アマティ型のビオラを作る【第4回】裏板と表板の荒加工 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

ビオラを作っていきます。
まずは表板と裏板の荒い加工から。




こんにちは、ガリッポです。

好きなことを書いてきましたが、意外と毎回読んでいただいている方もいるようです。楽器以外の知識はあやふやな事ばかりです。学者ではなくてたかが職人の言うことなのでそのつもりでお願いします。

これまでも割とイタリアの楽器を悪く言うようなことがあったと思います。私としては過大評価されている部分と他の流派の楽器が過小評価されているということを問題にしてきました。職人は一生懸命作っているかもしれませんが、評価に問題があると指摘してきました。

今は期間限定でイタリア人の職人と一緒に仕事をしています。
日本とクレモナのビジネスについて、私は一切関わったことがありませんのであまりよく知りません。日本の店頭の値段を聞くと私の感覚からするとびっくりするほど高価なことがあるというくらいです。

日本側、イタリア側の関係者の人なら私なんかよりはずっといろいろなことを知っているはずです。私がヨーロッパで10年以上勤めていますが滅多に現代のイタリアの楽器を目にすることはなく、休暇で帰国した数週間のほうが多く現代イタリアの楽器を見ることができます。お店を回ったり購入した経験でユーザーの皆さんのほうが私よりも詳しいのかもしれません。

イタリア人の彼も日本とのビジネスについてはいろいろ知っているようで、職人の生き方として憤りを感じているようでした。その点では一部のイタリアの楽器について私よりももっと否定的な考えをしています。私はただ「同じ値段ならほかにもっと良いものがあるかもしれないよ。」と言うだけでイタリアの職人は気ままに楽器を作っているだけだと思っていました。ビジネスはそんな甘いものではないのでしょう。

私だけが現代のイタリアの楽器について厳しい見方をしているわけではなくイタリア人もそうなんですね。


楽器の作り方についてはいろいろなやり方を研究しています。私がビオラを作っているところを見て、彼に「クレモナで勉強したのか?」と聞かれました。クレモナで修業したことはないのですがクレモナの作り方も研究していますから良いところはとり入れています。クレモナの流儀というよりは自分流のところが多いと思います。考え方なんかは大いに共感するところがあります。彼にもいろいろ教えてもらっています。一方イタリアでは修理の経験が乏しいということで修理の技術を教えています。

彼は日本の刃物を絶賛していました。
どこの国にも昔は町に鍛冶屋がいて良い刃物を作っていたのだと思いますが、近代化とともに失われてしまったのでしょう。砥石も文明のあるところならどこでも有名な産地があって重宝していたはずです。いまでは砥石を採掘しているところはほとんど残っていないでしょう。産業として成立しているのはベルギーとアメリカのアーカンソー(アルカンサス)くらいじゃないですかね。まだ日本にはほんのわずかに採石しているところがあるようです。

なぜそうなったかというと粉末を固めて作った人造砥石が普及したからですが、それ以上に刃物を研ぐ人がいなくなったのです。刃物をうまく研ぐ人がいなければ良い刃物もも作られません。西洋では大きなメーカーが大量生産するようなものばかりです。刃物を上手に研げない多数派の人を対象に作っていますから切れ味よりも扱いやすさを優先しているのでしょう。

日本でも刃物をちゃんと研げる木工職人は少なくなってきていると思います。大手住宅メーカーなんてそういう工法ではないですから。刃は鋭く研げば研ぐほど弱く危うくなりますから鋭く研げる人ほど刃の質の違いが分かるわけで質の高いものが求められます。だからと言って硬い刃ではいつまでも研ぎあがりません、やはりまめに研ぎ直すしかないのです。

イタリアの刃物メーカーについては知りませんが、彼が言うには良いものはないそうです。日本ではまだ鍛冶職人がしっかりとした刃物を作っているところが残っています。私は日本のものでも西洋のものでも良いものは何でも使いたいと思っています。

アマティの時代には良質なイタリア製の刃物があったんじゃないかなと思います。古代ローマ時代にはノミやカンナ、ノコギリなど今の木工工具はすべてあったのです。古代エジプトの木簡もで作られています。板で箱が作られるなんて当たり前だと思うかもしれませんがカンナが発明されなければ板なんてないのです。手斧というクワのような形の斧しかないのです。それで板を作ると表面がガタガタになります。

ちょと詳しい内容になりますが、日本のカンナは引いて使うのに対し西洋のカンナは押して使います。私も西洋のカンナに日本製の刃を付けて押して使っています。日本のカンナは使っていません。しかしイタリアの1500年代くらいの絵には引いてカンナを使っている絵が描かれています。アマティの時代には引いて使うものがあったのです。今のイタリアには引いて使うカンナはないと思います。中世のイタリアの絵画に描かれたカンナはローマ時代のものに似ています。ルネサンスのころのカンナは北ヨーロッパのものとローマ以来のものが融合したような形をしています。その後、押して使う「西洋式のカンナ」に取って代わられたのだと思います。

イタリアの木工工具にはこれだけの歴史があり、古い家具や彫刻など素晴らしいものがたくさんあります。昔はきっと素晴らしい工具があったのだと思います。歴史が長すぎるがゆえに国土には木が残っていないのでしょうね。地球の自転軸がずれているので夏場は太陽との関係で言うとサハラ砂漠くらいの位置になります。もともと降水量が少なく木が育ちにくい所ですから。


さらに余談ですが、イタリアのトイレって和式トイレに似ています。似ているというより単に原始的なだけかもしれません。


刃物に話を戻しますが、ノミでもカンナでも日本の刃は厚さが厚くなっています。これだと使い勝手が違ってきてしまいます。切れ味はもう一つでもヨーロッパのスタイルの刃物も必要になってきます。たびたび出てきますが木工大国のアメリカも忘れてはいけません。私は19世紀後半にアメリカのメーカーが発明してイギリスで1950年ごろに製造されたカンナに日本製の刃を取り付けて使っています。
イタリア料理のトマトもアメリカ大陸原産ですから文化というのは双方向で常にダイナミックに動いているものです。


ヴァイオリンについての知識も常に新しいものを取り入れていく必要があると思います。
ヴァイオリンの業界は国境を超えて交流がありどこの国で製造されたかよりも、その楽器ひとつひとつがどうであるかということが重要だということです。



ビオラの作業


製作過程を見ていきましょう。
弦楽器製作の大半は地味な作業で音にも美しさにも関係ない作業です。全部見せても面白くないと思いましたがリクエストもありましたのでやってみましょう。


この前はここまででした。

切っていきます。

バンドソーで切ります。手動ノコギリでもできるのですが、今回は電動のバンドソーで切ります。

電動なら手動の3分の1くらいの時間で切れます。バンドソーはノコギリのほうが固定されているので材料のほうを動かして切っていきます。この動きはとても注意深さが要求され失敗して切りすぎてしまう危険があります。そうなると材料が台無しです。同時に指を切らないように気を付けなくてはいけません。人生が台無しです。

時間は早いのですが緊張感が好きではありません。手動のノコギリは仕上がりが荒く切った後も荒削りの仕事が必要です。しかしこのことで形が出来上がっていく喜びを味わうことができます。喜びは手動工具のほうが味わえます。

字を書くのにペンのほうが固定されていて紙やノートを動かして字を書くことを想像してください。

ノミで削っていきます。

ノミでえぐっていくことで美しいカーブが生まれます。


まだ厚みはあるのですが、完成時の全体の形が見えるように削っていくのがポイントです。この時点ではっきりとアマティの特徴が出ています。むしろ仕上げていくと特徴が薄くなっていきます。この時点でしっかり形をつかんでいく必要があります。

徐々に形を整えながら彫り進んでいってある程度の厚さになったら周囲にぐるりと溝を彫ります。これをすることによってオールド楽器特有のアーチになります。どの段階でやるかというのは意見が分かれるかもしれませんが、私はできるだけ早い段階で完成時の姿が想像できるようにすることが大切だと考えています。現代の楽器作りでは周囲の厚さが出ていてアーチの表面が滑らかに仕上がっていれば良いと考えてられています。仕上がりがどうなるかなど興味がないのでしょうね。

このように溝を掘ることによって独特のカーブになります。溝を彫らずにアーチの延長として作ることもできますが、それだと自然な感じなります。溝を周囲に彫るという工程によってオールド特有の不自然なカーブになります。

この作業では板目板は柾目板に比べて随分柔らかいです。繊維の向きが違うだけで削っていくときの硬さが全く違うのです。平らにするためにカンナをかけるときは板目板のほうがずっと抵抗が大きく重くて重労働です、刃の切れ味が落ちてくるとうまく削れなくなります。まめに研ぎ直す必要があります。


輪郭を出します


エッジが薄くなると輪郭を出す作業ができるようになります。


輪郭を正確にかつ目で見て美しくなるように仕上げていきます。

アマティのカーブは独特なものなのが分かると思います。美しいカーブになっています。

ならめらかなカーブがコーナーの先端まで続いています。コーナーは先が長くなっています。古い楽器の場合摩耗して短くなっている場合が多いです。滑らかなカーブであると同時にコーナーの三角形の尖り具合も意識しなくてはいけません。カーブを加工することに夢中になっているととんでもない失敗することになります、形のバランスも大事なのです。

上側はこうです、詳しくはパフリングが入った後でもう少し解説します。最終的にコンパスでパフリングのラインを描いてみると完成時の形が想像できます。微調整をしていきます。

全体の形はこのようになります。丸みが独特です。
現代の私たちがこのような設計をするのは不可能でしょう。多くの楽器を見てしまっているのでもっと自然なバランスにしてしまうからです。カーブの組み合わせに窮屈さがあります。何かコンパスのようなものを使って作図したのかもしれません。小型のヴァイオリンからチェロまでサイズの違う楽器でも計算によって拡大できたのかもしれません。何となく数学的な感じがします。

その後の他のイタリアのオールドヴァイオリンにはフリーハンドでササッと書いたような設計のものもあります。5分くらいで描いた適当なモデルの楽器もあります。そういう作者の場合楽器によって違う型を使用すると全く違う形になり判別が難しくなります。


表板も同様



表板も上部にでっぱりがないことを除けばおよそ同じです。表板のほうがはるかに柔らかくザックリ削れます。裏板の後だとお菓子のように柔らかいです。そのため削りすぎたり割れてしまったりすること注意が必要で力をコントロールする必要があります。ノミを使うのは力を入れればいいというのではなくて全身の体重をかけたノミを正確にコントロールしなくてはいけません。

節が出てきました。穴が開いています。これは外からではわかりませんでした、彫って行ったら穴が出てきました。こういう場合はジタバタしてもしょうがないです。後で埋めます。

表板のアウトラインの加工は大変に難しくコーナーも加工するのが難しいです。縦に木目が入っています。濃い色の線になっているところは冬目と言って冬の間成長が遅かった部分なので密度が高く硬くなっています。その間の白いところは夏目といってとても柔らかいところです。硬さが違う部分が交互に来るので刃物ややすりを当てたときにガタガタになってしまいます。

先ほど言った節があります。表板のアーチは駒のところに弦の圧力が加わって変形するので気を使います。駒の部分にかかった力が全体に分散するようにアーチを作らないと表板が陥没する原因になります。ビオラやチェロでは問題が起きやすいので注意が必要です。


表板は柔らかい素材なので仕上げの作業で無くなる量が多いため、裏板より少しこんもりとさせておきます。やはり溝を周囲に彫ることでオールドっぽい作風になります。


完成した姿が見えるように

私が楽器作りで気を付けていることは粗い加工の段階から完成時がイメージできるようにすることです。作業が進んでいったら全然違うように見えることがあるからです。一つ一つの工程を単にきめられた寸法にするだけでなく見たときに美しいと感じるように、アマティらしいと感じられるように人間の目で形を作っていくのです。

削って形を作っていく作業はゴルフに似ています。一打目は大きく飛距離を稼ぎます。そして徐々に正確性を増してグリーンをとらえてカップに入れます。

木彫でもOBを恐れて初めからパターを使ってしまうといつまでも終わりません、完成する前にギブアップで削り足りないまま完成になります。粗い加工ではザックリと削りますがOBになってはいけません。特に複製の場合輪郭やコーナー、f字孔やスクロールの形などは正確でなくては違う楽器になってしまいます。カップのサイズがボール一個分しかないということですね。これが自分独自のデザインの楽器であればたまたまそうなってしまったのを「これが自分の作風だ!!」と言い張れば良いのですが、複製の場合にはそうはいきません。

アーチについては完全に正確でなくても雰囲気が出れば良いです。オリジナルと正確に比較できないからです。しかし何でも良いというのではなく感覚だけで雰囲気を出すのが難しいのです。


順調に作業は進んでいます。これからも続きます。