事例研究/ケーススタディ【第7回】新作より安い?独クリンゲンタールのオールドヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

前回の説明の通り、現代の楽器製作はセオリーに従って作られているのでどこのだれが作ったものでも大概似たようなものです。たいていは見た目だけでどこの国のものかはわからず、ましてや音を聞いてどこの国のものか当てるとなんて不可能です、音はそれぞれみな微妙に違うので自分の好みに合うものを選ぶ必要があります。

それに対して古い時代には、作り方が定まっていなかったので、地域や流派、作者によって、同じ作者でも楽器によってはバラバラです。したがって、まともなものと極端な作風のもの、ほとんど使えないものもあります。

作り方が確立していなかったので、今から見てまともな楽器は大変数が少ないです。そのためそのようなものはすごく高価です。

そんな中比較的安価なオールドヴァイオリンは存在します。

もちろん何もかも理想的なものではありません。理想的なものが欲しければ新作の楽器を使うべきです。古いものを愛でるという行為には、そのような不自由なところも乗り越えていく楽しみがあると思います。

今回は東ドイツのクリンゲンタールというところのオールドヴァイオリンを研究します。




こんにちはガリッポです。

ひさびさにグダグダトークで行きましょう。

骨董品やアンティーク、レトロ趣味というものがあります。私は割と好きで何とも魅力的なのですが、全く分からない人もいます。もちろん最新の製品は長年の研究の成果と技術革新で最善を尽くして作られているので合理的に優れいてるはずです。また、未来のテクノロジーや未来風のデザインなんかも夢を与えてくれます。

古いものは使われなくなって捨てられていくので数が少なくなります。劣っているからです。その結果、古いというだけで珍しくなり、若い世代の目には新鮮なものに写ります。

基本的にはやはり不自由なガラクタで手入れも大変だし使いにくいものです。


芸術作品や工芸のようなものでは古いものがとても珍重されます。
現代では不可能というわけではないのでしょうけども、歴史に残る名作は輝いています。
そのようなものは大変に高価で凡人が買えるようなものではありません。

そうなると、今度はガラクタやポンコツを愛好するという道楽の上級者が出てきます。「ポンコツだから良い」みたいな変人です。私も古い工具をコレクションして修理するのですが、精巧に作られた現代の製品と違って古くなって摩耗した部分を削りなおしていくうちに楽しくなってきて、刃を交換したり取っ手を作ったりします。新しいのを買ったほうが品質も良く手間もかからないのですが、これが楽しいのです。電動工具が主流の現代と違って、当時はコレクションするようなものではなくただの実用品として使われていたものです。一線で使われていたシンプルでタフな感じが何とも魅力的です。

こんなことをやっていると「ポンコツが欲しい」という欲求に駆られてしまいます。


ヴァイオリンも古いものは音が良いとか、現代の職人には作れない作風があって優れているところもあるのですが、大概はそんなに職人が全身全霊をささげて作ったものではなく、ただの道具です。

そういうものに魅力がないかと言えばそんなことはないと思います。


近代以降は安価な楽器は工場で大量生産によって作られ、それらは「スチューデントヴァイオリン」などと呼ばれています。まさに、初心者が最初に手にするヴァイオリンで安価なものです。演奏技量が上達してくると「もうちょっと良い物が欲しいな・・」となってくるわけです。

ところが面白いのは1600年代1700年代のイタリアの弦楽器には、スチューデントヴァイオリンというものがありません。当時イタリア(まだイタリアという国はありませんが)には初心者や庶民はいなくて、全員上級者かお金持ちだったのでしょうか?

そんなはずはありません。もちろんすべてが高級品ではなく、安価な粗末なものも作られました。これはイタリアだけでなくどこの地域でもそうでした。ほとんどの職人にとってヴァイオリンを作るというのはただ作業をこなすことでした。

そのようなイタリアの粗末なヴァイオリンは現在どうなっているかというと「美しいイタリアのマスターヴァイオリン」として作者は巨匠と崇められています。


そういうことを知っていると粗末なヴァイオリンに何千万円もの値段が付き崇めている姿は滑稽です。ただそういうヴァイオリンは技術者としてはおもしろいものです。セオリーに基づいて最善を尽くしたヴァイオリンしか作れない現代の優秀な職人には決して作ることができないものです。

そういうタイプのヴァイオリンを私はたまに作るのですが、ストラディバリの複製と違ってさすがになかなか売れなかったりします。よく売れればそういう面白い楽器ばかり作るのですが、売れたものを補充するという形で今回もストラディバリの複製を作ったわけです。そういう変わったヴァイオリンは音色が独特でたまにものすごく気に入ってくれる人がいます。運がよかったから売れただけで、そんなものまた作ったらいつ労働の対価が返ってくるのかわかったものではないです。

すごく気に入ってもらえると本当うれしいものですから、また作りたいですね・・・
ストラディバリやアマティのような美しい楽器を作るのも楽しいですし、粗末なものを作るのも楽しいものです。



ただ粗末なヴァイオリンなら中国製でいくらでもあります。そういうことではなくて、古いものを愛でることです。精密に粗末なものを作るのです。


今回紹介するのはJ.S.バッハが活躍した東ドイツの地域で高級品ではなく普通のヴァイオリンとして作られたものです。もしからしたらバッハ作品の初演に使われたヴァイオリンも東ドイツの流派のものかもしれません。「イタリアのヴァイオリンでないとダメだ」と現代の音楽家は言うかもしれません。本当にそうなんでしょうか?


古い工具の話をしましたが、たとえば斧という道具があります。
これは刃物としては人類の歴史で最も古い工具の一つでしょう。石器時代からあるわけですが、いつから使われていたかは、遺跡の発掘が進むほどどんどん古くなっていくでしょう。人類の歴史にずっと一緒だった斧ですが、20世紀に電動工具ができると道具として現役を終えました。

人類は斧で木を切り倒し、家や様々なものを作りました。ほんの100年前まで、屈強な男たちが斧を振り回して森の木を切り倒していました。アメリカの北部は広大な森林におおわれていていましたが、今では畑や都市、工場、住宅街やショッピングモールになっています。すべて人が斧を使って木を切り倒したのでした。西部劇でも建物はすべて木でできていますが、北部から南部の乾燥地帯に運ばれたのです。トムとジェリーというアニメが作られたのが1940年からですが、斧で木を切り倒すシーンがよく出てきます。斧で木を切っていて「倒れるぞ~~!!」と言って周囲に注意を促すと必ず自分の頭上に倒れてくるのです。

当然当時製造されていた斧はこのような仕事に使われるためのものでした。現在ではお金持ちが暖炉にくべる薪を割るくらいの使われ方しかしません。私は今の製品には気迫を感じないのです。アメリカのホームセンターに売っているような斧は、斧の形をしているだけの鈍器です。


イタリアやその他の地域、オーストリアやドイツ各地の粗末なオールドヴァイオリンにも、何かそういう気迫というかそういう力強さを感じます。一つは木工が手作業で行われていた力強さと、音楽のためのただの道具として作らていてたという両面です。

もちろん現代の職人の楽器はとても優秀で寸法やサイズは正しくみな同じ、加工は正確で美しいものですが、「昔のポンコツの魅力」というのがあると思います。

粗末なポンコツでもイタリアの古い物なら数千万円もします。フランスの近代の楽器に音量で負けてしまっても、このようなポンコツの楽器はとても面白いものです。ただ道楽にしては高すぎますね。ドイツのものなら同じようなポンコツが100万円くらいで買えることもあります。

パガニーニが使ったことで有名になったガルネリウスことグァルネリ・デル・ジェズも仕事は粗末なもので愛すべきポンコツの代表です。こちらは数千万円どころの話ではありません。


私はきちんと作られた現代の美しい楽器を否定するわけではありません。私自身もどちらかというと粗雑な楽器を作るのは苦手なほうです。手間暇をかけずにササッと仕上げるのですが、きっちり作らないと納得できないのです。

粗雑な楽器でありながら音響的に重要な「中身」はしっかり作ってある楽器はまれで、本当に粗雑で中身もダメという楽器のほうが圧倒的に多いのです。

ヴァイオリン以上にチェロは高価なので中身はちゃんと作ってあって、見た目は粗雑な楽器というのはユーザーにとって魅力的な製品であると思います。

大事なのは粗雑に作られた楽器は値段が安いことです。ハンドメイドだからという理由で粗雑に作られたチェロが400~500万円もしたら高すぎます。見た目は粗雑で中身はしっかり作ってあるチェロが150万円なら商品として魅力的だと思います。

オークションのカタログで近代以降の粗雑な楽器が出ていたとき必ずイタリア製です。イタリアの楽器といえば粗雑なものが多いというイメージはこういうことももとになっているでしょう。なぜ粗雑な楽器がすべてイタリア製かというと、粗雑な楽器を作る職人はどこの国にも存在しうるのですが、それで生計が建てられるのはイタリア人だけということです。かつてはアメリカ人が、今は日本人が高値で買うからです。オークションでも高値で取引されるのはイタリアのものだけです。同じようなできの楽器でも他の国の作者ではガラクタ同然の値段しか付きません。


高い値段で粗雑な楽器を買うのは違うと思います。


粗雑でも機能や音響的な部分に問題がなく値段が安ければ魅力的です。ガラクタ同然の値段で音が良ければラッキーです。

しかし実際はそのような商品が流通するのは難しいです。ユーザーのためという理由であったとしてもこのような楽器を作るとその作者の評価は下がってしまうからです。私のように手間暇かけて丁寧に作るのが好きな職人には向いていないです。これには素質が必要であるとともに、優れた指導者に恵まれる必要があります。雑に仕事して製品として成立させられる才能は私にはありません。

私はひそかに雑に楽器を作れる人に憧れを抱いています。
私も努力目標として悩まずに大胆に勢いよく楽器を作ろうと心掛けているつもりなのですがなかなか雑に作ることができません。

一般には雑に仕事をする人なんて才能でも何でもない、むしろ才能がないとされるわけですが、人によって作れるものは違ってきて、求めるユーザーに届くと良いと考えています。


大事なのは適正価格です。


楽器自体に興味がない大半の弦楽器奏者は、初めから雑に作られていようが丁寧に作られていようが音にしか興味がなくどうでも良いのです。安い値段で音が良い「中身はちゃんとした」粗雑な楽器は大変魅力的です。

それに対して隅々まで定規を当てると完璧に作ってあるのに音が大したことがない楽器は高いだけで全く魅力がありません。職人の間では「師匠」と尊敬されているかもしれませんが、そんなのは内輪だけの話です。

これは特に腕が良い職人が陥らないように気を付けるべきことです。最悪なのは「何で楽器が売れないんだ?」「世の中間違っている」と文句ばかり言うことです。


このブログを見ていただいている方々はおそらく「音が良ければ何でも良い」という人ではなく職人の腕前にも興味があるかもしれません。


粗雑に作られた楽器でも作りに問題が無ければ、決してバカにできないんだということを知っていただきたいと思います。作った人は家業だからやっつけ仕事で作っただけなのかもしれません。それでも良い音の楽器があるというのが弦楽器のおもしろいところです。


心を込めていないのに音が良い楽器が作れることもあるのです。


作りに問題がない粗雑な楽器とただの粗雑な楽器を見分けることができるのは弦楽器を知るという点で上級者ということになります。今回はそのあたりを研究してみましょう。

クリンゲンタールのヴァイオリン

さっそく画像をご覧ください。


作者が誰なのかわかりませんが、クリンゲンタールの特徴がはっきりしています。クリンゲンタールは東ドイツ・ザクセン州にあり流派としてはザクセン派のひとつです。中心はマルクノイキルヒェンでそこから枝分かれした流派です。有名なのはホプフ家でこの楽器とも似ていますが独特の作風で近代まで続いた一家です。高くても150万円くらいしかしません。

特徴は四角いモデルに平らなアーチ、大きくとがったf字孔、明るい色のニス・・・もともとこのタイプの楽器はマルクノイキルヒェンで1600年代の終わりには同じような特徴を持ったものがあります。何かのマネというよりは独自のものだと考えています。

1850年近くになると近代的なフランス風のヴァイオリンに切り替わっていきます。この楽器は古い時代のザクセンの特徴を持っていてそれより前の時代の楽器になるでしょう。大雑把に言うと150~200年前のものでしょう。

ドイツの古い楽器に多く見られるヤコブ・シュタイナーをもとにしたf字孔とはまるで違います。むしろグァルネリ・デル・ジェズに似ています。それでも真似したというよりは自由に作っていただけではないかと思います。というのは、いきなりこの形になったのではなく途中があるからです。

f字孔の位置が上にあるので現代の標準よりもストップの長さが5mmほど短いです。手の小さい人には弾きやすいかもしれません。

多少はストラディバリモデルの影響もあるのか、たまたま似てしまったのかよくわかりません。古い時代のヴァイオリンでは幅狭いものが多く高いアーチとともに窮屈な構造になってしまっているものがよくありますが、このヴァイオリンはストラディバリモデルを横に引き伸ばしたようなワイドなものです。近代のイタリアのヴァイオリンにも幅の広いモデルがありますがそれと同等かそれ以上です。特にアッパーバウツが広いです。それでも現代の標準より3mm広いとかその程度ですよ。

ニスは古くなって変色した木の色とそっくりなのでどこがオリジナルなのかよくわかりません。


アーチはそれほど高くありません。マルクノイキルヒェンのヴァイオリンには低いアーチのものが1600年代にもすでにあります。ストラディバリが発明したなどというのは嘘です。作風がバラバラだっただけです。ただ平らなだけでなく独特の特徴があります。エッジ付近が深くくぼんでいるのが分かるでしょうか?特にミドルバウツを見てください。このような特徴も近代的なものではなく、これがオールドのスタイルであることになります。

表板も駒のところから傾斜がなだらかになっているのではなく「台地」のように急に下がっています下がっています。これもオールドザクセンの特徴です。これは力が均等に分散せず、この部分の構造が硬くなるので音響的には耳障りな音になる原因ではないかと考えています。



スクロールは独特なものです。だらんと長いペグボックスに、スクロールの中心も独特です。仕事のクオリティも決して高いものではありません。近代のストラディバリモデルの影響もありません。

反対側です。

スクロールは左右も対称ではなく傾いているのが分かると思います。かなり自由なのびのびとした感じです。

ザクセンの古いヴァイオリンはみなこのタイプではなくもっといろいろなものがあります。クリンゲンタールのものはこのようなタイプのものが典型的です。アーチはもっとイタリア的ななだらかなものもあります。ものによってはイタリアのオールドヴァイオリンに似た音がするものもあればひどく耳障りで寒気がするようなものもあります。イタリアのオールドヴァイオリンにも粗雑なものはたくさんあります、クオリティは似たようなものですが値段は10倍くらいします。


修理

古い楽器で重要なのは修理です。特にこのように比較的安い楽器では修理代が高額になりすぎると楽器の価値を超えてしまいます。幸いこの楽器は古さの割に状態が良くさほど修理は必要が無いように思えました。


外側からは分からなかったのですが、表板を開けてみると過去のずさんな修理によってエッジ付近がボロボロになっていました。そこで石膏で型を取ってエッジに新しい板を張り付けました。石膏の型を使うと楽器を変形させることなく板を張り合わせることができます。

割れ傷は長年放置されていたため木が縮んで隙間が空いていました。このような特殊なクランプで締め付けたところ上手く接着することができました。

割れ傷には木片を取り付けて補強しました。バスバーも交換しました。古い楽器としては状態は良いほうです。この前100年ほど前のヴァイオリンのオーバーホールを紹介しましたがそれよりずっと痛んでいます。


上部ブロックは後の時代につけられたものでオリジナルではありません。ブロックの下の裏板に段差があります、わかりますか?

この楽器はシュピールマン式というネックの構造で作られていた名残です。シュピールマン式というのはネックと上部ブロックが一体型になっているものです。現代ではブロックはスプルースか柳でできていてそこにネックを取り付けます。イタリアや南ドイツの当時のもの(バロックヴァイオリン)はここに釘でネックを固定しました。それに対しシュピールマン式では初めからブロックのところまでカエデで作られ一体型になっていました。

このことからもこの楽器が近代以降のものではなくバロックヴァイオリンとして作られたものだとわかります。

表板を修理し終えたのでこれを接着すれば付属品を取り付けて終わり・・・と考えていましたが、ネックの角度に問題があることがわかりました。このブログで再三ネックの角度が重要だと言ってきましたがまたもやです。ネックは、過去の修理でオリジナルのネックは切り取られ根元から継ぎ足されていました。新しく取り付けたブロックにモダインヴァイオリンとして取り付けてありました。しかし・・・・

指板を外してみたところネックとブロックがぴったり密着しておらず、隙間があることがわかりました。こんなのちょっとのことじゃないかと思うかもしれませんが、修理した職人もそう考えたのでしょう。私にとっては考えられません。ネックがブロックに固定されていなければネックがグラグラして場合によっては調弦が安定しないことさえあります。振動のエネルギーもロスになるでしょう。これを直さないわけにはいきません。


ネックを取り外しました。接着が甘いおかげで比較的簡単に取り外せました完璧に接着されていたらなかなか外れないです。しかし更なる問題が発覚…

裏板の上端には半円形の突起がありますね、これをボタンと言います。このボタンが折れてしまったのか新しい木が取り付けてありました。それは修理で良いのですが、しっかり接着されていませんでした。全く強度がありませんネックを外そうとしたら外れてしまいました。

これを補強することにしました。

このように新しい木を埋め込んで補強しました。

本来ならブロックも外してやるのですが、そこまで手間をかけていられません。安い楽器の修理は安上がりの手法で十分な効果を得るのが重要です。接合部分を彫り込んで新しい木を埋め込みます。


ブロックを丸ごと交換すると手間がかかるので、新しい木を埋め込んでここに新たに溝を作ってネックをはめ込みます。接着というのはこのように隙間なくしなくてはいけません。



ネックは根元に新しい木を取り付けます。ネックの角度を正しくするためです。


ネックを正しくつけ直します。古い楽器は一見壊れているように見えなくてもネックの角度が狂っていることが多いです。

このように正しい角度でネックがついています。指板も新しいものです。音響面でとても重要なことです。これだけの修理は10万円では無理でしょう。特に耳障りな音がする楽器でネックが傾きすぎているといけません。

厚さは?




このようです。
古い楽器ではやたらに薄いものがありますが、薄すぎずごくまともな厚さです。古いドイツのヴァイオリンでこのような文句のないものは珍しいです。

特徴的なのはアッパーバウツやロワーバウツの厚さが左右の両端とセンターの間のところが厚くなっています。これは台地のようなアーチの形状が原因になっていると思います。パッと見ではよくわかりませんがよく見ると先ほど表板の上端で説明したように横方向でも台地のように上が平らでエッジ付近で急に下がっています。カーブが滑らかでないのでその部分の厚さにムラにできます。中央下の図を参考にしてください。

このあたりが音に何らかの「癖」を与えるのではないかと思います。

まとめ

音については弦を張ってすぐということもあって結論はまだです。いずれ紹介できればと思っています。

このタイプのヴァイオリンにはイタリアのオールドヴァイオリンに似た音のものからとんでもない嫌な音のものまであります。したがって実際に試してみるしかありません。

ギャンブル性という点で大変面白いものです。

たくさん製造されたので古い楽器としては割と数の多いものですが、きちんと修理されているのものは貴重です。

これはオリジナルのネックではありませんが、このようなザクセンの低いアーチのヴァイオリンについていたオリジナルのネックは初期のモダンヴァイオリンのものと酷似しています。したがって中にはオリジナルのネックのまま現在でもモダンヴァイオリンとして使われているものがあります。もちろんシュピールマン式です。オリジナルのネックがついているものは再びバロックヴァイオリンとして使っても面白いでしょう。同じ地域で活躍したJ.S.バッハに特に思い入れのある人にはお勧めです。

イタリアや南ドイツのバロックヴァイオリンのネックと比べると現代のものに近いネックがついていました。機能性についていえばザクセン派のほうが進んでいたことになります。


値段で楽器の価値を判断したり、現代の楽器製作のセオリーでふるいに分けたりするとこのような楽器は評価されないでしょう。

注目されないものでも面白いものがあります。このような楽器をバカにするような人がヴァイオリンについて偉そうにうんちくを語っているとしたら無知をさらしているだけです。



一か八かどっちに出るのでしょうか?



意外と普通だったりして…