弦楽器というもの、ドイツのオールドヴァイオリンなど | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

弦楽器にはひどく粗悪なものと真面目に作ってあるものがあるということでした。
真面目に作ってあったとしても音は様々で何が原因かわかりませんし、作り方の特徴から音を系統だてて分類することも難しいです。

したがってどこの誰が作ったものであったとしても弾いてみないと音はわかりません。
有名な師匠とその弟子たちの楽器を比べても必ずしも師匠の楽器の音が良いということはありませんし、弟子の中でも腕の良い人の音が良いということもありません。


未熟な職人のものと何十年も研究を続けた人のものでも「好みの問題」という範囲を出ません。
経験の浅い職人の楽器を気に入る人もいるし、逆の場合もあります。
楽器製作を続けていくほど徐々に音が良くなっていくわけではありません。教えられたように作れば初めからちゃんとした音がするのです。意図的に変な音の楽器を作る方法も分かりません。
ちゃんと作ってあるようなのになぜか変な音の楽器もあります。原因はわかりません。


唯一言えることは板が厚い楽器は明るい音がして、板が薄い楽器は暗い音がするということです。
ただそれも好みの問題であり、明るいのが良いのか暗いのが良いのかはその人の好みにすぎません。


現代では厚い板の楽器を作る人が多いので明るい音の楽器はありふれています。


それに対して古い事も音には影響があります。
変化の出方は様々ではありますが一般的に有利になると考えて良いでしょう。
とはいえもともと持っている音が変わるわけではないので新しい楽器も比較する必要があると思います。特にチェロやビオラでは古くて良い楽器は少ないので新しい楽器も重要な選択肢になるはずです。




私の住んでいる地域の新聞でもトンチンカンな記事が出ていました。
とんでもない高い値段でヴァイオリンが売れて成功した職人と紹介されていたのです。
ストラディバリと比べた名演奏家がその職人の楽器のほうが気に入ったといったとかそういうことを「世界一の職人」と勘違いした人たちが高い値段で買っているのです。

ストラディバリが世界一高価なヴァイオリンであることは間違いなくそれよりも音が良いというわけですから理屈の上では人類の歴史上最高のヴァイオリンということになります。

お金はいくらでもあるスター演奏家でも必ずしもストラディバリを愛用しているわけではありません。別に世界一音が良いというわけでもありません。もう一つは音の好みは人それぞれで全く違います。ある人が言ったからとそれが客観的な事実とはなりません。その人の主観でしかありません。

ストラディバリと比較するだけでなく、ザクセンの上等な楽器とも比較するべきでしょう。何十本ものドイツやフランス、その他の国の名もなきモダン楽器や新作楽器のなかにそのヴァイオリンを混ぜてしまえば特に抜きんでた存在とはならないでしょう。



弦楽器とはそういうものであり「世界一」というような概念は現実からはかけ離れています。
もしその楽器を中古楽器としてうちで売るとしたら一般的な楽器と変わらない値段を付けます。
我々が楽器を見て他の楽器と違いが見当たらず特に高い値段にする理由が無いからです。



新聞を見た印象ではヨーロッパ特有の上流階級の人たちの輪に入っていると思われます。

今ヨーロッパで画家として成功するにはパーティーを開く才能が必要だと以前も話しました。
お金持ちたちが集まるパーティーを主催して人気者になれば絵も売れていくというわけです。
値段も庶民の感覚とは違います。
これが創作に没頭するようなタイプでは個展を開いても誰も来ません。

メディアもこういう人たちを話題の芸術家として取り上げます。同じことが弦楽器の世界でも起きたのです。

前回もカサゴの話をしていたら、新聞にまさにそのことが出ていました。
パーティーの参加者に自分があたかも優れた職人であるかのように振る舞うことで法外の値段の楽器が売れていくのです。
それ以前に新聞記者がカサゴなんでしょう。

新聞記者などに弦楽器のことが理解できるはずもなく読んだ人もわからないでしょうね。
弦楽器に限らずニュースなどを見ていろいろなことを言う人がいますけども私はそれを聞く気はしません。


なぜ理解できないかと言えば弦楽器の基本的なことが分かっていないからです。
客観的に誰にとっても共通する音の優劣が存在し、厳正に審査する方法があると思っているのでしょう。



ガット弦の話

相当な上級者でも人によって弦楽器や音に対する考え方は大きく違います。気にするポイントなども違います。非常に神経質な人もいればあっけらかんな人もいます。

コンサートマスターの常連の方は、自分のヴァイオリンにはガット弦があっていると言っていました。メーカーはハイテクナイロン弦の開発にしのぎを削っているのに何十年も前の製品を良いと言うのです。

それでも調弦が狂いすぎるので実用上問題が大きいと言っていました。
そこでピラストロでは一番最近に作られたガット弦のパッシオーネを紹介しました。これは調弦の狂いを減らすために人工繊維を混ぜてあるのです。


パッシオーネが出てからずいぶんなりますが、当初ガット弦の愛好家には不評でした。「こんなのはガット弦じゃない」というわけです。弦マニアのガット信奉者からは嫌われてしまいました。

ところがそのコンサートマスターの人は張ってすぐに弾いてみて「これいいね」と即座に気に入っていました。あまり細かいことを気にしないのですね。そうかと思うと微妙な調整を何度も繰り返す人もいます。


その人のパッシオーネの使いこなしで独特なのはE線に裸のガット弦を張っていることです。ふつうはE線にはスチール弦を使います。ナイロン弦が主流になる前からE線にはスチールが使われていたのです。そこを疑ったことはありませんでした。

E線に裸のガット弦を張ったことによってそのADGにパッシオーネを張ったヴァイオリンの音はバロックヴァイオリンの雰囲気になりました。彼の率いる楽団のレパートリーは広いのですが一番得意なのは古典派なのです。現代という現実の中で古典派を演奏するために絶妙な音になっていました。


この弦のコンビネーションの音は最新のナイロン弦のセットとはずいぶん違います。
でもどちらが優れているかなんて言いようがないです。弾く人がどっちが好きかというだけです。ガット弦の方はいろいろな音が含まれているように思います。必ずしも耳あたりの良い音だけではなく荒っぽい音も含まれています。それに比べるとナイロン弦は透明感のある音です。ガット弦の音を「柔らかい」というのは間違っていると思います。



弦楽器同士の音の違いもそうです。二つのヴァイオリンの音が違ってもどちらが客観的に優れているかなんて言えないです。私が言ったとしても私の好みにしかなりません。


気軽にバロックヴァイオリンのような音を楽しみたいなら面白いアイデアです。
ちなみにE線のアジャスターは使えませんのでペグで調弦が必要です。


楽器製作の教育

ヴァイオリン製作を習う時には、先生や師匠から「こうすると音が良い」とか「これはダメだ」と各作業で教わります。しかし実際には先生は何もわかっていません。先生の先生からそう教わっただけです。

教え子が初めて作るヴァイオリンなんてのは出来上がってみないとどんな音がするか教えている方には全くわかりません。教えの通りにやっているはずでもなぜかその人の癖が音に出るのです。
たまたま良かった場合その音を生涯超えることができないかもしれません。
弦楽器製作とはそんなものです。

ヴァイオリン製作学校で優秀な成績の生徒にみっちり教えれば割と同じような音なります。それに対して仕事が雑な人はどうなるかわからないです。とんでもない音になることがあります。
良いところと悪いところはコインの裏と表です。音の強さは別の見方をすれば荒々しい音と捉える人もいます。なぜそれが生じるかはわかりません。同じように教えているのにです。
同じニスを使っても全然違う音になることもあります。


始めのうちに学ぶことはセオリー通りに正確に加工することです。
一つ一つの作業を合格レベルまで持って行けなければ完成することがないからです。
完成しなければ音がどうとか言うことはできません。
したがって学校で教えることはどうしても決められた寸法に正確に加工するということになります。

修業を続けていくと正確に加工することができるようになります、でもそれが音が最良になる方というわけではありません。
教科書通り作ってありますから「これはよくできている」と多くの職人は思うでしょう。イタリア人の名前や有名な作者の名前がついていれば「見事な作品」と扱われます。同じようなものが無名な作者のものならただの真面目な職人の楽器だと印象を受けます。真面目な職人の楽器というだけではそう売れないため世の中は粗悪品ばかりになるのです。だからと言って「俺は正しい、世の中が間違っている」と言い続けても何も変わらないでしょう。

過小評価されているヴァイオリン

以前もガブリエル・ダビット・ブッフシュテッターというドイツのオールドヴァイオリンを紹介しました。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12030543710.html

あれは他の店のものを売ってくれと頼まれたものですぐに売れてしまいました。
うちの社長である師匠が個人的にブッフシュテッターのファンなので売りに出されていたものを購入し修理することになりました。社長の趣味でもありますから修理は万全にすれば喜ぶはずです。内部の構造まで見れるのは面白いです。

オールドのドイツの楽器は比較的安く売りに出されていることがありますが、修理は大変でこれがイタリアの楽器ならそんな修理代などは問題にならないくらい高く売れます。ドイツの楽器では万全なものは少ないです。

今回のものは外から見るとても状態は良いように見えます。それでも・・・というのがオールド楽器です。



表板もきれいなものでバスバーや魂柱のところなど構造上重要な部分に損傷を受けていません。修理すれば問題はありませんが、その必要が無いのは楽です。それでも真っ二つに割れて修理された跡があります。それくらいは普通です。

裏板は見事にニスが剥げています。こちらは全く損傷がありません。中央も4mm以上厚みがあり魂柱付近にも変形もありません。以前ヴィドハルムを直したときは表にも裏にも魂柱のところに割れがあり大変でした。

真贋に関してはかつて存在した有名なドイツの楽器商ハンマのドイツ楽器の図鑑に出ているものです。ハンマの鑑定も今になっては通用しないものも出てきていますがこの楽器は典型的なブッフシュテッターの特徴が強く出ているものだと思います。

ブッフシュテッターはストラディバリのロングパターンと呼ばれる1690年代の細長いモデルを元にヴァイオリンを作りました。この楽器にはストラディバリのコピーから独自のキャラクターが強くなってきています。より典型的なブッフシュテッターと言えるでしょう。

f字孔も癖が強くなっています。それでも同じ時代のドイツの楽器はふつうシュタイナー型のf字孔ですからそれらとは全く違います。

アーチが高くないのも特徴です。モダンヴァイオリンの起源の一つと言えるでしょう。

スクロールはいかにもです。それでもカーブには繊細さがあります。
リンクの記事を見てください。カメラが違うので写りは悪いですが形は似ています。作者の特徴というのはこれくらい出るものです。

ペグボックスに損傷が無いのは素晴らしいです。これくらい古いと粉々になっている場合もあります。他のネックに付け替えらえれていることも少なくありません。

そしてお馴染み?の穴です。

横板も無傷なのは奇跡的です。これも修理は厄介なところです。
あと厄介なのは過去にひどい修理がされているものです。損傷が大きい楽器はそれだけ過去にも修理を繰り返されています。


ネックはオリジナルのものに継ぎ足して使っていますが細すぎて現代的なスタンダードには程遠いです。演奏するために使うのなら継ぎネックが必要です。バスバーも過去にモダン化の修理で交換されたものですがポジションも強さも現代のものではありませんので交換が必要です。


個性的でありながらもひどくおかしいところもない250年ほど前のオールド楽器です。
250年前にしては状態は良いです。
値段は相場が3万5000ユーロということですから450万円くらいの感じです。以前の記事では400万円くらいと書いていましたから値上がりしています。値上がり率はイタリアの楽器とはぜんぜん違います。わずかなものです。

安くは無いですがイタリアの楽器なら20世紀のものでももっとします。

この前に紹介したブッフシュテッターも近代の楽器とは違って太く豊かな音が出ていました。比べるとモダンヴァイオリンは強い音ではありますがキーンと細く鋭い音でした。うちで修理したものではありませんでしたから今回はさらに楽しみです。