気楽にストラディバリを味わう【第13回】エッジの加工の違いが音に与える影響 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

前回、エッジやコーナーの仕事が作者の特徴を表すというお話でした。

今回はそれが音にどう影響するか考えていきます。



▽ 気楽にストラディバリを味わう ▽

ブラインドテストで低い評価を受けるのがしばしばのストラディバリウス。
「そんなもの研究しても意味ないじゃん?」と頭の良い人は指摘するでしょう。
そう固いことを言わず、何億円もかけずにストラディバリを味わって楽しんではいかかでしょうか?



こんにちは、ガリッポです。


修理といっても壊れて演奏できない楽器ばかりではなく、どこも壊れていないのに「音が気に入らないから何とかしてほしい」そういう依頼もあります。

営業マンならもっと高い楽器に買い替えを促せばいいのですが、私は技術者なので何が原因でそういう音になっているか知りたいです。原因が特定できれば修理によって音を改善することもできます。

その知識を自分の作る楽器に生かすこともできますし、「こういう風な構造だからこういう音になっているのではないか?」という仮説を実証することもできます。


技術者にとっての喜びというのは一般の人とは違います。
普通の人は楽器製作を学ぶのに「有名な職人の弟子になるのが最高だ。」と思うかもしれません。しかし、私からすると有名であるために楽器が簡単に売れてしまい、音で選ばれていないとすればそんなところで学んでも面白くもなんともありません。


多くの人は「偉い人の言うことが正しい」と考えがちです。


しかし、人の社会での地位で偉いか偉くないかということと物理現象としての音の間には関係がありません。
想像してみてください、偉い人が教えた方法で作ったことに、木材がビビッて敬意を表して振動の仕方を変えたり、空気も偉い職人に頭を下げて振動の仕方を変えるようになることがあるでしょうか?
「空気が空気を読んでどうするんだ?」って話です。


弦楽器の製作の世界でも、常識をわきまえたまっとうな人たちは「偉い人の言うことが正しい」と考えてしまいます。偉い人の教えを忠実に学ぶようなまっとうな人に対して、私は「何が楽しくて技術者をやっているのだろう?」と思います。

かといってヤンキーや麻薬中毒者のように、規則や常識に反することを生きがいにするのもどうかと思います。

技術者としての楽しさというのは構造を解明して理解すること、それによって描いた理想の音や姿を実際の形にすること、そのための試行錯誤にあると思います。
偉い人に教わった「正しい方法」を経典のように信仰するのはおもしろくもなんともありません。

「正しい方法」でやっているのに楽器が売れないと「業界が良くない、社会が良くない、政治が良くない、客がバカだ。」そう考えて酒におぼれて宝くじを買うような人生になってしまいます。


「これは良い音だなあ」そういうものを作ること、そのための試行錯誤ができること自体が私にとって喜びです。わくわくして楽しいのです、それが伝わるといいのですが・・

2~3年だと確かに偉い職人の言うことを聞いたほうが結果は出ます。新しい試みをして失敗して「ほら見ろ、おとなしく言うことを聞いとけばいいんだよ。」と優秀な先輩に言われるでしょう。

しかし5~10年経つと知識の量と体で覚えた感覚、実際の楽器の音で逆転する日が来ます。10年間でお客さんの要求するレベルが上がっていますから10年間作り方を全く変えていなければお客さんの満足するものはできなくなっています。

それで音がわからずに、有名というだけで楽器を買う人にしか楽器が売れなくなってしまうのです。


楽しさとか面白さを感じさせる工業製品というのは、真面目すぎると生み出せないと思います。
決められた手法で作って、決められた物差しでチェックして「これは優れている」と評価されます。

しかし、もっとバカみたいなところがあったほうが楽しさや面白さを感じられると思います。
評論家の10人中8人が妥当だと思うようなものはおもしろくないのです。

楽器作りも初めは「変な音の楽器にならないか?」ととても心配になります。偉い師匠の正しい作り方にすがりたくなるのも分かります。でも案外目茶苦茶に作ったつもりでも大して変な音にならないものです。

今はバカみたいに魅力的な音がする楽器を目指していますが、決められたものを作るよりもずっと難しいです。そう思って試行錯誤を続けていけば多少は近づいていくのではないかと思います。


もちろん不真面目な職人で、ずさんなどうしようもない楽器は最悪なので、師匠に対して真面目な職人もそれよりははるかにましではあります。

エッジのスタイルと周辺部の厚さ




前回のこの図です、もう少し詳しく見ていきましょう。

bからcを引いた部分が板の厚さに関係します。
この部分の板の強度が表板や裏板の強度に大きく影響し、音に違いが出ます。

アマティ派の楽器にはよく見られる特徴で、たとえばフランチェスコ・ルジェッリを調べて驚いたのはcの部分がとても深く掘られていることです。通常古い楽器で演奏に使われていた表板は消耗して保存状態が悪いので裏板で見ることになります。

bからcを引いた部分はおよそ2.5mmくらいになっています。こうなると板の厚さ出すために内側をくりぬきますがどのようにやっても、エッジ近くの裏板の厚さが3mm以上あるはずがありません。

現代の楽器や大量生産品では3mm以上あるのが普通です。

また外側から一番深いところまでの距離を示すdの長く内側に来ています、それもエッジ近辺が薄くなる原因です。


この図は上がアマティ派のスタイルで下が現代よく見られるスタイルです。
上図で赤い線が作られた当初の姿で、今は摩耗して黒い線のようになっています。

アマティのスタイルではcが深く掘られているだけでなく、一番深いところかなり内側に来ています、こうなるとエッジの周辺部分が薄くならざるを得ないです。現代のスタイルでは厚くならざるを得ません。

この図のように周辺部分の板の厚さに差があります。

さらに安価な楽器では厚みを出すときにエッジの周辺部分に削り残しがあります。昔の手作業の量産品であれ、現代の機械で作られた量産品であれ、隅っこまできっちり加工するというのは面倒なものです。したがって安価な楽器にはエッジ付近が厚いものが多いです。



①は現代の丁寧に隅まで作られたもので、②は大量生産品によく見られる隅がおろそかになっているものです。これでは周辺が厚くなりすぎます。
特殊な感じがしますが、逆に③のように彫ってしまうやり方もあります。④のように外側を深く彫る人もいます、これは外観から見てわかります。

④がアマティ派のやり方です。

見えている人にしか見えない差

先ほどの図でも示したように古い楽器では摩耗しているので、チャネリングともいいますがcが深く掘られているようにパッと見ただけではわかりません。

これは普段から楽器を作っていて「どれくらい掘ったらいいのだろうか?」と意識を集中させていないとわかりません。

職人でない人が何となく手に取って眺めていても分かるほどの差ではありませんし、実際に楽器を作っていても意識していなければわかりません。自分で同じように作ってみて完成後比べてみて答え合わせをして間違いを見つけて、次の楽器でやってみて・・・同じものを作れて初めて本当にわかったことになります。

偉い職人がしかめっ面で名器を眺めている写真があったりするものですが、普通の人が見ればいかにも威厳があって「巨匠」の風格にあふれています。しかし風格が木を削るわけではありません。
クレモナの名器を研究した巨匠と紹介されていも、私がその人が作った楽器を見れば、「この人、全然見えてないんだな」と笑ってしまうこともあります。作者はその人なりに頑張っているんでしょうけど、そんな人を巨匠として宣伝してしまっている販売業者が滑稽です。


ストラディバリやアマティ本人もそんなに意識していたわけではないでしょう。
当時の作法で作ると何となくそうなっていたというだけです。厳密に深さをコントロールしていたのではなくて当時のやり方しか知らなかったので自然とそうなっていたということだと思います。

現代の私たちは、その後300年間に作られたずっとたくさんの楽器を見ることができます。別にストラディバリのやり方が絶対に正しい、他のやり方では音が悪いというわけでありません。エッジ付近が極端に薄すぎたり厚すぎたりしなければいいのです。

どういう風に作ったらどういう音になるかさまざま試した結果を憶えていて、自分が作りたいイメージにあった音の楽器を作るのに適切な厚さを選べばいいのです。

予定した厚さにするためには、ストラディバリが無意識で彫っていたようなものでも私たちは厳密にコントロールする必要があります。

気になる鳴る音の傾向は?

こんなことは普通は企業秘密なんでしょうね。

でも楽器の厚さを測って調べればわかることですから、教えちゃいますけど

表板裏板の周辺部分が薄ければ・・・暗い柔らかい音

表板裏板の周辺部分が厚ければ・・・明るい硬い音

そういう傾向になると思います。
したがって明るい硬い音にしたければ厚くすればいいし、暗くて位柔らかい音にしたければ薄くすればいいわけです。長い付き合いのお客さんで注文生産だったらその人の好む音も分かっていますから加減することもできます。

古い時代には薄いものが多いので音も暗く柔らかいものが多いですし、現代の楽器は厚いものが多いので明るく硬い音のものが多いです。

音が硬いな・・・いかにも新しい楽器のような明るい音だな・・・古い名器とはまるで違うな…と自分の使っている楽器に不満を感じたときに、他に問題がないのに周辺部分の板の厚さを調べてみて厚くなっていたら構造上の問題です。買い替えるか我慢して使うか、選択肢がはっきりします。

大量生産品で削り残しがたくさんあって周辺が厚いのであれば改造することもできます。現代の正統派の職人として評価が高い偉い職人の楽器ならオリジナリティを尊重するため改造するのはもったいないので売り払って買い替えたほうが良いでしょう。音がわからない人が喜んで買っていきます。

「巨匠の作品だからそんなはずはない、弾き込んでいけば改善するはずだ。」とか考えても無駄です、板の周辺が厚いという事実が変わらなければ変わりません。

現代のクレモナの楽器ではエッジ全体が厚いものがよく見られます。

再びこの図です、bの厚さは通常4mm以下ですが、現代のイタリアの楽器では4.5mmとか5mm位のものも見受けられます。こうなるといくら溝を深く掘ってもエッジ周辺が厚くなりすぎます。エッジが厚いことによって堂々とした見た目の印象を演出しているのでしょうか、単に作業が面倒なので十分な厚さにする前に「完成!!」としてしまっているのでしょうか?

これだと大量生産品と似た音になります。はるかに高価な楽器を買って音が大量生産品にそっくりだとすると素晴らしい買い物ですね。




それでは、古い名器と同じように表板や裏板の周辺部分を薄くすると「音が良い」のでしょうか?


単純にそうだとも言えません。

古い楽器が音が良いとしてもそれは、楽器の構造だけでなく数百年間の時間によって変化している部分もあります。したがって構造だけ同じにしても同じ音にはなりません。ただ音の性格は似てきます。

「暗くて柔らかい」という音色は似ていても、古い楽器は発音が良く音が出やすくて楽器が柔軟で表現のスケールが大きいという点で優れていることが多いと思います。

同じ作りにしたとしても現時点では必ずしも優れた音になるというわけではありません。


柔らかいということは同時に「弱さ」ととらえることもできます。逆に硬さを「強さ」と感じることもあります。

新作で柔らかすぎれば印象として弱すぎると感じてしまうことがありますから、薄くしすぎないほうが良いということになります、もちろん繊細な柔らかい音が好みならそれでもいいわけです。

硬い音は強く聞こえます、しかし新しい楽器は本当の意味ではどちらも鳴っていないので「硬い音の楽器は音量がある」とするのは間違っていると思います。
硬い音は、線が細いので耳元では強く聞こえますが遠くに届きません。
本当の名器は「柔らかい音でなおかつ音量がある」わけですので、硬いほどいいというようなものではありません。好みによっては硬い音が好きな人もいますから多少厚めでも良いです。

しかしながら、極端に厚いと表板や裏板の強度が高くなりすぎて、重く音が出にくい楽器になってしまいます。

じゃあどれくらいの厚さなら良いのでしょうか?


これくらいは企業秘密としておきましょう。

他の要素との組み合わせ

周辺部分の厚さは表板や裏板の強度にとても大きな影響があります。

よくタッピングなどと言って表板や裏板を作るときに叩きながら厚みを決めるみたいな映像にするとカッコいいシーンがありますがそれよりも、表板や裏板を持ってちょっと力を加えて曲げてみるほうがよほど違いが分かります。

そうすると表板や裏板の硬さや柔軟度がわかります。

一般的に硬い表板や裏板の楽器は音も硬い傾向にあると思います。同じ板の厚さでも硬かったり柔らかかったりします。アーチの構造やエッジの加工の仕方によって硬さが変わってきます。

古い楽器を修理する場合、柔らかくても木が古くなっていて音が出やすいので問題がありません。100年くらい経っている楽器で硬いと耳が痛くなるようなひどい音になってしまいます。大量生産品では周辺部分の削り残しを隅まで丁寧に仕上げてあげることで、刺激的な音が和らぎます。それでもまだまだ硬いということはよくあります。

新しい楽器で柔らかいと完成したのちは音が弱く感じられます。
将来音は強くなっていくので潜在的には未来の名器なのかもしれません。

新品でも手ごたえを求めるのならやや硬いほうが良いということになります。硬すぎると100年後には耳障りの音の楽器になります。


叩いてみても硬い音の楽器はコツコツと硬い音にはなります。ただ倍音の組み合わせによって硬さを感じるので叩く方法では倍音を発生させられないです。持って手に感じる硬さと測った板の厚さを脳内でイメージするほうがタッピングよりもよくわかるのではないかと思います。



このように表板や裏板の周辺部はとても重要ではありますが、表板や裏板の強度を決定づける一つの要素にすぎません。板の厚さとアーチによっても強度は変わってきます。チェロの場合には表板の材質によって大きく強度が変わります。

したがって、周辺部の厚さだけで音が決まるわけではありません。
ただ品質を管理するときに見落としがちな部分なので注目すると結構楽器によって大きな差があるところです。

極端に厚すぎると表板や裏板の強度が高くなりすぎて表板や裏板全体が厚すぎるのと同じような結果になってしまいます。例えばエッジ全体を厚く作りすぎてしまえば他の部分をちゃんと作ってあっても台無しになってしまいます。

修理で厚くする

古い楽器の修理で表板の周辺部分に新しい木を張り付ける方法があります。表板を開けるときに多かれ少なかれダメージを与えてしまうので修理を繰り返しているとボロボロになってきます。そこで新しく木を足すのです。

この時に修理前よりも厚くすることができます。これによって音が変わってきます。
音に張りがなく鈍い音だなというのであれば少し厚めにすればいいわけです。また、もともと耳障りな傾向があった楽器ならあまり厚くしすぎないように気を付けるべきです。

こういう厚さというのも何㎜が正解というのではなくて状況に応じて判断する必要があります。

これもうまくいけば修理が終わった後お客さんに喜んでもらえますし、間違えるとお客さんの表情が曇ります。スリリングですよ。

これは自分の責任であって、偉い職人が与えた寸法に従っていればよいというものではありません。

まとめ

アマティと現代の楽器について解説してきました、肝心なストラディバリはどうなんでしょうか?

やはりアマティの影響が強いです。ただかなりばらつきがあります。
表板のf字孔の外側のところや、上部のネックの根元の付近に削り残しがある場合があります、これも計算して削り残したのではなくたまたま残ってしまったのでしょう。それ以外の部分でも楽器によって薄めだったり厚めだったりいろいろです。

厚めでも現代のものよりは薄いのでアマティと同様であると言えると思います。


当時の製法は裏板や表板の中をくりぬいて横板を張り付けた後でエッジを仕上げるので厚さを測ることができない状態で仕上げていました。したがってストラディバリはエッジ付近の厚さを測ることなく作っていました。そのためきっちりと均一に計算通りに作ることができなかったと思われます。

③の段階で裏板の中はくりぬいてありますがエッジは仕上げていません、この後表板も先に中をくりぬいて横板に張り付けてから、パフリングを入れます。そのあとでエッジを仕上げます。

現代の職人は、新品の段階でも数百年経った楽器のような音を求められるので、そのような部分をキチッと計算して作ることで新品の時からも手ごたえのある楽器にすることできるのではないかと思います。

板の厚さなどもいろいろなものを試したので、可能性が残されている部分ということで近年は周辺部に異常にこだわりを持っています。

ストラディバリもバラつきがありますから、自分が作りたい音に都合の良いものを選べば良いと思います。


次回はアーチングのお話をしていきます、お楽しみに。