ビオラ製作で見るクオリティと木工技能【第2回】板を切り抜いて荒削りをします | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

「ひどくなければ何でも良い」と言ってきましたがひどいというのはクオリティが低いということです。クオリティが分かることがいかに重要かということです。
作者名や値段などそれ以外は逆に言えばどうでもいいわけです。

十分なクオリティの楽器が目の前にあった時にその価値に気付くことができ、弾いて気に入っていれば良い楽器なのです。

冒頭からすごく大事なことを言っています。




こんにちはガリッポです。


世に存在するほとんどのヴァイオリンは作者も不明で価値は15万円~100万円くらいです。
作者名が分かっていれば100万円~150万円つけてもおかしくはありません。

さらに戦前より前で知名度があれば150万円以上になることもあります。
これは相場によって値段が決まるので名前が分かれば自動的に決まります。

したがって演奏に使えるレベルで考えると10~150万円くらいで95%のヴァイオリンを占めると思います。


重要なのは10万円と100万円の見分けがつくかどうかということです。
10万円くらいが妥当なものを100万円くらいで買ってしまっては失敗ですし、30万円くらいの水準のものを作者が有名だからと言って500万円で買ってしまったら損です。

楽器のクオリティを見ることができるというのはとても重要なことです。
明らかなニセモノに気付くこともできます。


お客さんが楽器を売りに来たとき私たちがまず見るのは「クオリティ」です。
まず大量生産品のスチューデントヴァイオリンか一人前の職人によるマスターヴァイオリンかを見分けます。話は全てそれからです。

この違いはクオリティによってわかるのです。
大量生産品に最高のクオリティのものはありません。私はずっとやってきましたが見たことがありません。そして10万円くらいの楽器の表板を開けると中がメチャクチャです。外もメチャクチャのこともあります。それ以下のクオリティの楽器を「イタリア製」ということで高く買ってしまっては損です。実際に何人もそのような楽器を買った人を見てきました。

この差はすべてクオリティの差なのです。
「ひどくなければ何でも良い」と私が言っているひどいというのはクオリティが低いということです。

価格に対してクオリティが十分でなければ予選落ちということになります。試奏するまでもありません。売り手が責任を持つべきなのですが全てがそのような業者ならひどい楽器を持っている人を見ることは無いでしょう。実際にはよく見ます。

メーカー名があてにならない



一般的に工業製品を買う時に、メーカー名を見て買う人はいると思います。
弦楽器がそれと違うのはメーカーの規模がはるかに小さいということです。
無数に小さなメーカーが過去に存在し、今も存在しています。

消耗品であれば同じメーカーのものや同じ製品を再び購入すれば選択の手間が省けます。
そのように物を買っている人もいると思います。

ところが弦楽器の場合、何度も買うことはありません。
ヴァイオリンを買って次に同じメーカーのビオラを買ってさらにチェロも買って・・・ということはあまりありません。1回しか買わないことも多いでしょう。
音楽一家ならお父さんが家族のために買うことはあるでしょうが。



もう一つ問題なのはメーカーが歴史や哲学を持っていないというところです。
弦楽器は基本的にみな同じようなもので、メーカーごとに特色がありません。意図的に音に反映させることは難しくそのメーカーの音というのがよく知られているということもありません。

私は意図してかなりはっきりした特徴のある楽器を作っていますが私のような変わった人は例外的です。



同じメーカーの製品がいつでも買えるのは大量生産の仕組みができているからです。
弦楽器の魅力はそういうものでなくて、二つと同じものが無く音は皆微妙に違います。人との出会いのように運命の出会いが必要なのです。

メーカー名で物を買うということは買い物について「楽をしている」ことになります。
弦楽器でも本当に好きなものを買うためには楽をしては得ることができません。
楽してメーカー名で買った結果あまり好きではない楽器が手元に残るのです。弦楽器を売ることはみなさんが考えているよりも難しいことです。特に日本では百戦錬磨の業者に満足いく値段で買い取ってもらうことは至難の業です。素人では難癖をつけられて安く買いたたかれてしまいます。

これがヨーロッパでならクオリティの高い楽器は妥当な値段でほぼ確実に売れます。日本人と違ってメーカー名で物を買わないからです。クオリティの高い楽器なら音が好みに合う人がいつ現れるかどうかで時間の問題です。




どうでもいい買い物なら楽しても良いと思いますよ。私もそうしています。

ビオラ製作の続きです


私は弦楽器製作の歴史を学んで良いものは何でも取り入れていきます。
オールドの時代には内枠の木枠を使っていました。それに対して19世紀のフランスでは外枠も使われるようになりました。ヴィヨームの内枠も残っていますから内枠もあったはずです。

いずれにしてもフランスの外枠が優れいてる点は輪郭の形を設計通りにすることができるという点です。そのためフランスの楽器では人類にはこれ以上は無理という完璧さを実現しました。左右も対称すぎるため、ストラディバリのコピーを見てもそれが本当のストラディバリと違うことがすぐにわかります。

それに対して内枠の場合は内枠に横板を曲げて貼りつけてそれを基準に一回り大きく裏板や表板を切り抜くことで形が来ます。したがって横板が正確に曲げられているかが重要になります。外枠式の場合には裏板や表板から横板がはみ出る心配がないため設計通りに正確に裏板や表板の形を切り抜くことができます。

その反面外枠を作るのに手間がかかり、違うモデルのものを作るのが難しいです。同じ形のものを正確に作るのに適しています。ストラディバリをさらに完璧に修正した「ストラドモデル」の全く同じものをいくつも作ることができました。それに対してストラディバリ本人はずっと誤差がありました。ストラディバリの場合には頭の中に設計図があったと言えるかもしれません。必ずしも全く同じものではなく、左右も違うものです。しかしそれでもアドリブで「美しい」と感じさせる形を作り出すのがアルティスタなのです。チェロも研究していますが同じ木枠を使っても全く同じではないのです。微妙にみんな違います。


私はフランスのような輪郭の正確さを内枠を使って作っています。
後で説明します。


今回はアマティのモデルで小型のビオラを作っています。
一枚の板ですが、カエデの木というのは外側のほうが杢が深く内側は弱いです。したがってビオラのような大きな一枚板を得るには樹齢が必要です。今回はできるだけ外側で板を取っています。木目は縦に年輪が走っています。縦の木目を楽器に対して真っ直ぐにするときれいに見えます。年輪は曲がっていますので厳密に真っ直ぐにするのは無理ですが、センターに弾いたラインと年輪の線がおよそ一致していると思います。


表板ではさらに重要です。今回は40年くらい前の木を使います。
左右とも年輪の縦線が真っ直ぐ縦に入っているときれいに見えます。これが安価な楽器では斜めになっていることがあります。V字のようになっていたりします。アマティやストラディバリではやはりきれいに真っ直ぐになっています。オールドのイタリアの名器でも上等なものは皆そうなっています。バスバーと同じ角度で斜めになっていると割れやすくなります。


2枚の板をはぎ合わせて使う場合重要なのは確実に面が加工され接着されていることです。これは何があっても手を抜いてはいけない部分です。仕事が粗い作者の場合にはここもぴったりついていません。腕の良い職人の楽器はきっちりしています。これもカンナを使うという基本的な能力の違いなのです。

合わせ目が緩くなっていればエネルギーが逃げてしまいますし、振動も伝わりません。
この木は古いので中央の色が濃くなっていますが接着は確実です。

やや粗めの木目を使うことで出来上がった時に雰囲気のあるものになるでしょう。
ビオラなのでヴァイオリンより年輪の間隔の広いものがマッチします。
音はきめ細かい木目のほうが音もきめ細かい感じになるでしょう。以前改造したチェロは荒い木目のもので音は好評でした。完成してすぐに完売でした。

ヴァイオリンでも近代には比較的荒い木目のものが好まれるようになりました。力強さを求めたのかもしれません。私が作ったものでは細かい木目のほうが評判が良いようです。荒い木目でも好みの問題です。

荒い木目のほうが加工は難しいです。コーナーやf字孔、パフリングでは苦労します。頑張りましょう。





輪郭をのこぎりで切っていきます。勤め先では機械のバンドソーを使いますが、私個人の楽器を作るときは手作業で切ります。手作業のほうが時間はかかるでしょう。でも慣れてくると段々早くなっていきます。私は失敗してきりすぎてしまったことはありませんがバンドソーのほうが危ないです。手動なら危なくなったらやめればいいのですから。

バンドソーはノコギリのほうは固定されているので木材を動かして切ります。これが感覚と合わないのです。普通刃物を使って作業するときは道具の方を動かして材料のほうは固定します。これが逆なので気持ちが悪いのです。やっていて楽しくないのです。もしひっかかってそれが抜けたときに行き過ぎてしまいそうで怖いです。恐怖感があって嫌な汗をかきます。指を切らないようにも気を付ける必要もあります。

なぜ勤め先では手動のノコギリを使わないかというと師匠や先輩から変な目で見られるからです。彼らには手動のノコギリを使う楽しさが分からないからです。


いずれにしても訓練をしているとうまくコツが分かってきます。このような万力に挟んで少し切っては材料を回して固定して進んでいきます。ノコギリは常に縦に切っていきます。それでもバンドソーとは違って自分の思ったように切っていけると気持ちが良いです。カーブをうまく曲がると気持ちが良いものです。

訓練も進んできたのでチェロもただ頑張りさえすれば作れそうな気になってきました。さすがに毎年楽器を作っているのでだいぶうまくなって来たようです。昔ならチェロはバンドソーでなくては無理かなという感じでした。チェロを切るにはテーブルの大きなバンドソーが必要です。そうでないとつっかかって回らないです。

分からない人には分からないですが、形を作っていくという過程が楽しいのです。

アーチを作っていく

輪郭が切り抜けたらアーチを作っていきます。一番肝心なのは荒削りです。荒削りで形がつかめていないと仕上げになってもその名残が出ます。そのためアーチを見ると職人の熟練度や才能の違いが分かるのです。

未熟な人は同じものを作りますね。
形が見えていなくて攻めきれていないのです。初めてヴァイオリンを作ればみなそうなのですがイタリアの職人のようにたくさん楽器を作っていてもそのままの人もいます。全くアーチの形を作ることに興味がないのです。音にももちろん影響があります。どう影響するかはよくわかりませんが、その人の癖として音には表れます。そのような未熟な職人が多ければそれが「いかにも新作」という音の原因になるでしょう。
これが面白いのはイタリア人だけがそうなのではなくて、未熟な人はどこの国の人でも同じなのです。そこから仕上げについてフランスのように厳しくしていくと変わってきますが、教えるほうが「初めてだからこんなもんで良いか」という教え方ならさほど才能のない人が初めて作った楽器がイタリアの新作楽器とそっくりだったりします。

今回難しいのは材料がギリギリで余裕がないことです。これはビオラということもありますが現代では低いアーチのものが主流なために材料の時点ですでに薄く切ってあるのです。最近の一枚板は厚いものがありますが、これは40~50年前のものです。当時はフラットなアーチしか作られなかったのでしょう。
このようにノミでザックリ彫って行かないと特にマイナスのカーブがうまく出せません。これは最終的な板の強度にはっきりとした違いが出ます。

このような作業はモロに造形センスの差が出ます。ノミという道具はフリーハンドですから彫刻家のように形を作り出す能力が問われます。

オールド楽器の時代が面白いのはアーチを形作っているところです。現代はアーチの形を作ることにまったく興味が無くても楽器を完成させることができます。


白木の量産楽器を改造する事をよくやりますが機械で作られたアーチに満足することは無いです。パッと見たくらいでは悪くないように見えますがいざ作業にかかると「どうしようもできないな」と思います。あまりいじっても板が薄くなってしまいますしアーチは低くなるだけです。

仕上げのクオリティについてその工程で説明します。
仕上げさえきれいになっていれば現代の基準なら「高品質」ということになります。ただ見る人が見れば造形センスの差は歴然です。

ビオラやチェロのように大きな楽器になるほどアーチの起伏は緩やかになってきます。ヴァイオリンのほうがわずかな癖が大きな違いになります。大きい楽器ほど特徴も弱くなってきます。チェロくらいになるとなだらかにするのがとても難しくなります。

続きます

粗い仕事の段階だったので仕上げのクオリティはまだでていません。しかしながら、荒削りの差が職人としての腕前の差となります。音にもキャラクターはあるはずです。必ずしもそれが「良い音」ということはできませんが違いは間違いなくあるということです。

クオリティーが高い楽器ならひどく悪いということはまずありません。好き嫌いの問題で好きな人に出会えるかどうかの問題です。うちの店では在庫を見ていればかつてあったクオリティーの高い楽器は皆売れてなくなっています。残っているのは板の厚いチェコのドボルザークのヴァイオリンですね。あれだけなぜかずっとあります。なぜかって板が厚いからでしょうけども。クオリティは高くて音は好みの問題なのですが、板が厚く明るい音のする楽器を好む人が少ないのです。クオリティが高くて板が薄く暗い音の楽器はすぐに売れていきます。
あとは先輩の作った板の厚いビオラです。これもどうしようもないです。現代のセオリー通り真面目に作ってあります。でも明るい音のビオラを欲しいという人がいません。

好みの問題とはいえ明るい音を好む人がめったにいなければ好む人に出会うことがありません。


そういう意味でビオラをもう少し薄く作ればそれだけでかなり魅力的なものになると言えるでしょう。薄すぎてももちろんダメですけども、材料もアーチもしっかりしていることが重要です。薄くてもヘナヘナになってしまうと鳴らすのが難しい楽器になってしまいます。厚すぎるのとどっちが良いかというと好みの問題としか言えません。