致命的な欠点 【第10回】駒の位置、弦の長さの間違い | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

私たちが楽器を買い取るときに、弦の長さや駒の位置が間違っている楽器はお断りすることがあります。

ヴァイオリンやチェロの場合、慣習として弦の長さや駒の位置が標準化されています。

これがあまりにもおかしいと売り物にならないからです。


基本的なことでもありますし、面白いエピソードも取り上げています、ぜひ読んでください。



こんにちは、ヨーロッパの弦楽器店で働いているガリッポです。


弦楽器を買い取ったり、修理や調整をするときに必ず、駒の位置とネックの長さを測ります。

職人と付き合いのある演奏者ならこのことを知っている人も多いと思います。

初心者や、楽器を譲り受けたり、リサイクルショップ、個人売買などで楽器を買った人の場合、このようなことを全く知らない人がいます。

そこで、今回易しく解説したいと思います。


ヴァイオリンやチェロでは、駒の位置とネックの長さが標準化されているので、別のヴァイオリンやチェロに持ち替えてもそのまま弾くことができます。

これが違っていると、それぞれ指で弦を抑えるところが違ってきます。


ビオラの場合には、胴体の大きさが様々なので、これらの長さも違います。
ビオラの大きさについてはこちらを参照http://ameblo.jp/idealtone/entry-11618897980.html

コントラバスは3/4というサイズが標準ですが製造メーカーによってまちまちです。


1.駒の位置


どこにでも好きな位置に駒を立てればいいというのではなく、通常は楽器を作る段階から位置が決まっています。

f字孔には「刻み」がついていて現在では、内側の刻みの位置に駒を立てます。
左右の刻みをつないだ直線状に駒の足の中心が来ます。


この駒の足の中心が来るところを「ボディストップ」といい、表板の上端(ネックのすぐ横)までの距離を「ボディストップの長さ」といいます。

アマティ家やストラディバリなど弦楽器の創成期に活躍した作者の場合、この刻みの位置はf字孔上と下の端の中間をまたいで、内側を下に、外側を上にずらしています。

したがって、刻みの位置はf字孔の中心よりもわずかに数ミリ下になります。



ということは、表板のボディストップの位置は楽器が作られた時点で決まっていて、後で変更することはできないということになります。

これが間違っていれば修理などでは対応できません。


そこで現実的な対処方法です。

①間違ったストップの位置で演奏に使用する
②f字孔の刻みの位置からずらして使用する


①間違ったストップの位置で演奏に使用する
ストップの位置が違うと弦の指で抑える位置が変わります。
ストップの長さが短ければ押さえる間隔が短くなり、長ければ広くなります。

ボディストップが長い楽器では、抑える位置が「遠い」と感じます。

したがって間違ったストップの位置でも短いほうがましで、長いほうが望ましくありません。



ヴァイオリンで6㎜短いとそれは、大人用の4/4ヴァイオリンではなく7/8のサイズになります。

ヨーロッパでは7/8というサイズはほとんど出回っておりません。
作られた本数が少ないと選択肢が限られて良質なものがめったにありません。

日本人の体格からすると7/8の楽器の需要があるのかもしれません。

チェロのほうが7/8の楽器は多いですが、これもあまり一般的ではありません。



ヴァイオリンでは通常「195mm」というのが標準ですから、長いほうでは2~3mm、短いほうでも5mm以内なら許容範囲と言えるでしょう。


チェロは、「400mm」となっています。
困ったことに古いチェロではストップの長さが定まっていなかったので現在の標準なサイズとは違うことが多いです。
チェロ自体の大きさもかなり差がありました、今でも結構大きさはいろいろあります。

20世紀のものでも東ドイツやチェコで作られた戦前の大量生産品では1cm長いものが多く、2cm以上長いものもあります。

これらのチェロを何も言わずに弾いてもらうと、標準的なストップの楽器を弾いている中級者以上の人からは、即座に「ストップが長くないですか?」と指摘されます。

作りに問題のないチェロで古くて状態の良いものは貴重なので「音はいいんだけどざんねんだな。」と言われます。


とはいえ、古くて出来の良いチェロは貴重なので多少弾きにくくても我慢して使う人もいます。
手が大きい人ほど有利になりますが、そこは各自の判断です。
新しい楽器でこのような厄介なものは購入しないほうが良いと思います。


②f字孔の刻みの位置からずらして使用する
それなら、「刻みの位置なんか無視して駒を立てたらよいのではないか?」と考えます。

これはある程度の範囲なら有効です。


そもそもf字孔というのは、ただ穴が開いているのではありません。
「楽器の胴体の中で共鳴した音が穴から外に出てきて聞こえる」と勘違いしている人がいます。

全くないわけではないですが、f字孔にとって重要な役割は駒の周辺が切れていることで表板、とりわけ駒付近が柔軟な構造になることにあります。

もし共鳴した音が聞こえるためだけなら穴の位置はどこでもいいはずです。
ギターのように真ん中に大きな穴を開けても良いでしょう。

しかし、駒の両サイドが切れていることによって表板の強度に影響を与えています。

したがって、f字孔の位置によって駒の位置も決まってきます。


ただ「少しくらい動かしてもいいじゃないか?」ということで多少動かすこともできます。


新たに駒を加工して取り付ける場合い、あらかじめ立てる位置は決めておかなければならず、あとで動かすことはできません。
なぜかと言うと、
①駒の足を表板の局面にピッタリ合うように加工してあるため
②駒を動かすことで弦と指板との隙間の距離(弦高という)が変わってしまうため


駒を加工する段階ですでに位置を決めますから、その時にf字孔の刻みの位置からずらして位置を決めなくてはいけません。



①か②かということになりますが、その両方にすることもできます。
理想的とは言い難く妥協ということになります。

2.ネックの長さ


一般の演奏者は意外と思うかもしれませんが、ネックは消耗品です。

したがって古い楽器では交換するのが普通です。

この時に長さを変えることができます。

よく知られていることに、「バロックヴァイオリンのネックは短い」ということがあります。
フランス風のモダンヴァイオリンが作られるようになったのが19世紀ですからそれ以前ではバロックヴァイオリンが作られていました。

実際には必ずしも短いということではなく、「長さが決まっていなかった」というほうが正しいでしょう。
つまり、短いもの長いものもあったということです。

現在ストラディバリなどモダンヴァイオリンに改造された楽器では、ほとんどの場合、ネックを新しくしたり、継ぎ足したりしてあります。
スクロールの部分はオリジナルの部分を残し、ネックを継ぎ足します。

東ドイツのオールドヴァイオリンには構造が現在のものと似ていてそのまま使用されているものもあります。
南ドイツやイタリアに比べて進んでいたということになります。


このようにネックというのは長さを後で変えることができます



ヴァイオリンの場合は130mm、チェロで280mmが標準です。

ここでも短ければ押さえる間隔が短くなり、長ければ広くなります。



1mm~2mm程度なら指板の位置をずらすことで変更が可能です。

大きく違う場合にはネックを継ぎ足す必要があります。
この修理は比較的高価なので、安価な大量生産品の場合ネックの長さがおかしければ買い取るのを避けたり、タダ同然で買い取ることにします。

金額の問題もさることながら、時間の問題で暇な弦楽器店なら買い取るでしょうが、忙しければ他に選択肢がたくさんあるので購入は避けます。


3.ネックとボディストップの比率


ネックの長さとボディストップの長さをそれぞれ見てきましたが、比率も重要です。

例えば標準よりネックが短くて、ボディストップが長ければ押さえる間隔は標準的なものと同じになりますが、高いポジションを弾くときに親指のかかるところから抑える位置までが遠くなります。

ネックの長さとボディストップの長さの比率は、ヴァイオリンとビオラでは2:3、チェロで7:10になっています。


ネックの長さは修理によって変えることができますが、ボディストップの長さが変えられないことは先ほど説明しました。

それではボディストップの長さが標準でない場合にネックの長さはどうするべきでしょうか?


①比率を優先する
②弦長を優先する
③ストップの長さを無視する

①比率を優先する
長いストップに長いネックを付ければ、高いポジションだけが遠くなることを防げますが、全体に押さえる間隔が広くなります。


②弦長を優先する
長いストップに短いネックを付ければ、押さえる間隔は同じですが、高いポジションで遠くなります。

③ストップの長さを無視する
「俺が作ったわけじゃないから、知らねえよ!」と修理する職人はストップの長さを無視して、正しいネックの長さにします。

こうなると投げやりな態度ですが、①と②の中間の妥協点になります。
意外と悪くないですね。


ビオラの場合


またまた厄介なのはビオラです。

胴体の大きさ、弦の長さ、ストップの長さ、ネックの長さがまちまちなのです。

弦長が長ければ押さえる間隔が広くなるのはさっきも説明しました。


ヴァイオリンではよく「ストラディバリコピー」などが作られますが、ビオラの場合ストップの長さが胴体の大きさと合わないケースが多いので困りものです。

胴体が大きくて弦長が短ければ、駒の位置が演奏者から遠くなります。
弓をいっぱいに使ったときにずっと弓を持つ方の手を遠くまで伸ばさなければいけません。

いずれにしてもビオラは小さいほうが弾くのは楽だということになりますね。


サイズごとにスタンダードの寸法があります。
これも完全に統一されていない感があります。

参考までに(単位は㎜)





ストップが適当なジュゼッペ・グァルネリ・デル・ジェズ



ここで面白いお話を一つ。

古い時代にはストップの長さが統一されておらず、人によっていろいろありました。
N.アマティやA.ストラディバリのヴァイオリンは2mmほど長い197mm位あることが多いです。

ところが、デル・ジェズは一台一台ストップの長さがバラバラです。
同じ年の作品でも1cm位違うことがあります。


ここで「天才信仰」に陥っている人なら、「デル・ジェズは天才なので胴体の強度に合わせて弦の張力を計算してストップの長さを意図的に変えたに違いない。」と考えるかもしれません。

当ブログの読者ならおもう判りでしょう。
状況からみると「デル・ジェズはストップの長さに無頓着で長さを測ることなく、見た目でこのくらいと適当にf字孔の位置を決めていた」という可能性のほうがよっぽど高いと思います。


デルジェズのヴァイオリンの特徴といえば、大きく縦に長いf字孔です。
晩年の楽器で極端に大きいものもありますが、この長さを測らず目分量で決める無頓着さが長いf字孔を生んだのだと思います。


f字孔が大きいほうが音量が出るという説もあります。
これに関しては裏付けは取れていません。
表板の切れている部分が大きいということは、表板の中心部分や表板全体の強度が柔軟になることは理論上わかります。

f字孔以外の部分の作りにうまく合えば有り得ないことではないと思います。
しかしながら、f字孔が小さいから音が小さいと断言するにも根拠がありません。


これもデル・ジェズが音量を大きくするために考えて大きなf字孔にしたのか、ただ測らずに適当に作っただけなのか、本人に聞かなければわかりません。


デル・ジェズはストラディバリと並んで最も高価で、ヴァイオリンの最高峰とされています。
ところが作られた当時はとても安い値段でたしかアマティの4分の一だったという記録があったと思います。

大規模な大量生産が無かった時代ですから、今で言ったら安価な量産品にあたるのかもしれません。

デル・ジェズが有名になったのはパガニーニが愛用したためでもあります。

パガニーニはギャンブルで負けて使っていた楽器を失ってしまい、才能にほれ込んでいた人からデル・ジェズをタダでもらったという伝説があります。

伝説ですから怪しいものですが、当時デル・ジェズのヴァイオリンが安物として扱われていたとすればタダでもらえたこともそんなにたいそうな話でもないのかもしれません。


この話は弦楽器の価値について本質に迫る興味深い話です。

まとめ


このように修理の仕事をしているとボディストップの位置、ネックの長さには、日々悩まされています。
厄介なものは買わないでほしいのですが、古い貴重な楽器となるとそのあたり演奏しにくさなども覚悟して買う必要があります。

厳密に言うとネックの角度はそのままで駒の位置を変えると、必要な駒の高さが変わります。
これによって弦が表板を押さえつける力も変わってきます。
駒の位置を変える場合には厳密にはネックの角度も変える必要があります。

ネックの長さを変えるにも高額な修理が必要です。


特に安価な楽器や新しい楽器では標準的なものを買うことをお勧めします。