致命的な欠点 【第9回】 気にする必要のないこと | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

細かいことを知っているとさも何もかも知っているように錯覚してしまいますが、重要でないことについて興味関心や注意が行き過ぎるのは、間違って理解する原因です。

また楽器を購入するときに、選択の幅を狭めてしまい、商人の思うつぼになります。



こんにちは、ヨーロッパの弦楽器工房で働いているガリッポです。


「浅はかな知識なら無いほうがまし」というのは、弦楽器の購入においても言えることです。

クラシックの本場で働いていますが、私の店では、予算を決めてその範囲でとにかく試演奏して気に入ったものを選ぶ、作者がどこの国の誰かなんか気にしない、そんなお客さんが多いです。
おかげで日本人の私が作った楽器でも買ってくれる人がいるわけです。


下手な知識があるくらいなら全く知らずに自分の耳で楽器を選ぶほうがましだということです。
でないとでたらめなウンチクでそそのかされて法外な値段の楽器を買ってしまいます。

小さな子供でも自分で楽器を選ばせます。

小さい時から楽器を選ぶ能力を鍛えることになりますね。



ただ日本人では、なかなかそういう自分の意見をしっかり持てる人は限られているでしょう。


そういう不安に付け込んでデタラメなウンチクを吹っかけて「この作者は天才だ」とか「巨匠の最高傑作だ」とか「作者の円熟期の作品」というような宣伝文句を耳にします。

私のような技術者から見るとごく普通の楽器をいつものようにただ作っただけにしか見えません。

一般的な産業では、広告で過大な宣伝文句を使うのはごくありふれたことです。
インスタントラーメンに「頑固な職人の味」みたいなことを平気でコピーや商品名にします。

したがって弦楽器店でもそれが行われるのは普通のことだと思っていたほうがいいと思います。


高額な商品になりますから全く知らないか、ちゃんと理解するかどちらかにしないとカモにされてしまって大変です。


自分の耳に自信のある人は、このようなブログを見ることもないでしょうから、ぜひ一緒に勉強していきましょう。

1.どういう木目のものが音が良いのかは見た目ではわからない

どうやって楽器を選んでいいかわからないので「表板や裏板の木目はどいうものが音が良いのか?」というのが気になります。

答えは、見た目ではわかりません

1.表板
表板は英語でスプルースという木で日本語ではドイツトウヒと言うようです。
量産メーカーでは違う針葉樹を使っている場合もあります。

縦の木目が入っています。
これは年輪を縦に切ったものです。

板の取り方はこの図の通りです。

この目が細かい物や幅の広いものがあります。
均一なものやまばらなもの、片側が細かく反対側が幅広の場合もあります。
真っ直ぐなものや曲がったものもあります。

どういうものが音が良いかというと、どんなものにも音が良い楽器があります


作者によって、地域によってこういう木目が好まれ高級品に使われるということはあります。
A.ストラディバリは中央が細かく外側に行くにしたがって幅の広い木目が典型的です。
アマティ兄弟やN.アマティの場合には、不規則な木目が印象的です。
近代の楽器は比較的幅の広い木目を使うことが多く、またドイツのミッテンバルトでは伝統的にとても細かい木目を好みました。

現在、弦楽器専門の材木業者の等級では、細かさについては好みで選ぶとしていろいろありますが、均一で真っ直ぐの木目のほうが高い値段がついています。

したがって、こういう木材が高級だというのはあるわけですけども、音については必ずしもそうでもありません。

建築資材や薪にするような木材はそもそも弦楽器に使われません。
これらは樹齢が若く節が多かったり、とても荒い年輪をしています。
コントラバスを除いてですが…・


普通表板には柾目板(まさめいた)を使います(木取りについては右上の図を参照)。
大変珍しいですが、表板が一枚板で板目になっているチェロで大変音が良い物がありました。
したがって木取りが柾目板のほうが音が良いなどということもできません。
図のCのような木材は低級になりますが音響的には問題ありません。

2.裏板
通常裏板はメイプルというヨーロッパのカエデを使います。
チェロになるとポプラなど違う木材も使うことがあります。
また量産品ではアジアや北米のカエデを使うこともあります。

このメイプルは杢(もく)という独特の横縞が浮き上がるのが特徴です。
これは繊維が波打っていてそれを切断しているために起きます。


上段の図のように木材は木の繊維の向きによって光があったった時の反射の仕方が変わってきます。
毛足の短い絨毯とかコーデュロイの生地を手で撫でると繊維の向きによって色が濃く見えたり明るく見えたりしますね。
ちょうどそれと同じです。

繊維が波打った木材を切断すると下段の様な繊維の切断面ができます。

繊維の向きが交互に入れ替わるので横縞に見えるわけです。

繊維のうねりが強い木材ではとても強い杢が現れ、うねりが小さければうっすらとした杢しか現れません。
木の中心に違いところで強く樹皮に近い方向で弱くなります。

高級な木材とされるのは、この杢の強いものです。
また表板と同様に縦に入っている年輪の目が細かいものが高級とされます。

安価な量産品にヨーロッパ産の最高級の木材が使われていることはまずありません。


しかし、音については関係ありません
あくまで見た目の美しさの問題です。

これも人によって好みがあり、柾目板の均一な目を好む人もいれば、柾目板に近い板目板で不規則なものをよしとする人もいます。
19世紀後半から20世紀のイタリアの作者は、他の地域では嫌われる木目が曲がりくねった珍しい不規則な板をあえて用いたりしました。
もちろんニセモノを作るにはわざとこういう木目を使います。

裏板は2枚を中央で剥ぎ合わせたものと一枚の板のものがあります。
一枚板の場合には板目板を使う場合もあります。
これは雲のようにもやもやとした杢が出たり、うろこのような模様が出たりします。

バーズアイメープルといって鳥の目のようなぶつぶつの模様の木を使う場合もあります。
これはヤコブ・シュタイナーが好んだので有名で、シュタイナーの影響を受けた作者も良く使いました。


繰り返しますが、これは見た目の美しさの問題で音には関係ありません。

2.生産国や作者の名前


これは全く音と関係ないとは言いませんが、弦楽器を製造した作者の数は思ったよりも多いと考えてください。

過去の弦楽器の製作者の名前とプロフィールを書いた書物を見ても、ものすごい人数で鑑定のプロでもとても覚えられるような量ではありません。
すべてが載っているというわけではありませんし工房の責任者の名前しか出ていません、現在の最新の職人は載っていませんから実際にはもっと多くなります。

楽器職人も普通の職業ですから、特定の職業についている人の名前や仕事ぶりが世界中過去500年にわたってすべて知られているはずがありません。

したがって、有名な作者として知られているのはごく一部でしかありません。
さらに一般の消費者が知っているのは数十人程度でしょう。

古い楽器で作者がはっきりと特定できるケースは限られています。


これら無名な職人の作った楽器が有名な作者の楽器に比べて必ず圧倒的に劣っているなどということはありません

またどこの国にでも素晴らしい楽器を作った人がいて、どこの国にもどうしようもない粗悪な楽器を作った人がいます。
別の国で修業したり、よその国に移住したりもします。

したがって生産国によって楽器の良し悪しを判断することもできません。


見た目を見分けるのも困難ですが、音になるとさらに聞き分けるのは困難です。
音を聴いただけで楽器の作者や生産国を言い当てることができるような人はいません。


ごく一部の作者についてどれだけ詳細に知っていても、存在する弦楽器のほんの一部について知っているだけです。

したがって特定の作者についてのみ詳しく調べたりするような愚行は避けたほうが良いと思います。

3.値段は絶対ではない


これは何度もこのブログで説明してきたのでもうわかっていると思いますが、値段は人気で決まります。

そもそも流派や生産地の人気でまず基本の値段が決まっていて、その中で高い人から安い人まで差があります。

最高水準の一級の楽器でも作った人がマイナーな流派であれば、人気の流派の下手くそな職人がいい加減に作ったゴミのような粗悪な楽器よりも安くなることがあります。


「高いから良い楽器だろう」と思うので人気が上がり、人気が上がることで値段が上がり・・・を繰り返していきます。

楽器の音や美しさなどは尺度としては脆弱なもので、お金・値段で示せば全く音楽的なセンスや美的センスのない人、弦楽器に興味のない人にも通用する圧倒的な尺度です。

大変美しい絵だと新聞記事に書いても興味を引きませんが、80億円の絵だと書けば美術館には人が殺到します。
そいういうものです。


ロシアや東欧から来て間もない音楽家はこのような「お金で音を買う」という発想を持っていないことがあって面白いです。
西側の国ではバカにされているような楽器でも素晴らしい演奏を聞かせてくれることがあります。

東京で信じられている価値などというのがどれだけ狭い世界のものか知ってもらいたいです。

4.木工技術の高さと音の良さは直結しない


これもこれまでも取り上げてきましたが、勘違いしやすいのでもう一度説明します。

腕の良い職人で、まともな知性を持った人なら、「自分が一生懸命作った楽器が、はるかに下手くそな職人がいい加減に作った楽器に比べて必ずしも音が良いわけではない」という事実に気付くはずです。

自己中心的な職人や技術の高い師匠を神様のように崇拝している職人では、「いい加減な楽器でも音が良い」という事実を認めようとせず、皆さんに間違った知識を教えてしまいます。


また、商人など自分で楽器を作ったことがないと、楽器を見てもどれいくらい職人の技術が高いのか、どれくらい難しいことなのかわかりません。

数千万円以上する楽器で音が良い楽器でも、凡人レベルの木工技術で作られているものはよくあります。
木工技術のレベルがわからないと、誰でも作れるレベルの楽器を「数千万円」という権威に押されてしまって「天才にしか作れない名器」と勘違いしていしまいます。

彼らが天才なら、私なんかは大天才の部類ですし、私の職人仲間にも大天才や天才がゴロゴロいます。
むしろ天才でない職人を探すほうが難しいくらいです。

これも間違った説明がよくなされる原因です。



今回の連載で説明してきたように、「致命的な欠点」さえなければいい加減に作られた楽器でもよい音がする可能性は十分あります。
特に古い楽器なら名器としてプロの演奏家に認められる可能性は十分あります。

粗悪な大量生産品やインチキな職人の楽器では、このような致命的な欠点を抱えている可能性がとても高いです。
また、致命的な欠点を抱えていない楽器で200年以上前に作られたものはたいへん数が少ないです。

そのために、凡人レベルの木工技術の楽器でも200年以上経って音が良くなった楽器は名器として数千万円の値段になっていることがあるわけです。


一方で木工技術が高くても、致命的な欠点を抱えていれば音が良くないのは十分あり得ますし、安価な大量生産品でも致命的な欠点が無ければ十分いい音がする可能性があります。

大量生産品はたいてい一つや二つの致命的な欠点を抱えていますけどね。

まとめ


今回のお話は、音についてのみになりますから、経済的な意味や工芸品としての価値をインチキだと否定するつもりはありません。

それにしても、結局は「弾いて気にったものを選ぶしかない」という結論になってしまいます。
致命的な欠点のないものの中から、音が好みに合ったものを選べば良いことになります。

実際に弦楽器専門店や総合楽器店で、販売を担当する人が技術的な問題点についてしっかり理解しているかは疑問です。

作者から直接楽器を買う場合、中間マージンがないので安く買うことができたり、また同じ値段でも隅々まで手間暇をかけて作った楽器を手にすることができるかもしれません。

日本人にも優秀な人はたくさんいます。
その一方でインチキな人もたくさんいます、どこの国でも同じです。



当ブログを読んで知識を深めれば、会話をしてみて話している内容から悪質な業者を見分けることができるようになると思います。


耳に自信のある人はぜひ、百戦錬磨の営業マンに惑わされずに、自分の気に入った楽器を選ぶように挑戦してみてください。


どうしても不安だという人には、もし需要があれば、特にずば抜けて優れたものではないですが、ブログの読者限定で年に一台くらいヴァイオリンかビオラを作ろうかとも考えています。
私の作る楽器に興味がある人は右下の「いいね!」というボタンをクリックしてみてください。
今後の参考にします。
コメントでも受け付けます。



まあ、それとも、墓場までダマされたままというのも悪くないかもしれません。
修理に出すたびに職人に影で笑われるでしょうが…・




これまで音について触れてきましたが、次回は音以外で購入を避けるべき楽器について考えていきます。