ビオラ製作で見るクオリティと木工技能【第11回】指板について | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

今回は指板の話です。
指板を見れば技術を持った職人かわかります。
古い楽器では交換されていて修理人の腕前が分かります。



こんにちは、ガリッポです。

クリスマスでも私はビオラ製作の作業をします。
せっかく休みなので一番好きなことをしましょう。



前回は楽器の値段の話をしましたが、品質がひどいものは買ってしまうと後で苦労します。古い楽器の場合には状態の悪いものもあります。精巧に作ってあるからと言って音が良いとは限りません。音は試してみるしかないのです。

バロックチェロも指板やペグもついて駒と魂柱を加工して弦を張るだけとなりました。しかしながらニスは指紋が付くほどではありませんがまだ柔らかいのでしばらく乾かすことにします。ケースなどの跡が付くと面倒だからです。

特にチェロの場合は上級者が数年弾くだけで見違えるほと音が出やすくなります。20年も使っていれば古いチェロでなくてはいけないということは無いように思います。しかし、音は出やすくなっても性格は変わらないので元々持っている音が重要となります。

古いチェロで理想的なものを探すのはとても困難です。
私ができることは新しいチェロであってもニスの色を古びたような落ち着いた色にすることです。
完成が待ち遠しいのか依頼主の方も度々見に来てニスの感じには満足してもらいました。

板の厚みも経験に基づいて仕上げることで落ち着いた音色にすることもできます。
あとはしっかり弾きこんで音を出すだけです。



不思議とひどい楽器ばかり買う人がいてこの前も娘さんが使用するビオラの指板が外れたと持ってきました。指板には特殊な加工がされていてネックとの接着面積がとても少なくなっていました。外れるのも当然です。そのビオラにはいくつのも焼印が押されていて作者は「画期的なビオラ」を誇りに思っているようです。私が見ると弦楽器職人の教育を受けていない人が作ったものだとすぐにわかります。

こういう楽器を買う人に限ってビオラを持ってきてすぐに直して持って帰れると思っています。
問題点がたくさんありますからちゃんと直そうと思ったら指板を新しくしなくてはいけません、ネックの角度も正しくありません・・・・。こうなると外れたものをただもう一度接着するしかありません。正しくできる範囲のものではないからです。いずれまた外れるでしょう。

どうして欠陥だらけのものを私が直さなければいけないのでしょうか?作った人に言ってほしいものです。


このような楽器を作る人はよくいます。
一度も作ったことがないのに自分はこれまでのどのヴァイオリン職人より優れたものが作れると考える人です。このような根拠のない自信は世間話のレベルなら普通のことです。政治のニュースやスポーツを見ていると「もっとああしろ、こうしろ、あれがいけない、これがいけない」と言います。言っている方も聞いている方も部外者なら評論家気取りの意見には説得力を感じます。難しい課題に対しては触れることもなく黙っていればいいのです。


独学の楽器職人にはこういうタイプが多いです。
根拠は何もないのに既存のプロの職人よりも良い楽器が作れると思い込んでいます。
エンジニアのような経験があれば、自分は頭がよく最新の技術を理解しているのでヴァイオリン職人のような古い人達より自動的に良いものが作れると信じているのです。

「職人の世界には古臭い悪しき慣習ができあがっていてこれを打ち破らない限り良いものはできない」と言えばいいのです。これを聞けば多くの人は「なるほどその通りだ」と思うでしょう。
独学で楽器製作を身に付けたことも「天才だ」「努力の人」と称賛されるのです。


私は古い楽器を見ることによってこのような思い込みが思い上がりであることを知ります。
現代の優秀な弦楽器職人が知っていることは100年前の職人もすべて知っているのです。
現代の職人が音をよくするために工夫することはすでにすべて試されています。
今の人が思いつくことは過去の人も思いついているのです。

彼は楽器製作に生涯をかけて渾身の力で楽器を作り現代の優秀な職人より劣ることなど何もないのです。音は新しい楽器よりもはるかに出やすくなっていますからバカにできる要素などありません。そのような最高レベルの職人の作った楽器でも知名度が無ければさほど値段は高くありません。現代の生活レベルではそれよりも高くなってしまうのです。現代の職人はこのような無名な楽器にかないません。


自己流の職人はごく基本的なことができていません。
楽器の演奏で言えば、楽器の構え方や弓の持ち方ができていないようなものです。

そのようなお客さんもいます。
ある人はチェロを弾くと弓を持つ手がチェロの胴体に当たってしまって弓を最後まで使えないと言うのです。その人はチェロの設計に問題があるのではないかということでチェロの買い替えを考えていました。幅が広すぎるモデルだということです。

そのチェロはストラディバリモデルで幅が狭い方のモデルです。ストラディバリモデルのチェロが弾けないとなると弾けるチェロはありません。

彼はチェロを買い替えなくても、レッスンを受けて構え方を教われば問題は解決します。



このように一番最初に学ぶことも分かっていないのが素人です。
独学の問題点は自分の興味のあることしか見ようとしないことです。
自分が意識していないところがあることを知ることができないのです。

もちろんこれまでにない価値を生み出す人は素人から出て来ることもあるでしょう。
しかし圧倒的多数はただの自分を過大評価する人です。

師匠や先輩に指摘されることによって初めて気を付けるべきところがあることを知るのです。
フグの調理法と似ています。何の経験もない人が「フグなんてさばけるだろう」と考えるようなものです。フグをさばくことももちろん、他にも気を付けることがたくさんあるでしょう。


もし個性的な楽器を作りたいなら最低限守るべきものを知らなくてはいけません。
私は師匠や先輩に教わっただけでは十分だとは思っていません。過去には数えきれないほど多くの職人が創意工夫をしてきたのです。後の世代になると自動的に優れたものができるとは考えていません。


現代の生活では画期的な技術の登場で生活が次々と変わってきました。そのため新しい技術は何でも優れていると考える人がいます。
食品会社でも新製品を毎年たくさん開発しますが、ほとんどは売れずに消えていきます。新しい技術もその多くは使い物にならずに消えて行っているのです。たくさんの失敗を重ねて一つの技術が売り物になるのです。技術を分かっている人ほど新しい技術のほとんどが欠点を抱えていることを体験しています。新しいというだけで絶賛するのではなく、重大な事故を起こす可能性が無いか欠点を探さなくてはいけません。

職人の仕事はやってみるとなかなかうまくいきません。
師匠や先輩の言いつけを守っていれば失敗はしないでしょう。
しかしより魅力的な音や外観にするには新たな試みも必要です。

実際に完成して不具合が出たり、思ったような音にならなかったりすることで「あれはまずかった」と学びます。

師匠に学ぶことがいけないのではなくて自分はプロだと謙虚さを忘れ慢心することがいけないのだと思います。


謙虚さを持っている人の話は聞いていると楽しくなります。
声の調子が違うのです。

人は自信が無い時は子犬のように情けない声を出します。
それに対して自信があるときは声にも強さが現れます。
一般的には自信のある声で話す人が専門家として尊敬され成功するでしょうが、私は胡散臭いなと不愉快に思います。どこまで行っても上には上がいると思うのです。そうなると偉そうにできる日は来ないと思います。

指板の加工

その職人が十分な腕前か知るためには指板を見るのが分かりやすいです。指板がちゃんとしていればちゃんと教育を受けた職人だとわかります。量産品を工場から買ったときに指板がちゃんとしていることはありません。必ず仕上げ直す必要があります。それでも満足いくまで削ってしまうと薄くなりすぎてしまうのでごまかすことしかできません。

胴体やスクロールは個性としてどのように作っても良いと言えますが指板はそうではありません。おかしな指板がついていれば指板を交換するだけでなくそれに合わせて加工されたネックにも問題が出ます。そうなると継ぎネックという大掛かりな修理が必要になります。

指板は黒檀という材料でできていて加工が難しい木材なのです。
カンナの使い方がうまくないと加工できません。私は今でも神経を使います。

まず初めにすることはネックとの接着面になる裏側を平らにすることです。
これは特に難しい作業です。指板の外側の面はラウンドしているためにカンナで削ってもほんの数ミリの幅でしか削れないのに対して裏側は平面なので何センチも幅があります。黒檀の数センチの幅をカンナで削ることはとても難しいことです。

黒檀は木材の中でも密度が高く硬い材質で一般的な木工工具はこれに適していません。ところが硬度の高いカンナの刃では切れ味が甘くて切れないのです。鋭い刃でなくてはいけませんすぐに切れなくなってしまいます。カンナもしっかり持てていないといけません。初めて楽器を作る人は時間がいくらあってもカンナを端から端まで一続きで削ることができません。出来るだけ少ない手数で仕上げるのが重要です。刃がすぐに切れなくなるからです。上級者はササッと終る作業でも初心者は何時間あっても終わらせることができない仕事です。

ネック側の方もカエデではありますが木目の向きの影響で削るのはとても難しいです。そのためネックと指板の接着面を正しく加工するのは難しいのです。

修理で指板が外れたと持ってきてもすぐに直せるかわからないのです。指板が外れる原因が指板とネックの接着面がうまく加工できていないからならば両面を削りなおさなくてはいけません。


ビオラの場合には大きさがいくつもあります。ビオラ用の指板の材料は買った状態は右です。
左もののはネックとの接着面を加工し、長さも切ってあります。

裏面ができると幅を出します。

直線ではなく中央をわずかにくぼませます。端から端まできれいな弧を描いていればうまく加工できています。量産品でこのように加工されていることはありません。機械で加工しているからです。


真ん中が少し空いています。

指板の幅は太すぎれば握りにくく感じるでしょう。狭すぎれば弦の間隔が近くなったり指を置くスペースが狭くなります。幅が太すぎる指板は特に日本の女性にはネックが太く感じられるでしょう。ビオラの場合は特に重要で楽器がヴァイオリンより大きいからと言って指板も太くしてしまうことがよくあります。このことは度々言って来ていますがビオラの指板はヴァイオリンとほぼ同じにするべきです。長さだけを長くするのです。延長線上になりますから下端の幅は広くなります。正しく作られたビオラを見ると表板の割に指板が細く見えます。チェロならもっと細く見えます。チェロは持ち方が違うので太さの感じ方は違いますが、表板の大きさの割に指板は細く見えます。


単にカンナを通すだけでも難しいですが底面に対しての角度も一定である必要があります。

指板とネックの断面図です。図のようにハの字に指板を加工する方法とその逆があります。演奏するとき特に左手の親指が触れるところです。Aの方法だと高い弦の時に丸いところに親指が来ます。ネック全体が太く感じます。Bのほうが安定すると思います。Bだと低い弦に来たときは下の方に来るのでとがっているように感じます。私はCのように初めは垂直に近い角度にしておいてネックと一緒に加工します。このような角度も重要なので意識する必要があります。

このようなものは最終的には演奏家の好みによります。職人はリクエストに答えます。
職人がこれが正しいと言って押し付けてはいけません。
作者のオリジナリティを損なうという理由で使いにくいネックを使い続ける必要はありません。どんな有名な作者のものでも改造しても構いません。現にストラディバリでオリジナルのネックが付いているものはほとんどありません。

ただしあまり変わったものにしてしまうと次に売るときにはネックを新しくする修理が必要になります。


裏側はくりぬきます。量産品では深くくりぬいていないので触ってみるとすぐにわかります。
重量を軽くするためなどと言われますが実際には音響面での効果はよくわかりません。
重さが軽いことはビオラの演奏では体への負担が軽くなるでしょう。

おもしろいのはチェロで音響工学の手法で測定すると指板も大きく振動していることが分かります。チェロにはウルフトーンという共振現象が出ることがほとんどです。指板の裏側に重りをつけるとこれが変化することが最近分かりました。したがって指板の裏側も音響的に影響があるということです。どう加工したらどうなるかは分かりませんが今後の課題です。

指板の下端はビオラのサイズに合わせて長さを整えます。その時下端の面も左右同じ角度になるようにするときれいに見えます。
指板の上端にはナットが接着されます。傾いていると低音と高音の弦の長さが変わってしまいます。わずかな差ですからそれよりも見た目のいびつさにつながることでしょう。



指板のラウンドは駒と同じカーブにします。弦と指板との距離が正しくなるからです。弦は高弦のほうが張りが強く振幅の幅が狭いので指板との距離を近くします。低弦は駒を高くすることで指板と弦との距離を遠めにします。そのため駒を見ると普通は低音側のほうが高くなるはずです。低音側が低くなる時はネックが正しく入っていません。指板がねじれていることもあります。

駒や指板のカーブは左のように楽器のサイズによって正しい半径が決まっています。弦より外側は赤線で示したように真っ直ぐにします。駒ではこのようにしないと弦はズルッと落ちてしまいます。なで肩では肩にひもをかけるとつるっと落ちてしまうのと同じです。指板の場合には指が平らに近い方が安定するでしょう。よくあるのは右のようなカーブです。ちょっと大げさに示しましたが量産品の指板ではほぼこのようになっています。中央が平らで両端が丸くなっています。中央の弦は指板との距離が離れて指板の両端は丸みがあるので抑えるのが安定しません。これを完全に削りなおそうとすると指板が無くなってしまいます。

この「半径」が大きいと駒と指板のカーブが緩やかになります。この場合は弓がほかの弦を触ってしまうことが起きやすくなります。弓を正確にコントロールすることは重要ですが、駒のカーブも適切である必要があります。半径が小さすぎると弓が表板にぶつかりやすくなります。5弦のコントラバスではこれが非常に難しい問題です。5弦もあると弓がほかの弦を触らないためには相当なカーブが必要になるのに対して弓のクリアランスがなくなってしまうのです。


指板の周囲の厚みもすべてが均一になっているときれいです。薄くなったら交換です。新品でもまずい指板を削りなおせば指板の寿命が短くなってしまいます。量産品はたいてい初めから薄くなりすぎています。


指板の表面は演奏上とても重要な部分で頻繁にチェックが必要です。量産品であれば仕入れた段階で削りなおします。そのため作者自身というよりは販売店の仕事となります。作者から直接買う場合はもちろん作者の仕事です。
指板は安い材質ほど加工が難しく表面が割れたりします。安価な製品ほど加工が難しいので、工場で完成した楽器でまともに指板が加工されてあることはありません。割れてしまうような指板の場合サンディングマシーンなどで割れを削り取ってありますが加工がグズグズですからダメです。悪い指板ほど工場でサンディングマシーンを多くかけているのでそれをやり直すと厚みが無くなってしまいます。指板は数年に一回削りなおす必要があるので初めから薄いと寿命が短いことになります。指板を交換すると駒の高さもあわなくなるので同時に交換が必要です。安価な楽器はこれだけで楽器の値段を超えてしまい寿命を迎えます。


私は指板の表面はネックに接着した後で仕上げます。接着するときに少しゆがむからです。
ニスを塗った後に仕上げます。

縦方向は中央がくぼむようにします。弦の振幅で指板に触れてしまうと異音が発生するからです・中央がくぼむだけでなくどこもかしこもでっぱりがあってはいけません。したがって端から端まできれいな弧を描くことが理想です。
万全を期したつもりでも使っているうちに問題が出て来ることがあります。その時は指板を削りなおす必要があります。指板の木材が曲がってくることもあります。
使用していると指板が削れてくぼみがどんどん深くなります。




カンナを端から端まで通すとともにラウンドや寸法を正確に仕上げなくてはいけません。したがって指板を見るとカンナが正しく使えているかが一発で分かります。

まとめ

指板はカンナが正しく使えているかがはっきり表れます。新しい楽器では作者自身、古い楽器では交換されているので修理の腕前が分かるのです。指板が正しく加工できないということは基本的な能力が備わっていませんから他の部分でも品質は疑わしくなります。

非常に安価な楽器では茶色の木を黒く染めてあることもあります。黒檀よりも柔らかい木なのですぐに摩耗してしまいます。黒檀でも金属が巻かれた現代の弦では使用するほどにすり減ってきます。一定にすり減るわけではないので指板はデコボコになってきます。そうなると削りなおす必要があります。長年放置すれば削りなおす量が多くなるだけで寿命は変わりません。快適に演奏するにはまめに削りなおす必要があります。新品でも問題がある場合もあります。


「素人の発想」を重要視することがありますが、ほとんどの場合は誰でも思いつくことでいくつかのパターンしかありません。ズルい考えの人が思いつくことは判で押したように同じです。大量生産品の指板はどこの国のものでも同じようになっています。工場で働く人は弦楽器製作の道を極めようという人ではありませんが、世界中どこの人でも同じことを考えるのです。

技術指導する人がチェックポイントを教えてもそれを甘く解釈するのです。怒られなければ良いという考え方で仕事をします。経営者はコストを削減することを要求するので労働者とも利害が一致します。

弦楽器職人で仕事の代金をもらおうと思ったら独学では「こりゃダメだ、ちゃんと修行しなきゃ」と思うはずです。
もし素人の発想を大事と考えるなら真面目に修行しない職人はどの時代にもどこの国にもいくらでもいます。それを特別に呼びかける必要はありません。素人が作った楽器を買ってください。中古品ならタダ同然で買えます。



下手な人ほど自己評価高い物です。
学生時代でも勉強している人ほど「勉強してない」と言うものです。
太っている人ほど「ぜんぜん食べていない」と言うものです。本当に食べていなければ太りません。