ビオラ製作で見るクオリティと木工技能【第7回】アーチングについて(後編)実技 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

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クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

職業能力は専門知識と実技からなります。
アーチについて実技の話です。




こんにちはガリッポです。


古い南ドイツのヴァイオリンです。おそらくフュッセンのものでしょう。
すぐにそれがオールドだとわかります。何の疑いもないです。それはアーチによる部分が大きいです。今ではこんなものを作れる人も教える人もいません。今から考えるとこんなにややこしいものを何で作ったいたのか不思議になります。

スクロールも特別丁寧に作られているわけではありません。現代の楽器作りはお手本があってそれの精度の低いものが安価なものですが、この時代は深く考えずに作っていたのでしょう。


このアーチはレンズのような完璧なアーチではありませんが駒のところは陥没していません。200年以上持っていますからこれならOKです。最低ラインはクリアーしているということになります。勉強になります。師匠の漫才を見るようなものです。

木の塊をくりぬいた感が私には感じられます。立体としてはかなり複雑です。現在のものに比べると急斜面があったり平らなところがあったり深くえぐれているところがあったりします。今のものはもっと平均化されています。オールド楽器は山道のようなカーブなのに対して現代の楽器は高速道路のようです。

道としては高速道路のほうがきれいによくできていますが、古道も面白いですね。そんな感じです。

アーチを作っていく



以前はパフリングまでお話をしました。パフリングが入るとアーチを仕上げます。アマティやストラディバリの時代にはアーチが完全にできてからパフリングを入れていましたが、仕事のしやすさで順序を変えています。

アーチの立体感はこの時点でできています。これが仕上がってくるにつれて立体感が見えなくなってくるのです。写真でもアーチを写すのが難しいように肉眼でもよく見ることができません。荒削りのほうが形がつかみやすいのです。




フリーハンドで感覚だけで作っていきます。これが初めての人と慣れている人の圧倒的に差が出るところです。初めての人に教えるには半分を作って見本を見せて反対側を同じようにさせるのですが、ここまで攻めさせると穴をあけてしまうのでもっと安全にやります。もっとこんもりとさせるのです。

何が難しいかというと二つあって、形をつかむことと、刃物を使うことです。刃物をうまく使えなければイメージがあっても失敗して穴をあけてしまいます。初心者は全くイメージができない上に刃物を扱えないので怖いです。そうすると形を作るところまで攻めるのは怖いので多めに残すことになります。デコボコがあるのは見やすいのですが全体の形をとらえるのが難しいです。角があれば丸くしようとしますが全体の形がつかめていないと間違ったところばかりを削ってしまいます。削るべきところは手を付けないままで削るべきでないところばかり削ってしまうのです。練習はそれでもいいとは思いますが、現代の修行ではそんな余裕はありません。

今は決められたアーチの高さに0.1mm単位で完成させようとします。
昔は出来上がった高さが完成だったのでしょう。

ストラディバリ、アマティ、デルジェズいずれもアーチの高さが様々です。初めに完成の寸法を決めてそこに向かっていったのではなくて作って行ったらできた高さが完成の高さということでしょう。決められた寸法に持っていこうとするとかなり慎重にならなくてはいけなくなりつじつま合わせが必要になります。豪快に形を作ることができなくなります。

最近は私も出来上がるまでアーチの高さはわかりません。特定の楽器のコピーを作るときは寸法に持っていかなくてはいけないので難しいです。今回はコピーではないのでできた時点でその高さがアーチの高さです。


初心者の作り方のまま楽器職人として生涯を終える人が多いです。前回説明したように仕上げさえきちんとすれば認められるので起伏にメリハリのない緩やかなものになるのです。高速道路のようなものです。

積極的に塊をガツガツ彫っていく感じが昔の楽器にはあります。今の人たちはそういう仕事に苦手意識があってすぐに仕上げに移ろうとします。

さっきのオールド楽器はアマティやストラディバリほどは美しくは無いです。フリーハンドで彫っていく場合造形センスが大きく出てきます。しかしそうなることを気にして怖がっていないのです。現代の楽器作りはケチをつけられないかビビリすぎていると思います。自分の才能以上のものはできないんだからビビらずに行けと思います。楽器も個性的で楽しいですし、音の良さは造形センスに比例しませんから。

現在でも自信過剰の人はいます。でも教わることが違うからオールドみたいなものはできません。現代風のアーチを適当に作ってあるだけです。


この段階から次の工程にどう進んでいくかは私の中でも課題でした。
何が自然かということです。

さらに彫り進めていきました。
チョコチョコと小さく削っていきました。荒削りから仕上げに移るわけですから普通ならいきなりならすというよりは徐々に行くはずです。現代なら荒削りからすぐにカンナに移行するでしょうが、もし彫刻作品を作ると考えたときにより細かく彫っていくと思うのです。


さっきのドイツの楽器とはアーチのスタイルは違うのですが、意図したように形が出来上がってきます。

さらにカーブの浅いノミでデコボコを無くして仕上げに近づいていきます。これからカンナをかけます。後ろに写っている金色のものがカンナです。金ではありません真ちゅうです。

カンナでは形を作ることはせずザーッと通してならすだけです。


カンナは小回りが利かないのでカンナで形を作ろうとすると高速道路のような緩やかなカーブになってしまいます。

左のものがヴァイオリン製作専用のカンナで右がスクレーパーという鋼の板です。
ちなみに消しゴムは日本のものが質が良いのでお土産に買って帰ると喜ばれます。ただし劣化するので古いものはいけません。

工房にテレビの撮影が来るとしたらカンナをかけるシーンを映したがる職人は多いでしょう。見たことがあります。しかし私はこの工程はすぐに終わってしまうので面白くもなんともないです。小さなカンナは珍しいのでテレビ的には映したいところです。宇宙の番組を長年作っていればブラックホールとか地球外生命体とかこれを入れておけば視聴者の気を引くというテーマがあります。音響的なテーマで撮影しているのなら板の厚さを出すところでカンナをかけているシーンです。しかしカンナはわずかにしか削れないのでその作業は音には大きな差は出ません。見ている人はカンナの一削りで音が決まるという印象を受けます。もっとザックリと削らないと音の差になって現れません。

宮崎駿監督がとなりのトトロでネコバスのことを言っていました。
ネコバスはストーリー上は必要はないけれどもアイデアが面白いのでウケるだろうという興業的な理由で入れたそうです。小さなカンナはヴァイオリン製作専用の工具で珍しいのでネコバス的に素人受けする道具ですが、ノミでザックリ削るほうが重要です。


戦前の大量生産品にしても現代の手工品にしてもカンナをアーチづくりの主力としているのでどうしても現代風の楽器になってしまうのです。腕に自信が無くてザックリ彫るのが怖いのです。
楽な方に流れます。昔の人は結果をそんなに恐れていなかったようです。素朴なものでも平気でした。

カンナを多用すると起伏が無くなっていってアーチに特徴が無くなっていきます。仕上げはやればやるほど躍動感は無くなっていきます。それを重視しているのが現代の楽器製作です。造形センスのない人でもバレません。巨匠のふりもできるのです。


これは表板です。この後はスクレーパを使ってならしていきます。これでは刃の跡が残っているのでダメです。

これで十分です。スクレーパーだけで仕上げたものでサンドペーパーのようなものは使っていません。


エッジはノミを使って彫っていきます。これも腕の良し悪しが分かるところで刃物で切っていくと一番鋭いエッジができます。サンドペーパーのようなものを多用するとグズグズになります。
あまりわざとらしいのもあれですが。

アーチが仕上がりました


まずは真上から

いつもながらアマティの形をそのまま作っています。以前作った時とは木目が違いますが形は同じです。曲線が独特で今の私たちが設計しようとしても無理です。そのあとの時代のものを知っているからです。忠実に再現するしかありません。現代的な意味で完璧ではありませんがこれくらいで出来上がった時に雰囲気が出ることは過去にも何度も体験しています。近代にはモディファイされたアマティモデルの楽器がありオールドの時代と明確に区別できます。これはアマティそのままです。

コーナーもアマティ特有のものです。

パフリングは隙間もなくなめらかなカーブを描き先端まで流れが途絶えていません。

右側も同様です。


細めのパフリングはきれいに見せるのが難しいものですが十分でしょう。

さてアーチです。

申し上げている通り写真に撮影するのは困難です。写真だけでなく肉眼でも難しいのです。先ほどの荒削りの時のほうがよほど形がつかめると思います。カンナのような道具では形が見えません。

前回示したこのような器具はアーチがある程度仕上がっていないと使えません。カンナの工程でないと使えないのです。私はアーチの形を作る工程ではノミを使いますからこのようなものは使えません。

現代的な基準では表面さえ仕上がっていればいいわけですがこれくらいなら現代でも及第点でしょう。私は究極までレンズのように仕上げたりはしません。それが目的ではないからです。そのようにするなら初めからスタイルを変える必要があります。私が目指しているのはオールドのような楽器です。しかし粗悪というほどはひどくないのです。

ニスを塗って完成すれば私が自分の目で見て心地よくなるように作ったので機械で作ったものとは違うことは明らかになるはずです。機械はプログラムの通りに動くのであって形を見ながら美しさを感じることはありません。

仕上げだけに注力するなら機械で途中まで作ったものの表面だけを仕上げれば良いことになります。私の目指すものはそうではなくはっきりとメリハリのある形を作り出し目に心地よいのです。私が作っていて気持ちよくなるように作業をしているからです。音響的には経験則でこんな感じだろうとはつかんでいます。ビオラはヴァイオリンに比べると大きくゆとりがあるので多少見た目を重視してもそんなに問題は無いです。今回は小型ということもあって窮屈な構造にならないように気を付けています。

よく見えませんが立体を見てみましょう。

光を変えてみます。

杢のラインで立体感を見てください。一枚板なので惑わされません。

中央です。
上からです。

こちらの方がカーブが分かりやすいでしょう。

ミドルバウツの溝が大きくえぐれているのがアマティの特徴です。

次は縦方向。


とにかく写真に写すのは難しいです。陰影が微妙すぎて写らないのです。



最終的に出来上がってみれば現代の楽器よりはっきりとメリハリがあり立体感のあるものになっているはずです。現代のように欠点をさらけ出さないことに注力しているのではなく不自然なところもあるはずです。それはオールド感となって現れることでしょう。古くなったときにオールド楽器のようになると思います。

アーチの高さは表板のほうがもう少しあります。f字孔ができたところで紹介します。

まとめ

現代の楽器製作でも十分に合格の範囲には入っていると思いますが究極まで表面をレンズのように仕上げてはいません。

究極的に仕上げられていればそれが腕の良い職人のもので機械で作ったものでないことは明らかになります。私の方法でも人が美的感覚を持って作ったものなので目が良い人が見れば機械で作ったものとは明確に区別がつくはずです。

いかに機械が優秀だと言っても私は機械で作られたもので満足したことはありません。
微妙なところが出ないのです。10分の一ミリとかそういう数字に表れる部分ではありません。立体がおかしいのです。でもメーカーはそれを直そうとはしません。誰も見えていないのでしょう。ヴァイオリン製造工場で働いているのに見えないのです。昔の職人は見えていたのです。


ストラディバリ、アマティ、デルジェズも行き当たりばったりでアーチを作っていたようです。
決められた設計通りに作るという概念が無かったのです。にもかかわらず彼らの楽器はその作者の音があり、特定のものだけが音が良いということもないのです。

昔のような作り方であればその人の音というのはより強く出ると思います。
多少のアーチの高さの違いなんてものは微々たるものです。

それが良い音なのかどうなのかは後の時代に選ばれていくということです。作っている方は音が分かって作っているというよりは好きなように作ってあとの時代の人が選ぶか選ばないかということです。

私の作る楽器はなぜか柔らかい音がします。それが鳴るようになってくると良い感じになってくるのではないかと思います。耳障りな音が鳴るようになるとさらにひどくなることでしょう。