有意義な休暇を過ごしました。 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

例年通りいろいろな方に楽器を試していただきました。
様々なレベルの演奏者や楽器製作者と交流する機会を得ました。皆さんに勉強になったと言っていただきますが私のほうも勉強になっています。




こんにちは、ガリッポです。

ピエトロⅠ・グァルネリのコピーについてはとても好評でした。またあらためて記事とします。上級者ほど評価が高かったとも言えます。したがってマニアックな特殊なものというより、一般的にも優れたものだと言えそうです。

高いアーチの楽器の持つ特徴というのも見えてきました。ネガティブな部分があまり無かったのは意外でした。したがって高いアーチの楽器でも出来栄えには差があり、上手く作ればデメリットもほとんどないということが言えそうです。優れた点についてはこれからまとめていきます。

高いアーチの楽器を作るにはノウハウが必要でこれからも精通していくことは「独自の技術」ということができると思います。



この数年間、ブログを立ち上げて楽器を作り、日本の方々に試してもらうというこの活動でいろいろなことが見えてきました。もちろん幸運にも日本でお気に入りの楽器を買うことができた人もいれば、その反対に買ったものに満足していないという人もいるでしょう。
お会いした方々はとても弦楽器に興味を持っていて楽器店で日頃からいろいろな楽器を試しているような方が多かったですが、店頭に並んでいる楽器には偏りがあるようです。東京に比べても大阪や名古屋ではさらに選択の幅が狭まるようです。

もちろん過去において「よく売れる楽器」というのが分かっていて楽器店はそのようなものを集中して集めていると考えられます。「売れる音」を知っている経営者の店が残っているとも言えます。後から参入した業者や普通の営業マンはよくわからずに上滑りで追従しているのでしょう。そのためウンチクがあやふやで不信感を持っていたそうで私のブログに出会って読んでくれているというのです。


しかしその結果、売られている楽器が偏っていて、自分の感性には合わない、より深く弦楽器を味わいたいという人には満足いかないという人も潜在的にはかなりいると思われます。


例えば弦楽器を購入するとき先生の薦めで買うというケースが多いそうです。
先生にもいろいろな人がいるので先生によって楽器の評価は変わってしまいます。場合によっては収入を得るために特定の業者と親密になっている人もいるでしょうし、そうでなくても偏った知識を得ているかもしれません。

私のブログは先生をやっている人にも是非読んでもらいたい内容もあります。


先生には個人個人によって好みも違えば考え方も違います。その人の先生にも影響されています。特定の考えに固定しやすいのですが多くの人が弦楽器の演奏を楽しむことが弦楽器の発展につながっていくと思いますので新しい考えも受け入れてほしいと思います。

演奏だけで収入を得ていける人というのは限られていますから、レッスンをやっていくのも仕事でしょう。ただ、先生にもいろいろなレベルの人がいます。演奏の技量だけでなく楽器の知識にも差があります。多数の教師に評価される楽器が「売れ筋」となってきたと思われます。


プロの演奏家や教師でも弦楽器に特に興味のある人もいればただの「商売道具」と考える人もいます。いずれの考え方を突き詰めても日本でもてはやされ出回っている楽器よりもっと優れた楽器を安く買えると思います。


私は幸運にもヴァイオリン製作を志してすぐにヨーロッパに渡ったので日本の業界の常識というのを知らないまま職歴を重ねてくることができました。私自身は日本特有の「売れ筋」に洗脳されずに済みました。
職人として基礎を学ぶ期間をそのように過ごせたことは幸運でした。境遇に感謝しています。

売れるものが良いものなのか?

この問いかけはみなさんもそれぞれ考えをお持ちだと思います。

私がかねてから専門家に求められる役割があってそれをちゃんと果たしていく必要があると考えています。ビジネスについて話題なると「消費者のニーズ」という言葉が出てきて、消費者が偉くて消費者の言う事が絶対のように語られることがあります。ビジネスが斜陽化して経営に行き詰った分野が紹介されるとたちまち「消費者のニーズ」と指摘されるわけです。働いていれば上司から厳しく叩き込まれるでしょう。

わりとヨーロッパの人って遊ぶことばかり考えていて書店に行ってもビジネスの雑誌は少なく趣味のものばかりで冊子も薄く紙質も質素で値段も安いものです。日本では一億総経済評論家のようになっていて書店にはビジネス本があふれ公共放送のNHKでも新しいビジネスの試みが取り上げられます。お寺のお坊さんも「リピーターをいかに増やすかが課題です。」と言うのに驚きます。
朝のドラマを見ていてたらそういうテーマで驚きますが、生産技術とか産業の効率というものが無視されていて啓蒙としては困ります。


長い消費不況で普通のものでは売れないということで何か特別なものでないと見向きもされません。ブランド信仰はその典型で、「○○ブランドを育てていきたい」というのもNHKがレポートしています。「いやいや、公共放送なら消費者にもっと賢くなれとメッセージを出してよ。」と思います。


私は分からないことは専門家に任せることによって社会は高度に効率よく発展するのだと思います。ところが専門家に任せっきりになっているとなぜかものすごく高い代金を請求されることがよくあってとても手が出なくなります。その反省として、消費者の求めていないことをやっているのではないかと指摘されるのです。

そこで新興企業が格安な値段や、人気を集めるようなビジネスを始めて盛況するわけですが、事故やトラブルも起き、素人受けするものはすぐに飽きられて産業全体として衰退していく例はよくあります。


専門家が様々なことを考えてはじき出す理想的なものというのは実は普通のもなのです。何十年と研究した結果が普通のものなのですから。しかし普通のものが持っている良さは弱すぎて一般には伝わりにくいのです。

私は500年間の楽器製作の英知を結集した本当の意味で「普通のもの」を作っていきたいと思います。そのようなものの良さを紹介することが専門家としての役割だと考えています。

高いアーチの楽器も変わったものとして作っているのではなく、1600~1700年代には普通のものでした。それらは演奏家の間では名器としてずっと使われているのです。


普通のものというのは派手でその時代に脚光を浴び他を押しのけて目立つものではないのですが分かる人には良さが分かるもので、技術的には一つの評価ポイントだけに特化しておらず総合的に判断すると納得のいくものなのです。値段は決してびっくりするほど安くするのは無理です。しかしブランド信仰のように余計に支払う必要はありません。

そのような製品が日本市場から消えていっているのは残念です。


これまで日本市場で売れてきた弦楽器の音は業界で生き残っていくためには必須のものに思えます。業界の中にいて毎日働いている人には信念は堅固になっていくでしょう。


しかし弦楽器の持つ魅力を伝えていくことは専門家としての役割だと思うのです。反響などからも期待する人も少なくないと感じています。単に楽器を売るのではなくて文化全体を作っていくことが長期的にみると消費者を育てていくと思います。皆さんも成長したいでしょ?これもニーズです。




試奏の様子

様々な会場を用意していただきましたが、おおむね皆さんの感じ方は共通していたと思います。私はピンからキリまでいろいろな楽器を知っているので大きな枠の中で楽器の音を聞いていますが、皆さんのほうが敏感に音の違いを感じていらっしゃるようでした。



実際に楽器を探しているような人たちは以前に購入されたもの、お店で試したものも含め、現代の新作の音というイメージがはっきりあって、それはオールドのものとは全く違うものであり、営業マンが「作者は天才で…」というほど特別なものではないと実感されていました。比較した現代の楽器にはイタリア製、日本製、ドイツ製などいろいろありましたが音は似たような傾向があることを私も確認しました。私が学生時代に作った楽器も試しましたがよく似ていました。

弾き込むことでそれらはよく鳴るようになりますが、音の質や音色についてはそう簡単には変わりません。


なぜそうなるかというと現代の楽器製作のセオリーが世界中で共通だからです。オールドの名器がそのような音をしている理由は古さだけでなく始めから特有の音を持っていたと考えられます。オールドの時代には楽器の個体差が大きいのでひとまとめにすることは難しく何をオールドの音というのは難しい面もあります。現代の楽器との違いの差は楽器によって違いの度合いに差があるということです。現代に近いオールドもあれば独特のものもあるというわけです。独特なものにも個体差があります。

それに対して現代のものは非常に似通っているということが言えると思います。実際に楽器選びをされている方からそのような意見をいただきました。


今回のピエトロ・グァルネリのコピーはその点明らかに現代のセオリーとは違うものでしたがその結果音にもはっきりとした違いが現れました。これについては次回紹介します。


イタリア信仰

私のいるところではほとんど目にすることはないので特に取り立てて考える必要もありませんが、日本で弦楽器について話をするときに避けて通れないのはイタリアの楽器です。日本で私が修業を始めた時にはすでにイタリアの作者は巨匠として神格化されていました。しかし話を聞くと80年代くらいはイタリアの楽器の値段はかなり安かったらしいです。知っている人がいたら教えてほしいです。

ユーロに通貨統合された後、物価の水準は倍くらいになったと聞きます。私のところでも同じ品物を買おうとすれば通貨統合前の倍くらいの値段になっています。その代わり割安の中国製品などが入っていますから安いものに切り替えればそれほど生活に困ることはないでしょうがかつて普通に買えていたものが高級品になっています。

日本円とイタリアリラ、そしてユーロの価値がどのように変化したかはわかりませんがかつての日本人留学生などによるとものの値段が倍くらいになったらしいです。80年代の値段がびっくりするほど安いのはそれで説明がつくでしょう。80年代当時の値段なら普通は量産品の上級品しか買えません。そうなるとイタリアの楽器が優れていると当時考えられていたのは間違っていないことになります。ただそれが大げさに広まり何倍もの値段になった時、果たして本当にそれだけの価値があるのか厳しく評価する必要があります。



最後になりますが、サラサーテという雑誌を見ました。
書いてあることは大きく間違っていないのでしょうが、これを読んでしまうと勘違いしてしまう人が多く出るだろうなと感じました。

日本でやっている職人の方にもお会いしましたが私がブログに書いてあるようなことは同じように考えていたそうです。職人をやっていて思うことがそのまま書いてあると言っていました。長い年数真摯にお客さんと楽器に向き合っていれば当然思う事ばかりです。職人として感じていても「大人の事情」で心の底に隠しているので世の中に出てこないのです。


このような雑誌でなぜ勘違いしてしまうかと言うと弦楽器というものの基本的な経験や知識が浅すぎるのに特定の作者の楽器の説明を読んでしまうからです。取り上げられた作者だけが特別なのではなく、他の無名な職人もセオリーにしたがって同様の楽器を作っているのです。お気を付けください。



基本的な知識が不足しているということですが、それを得る手段があるのでしょうか?
他の人がやらないのなら私がこのブログで提供しなくてはいけません、これからも続けていきます。