ビオラ製作で見るクオリティと木工技能【第6回】アーチングについて(前編)理論 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

アーチングについての話です。
今回は前編として理論からです。




こんにちは、ガリッポです。

チェロ弦について質問をされた方、返答を送りましたが届いていますでしょうか?
必ず返事は書きますがスパムメールとしてはじかれたりアドレスが間違っていたりトラブルがあることがあります。気を悪くしないでください。




オールド楽器が近代や現代の楽器と全く違って見えるのはアーチの違いによるところが大きいと考えています。そしてこれは音にも影響が大きいと思われます。

アーチと板の厚みは板そのものの物理特性つまり音響特性を決定づけると考えています。


オールド楽器にはたくさんのひび割れや修理の跡があり分解され組み立て直されているわけですが修理の質が高ければそれによって音が台無しになることはありません。修理に特別な方法が必要なのではなく健康にするだけで元々板が持っている音が発揮されるのです。

オールド楽器の音の要因は板そのものが持っている物理特性にあって、それはアーチ板の厚さ経年変化が重要な役割を担っていると考えることができます。

たとえば、ストラディバリモデル、ガルネリモデルというような表板や裏板の輪郭の形は大量生産品でも同じにすることができます。見た目の印象はクオリティの低さによって完璧に再現できませんが物理的な特性に差が出るレベルではありません。



様々な作者やメーカーの作るストラディバリモデルやガルネリモデルが同じ音がするわけではありません。音も様々です。同じ作者やメーカーにはそのメーカーの音のというのがまずありどのモデルで作ってもそのメーカーの音になります。したがって決定的な要因ではないと言えます。

平面でストラディバリの写真を見ても戦前の東ドイツのザクセンの楽器とあまり違わないのです。
言い換えるとザクセンの楽器にも平面で見れば申し分のないレベルのものがあるのです。ストラディバリの写真がたくさん出ている本を見ているとニスの雰囲気がザクセンのイミテーションに似ているものがあって「ザクセンっぽいな」と思うものがあります。もちろん逆でザクセンのほうがストラディバリに似せているのです。

平面で見れば見事なザクセンのヴァイオリンがあります。
これはいやらしいものではなく腕の良い職人が作った質の高い物です。ただし彼は現代の感覚でアーチを作っていてそれがオリジナルのストラディバリとは全く違うのです。このことはザクセンだけではなく多くの現代の楽器に言えることです。ザクセンのものは形やニスの印象がストラディバリとよく似ているのにアーチだけが全く違うのでそれが目立ちます。他の地域の職人では他の部分も似せることができていないだけなのです。

戦前のザクセンの楽器はとても強い音がすることが多いです。
たくさんの楽器を名前や値段を伏せて試奏するとこれらは「力強い音がする」という理由で選ぶ人も出てきます。ある人が弾くととても耳障りな音がしますが、別の人が弾くとさほど気になりません。特別柔らかいということはありませんが、人によっては耳障りだということを気にする人もいれば気にならない人もいます。

よく日本で売られている新作の楽器の音が鋭いとおっしゃられる方がいますが、そんなのは甘いものです。耳への攻撃力は桁違いです。でもブラインドで試奏すれば人によっては気に入る人もいてそれにはヴァイオリン教師も含まれます。質も高くて音が評価されているのにザクセンの楽器を悪いものだと切り捨てるのは不可能です。

多くのザクセンの楽器にはストラディバリ、ガルネリ、アマティ、ルジェッリ、ベルゴンツィ・・・・とオールドの偽造ラベルが張られています。何も知らない人は「何か有名ないい楽器かもしれない」と思ってよく売れるからです。しかし音は違います。でもそれを悪い音だとは言えません。
丁寧にストラディバリモデルにはストラディバリウスのラベルを貼り、ガルネリモデルにはガルネリウスのラベルを貼ってあるものもありますが、多くの場合はデタラメに貼ってあります。ストラディバリモデルとガルネリモデルを見分けるのはなかなか難しいので工場で働いている人や販売業者では見分けがつかない人がほとんどです。ある楽器商が書いた本で違うモデルのものを間違ってガルネリモデルと書いてあるのがあって笑ったものです。そんな人でも何千万円の楽器を売っているのです。皆さんの前に出て来るときは立派なスーツを着て高価な時計をはめピカピカの靴を履いてさも分かっているかのようにうんちくを語ることでしょう。恐ろしいです。


輪郭の形はアーチに影響があります。
幅が狭ければアーチは急なカーブになり、広ければ緩やかになります。私はそのように大ざっぱに形を見ます。このモデルでは「アーチが窮屈になってしまう」とか「これはゆったりしている」と捉えます。値段については作者の名前が何であるかが重要なのに対して物理特性が名前によって決まることはありません。鑑定によって作者の名前が変わると値段ががらりと変わりますが、物理的な特性はそのままです。


現代の量産品ではコンピュータ制御の機械でアーチを作っていますがどのモデルでも同じプログラムでアーチを作っていると思います。こうなるとモデルが違ってもアーチは同じなのです。


アーチが音に影響すると考えられますが、どう影響するか規則性はわかりません。アーチのタイプを分類することも難しくそれによって音の傾向を説明することもできません。同じように見える楽器でも音が様々なのです。

平らなアーチのものには高音が鋭いものがよくあります。しかし起伏が激しい膨らみが大きい物にも鋭い音のものがあります。規則性を言う事は難しいです。弾いてみるしかないのです。

木工の基礎


欧米の職業分類は日本と少し違います。英語でjoinerという職業があります。辞書には建具屋、指物師と書いてあります。木工職人の一つで単にひとつというよりはメインの職業です。単に木工職人と言えばこのことです。
joinerの説明はこちらを参照してくださいhttps://kotobank.jp/word/joiner-1237644

建具や家具を作ったり取り付けたりする仕事で、キッチンを取りつけるのもそうです。日本の大工、家具職人、内装業などが含まれるものです。木工を担当するものです。ヨーロッパの伝統的な家なら建物は石やレンガで作るので日本の大工と違って石工に近いですね。それに対してjoinerは木工職人の中でも中心的な職業といえます。木工工具も多くはこの職業のために作られたものです。我々弦楽器職人は木工職人の中ではかなり特殊な職人になります。

今では電動工具を使うことがほとんどになっています。
弦楽器職人は失われた技術で仕事をしているのです。


joinerは板を組み合わせて台や棚、引出しなどを作ります。
板を扱うことが多いので加工も平面的なものが多くなります。メインの道具はノコギリやカンナであり直線や平面に加工することが基本になります。

弦楽器職人でも初めのうちはこのような加工が基礎となります。クレモナの学校でも初めはとにかくカンナを扱うことを学ばなければいけないそうです。カンナが使えなければ仕事になりません。弦楽器に使う木材は一般的な木工に比べても厄介なものでそのうえjoinerに比べるとはるかに高い精度が求められるため全く次元が違います。

スカランペラももともとこのような職業でアマチュアの職人に楽器製作を学んだので仕事が弦楽器職人のものとは明らかに違いはるかに大ざっぱなものです。我々職人が見るとスカランペラや弟子のガッタの楽器は素人が作ったものに見えます。スカランペラの偽造ラベルが貼られている楽器でも楽器職人の教育を受けた人が作ったものは「クリーンすぎる」のですぐにニセモノだとわかります。スカランペラと同等の楽器はイタリア以外にもありそれらは素人の楽器としてただのガラクタとみなされています。違いは鑑定書に書いてある名前です。


joinerを養成する職業学校の教師にカンナを使わせるとヴァイオリン職人なら初心者のようです。学校の工具なんてものは刃もまともに研げていなければカンナの台は狂いひどいものです。

もちろん弦楽器職人のような質で物を作っていたら値段がとんでもないことになります。


いずれにしてもこの職業は木工の基礎であり中心です。家具のような木工製品でも現代では四角く飾り気がなく機能的になっています。現代の建築物は直線的なものが多いですね。それに対してヨーロッパのアンティークの家具店に行けば曲線で作られ彫刻が施されたり象眼が施されたりしています。教会でも古いものは装飾が施され彫刻が彫られバロック教会は建物も曲線でできています。

オールド楽器が作られていた時代はそのような時代です。
現代と違って直線や平面によってものの形が作られる時代ではありませんでした。貧富の差が大きかったことも原因でしょうが、そもそも合理性という概念が無かったとも考えられます。庶民が使う木工製品では板として正確に加工されていないような素朴なものです。斧で木を倒したり、二人の人が両側からのこぎりをひっぱりあって切った「塊」を鍬の形の手斧(ハンドアックス)という道具でガツガツ削っていておおよその形を作るのです。

貴族や教会のものは荒削りからさらに彫り進めて美しい曲線にまで持っていきます。それに対して現代は製材工場で板や角材を製品として出荷します。無垢材はまれで合板や集成材、チップを固めたものが使われています。それらは工場で板に加工されて木工職人のものとに来るのです。木工職人は板や角材から仕事を始めるのです。それを電動工具で寸法に切って組み立てるのです。


昔は木の塊から削りだしてものを作っていたのです。

イタリア・ルネサンスの絵画では板に絵が描かれています。
板はポプラで作られていて絵を描く側はカンナで仕上げて平面になっていますが、裏側は刃物で削った後がそのまま残っていてガタガタです。ハンドアックスのようなものでしょう。画家自身が加工したのではなくて木工職人に作ってもらったのです。

現在なら板を製材所から買ったほうが安いです。木の塊をハンドアックスでガツガツ削って片面だけカンナをかけて平面にするほうが手間がかかるはずです。今の画家が板に絵を描くとすればべニア板をホームセンターで買ってくるでしょう。

このような基本的な木工の感覚の違いが楽器にも表れています
私が楽器作りで重要に考えているのは塊から削りだすことです。しかしこんな人は私くらいのものでなぜそれが重要なのか同業者に理解してもらうことは困難です。

19世紀には蒸気機関が発達し現在の電動工具の基本的なものは動力源が違うだけですでにありました。製材所では水車や蒸気機関を使って製材の精度も上がってきます。


人類は古い時代ほど木をくりぬいてものを作っていたのですが板を組み合わせてモノを作るようになってきたのです。弦楽器にもそれは表れていて基本的な設計がまさにそれです。木をくりぬいて作ってあるのです。現代の木工職人とは全くスキルが違うのです。

安いものは荒く加工して終わりなのに対して、高級品は美しい形になるように余計な部分を削り落とて作りました。物の形はそうやって作り出されていたのです。工業製品でもかつては型などを削りだして作っていました。今ではデザイナーという職業の人が絵として描いたものをコンピュータ上の立体データにします。

同じドラえもんの人形でも立体にするときに違いが出てきます。なんじゃこりゃという粗末なものもあれば良くできているものもあります。よくできていても印象はだいぶ違います。デザインは同じ絵からとっても立体にする段階で違いが出て来るのです。しかし現在製品の姿かたちについて語るとき、「デザインが良い」とか「デザインが悪い」ということは話題に上りますが、造形が良いとか悪いということは言われません。同じデザイン画から起しても造形力によって違いが出るのです。見る人がそれを分からなくなっているので私は現代の製品に欲しいという意欲がわいてこないのです。デザインの絵がきれいなものが会社の中で通りやすいでしょう。モーターショーなんか見るとうんざりです。

ドラえもんよりもスネ夫のほうが立体にするのは難しいかもしれません。髪の毛がよくわかりません。


木の塊から形を作り出していた昔に対して板を組み合わせて作るのが現代の木工です。
このような基礎的な考え方は弦楽器にも反映されているようです。今考えるとオールド楽器は「なぜこんな風に作ったのか?」不思議です。現代の木工の基礎では効率が極めて悪いのです。

表板や裏板を安上がりにするにしてもその仕方が全く違うのです。昔は木の塊のくりぬき方が荒いのに対して今はうすい板をプレスしたりべニア板で作るのです。

今の木工職人は木をくりぬいて形を作るという感覚が全く備わっていません。


このためオールド楽器を見るとすぐにそれがオールド楽器だと分かるのです。

アーチのクオリティ

このように現代とオールの時代では全く考え方が違うのがアーチなのですが、現代の考え方を話しておきます。

アーチについて守るべき点は

①楽器の中央が一番高くなってふくらみはきれいな弧を描いていること 
②面はデコボコや表面に刃の跡、割れや傷が無く滑らかになっていること
③左右対称になっていること


それくらいしか言いようがありません。
それがうまくできていれば品質が高いということができます。

絶対に守るべきことは表板の中央が高くなっていることです。
弦の圧力に耐えられなくて潰れてしまいます。(図1-1)

これがアーチといわれるゆえんで橋でも強度が高いわけです。平らな木の板を張ったものは中央がたわんでしまいます。図1-2のようになっていると力が中央に集中します。

これは基本的なことですがこれが分かっていない人が本当にいるのです。10~20年でも表板が陥没してしまい修理のしようが無くなります。ふくらみを新品に戻してもまたへこんでしまうのです。新しい表板を作るのは高い修理代が必要なのに表板が代われば価値も激減します。唯一の方法は作者本人に新しい表板を作ってもらうことですが、アーチを理解していないのでまた失敗するでしょう。こんな人でも自由主義の社会ですから違法行為はありません。

あとは流派や職人によっていろいろな考え方がありますが、デコボコが無くレンズの表面のように仕上がっていれば加工がクリーンだとみなされます。
横方向を模式図として描きましたが図2-1でも図2-2でも表面が滑らかなカーブになっていればOKです。図2-3のようにデコボコしているのはダメです。2-1のほうが造形センスがあるように見えます。2-2でも間違いとは言うことはできません。音についてはわかりません。

特にチェロのような大きなものでは至難の業でクリーンに仕上がっているものは滅多にありません。いかにも個性的というものではありませんがそのような丁寧な仕事をする職人は少ないので珍しいものとなります。それも個性といえるでしょう。



左右を対称にするのはこのような器具を使って線を引くのです。
地形図のように標高を示すことができます。
私は目視でやっているので使っていません。このような器具は形をつかむのが難しくなるので私は使いません。形ができていないのにアーチが完成していると思ってしまいます。



このように理屈で規定できる部分は造形センスのない人にでも理解することができます。したがって業界では標準的な考え方になっています。これを教えていれば先生として偉そうにすることができます。

このため見た目が「現代の楽器」になるのです。ザクセンの上等なストラドモデルの楽器でも現代の楽器としてはよくできているのです。試奏して音を気に入れば良い楽器です。


具体的には木工技術の違い、使う工具の違いがあります。
従って気持ちだけでオールド楽器のようなものを作りたいと思って始めても出来上がるといつもの現代風の楽器になってしまうのです。

アマティやシュタイナー、ストラディバリやモンタニアーナのアーチがどうなっているか言葉や数字で示すことはできません。彼らは感覚によって作り出したのです。


表面の仕上げしか規定できない

クオリティついて語る今回のテーマならもう終わり。アーチについて多く語ることは無いです。決まりに従って作れば高いクオリティのものが出来上がります。これを競い合っているのが弦楽器製作コンクールです。

結果的にオールド楽器とは全く違う印象のものが出来上がります。
タイムマシーンでストラディバリ本人から楽器を譲り受け、現在のコンクールに出しても中途半端な順位に埋没してしまうということです。ストラディバリも古くなっていなければ特に目立つこともなくたくさんの楽器の中に埋もれてしまいます。

しかし目が良い人が見ればストラディバリの造形センスは素晴らしいものです。
仕上げすぎてしまうとせっかく作りだした勢いがなくなってしまうのです。欠点もなくなる代わりに勢いも無くなってしまうのです。それが現代の美しいという考え方と違う点です。




アーチは弦楽器作りでも最も面白いことのの一つですが、全く興味が無い人もルールを守っていれば一人前の職人として認められます。早く楽器を作ることを得意げに思っている人もいます。いかに最低限の労力でルールを最低限守るかというやっつけ仕事の人もいます。

一方で異常にこだわりを持っていてそのアーチの手法によって画期的に音が良いと信じている人がいます。数学で計算してカーブを求める方法が考え出されたりします。しかし実際にはそれとは違うタイプ、いろいろなタイプのアーチの楽器に音が良いものがあります。そういう意味では何でも良いのです。

ザクセンの楽器でも音が良いと思う人もいれば耳障りでどうしようもないという異なった感想が出て来るのが弦楽器です。したがって何が正解か決めることはできません。無造作に作られたものでもプロが愛用していることがあります。


ただし現代の楽器作りを信じていればオールド楽器のようなものは現代の職人には作ることができません。そのような楽器を手にするには何千万円とか何億円も用意する必要があります。しかし昔の職人にできたことが同じ人間にできないはずはないです。

両方作ってみて良いと思う方を選べば「現代の作り方しか知らない」職人より多くのことを知っていることになります。その人の言う事のほうが知識が確かであると言えるでしょう。


一人のヴァイオリン職人が作ったことのあるタイプの楽器というのは限られているので誰も絶対の正解を知りません。不安なので自分のやっている方法が最高だと信じ込むための理屈を求めてしまうのです。


次回は実際の楽器を作る過程を画像を見ていきましょう。