ビオラ製作で見るクオリティと木工技能【第5回】パフリング | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

パフリングは楽器の質や職人の腕前を見るのに分かりやすいポイントです。
現代の楽器とオールド楽器の違いについても考えていきます。



こんにちはガリッポです。

先日会社で仕事をしていると見事なアンティーク塗装のデルジェズコピーが来ていました。
自分の仕事で手が離せなくて遠目に見えると「なかなかうまいコピーだな」とすぐにわかりました。アンティーク塗装の雰囲気はよくあるものではなく、私なんかもやるようなやり方をしているのです。「こんなの作る人が自分以外にもいるんだな」と感心していました。

手が空いて楽器を手に取るとそれは私が過去に作ったものでした。
そんなのも作ったなと思いだしました。

アンティーク塗装のコピーは作る人によって独特の雰囲気があり遠目からでも特徴が分かるものです。それに対して「自分オリジナルの作品」として作られているものはどれも似ていて見分けがつきにくいものです。これが現代の楽器製作です。

他にイギリス製のアマティコピーも見ました。これも私が作るアマティコピーとは全く違うもので違いがとても大きいです。おもしろいものです。






近代・現代の楽器製作では「きれい」に作られていると上等な楽器だとみなされます。きれいというのは英語にするとクリーン(clean)と表されます。

それに対してオールド楽器についてなら「美しい(beautifull)」と表現することができます。
何が違うのでしょうか?


粗悪品は手抜きのために汚く作られています。加工は荒く不完全、形はいびつ、力学的に問題があり、塗装も見苦しいものです。これらはただの粗悪品で大量に作られたものです。それと明らかに違うのはクリーンな楽器です。クリーンな楽器は作られた総量の中ではごくわずかで見るとそれが粗悪品とは違うことがすぐにわかります。

クリーンというのは汚れていないとか片付いているという意味でのきれいさで、規則正しく整い、表面にはデコボコや傷が無く仕上げられ隙間なくきっちり加工されていることです。
それに対して美しいというのは雰囲気から感じるものです。あいまいですね。


このためヴァイオリン製作コンクールでは極限までクリーンさを競い合います。
クリーンさなら客観的に評価できるからです。
その結果オールドの名器とは似ても似つかぬものになっていきます。


ここで現代の楽器はオールド楽器よりも優れていると言う職人が出てきます。
職人側の主張では現代の職人のほうが腕が良く楽器は優れていて音も良いというのです。このようなことを言う人はよくいます。

このような意見に私は「職人の自惚れ」を感じます。


クリーンさは現代の尺度であるため、現代の尺度で評価すると優れているのは現代の楽器なのです。建築物でも石を積んで作ったような古い教会はゴツゴツしているのに対して、工場で作られたパネルを貼った現代の建物はクリーンです。そのほうが優れていると言えるでしょうか?

私が研究しているのはそのあたりのことで古い楽器の「美しいbeautifull」の正体を探っているのです。


現代の楽器でも上等なものはクリーンなものです。
並のものなら量産品でもあります。並みの出来栄えのものに高い値段を払うのはばかげています。品物自体が量産品と変わらないのにハンドメイドというだけで何倍ものお金を払うのはばかげています。量産品で十分です。
したがってハンドメイドの楽器には量産品では不可能なものが求められそれがクリーンさです。

ユーザーは音にのみ興味があるでしょうが、それならなおさら数が圧倒的に多い量産品を片っ端から試奏して奇跡的に音が良い楽器を探すべきでしょう。


このように最高であるはずの現代の楽器には無い魅力がオールド楽器にはあるのです。
危険なのは粗悪品と見分けるのが難しい点です。古い時代の粗悪品をオールドだからと言って何千万円も払うのもばかげていると思います。

最もひどいのは近代の粗悪品をオールド楽器と偽って販売することです。
beautifullという言葉は悪用しやすいものです。
クリーンすぎると現代風の楽器に見えるので単なる粗悪品に偽造ラベルを貼っただけのものです。このような被害はとても多くあります。500万円で買った楽器が3万円の価値だったということもあります。
そのような楽器を売りに来る怪しげな業者がいて「美しいヴァイオリン」と連呼します。
私にはただの不用品に見えます。美しいとは感じません。その業者は本当にそれを美しいと感じているのなら見る目は無く、偽っているのなら嘘つきです。


これは最悪ですからクリーンな現代風の楽器のほうが間違いは少ないと言えます。もしニセモノでも最高レベルのクリーンさのものであれば100万円程度の値段をつけることができます。



オールド楽器を評価するときはオールド楽器の中で作りを見る必要があります。
オールド楽器は作り方がバラバラで定まっていません。そのためうまく機能しないものがあります。どんなものが機能してどんなものが機能しないかは楽器の本質を理解する必要がありとても難しいものです。私も経験によって何となくわかってきたところです。

そのような高価な楽器を買う上級者なら試奏して機能するかどうか試せばすむ話です。
オールド楽器は当たり外れが大きいということもできます。理想的に作られたものは素晴らしいものですが、外れも多いのです。


それに対してクリーンさは表面的なことです。
現代の楽器製作ではお手本が決まっていてどれも大きく外れてはいません。手抜きの粗悪品を避ければあとは好みで楽器を選べばいいのです。新作ヴァイオリンなら量産品も含めて10~150万円位でありクリーンさ(=クオリティ)が値段と対応していれば納得できます。

20世紀の楽器でも戦前になると値段はずっと高くなる場合があります。
値段は作者の名前によって決まるのであり、クリーンさとは直結しません。その作者のものであるという証拠が必要になるのです。

イタリアの作者のヴァイオリンであればクオリティとは関係なく名前が知られていれば500万円位の値段が付くのは普通です。

それに対してドイツの楽器ならクオリティが高くても150万円もしないことがほとんどです。
商人も職人も無知なためこれらの価値に気付いていません。
現代の作者は無知なためにこれらより優れているとうぬぼれています。しかしふつう100年経過している楽器に音の出やすさでかないません。クリーンさでも負けていることがほとんどです。



最も過小評価されているのが質の高いドイツなどのモダン楽器でありブログでそのことを紹介しています。



そのためコストパフォーマンスに最も優れているのは質の高いマイナーな流派や作者の楽器であると言えます。質の違いを紹介しているのが今回の企画です。



私自身の興味はオールド楽器が持っている「美しさ」にあります。したがってクリーンさはそれほど重視していませんがアマティやストラディバリのようなものはクリーンさでも同時代では抜きん出ていましたし、現在では最高ではありませんがかなり通用します。しかしながらそればかりではなくさらに味わいがあるのです。

アマティやストラディバリのクリーンさでも十分上等な部類に入ります。
今回の楽器でもそれくらいのレベルは確保していきます。


近代の楽器製作はストラディバリのクリーンさばかりに注目しそれをさらに強調したものといえます。その一方でオールド楽器が持っている美しさには切り捨てられた部分もあるのです。


1800年前後は各地でオールド風の素朴な楽器が作られていました。
その中でアマティやストラディバリはずば抜けて洗練されていたように見えたでしょう。当時の人たちが感じたストラディバリの特徴を大げさにしたのがモダン楽器といえます。

ドイツの多くの楽器を掲載した、かつての有名な楽器商ハンマの古い本があります。
これを見るとオールドのドイツの作風とモダンの作風の楽器では急に違って見えます。段違いにクリーンです。
かつてはドイツのオールド楽器などは安物と考えられていました。ハンマの本を見るとあきれるほど多くのオールド楽器があり、その中でクリーンなモダン楽器はとてもきれいに見えます。以前紹介したシュバイツァーなんかはまさにそれです。

第2次大戦で一旦楽器製作が落ち込み、徐々に優れた職人がでてきて有名となり多くの職人を育成したため1980年くらいから職人が多くなり優秀な人がたくさんになるとクリーンな楽器は珍しくなくなってきました。実はドイツのオールド楽器にもイタリアのオールド楽器に共通する部分があることを私は発見してきました。現在では見向きもされないドイツオールド楽器に注目すると奥深い世界があることも分かってきました。



また勤め先になかなか興味深いクロッツ家のものと思われるミッテンバルトのオールド楽器が入ったのでいずれ紹介したいと思います。現代の楽器とは違うことが一瞬で分かります。かつてはそれが悪い特徴だと考えられていたのです。新作を産業としているクレモナの学校ではそのように教えているでしょう。しかしクリーンな楽器が多くなるとそれはオールド楽器特有の雰囲気で珍しいものと私は考えるようになりました。

このような楽器は近年私のところではすぐに売れてしまいます。
就職した当初の10年以上前はずっと在庫になっていました。

オールドのドイツの楽器でも悪くないものは1年残っていることはあまりないです。去年直したヴィドハルムももう所有者が決まっています。

戦後しばらくはドイツのオールド楽器は名器として人気があったと思います。高齢の方が所有していることが多いです。80,90年代くらいは近、現代的な楽器のほうに人気が移ってまさに日本の楽器市場の通りです。今はオールドのドイツの楽器はすぐに売れてしまい演奏レベルも高い人が多いです。

時代は常に動いているのです。
日本だけが取り残されているのでしょう。
日本人は信仰の対象として見てしまうので教えが固定しやすいと思います。

文明開化から次々と新しいものを取り入れてきた日本人ですが外国にいると80年代くらいで時間が止まっているように思うことがよくあります。




アマティやストラディバリにはクリーンさと美しさの両方があり、オールド楽器独特の雰囲気が感じられます。独特な雰囲気の正体を私は探っているのです。アマティの複製では現代の尺度では減点されるものでも出来上がってみると何とも言えない美しさがあります。現代風の作風でモデルだけをアマティにしたものではそうはいきません。

それを造形感覚と私は考えています。
アーチやスクロールには顕著に表れています。
正体についてはその工程で考えていきましょう。




これは私の個人的な興味ですから一般的にはクリーンに作られたものは上等な楽器です。
見事にクリーンな楽器を作れる人は全体の一部で、下手くそな楽器を作って自分を天才だと思っている人も多くいます。

同じようにクリーンに作られたものでも音響面は様々で弾いてみるとそれぞれ違います。
モダン楽器ではソリストが使っているものもあり音についても悪いということはありません。

私は職人として自分に作れないものあることが許せないのです。
オールドの作者のような楽器を作れるようになりたいのです。


アンティーク塗装されたオールド楽器のコピーでも職人の技量は個人差が大きくあります。一般の人は見分けるのは難しいかもしれません。現代風の出来損ないを汚くしただけのものは低レベルなものです。腕が良い職人ならクリーンな楽器も作れるはずです。そうでなければ腕の良い職人の楽器のコピーは作れないからです。

コンクールで勝負するにはそれに専念してノウハウを蓄積する必要がありそうですが、腕に自信が無いからとクリーンな楽器を作れない下手な人がアンティーク塗装のコピーを作ることがよくあります。私はオールド楽器のコピーはそんなに簡単なものではないと考えています。

この差は大きな違いとなるでしょう。

そのような出来損ないのコピーを作る人も口では私のように立派な理屈を言います。
「現代の楽器は人間味が無い・・・・それは本当の楽器作りでは無い」と。
しかし彼の楽器を見るとただの出来損ないなのです。
言葉なんてものはそんなものです。



パフリング


パフリングというのは表板や裏板の周辺に埋め込まれているラインのことで黒い2本の線が入っています。安い楽器では描いてあるものもありますが、高級品では溝を掘って象嵌として埋めてあります。

アマティのパフリングはクオリティの高い物であり現代の職人でも相当な人でなくてはかないません。私も同じスタイルのものばかりを作っているわけではないのでとても緊張します。
ただしパフリングをクリーンにするために楽器が設計されているわけではありません。カーブはエレガントで動きがあります。動きを無くしたほうがクリーンにはなるでしょう。

あまりに慎重に安全策で行くのも製作態度としてオールドの作者と違ってきてしまいます。

楽器製作を習いたての生徒はパフリングの難しさを知っています。
良い楽器があると言って紹介してもパフリングだけを見て上手いか下手か判断しようとします。
学生なら生産コストなんて考えずに勉強すればいいのですが、プロとなるとそうも言ってられません。一発勝負でどれだけできているかという話です。ちまちま加工して合わせていくのと違う雰囲気があるのです。パフリングだけでなく楽器全体を把握しなくてはいけません。

初めの段階は細部を理解しなくてはいけませんがそれだけでは楽器を分かったことにはなりません。それで分かった気になった人はそれ以上分かることはありません。



パフリングにはいろいろな材料があります。現在では黒い部分にフィーバーと呼ばれる人工的なものが広く使われます。
昔から多く使われてきたのは色を吸い込みやすい木を黒く染めたものです。修理では梨(もちろん洋ナシ)などを染めて再現しています。

今回使うのは高級木材の黒檀です。これは最も美しいものですが加工が難しくデリケートな材料です。初心者には薦めません。

厚みが出たら2mm程度の幅に切ります。

パフリングは市販されていて買って使えば作業の手間はずっと少なくて済みます。
私が自作するのは、一つは楽器を製作するのになぜパフリングは作らないのかという理由に説明がつかないからでもありますが、オールド楽器の雰囲気を出すには市販のものでは合わないからです。

言い換えると市販されているものはアマティやストラディバリが使っていたものとは違うということです。現在主流なのは太めのもので特に白い部分が太いのです。白い部分が太いときれいに見えやすいです。細い方がクリーンにするのは難しいです。しかし、オールド楽器とは雰囲気が異なってしまうので難しい細いものを自作します。

厚みは完全に均一にしないのがポイントです。オールド楽器の場合にもやはり完全に均一ではないからです。それに対して市販されているパフリングは厚みが一定のために現代風に見えます。クリーンです。

アマティの場合にはストラディバリに比べると黒い部分が太いです。そのためストラディバリコピー用に作った残りを使うわけにはいきません。同じグァルネリ家なら流用が効く場合があります。

誰も気づかないかもしれませんがこんなところにも家の流儀が出ています。ストラディバリで黒い部分が太いと雰囲気が違うと思ってしまいます。このように作者の雰囲気が出る部分なので自作するべきだと思います。


白い部分にはポプラを使います。裏板と同じメイプルを使えば杢が入るのでキラキラと光って見えます。幅も広く杢が深ければきれいに見えますが現代風に見えます。

黒檀が厄介なのは曲げるのが難しいことです。
伸び縮みが少ないので初めに曲げてからそれぞれを貼り合わせる必要があります。
カーブの内側と外側で長さが変わってくるので黒檀では伸びないので曲げられないのです。

フィーバーや白い木を染めたものはまっすぐの状態で貼り合わせたものが売られていて曲げて使うことができます。

黒檀はボロボロと割れやすい素材であり刃物でも切りにくいものです。そのため初心者にはフィーバーを薦めます。

現在の量産品ではほとんどの場合フィーバーが使われています。もっと古い時代だと白い木を染めたものを使っていて例えばザクセンでは独特のものが量産されていました。真ん中の白い部分が極端に狭いものです。そのためそのようなパフリングが使われていれば東ドイツ系の楽器だとわかります。

このまえもある楽器商がフランスの楽器だとして持ってきたものがありました。しかしパフリングを見るとザクセンのものなのですぐにそれがザクセンのもので量産品であることが分かります。フランスの楽器としては偽物です。そんなことを知らなくても楽器商をやっているのです。


パフリングカッターという道具で2本の傷をつけていきます。真っ直ぐに当てるのはとても難しいものです。力を入れすぎると表板の場合柔らかいので表板のふちがへこんでしまいます。そうなるとラインがガタガタします。


刃物を砥石に充てるときもそうですがしっかりと保持しながらも力を入れないのです。初心者はギュウギュウ押し付けてしまうのでは刃先も砥石もダメにしてしまいます。他の道具を使う時もそうで熟練した職人が削っている音を聞くと心地よいものです。雑な人の音を聞いているだけで不快になります。力を入れすぎているので叩きつけるような音になるのです。職場でも背後で誰が作業しているか見なくても分かります。


この時重要なのはパフリングカッターの幅を調整することです。
余った木で何度も試して幅を決めます。

2枚の刃の間に板を入れることで厚みを調整します。この板を削ることで厚みを出すのです。

外側からの距離はとても重要で楽器の印象に大きく左右します。これだけでどこの流派の楽器か分かることもあります。コーナーの先端はこの幅によって印象が変わってきます。これを間違えるとコーナーの先は思ったようにはなりません。コーナーの形に合わせる必要があります。したがって決められた寸法だけを与えられて作業すると不自然になります。量産品では限界が出ます。




フリーハンドで切っていきます。パフリングカッターの溝は浅いもので油断すればすぐに脱線して木を切ってしまいます。カーブに合わせてナイフを動かしていきます。板の方も動かしていくと良いでしょう。

上手くパフリングを入れるにはノーミスで行くことです。
腕に自信が無ければあらかじめ溝を細めにしておいてやすりなどで広げながら仕上げていくこともできます。それだと時間がかかりすぎてしまいます。一発勝負で行かないとプロとは言えません。



溝を切りこんだら彫っていきます。溝は1.5mm以上は彫らなくてはいけないので相当ナイフで切りこみを入れる必要があります。深く切り込むほどミスをしやすいのです。ちょっと切り込みを入れては彫って…と繰り返すこともできますが手数が増えるとミスする確率が増えます。彫っているときに傷つけたりするのです。

自作の道具で彫っていきますが市販されている専用のものもあります。それはとても使いにくいもので信じられません。

彫ると言っても割っていきます。手数は少ないほど安全ですが、割っていくときに繊維のうねりによって波打って割れます。杢が深い木ほど顕著です。波の深いところが寸法を割らないように気を付けます。

割った段階では波打っています。

底をきれいに仕上げます。

深さも大事です十分な深さで一定にする必要があります。パフリングとの接着面になるからです。底がガタガタならパフリングとの間に隙間ができることになります。パフリンが浮いている楽器は実際にあって修理の時にクランプで表板と裏板を締め付けるとパフリングのところが沈んでしまうことがあります。こうなると見苦しいです。引っ張り出す方法はありません。

また溝が深すぎる楽器があって内側まで貫通しているものがあります。こういう楽器はエッジの強度がありませんから表板や裏板を開けようとするとエッジが取れてしまいます。これはプレスで作られたような安価な楽器に多く修理代が理論上ものすごく高くなります。安価な楽器のほうがキチッと作られた楽器より修理代が高くなるのです。外側からは分からないので見積もりよりはるかに高い修理代が発生することになります。安価な楽器、粗悪な楽器では事前の予想ができないのです。開けてしまった以上は修理するしかありません。修理を依頼した人はとんでもない高額な修理代に驚くわけですが安い楽器なら修理代は高くなると知っておいた方が良いです。


コーナーの合わせ目は難しいところです。
初めは浅めにしておいて様子を見ます。こんな感じで出来上がっている楽器もありますが

もう少し先まで進みました。ストラディバリモデルならこれくらいで普通ですがアマティの場合にはコーナーが細長いのでもっと先まで入れましょう。

これで先まで来ました。


この時にパフリングの合わせ目がぴっちり合うようにします。

溝の方も先端まできっちり加工することです。


せっかく合わせた先端も接着でずれてしまっては台無しです。接着はとても難しいものです。


出来上がるとこんな感じです。
先端もそうですがそこに向かうカーブも滑らかで隙間は無くパフリングにもうねりがありません。

黄色の線で示したように先端の方向はコーナーの外側の辺の中心よりやや下に来ます。ピンクで示したように先端までカーブの流れが続きます。これがジローラモ、アントニオ・アマティの晩年やニコラ・アマティにみられるものです。非常に難しいものです。細いパフリングできれいに見せるのは至難の業です。

そのほか完成はアーチが仕上がってから見る事になります。

まとめ

隙間もなくカーブも滑らかになっていることが質の高さです。逆にガタガタしたり隙間があったりすると汚く見えます。デルジェズのコピーの時にはわざとそのようにしますが、一般的にはクオリティが低いことになります。

量産品では回転式の機械を使って溝を彫ります。コンピュータ制御でアーチから全部プログラム通りに加工する場合もあるし、ハンディタイプの機械で彫る場合もあるでしょう。私は使ったことがないのでわかりません。先端は無理なので手作業だと思います。いくら厳しく品質管理してもバランスの問題なので機械で作ったものには違和感があります。
クレモナの道具屋でもハンディタイプのものは売られています。ということは使われているかもしれません。

溝がうねっていると白い木を染めたパフリングは柔らかいので溝の通りに蛇行していきます。量産品ではよくあります。黒檀の場合には硬いので蛇行しにくいです。その代わり直進しようとするので両側に隙間ができるのです。

白い木を染めたものはうねうねとしやすくフィーバーのほうがもう少し硬さがあると思います。したがって現在の量産品ではフィーバーを使って両側の隙間を粉で埋めてあります。一見するとそんなに悪くはありません。タイトボンドという商品名のアメリカの接着剤ではパテのような粉がボンドに含まれているので隙間が埋まるのです。木が古くなって変色していったときにそれらは変色していかないでしょう。パテで隙間を埋めたものもやはり汚くなってしまいます。



パフリングがきれいに入っているかどうかはクリーンさに直結します。コーナーの先端は作者の好みの問題で、客観的に言えるのはすべてのコーナーが同じようになっていることが求められます。寸分たがわなければ完全な楽器です。多少違ってもきれいであれば十分な腕前の職人ということができます。


先ほども言いましたが、ヴァイオリン製作の初心者はパフリングを習うととても難しいのでそこばかり見ようとします。しかし手慣れた職人のコーナーは必ずしもすべてが同じ形をしていなくてもうまさというのは分かります。アマティは割合すべてのコーナーの先端が同じようにできています。現在でも相当完璧な方です。ストラディバリはもう少し自由です。フランスの19世紀の名器ではストラディバリの特徴を大げさにしています。意外にもコーナーごとのばらつきは結構あります。

初心者がフランスの名器を見たときにパフリングだけを見ると必ずしもすべてが同じ形をしていないので出来が良くないと考えるかもしれません。しかし楽器全体を見たときにそれがクリーンで美しい楽器であることは明らかです。

一方でガチャガチャとした汚いパフリングはデルジェズのようなオールド楽器にも見られるため戦前のアンティーク塗装のものではそれっぽく見えることもあります。それは表面的な事であり楽器の本質ではありません。素人目には似ていても全く違うものです。その違いを見極めるのは難しいものです。

クリーンに作られた現代の楽器ならそれが上等なものだということは分かります。