ヴァイオリン職人の最も基本的な能力について | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

これだけ楽器のことについていろいろ書いてきましたが、とても重要なのにあまり触れてこないことがありました。皆さんに興味があるかわからなかったからです。

楽器職人としての最も基本的な能力は「刃物を使いこなすこと」です。これが無ければ何もできません。弦楽器が使いこなせなければ音楽を演奏することができないのと同じです。




こんにちは、ガリッポです。
明るい真夏だけではなくて、こういう暗い感じも私は情緒があって好きです。


一旦融けたのにまたもや川が凍り始めている今日この頃ですが、もういちごが店頭に並んでいました。スペインから来ているのです。

最初こっちに来たときは大きさもそろっておらず酸っぱいのも甘いのもごちゃまぜになっていることに驚きました。値段は安くて最盛期なら500gで200円くらいです。

通貨統合の成果かスペインのイチゴの質がすっかり良くなりました。それにしては安いのでスペインの人には不公平だと思います。

特に出始めの一番最初のイチゴが一番おいしいと感じます。さっそく買いましたが甘いです。
「飽きる」という心理学的な問題ではなくて実際に味が違うと思います。
最盛期は酸っぱいものが多くなっていると思います。
理由は私が知りたいですが、早い時期に収穫できるということはそれだけ温暖な地域ということもあるでしょうが、農家も意欲的なのでしょうか?ビニルハウスなどの栽培法が徹底されているのでしょう。

欧米のイチゴは日本のものよりも硬くてしっかりしています。なぜ日本だけベチャベチャになってしまったのか不思議です。慣れだけの問題ですが。ピーマンもなぜ日本のものは苦味のあるものが一般的になったのか不思議です。甘いものなら子供も食べられると思うのですが。



大人になると苦いものが好きになるということで思い出します。

子供の頃、同級生の親が営む電気店に遊びに行っていました。
シャープのツインファミコンとかワープロパソコンとかで遊んでいました。ツインファミコンというのは任天堂のファミコンのロムカセットとフロッピーディスクの両方が使える機械なのでした。ワープロパソコンはナショナル(現パナソニック)のもので、マイクロソフトのMSX規格のパソコンにワープロ機能とプリンターが付いていたものだったと思うのです。マイクロソフトのOSのパソコンで文書を作って印刷するなんて今なら普通ですが当時はワープロはワープロ専用の機械を使っていました。今になって思えばシャープは流通ルートがおもちゃ屋のファミコンとは違ったのかなと思ったりもします。


そこでコーヒーメーカーを売り出していてインスタントコーヒーしか知らなかった私は衝撃を受けました。それ以来カフェイン中毒ですよ。今のインスタントコーヒーを出されたても気付かないくらいに良くなっていますが、当時は雲泥の差でした。

今なら、そんな機械なんて要らなくてやかんでお湯を沸かしてフィルターに注げばいいのですが、当時はその機械が無いとコーヒーができないと思っていました。そりゃそうです、電気製品なんて無い時代からコーヒーはあるわけですから。ニスを作る時と同じです。


2000年代に入ってからかある企業経営者のインタビューでイタリア流のコーヒーを売って行こうという会社のものがありました。スパゲッティも昔はうどんのようなモチモチした麺だったのが今はイタリアで食べられているものと変わらない。実はコーヒーも日本にはアメリカから伝わったので日本のコーヒーはアメリカンなんだ。これからは本格的なイタリア流のコーヒーが主流になるというわけです。

なるほどなと思って聞いていました。

私は普段ドリップコーヒーとエスプレッソで作るカプチーノを飲んでいます。どちらかが良いのではなくて別の飲み物だと考えています。エスプレッソも専用のやかんで作っています。

エスプレッソコーヒーの粉を買うのに有名なイタリアメーカーのものを最初は買っていました。これが本当のイタリアのエスプレッソだと。そういうのが売っていなかったりすると安いよくわからないメーカーのものを買うことになりました。

意外にも安い方が味が濃くてコーヒーの風味が強いのです。
どんどん強いのを求めていくのですが、安いものの方が良いのです。


日本に帰るとコーヒーを飲む機会が少なくなってふと飲みたくなる時がありました。駅にはスターバックスがあってカプチーノを買ったのですが、あまりの甘ったるさにびっくりしました。砂糖なんて何も入れていません。

これはコーヒー牛乳の最近のやつじゃないかと思いました。
さっきの経営者の読みは完全に外れています。
他の店は日本でもそんなことはないので女性などのためにわざとそういう味にしているのだろうと思います。
コーヒーを機械で入れるだけなので誰でも入れられます。
ヨーロッパならパン屋でも駅の売店でもどこでもカプチーノくらい出しています。難しいものじゃないです。こだわれば奥は深いんでしょうけども。
日本では高速バスをよく利用するのでサービスエリアにカプチーノが出て来る自販機があるのです。あれは味の濃さを変えられるので一番濃いのにしています。スターバックスよりも良いです。


日本にいた学生時代なら百貨店の店でカプチーノとかを頼むとシナモンとかが入って変な味でした。シナモン味のカプチーノなんてヨーロッパで飲んだことないです。バブルの喫茶店の味ですね。


それはさておき、安いエスプレッソが濃い味がするということで、同じパッケージのものをまた買うと毎回全然味が違うのです。あれ?と思うわけですが、それが安い理由なんだなと理解しました。いつでも同じものを入荷できるわけじゃないからその時々で味が変わってしまうのです。

大手のメーカーはおそらく味を一定にするためにブレンドして作っているのでしょう。そのために味が弱いんじゃないかなと推測しています。大手ってそう言う事ですよね。安定性とか多数派の趣向とか・・・・。


私は変わっている性分なのか、毎回味が違うのが楽しいです。
安いのがあると喜んで買うのです。時には粒子の細かさが違うのかエスプレッソのやかんが詰まってしまって出なくなるトラブルもありました。

「これは良い」とわかっているものよりも、良いのか悪いのかよくわからないものにより興味をひかれます。人生をおもしろくする秘訣だと思います。




私の作る楽器も毎回音は違うのですが、弦楽器らしい濃い味のものです。
日本でも好評なのでそれを私のスタイルとしていきましょう。
オールド楽器のような濃い味の楽器を作ることが真骨頂となってきました。

楽器の製作について各部分の作り方を変えても「良い、悪いというのは無い。違うだけだ。」と同僚とも話をしていました。弦楽器とはそういうもので誰が作ってもちゃんとできるものなのです。天才だけが優れたものを作れるような類のものではないのです。

でもすべての楽器は音が違うのです。意味の分かっていない素人の作ったものや粗悪な手抜きのものでなければ、皆違う音の中から自分の好きなものを見つけるだけです。

私の場合にはオールド楽器の雰囲気を感じられるような音を目指しています。だからと言って他の楽器より優れているわけではないです。
私自身はオールド楽器みたいな雰囲気が好きで、そういう味が出せていることに喜びを感じています。出なかったときは物足りない感じがしました。
全員が全員「オールド楽器のような音」を望んでいるわけじゃないのでそれを優れていると言うのは公平ではないのです。

もちろん有名な作者の楽器と比べて劣っているということもないです。味はずっと濃いです。


特にビオラとかチェロを大人になって始める人は深みのある暖かい音が気に入ったからその楽器を弾きたいという思いがある人がいると思います。
正しい知識を伝える立場ですから新しい楽器らしい音を悪いとは言いませんよ、でも私自身はオールド楽器のような音を素敵だと心底感じていますし、そういうものを作りたいです。私の中ではそれらは全然違うものだと考えています。


もし現代的な音のする楽器があったとしても良くできているものならその価値を認めます。でも自分が自由に数百時間を楽器作りに費やすなら現代的な音の楽器を作るのは労力がもったいないと思うのが個人的な正直な気持ちです。
注文主に明らかにそういう音が欲しいという強い気持ちがあれば寸法さえ現代の常識に沿ったものにすればすぐにそういう音のものはできます。職人なので仕上げや加工に面白さを見出すでしょう。普段作らないものを作ることは研究としてもデータが集まります。






ニスの研究の続き

この前の続きですが少しニスを柔軟にするものを加えただけで今まで起きたことのないようなことが起きます。これまでは質が高くて作業効率も良いニスを目指してきましたがおもしろいですね。

ニスが乾くときに引っ張られて表面にしわのようなものができるのです。

こういうのもうまく利用するとアンティーク塗装などに応用できるのです。しわのでき方も何層も重ねていくうちに変化していくのです。
次に工場製のチェロを塗るのでこれを使って軽いアンティーク塗装をやってみたいと思います。

チェロにアンティーク塗装をすることは非常に労力が必要になります。チェロはヴァイオリンよりも汚れやすく、傷がつきやすいのです。100年も使われたチェロならヴァイオリンで言うと300年使われているくらいの傷み方です。面積が大きいことが最大の問題です。当たり前ですがそうなんです。

かといって手を抜いて安易な方法を取るととてもひどくなります。私は不自然なアンティーク塗装が大嫌いなのでそれが許せないのです。だったらアンティーク塗装なんてしないほうがずっとましです。

チェロで難しいのは汚れ方などが不規則なことです。
規則性が無いと難しいです。ヴァイオリンなら体に触れる部分などが決まっていますがチェロの場合は表板や裏板、スクロールにはあまり触れません。横板は脚が触れすぎています。

チェロはフルバーニッシュできれいにニスを塗るだけでも大変で時間がかかります。量産品などでアンティーク塗装がされるのは、均一にニスを塗るのが難しいためであってそれをごまかすための低次元のアンティーク塗装なのです。スプレーで塗ればきれいに塗れますがそれをすると質感が一番安い楽器に見えます。

うかつにアンティーク塗装をやると低次元のアンティーク塗装と見分けがつかないものになってしまうのです。またはそれ以下の個人の作者もいます。工場には塗装専門の担当者がいるからです。センスの良い量産メーカーはあります。それが何年かすると変わってしまうことがあります。その人が辞めたのでしょう。


前よりも色が濃くなってきました。
大量生産品を仕上げ直したものですが、並のハンドメイドの楽器よりも立派になってきてしまいました。これでは見分けがつきません。

軽いアンティーク塗装を目指したつもりでしたが意に反してかなり古くなってしまいました。

前回は新しく見える楽器に黒い傷をつけるのが不自然だと言いましたが、傷なんて無くても古さは表現できます。ここまで来ると逆に傷が無いのがおかしいという感じがします。

裏板は当初の時代設定通りなのに表板はそれよりも古くなったように見えます。

ここからさらに表面を研磨することで前回塗ったオレンジ色の明るい部分が顔を出してきます。相対的にくぼんでいるところが黒ずんで見えるようになります。100年程度のモダン楽器でも楽器によってはとんでもなく汚れがついているものがあります。それを掃除した時に取りきれない部分が残るのです。それを再現することになります。汚れているところと汚れが無いところのメリハリがもっとつくはずです。

と、思惑通りいった試しが無いとも言えますが構想ではそうです。

そのあと削りすぎてしまった部分を補正して全体的に暗くしていくともう少し落ち着くと思うのです。明るいところが抑えられて強調されていた古さが抑えられるはずです。
そうなるともう少し新しく見えるのではないかと思うのですが・・・・

100年しか経っていない感じになれば成功です。

研磨していくと下から明るいところが出てきます。
ニスの層が薄すぎると表板の表面の凹凸のうち凸になっているところが顔を出して白くなってしまいます。モダン楽器なんかを見てもそこまでは行っていないのです。だからある程度ニスに厚みが無いとダメなんだなと思います。もちろん木が古くなっているのでそこまで白くは見えないと思いますが優秀なモダン楽器の雰囲気ではないのです。


ヴァイオリン職人の基本的なスキル

ヴァイオリン職人にとって最も基本的な技能は「刃物を使いこなす」ことです。音楽家が楽器を弾きこなすのと同じです。これができなければ音楽表現がどうとか言っていられないように刃物を使えなければ楽器を作ることができません。楽器を弾きこなせても刃物を使いこなせなければ楽器は作れません。

プロの音楽家が毎日何時間も演奏するのとアマチュアが週に数時間やるのとでは圧倒的に演奏の量がちがいます。それと同じように楽器職人では毎日何時間も刃物を使うので10年、20年と続けていれば圧倒的な練習量になります。

急にうまくなるのではなくて気が付くと知らないうちに身についているという感じです。油断すればすぐに失敗してしまいます。

初めの頃は「刃物を持てていない」です。
初心者を見ると持てていないなと思います。
いくら頭が良く理系の大学を出て技術者や研究者としてキャリアを積んでる人でも刃物を持てないです。

筋力も非常に重要で頭で考えても刃物を持つことができないです。刃物を持てないとうまく扱えないだけではなくて刃物を研ぐこともできません。

体ができることと加えて職人の仕事のような体の動きというのは大脳ではなくて小脳がつかさどるなんていう話もあります。小脳と言えば運動をつかさどるもので意識としての記憶ではなくて俗に「体で覚える」というものです。


このような能力は日本では伝統的に非常に発達してきました。
各家庭にカミソリがあってそれを研いでひげをそったり髪型を整えたりしていました。
庖丁を研ぐのも当たり前でした。

これは非常に難しいもので今の日本人にできる人はほとんどいないでしょう。


大工さんでも今や刃物を研ぐ必要性が無く、全くそんなことができなくても家を建てることができます。それでも一部では今でもこだわりを持ってやっています。


欧米でももちろん鍛冶屋が刃物を作りそれを研いで使っていました。
どこの地域でも文明が栄えたところには鍛冶屋の技術があり、砥石を採掘していました。
昔のイタリアの様々な分野の職人の技術について書いた本には、木工はとにかく刃を鋭くすることが肝心だと木工の章の一番初めに書かれています。

現在ある木工の手動工具はすべて古代ローマ時代には存在していました。それから20世紀後半に電動工具が普及するまでの間ずっと研究されてきたのです。

19世紀にはスチールの大量生産にカーネギーが成功し鉄鋼王と呼ばれました。今でもUSスチールとして木工刃物用の鋼を生産しています。今ではA2という合金鋼が有名で、欧米の高級木工工具に採用されています。
カンナの刃は大量生産品で厚さが均一でまっ平らになっていてプレートのようになっています。それに対して日本では今でも鍛冶屋が叩いて作っています。プレートのようにはなっていません。

これも年々使う人が減って鍛冶屋も高齢化して後継者がいなくなっていることでしょう。
私もこれまで買ったことのある刃物を注文したところ違うものが来てしまいました。作っている人が変わってしまったのでしょう。


戦前のヴァイオリン職人の工具カタログを見るとほとんど今と同じです。いくつか電気化されたものがあるくらいで手動のものは全く同じです。
これらの入手は年を追うごとに難しくなってきています。
今では世界最大のヴァイオリン産地の中国で工具類も作られるようになっています。これらはとても安いのですが、残念ながらかつて西ドイツで作られていたようなものは無いです。


ヨーロッパでも手工業が盛んなころは各町に鍛冶屋がいて日本と同じように優れたものが作られていたはずです。使いやすいものを特注で作ってもらうこともできたでしょう。

ヴァイオリン職人にとって必要な工具は新しい発明などいらなくて、昔からあるものの質の高いものです。そういう製品は1950年くらいを最後に市場からどんどん消えて行っています。



そのような技術が早く失われた欧米に対して日本にはまだ残っているということで、日本の木工工具や職人の技が称賛されることがあります。私たちヴァイオリン職人の間でも日本の工具を皆欲しがります。彼らは「サムライ」のイメージと結びつけているわけですが、刃物の頂点が日本刀だとすればまったくおかしなものでもありません。


現代の西洋の刃物が機械で研ぐことを前提に設計されていることもあります。
摩擦で高い温度になると伝統的な刃物は焼きが戻ってしまって質が落ちてしまいます。

うまく研げない人、まめに研いだりしない人を前提に、甘い切れ味が長く続くように作られています。利用者の大半がそうなのでマーケティング上は正しいです。私も中古の西洋工具をたくさん買っていますが、まともに刃が研がれていたものを買ったことはたった一度もありません。

ラフに使ってもかけたり折れたりしにくくなっています。一般に趣味やアウトドア用にナイフが売られていて、研ぐことを頼まれたりしますが、このようなものは見た目の立派さとは裏腹にあきれるほど切れません。私が使っている日本製の小刀は800円くらいのものでも切れ味は桁違いです。ただし乱暴に使ったらすぐに折れます。横向きの力には弱いです。ステンレスではないのですぐに錆びます。


そんな最近の刃物でも根気良く研いであげればそれなりに切れるようになります。


従って刃物などというのはうまく研ぎさえすればどんなものでもよく切れます。
500円の包丁でもうまく研げば長年研いでいないか下手な人の研いだ5万円の包丁よりよく切れます。

刃物は鋭くすればするほど切れ味は良くなります。しかし鋭くするほど先端が弱くなります。したがって究極のレベルまで研いだときに耐えられるのが優れた刃物と言えます。

500円の包丁ではその包丁に適した鋭さに研げば家庭での使用なら良く切れます。熟したトマトも鶏肉の皮もスパスパ切れます。もう一つのコツは刃物を上から下に押しつぶすのではなく「切るように」斜めに入れていくのです。テレビショッピングで見るやつです。

木材は食べ物よりはるかに硬いのでその程度の研ぎ方では全く切れません。
ビーバーでもない限り木は硬くて噛み砕けません。


弦楽器でも同じです。上手い人が弾けばどんな楽器も安い楽器でも音量が出て下手な人が弾けばうまく音が出ません。未熟な人には高価なオールド楽器のほうが上手く音が出ないとい事もあります。刃物を究極的に研いだときに差が出るようにオールド楽器はうまい人が弾いたときに差が出るということです。

職人にとってダメな刃物は、鋭く研いだときにすぐに欠けてしまうものやすぐに切れ味が落ちてしまうものです。研ぎたて一発目の切れ味は安い大量生産の刃物のほうがスッパッと切れることもあります。しかし刃先が弱いと切削するときに刃先が持っていかれる感じがします。一旦持っていかれて戻ってくる感じがするのでグワンとえぐれる感じがします。質の良い刃であれば木に負けない感じがします。そして切れ味が長持ちするのです。

究極の切れ味は仕事では必要ありません。
普通に使えれば十分です。

実用として十分な切れ味が長続きすることですが、実用十分の切れ味も手動工具を使わなくなった現代の木工職人からすれば驚異的な切れ味となるでしょう。木工の職業学校の先生も驚くくらいですから。

職業学校の学生に私のカンナを使わせてあげました。
学校で使っているノミやカンナはひどいもので、大いにカンナがけを楽しんだようでした。ヴァイオリン職人でも私のようにカンナを調整する人はまずいませんから。
研ぎ方を教えましたが数日間のトレーニングでも他の学生とは圧倒的な差になったことでしょう。


刃物をうまく研ぐコツは「刃物をしっかり持つこと」です。
私は今でも難しいです。でも毎年少しずつ進歩しているように思います。

そしてまめに研ぐことです。
金属加工用の電動工具の刃に使うようなとても丈夫な素材のものもありますが、手で研いでもなかなか仕上がりません。結局かかる時間で言ったら変わらないです。


下手な人に限って刃を研ごうとしません。
切れない刃物で加工するのは難しいのですが、下手な人ほどめんどくさがるのです。
これは間違いないです。下手な人ほど切れ味の良い刃物を使うべきでしょ?
でも面倒でできないのです。

不まじめで努力が足りないと思うかもしれません。でも努力で何とかなるのは大抵の場合最初の1か月くらいです。飽きてきて他のことに興味が移ってしまいます。




刃を研ぐのは仕事の中でも重要な作業で、ある仕事の2時間の作業時間の内、刃を研ぐのに1時間かかることもあります。


刃を研ぐので難しいのは同じ角度で砥石に刃を当て続けて擦ることです。
ノミやカンナのような平たい刃はローラーのついた治具を使うことで誰でも一定の角度で砥石にはを当てることができます。これを使うとそこそこ切れます。ただし、手に感触が無いのでそれ以上うまくなりません。治具を使わずフリーハンドで刃を研げば砥石のざらざらした感触までが分かります。砥石の良し悪しも分かるようになるのです。

悪い砥石は砥石ばかりが削れて刃が削れないです。砥石が掘れてくると砥石の面がフニャフニャになってきます。そこでうまく研ぐのは無理です。治具を使っているとわからないです。
硬い砥石でも削れた鉄の粉が砥石の目に詰まってくるとツルツルするようになってきます。こうなると鉄と鉄で磨いていることになります。

良い砥石はざらざらした感じがずっと続いてザクザクと研ぎ上がりちゃんと摩耗した刃先を鋭くなるまで持って行けるものです。複数の砥石を使って仕上げにはより細かいものを使います。そうなると感触も変わってきます。

ただし、そのような砥石を刃を一定に当てられない人が使うと一回手元が狂っただけで刃先がダメになってしまいます。だから誰にでも薦めたりはできません。



弦楽器の演奏でもたくさんの人を見ているとやっぱりうまい人は弓が安定していますよね。
非常に似たところがあります。そう考えると刃物持つということがいかに重要かが分かるでしょう。
ただし、弓を持てても刃物を持つのはゼロからのスタートです。

もちろん研ぎマニアになる必要はないです。
削りくずを作っているのではなくて楽器を作っているのです。


刃物も売れるためには上手く研げない人を対象にした製品を作るのがセオリーです。同様に楽器も売れるためには人数の多い上手く弓を使えない人に音が出しやすいものが売れるのでしょうか?
私のところではとにかく古い楽器が求められています。楽器の質は悪くても古ければ音が出やすいからです。日本では新作でも輝かしい音のものが選ばれて店頭に並んでいます。



刃を研ぐことを面倒と思うのか楽しいと思うのかが分かれ目です。
カンナやノミの裏面は平らにしなくてはいけません、初心者の時、師匠に指摘されます。これは時間がかかるもので永遠何時間も擦りつづけなくてはいけません。それに夢中になれるか、理不尽にしごかれていると思うかはどっちかにはっきり分かれます。凡人は後者です。明るく感じが良い人格者でも耐えられないのです。彼らは終わった後に「・・・をやらされた」と言います。私なら切れるようになった刃物に喜びを感じます。


そんなわけで、楽器を使いこなせない人に音楽性を語る資格が無いように、刃物が使えない人が楽器について語ることもできないのです。弦楽器に強い興味を持っている人でもこんなことはイメージしたこともないかもしれません。

弦の選定と砥石

砥石選びと弦の選定は似ています。

昔は羊の腸から弦を作っていました。砥石も天然の石でした。
今では年ごとにハイテク技術によって作られた新製品が発表されるのも似ています。

ドミナントというナイロン弦は日本では定番として定着しています。私のところではもう使っている人はほとんどいません。オブリガートやエヴァ・ピラッチなどの新製品に取って代わられています。

砥石でも日本のキングという人造砥石が定番となりました。外国でも「日本製」ということで優れていると考えられ専門家の間で定着しています。ところが日本ではセラミック砥石という最新のものが特別な切れ味を求める人の間では一般的になっています。『刃の黒幕』という製品が有名です。

ヨーロッパと日本と逆にはなりますが状況が似ています。

外国のものに対する知識というのは更新されにくいのでしょうか?
本国では廃れたものが外国ではもてはやされているのです。


弦の選定はとても難しいものです。
ものすごく種類が多い上に、巻いてある金属の種類が違ったり、太さ(ケージ)が違ったり「ソロ」と名前が付いたりとか私たちもお手上げです。新しい製品が次々と出るわけですが、愛好家がいるので古い製品も作りつづけられます。そのため種類がとんでもなく多くなっていくのです。
世代によって一世を風靡した弦があってその世代の人はその時の衝撃が忘れられないということもあります。また慣れもありますから、新しい製品や見慣れないメーカーのものは弾きにくいと感じる人もいるでしょう。

先日もコンサートマスターの人がピラストロのオリーブというガット弦の音が良いと言っていました。ところが数分も弾いていると音程が狂ってきて「仕事にならない」と言ってトマスティクのペーターインフェルトを新しいものに張り換えていました。

最新の弦は張力の強さを競っているようです。
とこが必ずしも強い音が出るというわけでもないようです。うまく楽器が機能しないとうまく音が出ないのです。弱い張力のガット弦が彼の楽器には良いというのもそういうこともあります。それでも仕方なく強い張力のペーターインフェルトを張るしかないという事でした。

弱い張力のナイロン弦を開発したらどうかと思いますがビジネス上多数派に合わせるのがセオリーということなのでしょう。



天然の石の砥石は当たり外れが大きく品質がバラバラです。それに対して磨き粉を固めて作った人造砥石は品質が一定です。いつも同じものが手に入ります。

砥石には荒砥石、中砥石、仕上げ砥石と大きく3段階あります。刃がかけたときや新品を下すときに使うのが荒砥石で普段は中砥石以上を使います。中砥石はほぼ全員人造のものを使います。仕上げ砥石は一部の人が天然砥石を使っています。


人気の中砥石『刃の黒幕』は硬さによって削れ方が違うと思うのです。日本の刃物や昔の西洋の刃物はラミネートと言って鋼と鉄を貼り合わせて作ってあるのです。鋼が刃先になっていて鉄は厚みを稼ぐものです。それぞれの硬さが違うので削れ方が違います。鉄のほうがザクザク削れるのに鋼がツルツルして削れないのです。そうすると刃先が全然研げなくて角度が寝てくるのです。

用途によっては使い道があるので欠かせないですが、私は輸出用のセラミック砥石を使っています。外国の刃物は機械で研ぐような硬度の高いものがあるためそれに対応した製品を輸出用として作っているのです。シグマパワーのセレクトⅡという製品です。これの1000番というのが実用上非常に優れたものでざらざらした感じが長続きします。刃がガリガリ削れます。
究極の切れ味を目指すには荒すぎると思いますが、実用には適しています。刃の黒幕の優れている点は砥石が硬く面が狂いにくいため究極の鋭さを目指すことができます。それに対してセレクトⅡは適度に柔らかさがあります。キングのように泥ばかり出て刃が削れない古い世代のものとは違います。

究極に研いでしまうと耐えられない刃物が多いです。ヴァイオリン作りに使う刃物は種類が多いため私にはそんな高価な刃物ばかりは買えないです。多少甘い研ぎ方でないと刃が耐えられないです。

誰も使っている人がいないようなマイナーな砥石を使っています。これは初心者やアマチュアには危険な砥石かもしれません。手元が狂ったらたちまち刃先が丸くなってしまいます。

私が気に入って同僚に薦め試してみたらサッパリでした。
プロでも人によって気に入るかどうかが違うのです。弦も全く同じです。
鋼の種類によってもあう砥石が違います。理屈ではなくて研いでみるとなんか違うのです。
弦も楽器によってもあう合わないがあります。これも理屈ではないです、試すしかないです。


仕上げには京都産の天然砥石を使っています。
人造砥石と違って粒子の粗さがバラバラなものが集まってできています。人造砥石はJIS規格で粒子の粗さが決まっていてすべて同じ粒子のものが集まってできています。天然の砥石はは大昔の海底の堆積物が固まってできていますから当時JIS規格なんてありませんでした。仮に基準があっても珊瑚などの生物や波、地熱、地殻変動のような自然に命令して守らせることはできません。


天然砥石は産地や銘柄があって、石の肌の色合いや模様によってもとても高価なものがあります。大きさによるのですが大きいものなら50万円とか100万円とかします。
江戸時代までは将軍家や天皇家などだけが使うことが許されていた砥石も明治には解放されました。戦後は廃れて今はほとんど採掘されていません。
世界中どこでも同じような状況でベルギーやアメリカのアーカンサスくらいが有名ブランドとして残っているだけです。

同じ産地でも地層の深さによって種類が違います。数センチ違うと別の層になりますから別の銘柄になり材質が違います。京都なら別の山でも間は浸食されて谷になっていても地層は続いています。

天然砥石で厄介なのは品質がまちまちであるだけでなくニセモノが出回っていることです。このブログでも同じような話がしょっちゅう語られていると思います。そうです弦楽器と全く同じです。特に日本では外国ではないような独特の砥石の文化があって中でも有名銘柄信仰があります。日本人に多い考え方ですが、西洋の人は違う考えを持っている人が多く西洋の文化である弦楽器を理解するのには妨げとなります。日本人に受け入れられる過程で間違って伝わってしまうということです。

知名度の低い銘柄の砥石にも優れたものがあります。
私はそういうものを使っています。値段は手ごろで見た目は地味な灰色ですが実用的に優れたものです。その意味でも弦楽器と同じです。


人造の仕上げ砥石は張力の強いナイロン弦と同じように切れ味の鋭さを強調しすぎているように思います。鏡のようにピカピカに磨かれ一発目は良く切れますがすぐに切れなくなってしまいます。

おそらく人造砥石の場合には仕上げ砥石も荒めのものから何段階も必要なんだと思います。その点、天然砥石は粒子がバラバラなので「適当に」研ぎ上がるのだと思います。


ガット弦も複雑な響きを持っていて魅力的な部分はあると思います。でも誰でも使いこなせるものではないでしょうし、実用的にややこしいことがあって今では一部の愛好家に限られています。


弦の選定は難しいですが、逆に考えると演奏家本人に楽器の音を変えることができる唯一の可能性とも言えます。したがって代表的なものからいろいろなものを試してみて気に入ったものを見つけることができれば良いでしょう。仮に気に入らなかったとしてもそのような経験は自分にとって財産になるでしょう。

世間の評判を気にするのではなくて、弦くらいは自分で選ぶと良いと思います。
有名な演奏者が使っていると言っても有名な演奏者とは演奏技量も違えば使っている楽器も違いますから同じ弦があなたにとって最良だとは限りません。彼らは弦メーカーからお金をもらったり、弦をタダでもらったりしているのです。タダでもらえるなら寿命が短い弦でも絶賛します。

新製品はどんどん出てきますからその都度チェックしていけば一度にたくさん試す必要はないでしょう。弦は必ず劣化してきますから交換の時期にいつもとは違うものも試してみると面白いかもしれません。


張力の数字もありますが、実際使用した感じはまた数字とはまた違って感じます。細かい数字にこだわることも意味はないと思います。


ただし、バランス感覚を失って弦マニアにならないようにくれぐれもお気を付けください。弦マニアになってしまうとすべての問題を弦で解決しようとしてしまいます。楽器本体に問題がある場合にはそちらを先に解決する必要があります。


チェロの弦は非常に高価なのでとりあえず買ってみるというよりは専門家のアドバイスが有効でしょう。チェロの場合にはスチール弦がほとんどで古い世代のものは金属的な耳障りな音がします。優れた銘柄は限られているのでその中で現状の不満などをはっきり訴えればアドバイスできるでしょう。

次に重要なこと

刃物を使いこなすことで微妙な加工ができるようになります。

次に重要なのは仕上がりのチェックです。

うまくできているのかそうでないのかをチェックするのです。
これも非常に難しいことですが、刃物が使えていれば時間の問題で少しずつ修正を加えて行けば最終的にいつかは完成します。

少しずつ加工すればいつかは完成します。
そのため、少しずつ加工できるということが初級者にとっては刃物をうまく使えるという事になります。粗い仕事では一気にザックリとしか削れません。

木材は削りすぎてしまうと戻すことができません。コンクリートや人工樹脂のモデルであれば足せばいいですけども足すことができません。行き過ぎたら終わりです。粗い仕事というのは「多少行き過ぎてもいいか」と考えています。絶対に行き過ぎたくなければ慎重に作業を進めるしかありません。99%完成したところで一か所削りすぎると他のところもすべてやり直しです。



下手な人はこのチェックをめんどくさがります。

一回削っては一回チェックし、一回削ってはチェックし・・・・を繰り返せばいつかは完成します。ところがヘタな人はチェックがめんどくさいので3回削ってからチェックします。当然刃物が使えていないので前よりもひどくなっています。刃物が使えていないので一回で思ったように削れていないのです。それで何回もやり直すのです。一回で狙った通りに加工できなくてはいけません。よけいにひどくなります。いつになったら完成するのかわかりません。

めんどくさがらずにやれというのですが、やはり努力とかいうレベルじゃないのです。


一方であまりにも慎重すぎると時間もかかりすぎますが、「攻めきれていない」という事態に陥ります。これは非常に高いレベルの話ですので初心者に求められるものではないです。理解だけはしておくべきでしょう。攻めきれていない作者でも立派な楽器として十分認められるレベルです。
形を作る場合にはザックリと大雑把に形をつかむ必要があります。この段階でチョコチョコ削っていると形ができてきません。形ができきる前に仕上げに入ってしまうので何となくダラッとしたような造形になってしまうのです。弦楽器は曲線や曲面が多いので寸法を測れないところがたくさんあります。形を大雑把につかむ能力があるとより職人として才能があるなとは感じます。
板の厚さも攻めきれていないと厚くなってしまいます。必ずしも悪いということはないのですが音には影響があります。

形をイメージしてザックリ形を作り出すのはチョコチョコやるよりさらに難しいです。
粗く仕事をするときのうまさが造形力の差になるのです。マイナー志向の私でもストラディバリに魅了させられるのはこの力によるところも大きいです。息子たちもその力があったのでしょうか?それとも荒削りを本人がやって仕上げを息子にやらせたのでしょうか?

私はそうやれとブログにも書きますが、アマチュアの方はそんなことはとてもできないとおっしゃられます。同僚や後輩にやり方を教えても恐がって誰もやりません。


最初のうちは作業が遅くても慎重にやることが重要だと思います。削りすぎると売り物にならなくなってしまうからです。その分給料が安いのですから生産性が低いのはしょうがないです。怒られることはありません。


仕上がりをチェックできる眼を鍛えていくことが重要だと思います。
意外と師匠のほうが老眼で見えていないのかもしれません。


慎重にやりすぎると遅くなり、急ぎすぎると取り返しがつかなくなるというのは今でも繰り返しています。職人にとっては永遠のテーマです。




職人というもの

よく「職人の世界では教えないで盗むもの」と言われます。私は初めにやり方を教わりました。教えたくらいではうまくできないのが職人の仕事です。
後輩に仕事を奪われないようにとかいじわるで教えないというよりも、優れた職人は自分の目の前の仕事に意識を集中しているのでしょう。レベルの差があると何十年も前のことを思い出さなくてはいけないので合わせるのが難しくなります。

下手な人に限って教えるのが好きです。
素人や自分より未熟なものがいるとすぐに先輩風を吹かして語り始めます。
バスバーもうまくつけられなくて私が手伝って代わりに完成させたのに、素人が相手なら先生のように語り始めます。

弦楽器に限らずネットで得られる知識もそんなものばかりです。



私の場合にはやはり教えたがりませんがスイッチが入ると止まらなくなります。
まさにこのブログです。


ネットで手に入る知識のレベルではプロとは言えません。
自分が経験し理解したことがネットに出ていなくなったときに初めてプロとして通用する知識と言えるでしょう。経験した失敗の量が財産なのです。