気楽にストラディバリを味わう【第14回】アーチングについて | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

さあ今回はアーチングについて考えていきます。

アーチングは音の傾向をつかむのが難しく、立体造形も規則化してとらえることができないので分類して音の傾向を言うことはできませんし、何が理想かも分かりません。

私がストラディバリの複製を作るとき心がけているのは「アマティの名残」を感じさせるアーチにすることです。

私がこのようにして作った楽器は原理を解明することはできませんが美しい音色に特徴があります。



▽ 気楽にストラディバリを味わう ▽

ブラインドテストで低い評価を受けるのがしばしばのストラディバリウス。
「そんなもの研究しても意味ないじゃん?」と頭の良い人は指摘するでしょう。
そう固いことを言わず、何億円もかけずにストラディバリを味わって楽しんではいかかでしょうか?




こんにちは、ヨーロッパの弦楽器店で働くガリッポです。


私が一年間にできる仕事の量は限られていますから何も考えずにどんどん量産するのではなく、研究をしながら少ない台数の楽器を作っています。楽器が完成したのちには興味のある方には試してもらえるように募集しようかなと思っています、気に入った一名の方にはお譲りすることもできます。

複製を作りながらストラディバリについて詳しく見ていくこのシリーズも今回はアーチングについてです。これは本当に難しい話で「どれくらい伝えられるかな?」というところです。


簡単に言えるようなものではないのですが、私が心がけているのは「アマティの名残」を感じさせることです。つまりアマティのアーチの作り方を応用して作るということになります。

現代の楽器作りでもストラディバリはお手本とされていますから、そんなに違うわけではありませんが、アマティのアーチングを本物のようにうまく作るには現代の一般的な方法では無理です。研究と試行錯誤が必要です。私はアマティのコピーを多く作っていますからその経験を応用してストラディバリの複製を作ることで現代のものとはちょっと違うものができると思います。

楽器の作りにはっきりした特徴がないと、音にも特徴がなく購入を希望する人も好きなのか嫌いなのかよくわからないものになってしまいます。心から気に入った楽器を使うことができたら幸せだと思います。


アーチングと音の関係

冒頭でも述べましたが、アーチングは何が理想なのかわかりません。何が理想なのかわからないということは作者は才能のあるなしにかかわらず誰にでも音の良い楽器を作る可能性があるということになります。

もし理想のアーチが分かっていてなおかつそれを作るのに、特別な才能や技量を必要とするのなら優れた職人の作る楽器の音が良いということになりますが、実際にはそうではありません。


法則性はないのだけれどもそれぞれ音が微妙に違う、それが作者による差ということになるでしょう。

弦楽器は試演奏して気に入ったものを選ぶしかないという所以でもあります。



私はいろいろ研究していますが、間違っても私の作っているものが優れているなどとは考えていません。それでもいろいろなものを作った中で味わい深い音色のものがいくつかありました。そういう音色の魅力を持っていて標準以上の性能も備えたものをある程度予測してできるようにはなりました。

プロのヴァイオリン奏者には通常は古い楽器をお勧めします。
作りに問題のない楽器なら古いほうが一般的には音について有利だと言えます。

もちろん新しい楽器で素晴らしい音を出しているプロの演奏者の方もいらっしゃいます、東欧やロシア出身の人などは東ドイツ、チェコやハンガリーなどの東欧の楽器でもバカにすることなく素晴らしい音を出している人もいますから何が良いかわからないものです。

私は自分の楽器が数千万円するオールドの名器と同じ音だと豪語するつもりはありません。普通の新作の楽器の性能に味のある音色を備えているという程度が研究の成果です。

こんな感じで作っています



これはストラディバリのアーチの断面図を並べたものです。これを見てもよくわからないかもしれません。私はこれを脳内で立体としてイメージすることができます。そのイメージを実際の形していくわけです。

これは、体で憶えて感覚で作れるようになってくるものです。ノミを使ってアーチを削りだしていきますが、手の感触と目で見たこと、脳内のイメージを統合していきます、「意識」とは違うものなので言葉で説明するのが難しいんです。



これまでも荒削りから紹介してきました。もう一度振り返ってみます。

ヴァイオリンの形に裏板と表板を一回り大きめにノコギリで切り抜いた後ノミを使って荒く掘っていきます。

初めからしっかりと形を作っていきます、この段階では細かいことは気にせずに大雑把に形をとらえていきます。


輪郭も同時にさらに作業を続けていきます。

ポイントは周りにぐるっと溝を掘ってあるところです。私はアマティやシュタイナーなど1500~1700年代の楽器の特徴はこの溝にあると考えています。

ノミのカーブを緩いものにして浅く掘るようにして、さらにもう一段階精度を上げていきます。輪郭は完成しています。

この後パフリングを入れます。

このようにノミで形を作っていくことによって脳内のイメージを立体にすることができます。

仕上げが近づいてきます


さらに平らに近いノミで彫り進みます、浅いノミでは削る厚みが薄くなくなります。また刃の厚さも薄いものを使うとえぐるときの回転半径が小さくなります・・つまり適切な種類のノミをそれぞれの段階で使い分けます。

周辺部分を彫りました。この部分は小さなカンナではうまく加工できない部分です。オールド風のアーチを作りたければノミを使うほうが簡単です。


残ったところはカンナでもいいのですが、まだノミで行けます。


アーチの形は仕上がってくるほど立体感が見えなくなってきます。初めの荒削りの時のほうが形がつかみやすいのが分かるでしょうか?
それでもしっかりとした形のあるアーチになっています。

立体感がわかりますか?



カンナは形を作るのには向いていないので数回通してかけて表面の凸凹を取るだけです。


カンナは多用するとベタッとしたアーチになり、いかにも現代の楽器という感じなってしまいます。表面をレンズのように滑らかにしすぎるのも現代風になってしまう原因です。この程度で止めておきます。

表面をスクレーパーという鋼の板で削ります。スクレーパーはカンナと違い多用してもレンズのようになりません。細かい凸凹はなくなって表面はなめらかになりますが、何となくボコボコしたようないびつさがちゃんと残ります。そうすると塗装した後で古い楽器の趣が出ます。

ヴァイオリン職人の修行をして師匠に言われるように楽器を作り上げてから初めてストラディバリを見たときの衝撃は「なんてボコボコしているんだ?」と驚いたものです。現代では表面をなだらかに仕上げることを良しとしていますので苦労して現代的な意味できれいな楽器と作りあげた後に、古い名器を見て魅力に取りつかれてしまいました。

現代的な意味できれいな楽器を作れるようになって初めてその違いが分かるのかもしれません。
ただ単に古い楽器は仕上げが甘いのではなく独特の作法によって作られています。

現代的な意味できれいな楽器を作れない、いい加減な職人がアンティーク塗装の楽器を作るとただクオリティが低いだけのものになってしまいます。


アーチが仕上がりました

さらに表面を仕上げるわけですが、古くは「トクサ」という植物の茎の部分をサンドペーパーの代わりとして使っていたようです。石の粉などで磨くこともできます、石の粉が木の穴を埋めて同時に目止めと言ってニスが染み込むのを防ぐ効果があります、このあたりを研究しているニスマニアがいますが「これによって音が良くなる」というのは怪しいものです、私もやっていた時期がありますがその頃作った楽器の音が特別優れていることはありません。

現在は日本の自動車などの塗装の研磨に使う特殊なサンドペーパーのようなものの240番で磨くだけです。荒い目からはじめてサンドペーパーをかけすぎるとグズグズとした印象になってしまいます。

私はこの時点ですぐに染料で木を染めてしまいます。削りたてが一番色が付きやすいからです。
これは植物性の染料で色調がナチュラルです、数種類ブレンドして適切な色を作ります。
難しいのは色調と濃さです、濃すぎると染みのように汚くなってしまいますし、色も黒くなりすぎます。黄色すぎても新しい楽器に見えてしまいます。

かといって薄すぎても効果がなく新しい楽器に見えてしまいます、後でニスを塗ると明るく見えるのでこの時ちょっと濃すぎるくらいのほうが良いです。

仕上がったのがこんな感じです。


繰り返しになりますが、仕上がってくるほど立体感は分かりにくくなってきます、始めの荒削りが形をつかむのに重要なのです。

荒削りの段階で周囲にぐるっと溝が彫ってあった名残が分かるでしょうか?

ヴァイオリンとして売られる場合、アーチなんていうのは何となくなだらかになってさえいれば演奏上問題がありません何も考えずにただこんもりと中央を高くしてあるだけのものは、私には美しくないと思いますし、伝統的なものでもないと思います、だからと言って安物だと言えないし音が悪いとも言えません。

この辺のこだわりは職人のよっても全然違います。
私が理解できないのは、こんなに情熱がわく楽しい仕事を一秒でも早く終わらせようと仕事をする職人です。こだわったところで必ず音が良いというわけでもありませんし、短時間でつくることによって楽器の値段が安くできればお客さんにとっても喜ばしいのかもしれません。

しかし、作業が面倒で嫌なら楽器なんか作らなければ良いと思います。早く作れることを誇りに思っていて「自分は天才」だと思っているのでしょうか?

職人でも演奏家としての才能しかなく演奏家としての興味しか持っていない人の場合、立体造形というものにまったく興味がないのでしょう。演奏がうまい職人はお客さんの受けが良いですが、私は技術的な裏付けがない職人にできることは限界があると思います。

才能を生かすのなら掘り出し物の中古楽器を探してきて売る仕事をしたほうがよさそうです。


とはいえノミで削っていくと一度に深く彫ることができるので時間をたっぷりかけてしまうと削りすぎてしまいます。その点カンナは薄くしか削れないため削りすぎる心配はありませんが、今度は一度削っても形の変化が見えないのでイメージ通りの形ができているのかできていないのかわかりにくいです。結局時間をかけたのにイメージ通りのものができません。

さあ、画像が続きます。



現代のつるんとしたアーチではなく雰囲気がありますね。ニスを塗るのがわくわくします。

もう一度作り方をまとめます

私が重視しているのは荒削りでいかに形を作りきるかということです、仕上げなんていうのはまじめにやれば誰にでもできます。特に複製の場合にはオリジナルの作者の特徴をつかむことです。

そのためにはカンナはほとんど使わずノミを使います。私はかんなマニアというくらいカンナという道具は好きですが、カンナは面を平らにするのに適した道具です。立体を作るのには向いていません。

その時に気を付けるのは周囲に溝を掘ることです、これは前回、前々回に紹介した内容です。

これを理解せずにただノミを多用しただけでは個性的ではあっても古い物とは違うものになってしまいます。もちろん「それが自分のスタイルだ」と主張しても、複製でない新品の楽器なら文句はありません。


赤い線が目指しているアーチです。
ただノミを使って勢いよく作れと教わると①の黒線のようになってしまいます。こういう楽器はあります。
かといって慎重すぎるとノミで攻めきれなくて②のようになってしまいます。こういう楽器もよくあります。

大事なのは③のように溝を意識することです。図の円でしめしたのは溝のラウンドです。この溝に縛られるのがオールド楽器の特徴です。①のほうがのびのびと自由ではあります。オールド楽器はこの溝に縛られることによって独特の窮屈さがあります。特にアマティやシュタイナーなど古い世代では顕著です。

音響面を考えていきます

今回このストラディバリウスの1709年製のものを選んだ理由の一つはアーチが高めであるということです。

私はこれまでストラディバリの複製はみな標準的なアーチの高さでした、今回はやや高めにしたいと思いました。

現代の楽器作りの常識では「アーチは平らなほうが良い」と信じている人が多いです。しかし、極端に平らなアーチやかなり高いアーチも作った経験で言うと平らだからといってそれほど音が良いということはありませんでした。

平らなアーチの楽器を使っている人が多いのでタイプが近いということで弾きやすいと感じる人は多いのかもしれません。

また、あまりにもアーチが高くなりすぎるとネックの取り付け角度などに問題が出てきますし、癖が強くて音を出すのが難しくなるかもしれません。


今回のように「ちょっと高い」くらいなら特に問題がありませんし、むしろ発音が良く感じられることもあります。


ストラディバリに関していうのならアーチの高さは同じ時期でも様々で、生涯様々なままです。

先ほど紹介した裏板はそれほど高くありません一番高いところが16.6mmですから現代の常識よりは1mm~1.5mm位高いことになります。


特に高いのは音に直接影響のある表板です。こちらは17.1mmです。

たった数ミリ高いだけじゃないかと思うかもしれませんがヴァイオリン職人にとって1.0
mmというのは仕上がりを左右する大きな数字です。

現代のスタンダードより1.5~2mm位高いというのは結構な高さです。あまり寸法の数字を気にしない大ざっぱな作者なら現代の作風でもこれくらいの高さはたまにありますので、画期的な高さではありませんが17mmは高いほうです。

オリジナルは表板の中央が弦で押されて変形しへこんでいますからこのくらいだと推測しました。



このストラディバリの特徴は図の黒線のようになっています。以前作ったグァルネリ・デル・ジェズの複製はアーチ中央の高さはほぼ同じでも赤線のようでした。

したがって中央はそれほど高くありませんがニスを塗って完成する段階になると全体的はかなり高い印象になると思います。見た目にも音にも「現代の楽器とは違うな」というはっきりとした印象を与えることができると思います。

これによって「枯れたような渋い音」になることを期待しています。




次回は板の厚さについて考えていきます。