ビオラ製作で見るクオリティと木工技能【第3回】輪郭とコーナーを仕上げます | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

弦楽器製作ではカーブのラインがぶれずに綺麗に流れていることが重要視されます。
近代以降の油絵なら輪郭線は甘くベタベタッと塗っていますが弦楽器製作では輪郭線がシャープであることが求められます。ボッティチェリなど画家がまだ職人だったころの絵を見るとシャープな輪郭線が描かれていますがそんな感じです。





こんにちは、ガリッポです。

近頃はクオリティについて取り上げていますが、これを理解するには自分で楽器を作り多くの楽器を見る事、それに造形の才能が必要です。

しかし当ブログではこれを極限まで極めて最高の楽器を見分けるのが目標なのではなく、たとえば量産品とハンドメイドの楽器を見分けることができるだけでも大きな力になるのです。



実際に弦楽器店に行ったとき予算を告げればいくつか楽器を出してくるでしょう。その時に「これは工場で大量生産されたものです」とか「これは一人前の職人によるハンドメイドです」と必ず言ってもらえるとは限りません。

私は日本の弦楽器店に行くことがないのでわかりませんが、楽器店のウェブサイトを見ても「大量生産品」とか「手工品」とは書いてありません。一般に工業製品で「手作り」や「ハンドメイド」ということに定義はありません。


例えば100年くらい前のフランス人の作者名とともに「製造地…フランス」と書かれていてもその楽器はその人が自分で作ったのか、従業員や家族が作ったものなのか、その人が経営したり、所有している工場で作られた大量生産品なのか記されていないのです。私なら「これは量産品」とわかりますが一般の人には難しいでしょう。量産品に何百万円も出すのはばかげていますが、何百万円もすることでハンドメイドだろうと勝手に考えてしまう人がいるでしょう。なぜ量産品とわかるかというと以前に同じような楽器を見た時にクオリティで量産品だと分かっていたからです。特にフランスの場合、一人前の職人によるものは高いクオリティで作られているので違うことがすぐにわかります。


さらには名前だけを貸してお金をもらうこともできますし、大量生産品を販売者が自分の名前を付けて売ることもできます。メーカー名やブランド名として空想の名前を付けることもできます。

たとえば、J.B.ヴィヨームの弟子のルドヴィヒ・ノイナーはベルリンに工房を構えていて自身の名前の焼印が押された弓を売っていました。ノイナーが弓を作っていたのではなくてアルベルト・ニュルンベルガーというドイツの一流の弓職人が作ったものです。ニュルンベルガーに発注して自分の焼印を押して売っていたのです。これはどちらにしても本物のニュルンベルガーの弓で一級品の弓であることには変わりありませんが一級品でさえこのようなことがあるのです。


今でも様々な楽器メーカーや商社があり、楽器やアクセサリーなど幅広くいろいろな製品を扱っています。別のメーカー名が付いていても同じ製品があります。作っているところは同じで売り手が自分のブランド名を付けて売っているのです。その詳細は公表されることは無く私たちは同じものがほかのメーカー名でも売られていることを知って「製造元が同じなんだな」と思います。

日本の場合には戦後工業国だったこともあって「メーカー名=製造業者」というイメージが強いかもしれませんが、ヨーロッパの大手楽器メーカーGEWAでは自社で工場を持っておらず商社として販売しているだけの製品が多くあります。

ギルドのような組織では無数に無名な製造業者があり、それを組合でまとめて販売していたのです。このようなことは日本でもありました。刃物の産地などではそうです。私が使っている日本の工具も同じ銘柄のものでも別の製造業者が作っていて組合としてブランド名を付けて売っているのです。日本でもそうだったんですが、戦後の工業では大手企業によるメーカー名がものを言うようになったのです。そのメーカー名を気にするのも日本人に特有な傾向だと外国に住んでいると思います。


そのような内部情報は知らされることがありません。
今でもドイツ人のマイスターの名前が付いていたとしても工場で作られた量産品かもしれません。彼がマイスターの資格を持っていたとしても機械を使って大量生産したり、中国で作ったものを買っているのかもしれません。そのような楽器を売ったからと言ってマイスターの資格がはく奪されることはありません。


それが大量生産品かハンドメイドの上等なものなのかはクオリティを見分けるしかないのです。もし楽器店で働く人が職人ではなく、音大卒の営業だったとしたら仕入れ元から提供される情報しかありません。売り手の言う事をすべて信じていたら商取引の世界では食い物にされるでしょう。


なんでも鑑定団という番組をご存知かもしれませんが私も高校生くらいのころ見ていました。掛け軸なんかが出てきても多くは印刷で500円とかそういう結果に一喜一憂する番組でした。見てる分には面白いかもしれませんが本物と信じて買った人の方は深刻な損害です。

にせものだとしても印刷か、模写か、全くの別物か、いくつかパターンがあるでしょう。
印刷は虫眼鏡で見ると小さな点が規則正しく並んでいて、その大きさによって濃淡を表現していることがわかります。
私も弦楽器のラベルにそのような点があればオリジナルのラベルではなく、本に印刷されたものをコピー機で複製したものだとわかります。


楽器本体について大量生産品と高級品を見分けるにはクオリティの違いを見分ける必要があります。そのほかニスの材質や製造上の特徴があります。いずれにしてもハンドメイドの楽器と信じて大量生産品を買ってしまうのは大失敗です。



私でも大量生産品かハンドメイドの楽器か見分けがつかないものがあります
そのレベルでも簡単なことではありません。作者の腕の良し悪しなんかを語る前に大量生産品かハンドメイドかさえも見分けるのは難しいのです。


もしクオリティを見る目が無いならなんでも鑑定団のようなことになります。この世に存在している楽器のほとんどが安物であり、ヨーロッパなら物置に眠っていて、修理が必要なためガラクタとしてタダ同然で買うことができます。私のところにも日本の業者がそういう楽器を求めて訪ねてきたこともありました。彼らにとって重要なのは思わせぶりな偽造ラベルの貼られたものでしょう。なぜなら売るときに「これは大量生産品です」とアピールはしないからです。


前回シュヴァイツァーを紹介して偽造ラベルが作られるくらいの作者だと説明したが、さっそくそのようなチェロが日本で売られていることを知らせていただきました。当然シュヴァイツァーのチェロなわけがありません。シュヴァイツァーのチェロなら1000万円はくだらないはずですが、それはただのアンティーク塗装された量産品です。ハンガリーでそのような量産品は多く作られたのではないかと思います。昔の量産品は高度な機械は必要なく、分業によって作られていました。

仮にハンガリー製だとしても腕の良い職人が作ったハンドメイドのチェロなら素晴らしいものです。しかしそのようなものは滅多にありません。多くはただの量産品です。それらの違いは製造国名ではなくクオリティだけなのです。100年くらい前の量産チェロは品質がとても悪く現在の機械で作られたものよりはるかに劣る事が多いです。ただのガラクタなのです。



製作者としてできることは明らかに量産品とは違うクオリティのものを作ることです。理論上は外見は音の良し悪しには関係がありませんが、大量生産の職人には作れないレベルのものを作るのです。毎月の給料のために働く工員では人生を楽器製作にささげている職人のようなものはいくら厳しくしても作れません。


一方、大量生産品以下の品質の楽器をハンドメイドだからと言って高い値段で買うのはばかげています。それなら大量生産品で十分だと思うのです。



量産品か、高級品かを見分けるときに視覚だけを使って行うのと、聴覚だけを使って行うのでは正解率は視覚だけのほうが高いはずです。

実際にこのようなことがありました。
このチェロは音が良いからオールドだと演奏家は考えていましたが、モンタニアーナモデルのチェロでした。モンタニアーナモデルが流行したのは最近なのでオールドではないと分かるのです。もちろん本当のモンタニアーナではありません、アンティーク塗装であることは私にはわかります。音だけで楽器を判別するのはこれだけ不正確なのです。
そもそも新しいチェロでも音が良いものがあるということです。


値段と品質が一致していることが重要です。値段と品質が一致している売り手なら予算の中で弾いて音が気にったものを買えば良いです。音だけで判断して量産品に何百万円も払うのはばかげています



私のようなことを言っていると「社会人として通用しないぞ」と言われますが腕の良い職人というのはそういうものです。仕事してお金をもらって暮らしていますけども無職というあつかいになるでしょうかね?職の人と書いて「職人」なのにです。

お店に置く商品を選ぶとき「立派な社会人」なら会社の方針に従ってどれだけお金をもたらすかという基準で選ぶでしょうが、職人は品物の良し悪しで選ぼうとする頭のおかしい人たちなのです。就職先を決めるときにも「職人の道を極めるのに役立つか」という基準で選びます。「立派な社会人」が集まっている店ではそれはかないません。

消費者は好きな方を選んでください。
社会人でなくて職人であることに誇りを持っています。

ここ数十年の常識でどう考え行動するかではなく数百年という単位で物を考えています。

ビオラの輪郭


輪郭を出す作業ですが大雑把に加工した段階ではこんなもんです。ラインがゴリゴリしています。

完成したのは次の写真

今回はアマティのモデルで癖はあるのです。しかしラインがぶれていたのがすっきりしました。
完璧にするにはそもそも設計を変えなくてはいけません。

仕上げのクオリティとはこういう差のことです。
私の作り方では初めから悪くないのでひどくは無いのです。
でもできるだけきれいにしたいと思うから何時間もかけて仕上げるのです。

再び加工前の写真です。

コーナーは細くなっていますが黄色の線で示した部分がまだ攻めきれていません。
もう一度完成した写真です。

変わったでしょ?ゆっくりしたカーブになりました。

コンクールに出すならもっと完璧にしなくてはいけませんがあまりやりすぎても現代風になってしまうのでこれくらいにしておきます。

ぜんぜん違いが分からないという人がいるかもしれませんが、そういうものです。
何時間も見てると目の感覚が研ぎ澄まされてきて見えるようになってきます。


今度は表板のコーナーです。

まだまだこれからです。

加工が進むと

無造作だったものが仕上がってきました。

このようにきれいなカーブになっている必要があります。アマティの場合には私は青の矢印のように流れていくようにします。これで摩耗して角が丸くなると視覚的にちょうど良くなるのです。これがストラディバリなら上のカーブがもうちょっと浅く入ってくるので上の方に向かわずに右の方に流れていきます。そのため延長線上で交わるようになります。

このようなコーナーの形を作るのは目で見て理解してこういう風にしたいと考えてそうするのです。何が正しいということでもなく自分がどうしたいかという話です。基本的にはラインがぶれずに先端に向かってきれいな弧を描いていること、左右が同じであること、上下ともキャラクターは同じでなくてはいけません、裏と表も合わせるとすべてのコーナーが同じ形になっている必要があります。

コーナーに向かっていく入口のところも重要でさっき裏板の方で示した通りです。

修理などでコーナーが壊れてしまい新しく木を継ぎ足して元の形を復元するのですが、至難の業です。2回くらいやらないと完璧にはならないのですが2回も修理するわけにもいかないので非常に難しいです。なんかちょっと違うのです。それが何が違うのかわかるころには削りすぎていて小さくなってしまっているのです。

角になっているところを少し落としてしまうと青の矢印の方向が変わってしまいます。

赤の矢印で示したところはコーナーの太さです。これによっても印象が変わってきます。しかしここを測ることができないのです。定規の当て方によって変わってしまうからです。測れるのは先端の辺ですがカーブの流れが同じでないと先端だけ測っても他のコーナーと太さはあいません。

アマティやストラディバリの場合にはすべてのコーナーが同じ形をしているというよりは美しければ多少違っても良いという感じです。中には削りすぎて失敗してカッコ悪くなったものがあります。すべて同じにしようと思うとすべてカッコ悪いのにしなくてはいけなくなります。それだったら多少ばらつきがあっても美しく感じるように感覚で作った方が良いと思います。


特に表板を加工するのに難しいのは年輪の部分は堅くその間は柔らかいのでナイフで切ろうとしてもガクガクとなってしまいます。私はそうなりませんけど、初めての人は大変です。きれいに加工するだけでなくカーブのラインや深さ、方向、太さ・・・それらによる美しさ、すべてのコーナーが同じキャラクターになっていることと一度にやるべきことが多くあります。




パフリングが入った時点でコーナーはもう一度見ることになります。
ビオラになるとさすがに大きいので遠近感が出ていますね。


このようにアマティの形ができました。アマティは形が独特ですからヴァイオリンでもこんな形のものを持っている人はほとんどいないと思います。これがストラディバリモデルなら似たようなものがたくさんあります。ストラディバリモデルが普通のヴァイオリンとして教育を受けるので私たちはアマティのようなものをデザインすることはできません。アマティから型を取るしかないのです。

現代人の発想でオリジナルのデザインを考えても小さな範囲に収まってしまいます。皆同じようになってしまいます。中にはとんでもないデザインにする人もいます。特にビオラの場合には異常に幅の広いモデルを作る人がいます。弓がぶつかるようだと演奏しにくい楽器になってしまいます。

いずれにしてもカーブがガタガタしていたりダラッとしていればクオリティは低いということになります。輪郭の形はふつうは横板を基準にします。横板からオーバーハングという張り出し部分を2.3~2.5mm取って形が決まるので木枠の段階で基本形は決まっています。横板を曲げると多少誤差が出るので内枠式なら左右や裏表の形に誤差が出るのです。そういう歪みがあるのがハンドメイドの楽器としては普通です。その中でつじつまを合わせてきれいに見せるかというのがポイントです。フランスのように外枠式ならもっと完璧にできます。

私はオリジナルのアマティからそのまま型を取っています。右か左かどちらかだけを取って反転させるのではなくてそのまま型を取っているのでアマティの歪みをそのまま再現しています。

それでも目で見ながら感覚でラインを整えていく必要があります。

まとめ

カーブのラインがきれいに流れていることが重要とされています。これをクリアーしていれば形がどんなものであれクオリティは高いとみなされます。ラインがガタガタしてたりコーナーの周辺カーブがだらしなければクオリティは低いとみなされます。

アマティの面白いところは丸みが独特で急なカーブがあったりするところです。ストラディバリはもう少し自然になっています。アマティ家は最初に弦楽器の設計をしたわけですからコンパスなどを使って製図したのではないかと思います。大きさの異なる楽器を設計する場合比率を同じにしてコンパスを使えば拡大することができます。

見た目には不自然なところもあってストラディバリはより感覚で作っているように思います。

いずれにしてもこのような微妙な違いに対して取り組んでいくのが職人の仕事の仕方です。もし素敵な楽器を作りたいと思うのなら努力によって何とかできるのは入念に仕上げることです。

一方で完璧なカーブになるように設計した人も100年以上前にいます。
そういう楽器を見ればもちろん高いクオリティのものであることは明らかですが、オールド楽器とは違う印象を受けます。それはちょっとやりすぎだと思うのです。

パフリングが入ると優雅なラインが見えることになるでしょうが、仕事の感じとしてはこういうことです。