはネックの角度です。
これも古い楽器では多くの場合狂っています。この修理にはいろいろな方法があるのですが我々にとって難しいのは「いかに安上がりにするか」という点です。もしこれが何千万円もする楽器なら理想通りに修理をすればいいのです。やり方は定まっていますからその通りに作業をすればいいのです。

安価な量産品で難しいのはこれをきっちりやったら楽器の値段を超えてしまうことです。修理で難しいのは安い楽器の修理なのです。


さらに、ストップやネックの長さの間違いも多くあります。常に難しい問題です。大量生産品を作っていた会社は弦楽器のことは全く意味が分かっておらず弦の長さがメチャクチャになっているものが多くあります。ギターなどの工場がついでに作っていたのかもしれません。
チェロでは戦前のザクセンのものはほぼすべてがストップが長すぎます。当時はそれが普通だったのでしょう。


外から見て損傷が全くない楽器でもこれくらいの修理が必要になります。量産品はたくさん作られたので持ち込まれる量も多いのですが古いものはひどい状態のものが多いです。腕の良い職人によってきちんと作られたものよりもひどい状態のものが多いと思います。扱いに慣れていない初心者や子供が使っていたというだけでなく加工が不正確で無理な力がかかったり、力が上手く分散しないために割れてしまうことも多いと思います。

改造するには面白い素材?

ガラクタのような古い量産品は演奏できるようにするだけでも莫大な修理代がかかることがあります。そのため親戚から譲り受けたとしても最低限の修理しか施すことはできません。

それに対して我々がガラクタを引き取って改造すると面白いものです。

このチェロは量産品としてはよくできているもので少し古いものです。このようなものはとても人気があり100万円以上の値段が付きます。新品の量産よりも良いものが欲しいとすぐに売れてしまいます。

しかしながら先生から音量が無いので何とかしてもらえと言われて持ち込まれました。音量が無い古いチェロを買うのはメリットがありません。それなら新品で良いように思います。でもみな古いものを欲しがります。

外から見ると悪いところはありません。それで音量が無いのですから困ったものです。
バスバーの位置を調べてみると楽器の中心に近い位置についていました。駒の足の位置につけるのが現在では主流になっています。そのためバスバーの交換をする修理をすることになりました。

表板を開けてみると加工自体はひどく荒いものではなく一見してきれいに見えます。しかしよく見ると画像のようになっています。何がおかしいか分かるでしょうか?

周辺に削り残しが多いのです。

横板と接着されていた部分は密封されていたので白く見えます。その内側に灰色っぽくなっている平らなところがあります。横板と接着するために周辺を平らに残してありますが余裕がありすぎます。もう少し際まで削るべきです。これでは実質的に一回り小さな表板と同じことになってしまいます。周辺部分は強度に大きな影響があり音にも影響があります。量産品では削り残しが多くあり、これらを改造することによって改善することがよくあります。故障や消耗の修理ではなく改造です。
板の厚さも調べてみると厚すぎる部分があります。

このような削り残しを仕上げ直してバスバーを交換すればより効果的な対策になるでしょう。表板がこうだということは裏板も怪しくなります。裏板まで直すとなると修理代が高くなりすぎ、「ついでに」というレベルでは無いので今回は手は付けません。

上等な量産品でもこのようなものです。

にかわしろとして平らにしてある部分も木工やすりでひっかいた跡が残っています。我々はカンナを使いますから面はきれいに仕上がっています。このように大量生産では使う道具が我々とは違います。横板もブロックのところが他より高くなっています。カンナを使っていないからです。

大量生産の流派

大量生産の流派では使う道具が我々とは違います。道具というよりも機械です。勤め先で大量生産の工場で働く職人の娘が研修に来て指導したことがあります。

現地のヴァイオリン製作学校で習っている途中でした。
カンナを持っていないので貸していましたが、私たちがいちばん基本として使う道具を持っていないのに驚きです。お父さんの持っているカンナを送ってもらうと壁にかけるためにカンナに穴をあけてあったことにも驚きましたが、ひどい状態でちゃんと仕立てられてはいませんでした。重要な道具とは考えていないのでしょう。

逆に言うとカンナを使わずにヴァイオリンを作る方法を私は全く知りません。私は大量生産の現場で必要な知識を何も持っていません。偉そうに量産品を語ることもできません。完全な無知です。

つまり大量生産の流派は現代では機械化が進んでいて機械に材料をセットすればいいということです。


これはビジネスモデルが全く違うことに起因します。
大量生産品は値段が安いことによって多くの人が買えるのがメリットです。しかし高度な機械を導入するには多額な資金が必要です。楽器を大量に販売することで元を取ります。自分だけでは売りさばけない量なので業者に卸します。業者に卸すと取り分はさらに少なくなりますから安いものをたくさん作る必要があります。

当然右から左へと次々と楽器が流れていきます、いちいち仕上がりを見返したりしません。先ほどのように削り残しがあってもお構いなしです。

教育でも完璧になるまで何度でももやり直して仕事を覚えるのではなくて時間内に作業が終わるように訓練されます。


我々が筆を使って書道をやっているのなら彼らは筆を持ったことがなく画像データを印刷するように全く使っている道具が違うのです。でも出来上がるものはそれほど変わらないように見えます。これが量産品と手工品の違いです。

それほど変わらないように見えて値段がずっと安いのでたくさん売れるのです。現代の量産品仕入れ価格は材料を我々が買うより安いのですから驚きです。

ところが手作りならものが絶対に良いのかと言われればそんなことは無くて、大量生産品と変わらないかそれ以下のものもあります。しかしながら多くの大量生産品を見てきた私でも手工品の中でもまじめに作られたものに匹敵する量産品は見たことがないです。

量産品のすべてがきちんとは作られておらず手工品の多くもきちんと作られていないのです。本当にきちんと作られたものは間違いなく手工品なのです。機械よりも素朴なものも手工品に見えますが私は価値があるとは思いません。

ヴァイオリンの修理

ヴァイオリンが持ち込まれましたが見てみるとネックが長すぎるのです。これでは弾きにくいヴァイオリンになってしまいます。少なくとも他のヴァイオリンと持ち替えると弾けません。

それで何とかしてほしいということでしたが、正式な修理は継ぎネックと言ってネックを取り外してペグボックスの根元から新しい木材を継ぎ足して作り直すのです。こんなことをしたら楽器の値段を超えてしまいます。

そこで一番手っ取り早い方法として指板を外して位置をずらして付け直すのです。そうするとネックは長いままですが弦の長さが正しくなるので何とかなります。

私の師匠がその作業をやっていました。
指板を外してみるとネックの方がひどく曲がっていて厚みも薄いものでした。ここにもう一度指板を付けるのは難しいです。曲面に指板を張り付けなくてはいけないからです。平面と平面なら確実に接着できます。しかし薄くなっているので削りなおしてしまうと厚みが無くなってしまいます。

そこで師匠はネックにカエデの板を張り付けました。これでも修理代は予想をはるかに超えるものになってしまいました。指板も曲がっていましたから他の楽器から外した要らない指板をリサイクル部品として取り付けました。これによってネックの角度も正しくなります。簡単な修理なはずが本格的な修理になってしまいました。

これでできたと思っていたところで、ネックと胴体の接着部分にグラつきがあることが見つかりました。過去の修理がいい加減で接着が不完全だったのです。そこで隙間ににかわを流し込んでつけ直すとせっかく合わせたネックの角度が変わってしまいました。

ダメだこりゃということになって「何とかしてくれと」私に丸投げです。

もう一度ネックを外して隙間を埋めていた過去のにかわを取り除くと意外にもまた角度は正しくなりました。それでもネックは楽器のセンターを大きくそれて斜めになっていました。指板をネクタイに例えれば真ん中に来ていないようなものです。

接着面を削りなおして正しい角度と位置につけることができました。ネックを外して入れ直せるのなら初めからそうすればネックの長さを正しくできたのでした。とんでもない無駄な仕事が多くなりました。

職人の方にだけ言いますが、細かいことを言うと裏板のボタンが縦に長すぎたのでネックを短くしてもボタンごと短くすることが可能でした。ボタンは作者の特徴を残すところですから普通は手を付けるべきではありませんが、量産品の中でも安いものですからむしろ正しいボタンになるだけです。

その後ネックの厚みを増したので削りなおしてネックも仕上げ直します。ネックの角度が変わったので駒も新しくする必要があります。

こんな大掛かりな修理を施した楽器はどんなものかというと…

ザクセンの量産品です。
アンティーク塗装が施された安価なものです。

ひび割れがありますがこれはダミーでひっかき傷をつけたものです。板は割れていません。傷も人為的につけられたものです。

いずれも同じような傷の「書き方」になっています。

もう一度全体像を見ると右左上下と同じところに同じような傷があります。

裏板にも割れ傷のダミーがあります。傷は割れているように見せかけているだけで実際は割れていはいません。

裏板の傷も人為的につけられたことがわざとらしいのでわかります。丁寧に魂柱のところに割れ傷を書いています。
これがおかしいのは、古い楽器でも割れ傷があると楽器の値打ちは下がります。特に裏板は修理も難しく価値が下がってしまいます。特に良くないのは魂柱の傷です。わざわざ価値が下がるような傷をダミーで付けているのです。価値の低い楽器に見せかけているというのがトンチンカンです。

古い楽器に見せかける事ばかり意識して古い楽器でも状態の悪いものは避けられるということを知らないのです。

横板の割れも修理が厄介なところですがこれもダミーです。傷のわざとらしさもすごいです。

継ぎネックをしてあるように見せかけるためにラインを入れてあります。
木材に切れ目は無くダミーです。
上手い継ぎネックならこんなにはっきり継ぎ目は見えません。下手な修理に見せかけるというおかしなものです。我々が騙されることはありません。

私は木を着色する研究をしているので指板の下に一枚板が入っているのがほとんど見えないでしょう。新しい木は色が違うので着色して色を近づけます。よく見ると数ミリの板が貼ってあります。

f字孔もひどいものです。

エッジはザクセンの特徴がよく出ています。

パフリングの輪郭線からの距離が近いのです。2.6mmか2.7mm位です。普通は4mm程度です。4mm以上あるとエッジはぶっとく見えます。3.8mmでも繊細に見えますがこれまでエッジに近いとザクセンという感じがします。ザクセンのものにもいろいろありますが、このようなものはザクセンのものにしかありません。パフリングも真ん中の白いラインが極端に細いのもザクセンで使われたパフリングの一つです。これがついていたらイタリアの作者のラベルが貼ってあってもザクセンの量産品だと思った方が良いです。

ザクセンのもっと上等な楽器でもこのようなものはあります。木目の上等な木材を使っていてもこうなっていればザクセンの楽器です。

量産品

量産品の修理が難しいのはいかに安上がりにするかという点です。今回は完全に失敗してきちんと直してしまいました。見積もりを出していたのならそれを大きく超えてしまいます。見積もりのミスですから初めに約束した代金しか頂きません。

せっかく直しても過去の修理がいい加減でさらに直すことになってしまいました。過去にも安上がりな修理がされていたのです。

だからこのような楽器を修理するのは高くつくのです。
師匠のしりぬぐいをするのも私の仕事です。

ともかく量産品と手工品の優れたものというのは素人目には同じように見えるかもしれませんが我々が見ると全く違うものです。

こんな無様な仕事をしても真っ当な人生だと思っているのでしょう。同じ職人でも他人の考えることはわかりません。