致命的な欠点 【第7回】アーチングの欠点  後編 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

弦楽器の音や作風に大きな影響を与えるにもかかわらず、理解するのが難しいアーチングについて前回、大雑把な話をしました。

今回は音への影響と代表的なタイプについて見ていきたいと思います。




こんにちは、ヨーロッパの弦楽器店で働いているガリッポです。

耐久性があって何百年も使えることは、アーチングのおかげと言ってもいいでしょうが、その反面手間暇がかかって値段が高くなってしまうのもこのアーチングのせいです。

前回、現代の楽器とオールド楽器はアーチを見ればすぐにわかると書きましたが、より詳しく違いを説明していきます。

オールドと現代のアーチの違い

前回の説明ではオールドヴァイオリンはアーチが高くモダンヴァイオリンは低く平らだというだけでした。

しかし実際にはオールドにも平らな低いものがあり、現代でも高いものもあります。
例えばバッハが活躍した東ドイツの地域では平らなアーチの楽器もグァルネリ・デル・ジェズよりも古い1600年代には作られていました。
その後クリンゲーンタールのホプフ家によって大量に作られ、値段は200年以上前のものでも30~80万円くらいで買えます。
音は決して悪くなくオールドヴァイオリンが安価で買うことができます。


とはいえ作業工程の違いにより、オールドヴァイオリンとモダンヴァイオリンには異なる特徴があります。

アーチングのキャラクターを決定づけるのに重要なのはアーチのふくらみではなく実はくぼみなのです。
表板や裏板の周囲にはカナルと呼ばれる溝があります。
このカナルに特徴があります。

これはオールドヴァイオリンと現代の一般的なヴァイオリンの違いを示したものです。
ちょっと大げさに書いてありますが、下の図の赤線のほうがオールドのスタイルです。

オールドヴァイオリンでは表板裏板の周辺部分が深く彫込まれているのに対し、現代の楽器では浅くなだらかになっています。

注意するべきなのは古いヴァイオリンの場合、エッジが摩耗して低くなっています(右上図)。
そのため見た目ではあまり深く見えないことがあります。
この微妙な違いは実際に自分で複製を作ってみないとわからず、百回ストラディバリを見ても見えてない人にはどうなっているのか見えていません。

作業工程の順番や使った道具が違うためこのような違いになっています。
S.F.サッコーニが提唱する方法が有名ですが、私はちょっと違うと思っています。
というのはやってみるとうまくいかないからです、サッコーニの説を知らない人は別に知らなくていいです。

これは音を計算してそのような作り方にしたのではなく、単に作業の工程の手順の関係でそうなっていたのだと思います。

左の上はストラディバリで下はアマティのミドルバウツの断面の模式図です。
アマティのアーチはあまり高いものは少ないと前回説明しましたが、このように半径の大きなカナルが掘られているため高くしにくいのです。


右はドイツ語圏で特徴的なアーチです。

これはヤコブ・シュタイナーをお手本として作ったのですが、実際のシュタイナーよりも大げさになっています。
シュタイナーはアマティをもとにしていますが、彼独特の「癖」があります。
この癖を強調しているのはモノマネ芸とおなじですね。
矢印で示したところが出っ張っています。

特徴は四角いアーチです。
しかしカナルが深く掘られている点はイタリアのものと同じです。

またイタリアでもクレモナに次ぐ名器の生産地で有名なヴェネツィアでもシュタイナーをもとにした四角いアーチが作られました、D.モンタニアーナなんかがそうです。
ヴェネツィアは当初マーティン・カイザー、ダビット・テヒラー、マテオ(マティアス)・ゴフリラーなどドイツ系の人たちが始めた流派でドイツの作風とクレモナの作風が混ざっているのが面白いです。

シュタイナーは当時イタリアでも有名でベラチーニが愛用していたようです。
フィレンツェの流派にも影響があります。

作り方の違い


現代では初めからアーチを平らに作るのに適した製作法になっています。

深い大きな半径のカナルを掘るにはおそらくノミが適していると思います。
一方平らなアーチを作るのにはカンナが適していて現代ではノミは荒削りにのみ使用し、アーチを作る作業の多くをカンナを用いることが多いです。

前回も紹介した写真ですが、これはアマティを模したもので裏板のふちをぐるっと一周溝が掘ってあるのがわかるかと思います(作業手順は私流です)。
これはカンナではまず無理です。

カンナという道具は凸凹をなくしてなだらかにするのに適した道具で、これを使用する限りアーチの高さを高くしてもオールドのようなカナルができず全く違うものになってしまいます。

音の違い

私は現代の正しいとされている作風と高価な銘器の作風が違っていることに疑問を持ちました。

例えば何千万円もする銘器の作風をそのまま作ると、現代のヴァイオリン製作コンクールで低ランクの評価になってしまいます。



実際に古い銘器の作風を再現する試みをしてきました。

これはアレッサンドロ・ガリアーノの実物をもとに模したもの。
イタリアのヴァイオリン製作学校の元先生に見せたところ、目を丸くしてびっくりしていました。
あまりにも現代の作風と違いすぎるからです。

結果はというと、音のキャラクターは似てくると思います。
ただし、新品なので鳴り方が硬かったり楽器が自由に振動しなかったり発音が鈍かったりします。

楽器の個性については再現できても、性能については再現できないということになります。

キャラクターが似ているということは、数百年後には名器のような音になるということが予想されます。


また現代の作風の楽器に比べると、音色のキャラクターは明らかに違います。
性能については、現代の楽器よりも優れているということもなく、劣っているということもありません。

ということは現代の作風の楽器は古くなっても、オールドヴァイオリンとは違う音になっていくでしょう。


現代の楽器では特徴やメリハリがなくベタッとしたアーチが多いのに対し、オールド楽器では彫の深い躍動的なカーブのアーチが見られます。
見た目も立体感があり目を楽しませるものです。

アーチ以外の要素も影響してくるのでアーチだけで判断するのは難しいですが、強度としては現代のアーチのほうが柔軟性があり、ゆったりとした音の出方になる傾向があると思います。
古いタイプのアーチでは響きがある程度抑えられると思います。
したがって古い名器のアーチを再現したからと言って音量に優れた楽器にはならないと思います。
嫌な音を抑えているのであれば、音色の美しさや渋い味わいにつながってくるのではないかと思います。
大事な音まで抑えてしまえば「鳴らない楽器」になってしまったり、嫌な音ばかりの楽器になってしまうでしょう。

必ず古い楽器の音色が良いというわけではなく癖が強いので必ず試演奏して音を確かめる必要があります。

粗悪なアーチ

ここでようやく致命的な欠点ということになります。

大量生産の安価な楽器ではどうしようもないものが作られてきました。
前回も、平らな板を曲げて作ったプレス製法を紹介しましたが、削りだしでもデタラメなものが多く作られました。

左の図のものもよくあります。
一番高い部分とエッジの部分だけ寸法を指定できますがその中間は熟練した職人が「目の感覚」で形作っていくものです。
ところが、「指定された寸法だけできてればいいや」と思って途中を全然削っていないのです。
本来は点線のところまで削らなくてはいけません。

ここでもノミではなくカンナを多用する方法だと形を見るのが難しく、「目の感覚」が鍛えられていきません。
ノミでは素早くイメージ通りの形に成形できる反面、失敗すると大きな穴を開けてしまいます。
失敗を恐れてカンナを使うわけですが、カンナでは一回に削れる量が少なく立体感を把握しにくいためまだまだ削らなくてはいけなくても、どこまで削ったのかわからなくなります。

このようなアーチでは、弦の力がうまく分散せず最悪の場合表板の駒の部分が陥没してしまいます。
また、魂柱をうまく立てることができません、これも表板を変形させる原因です。

昔は分業で部品ごとに違う人が作っていて、完成品を一人で作ったことのないような人が働いていました。
したがって、指定された寸法通りにできたのでこれでいいと思ったのでしょう。

また、造形センスがなく「目の感覚」が全くなっていない職人もいてこのようなひどいアーチのものを「ハンドメイドの高級品」として売っている場合もあります。
本人はアーチングが見えていないので悪意はないのでしょうが、完成して5年くらいで表板が陥没してしまった被害者の人もいます。


右のものも戦前の東ドイツなどの大量生産品によく見られるもので、カナルが全く彫られていないものです。
これはエッジ周辺(矢印の部分)が分厚くなり硬くなるため、表板や裏板の柔軟性が不足します。
さらに硬く高周波の音が伝わりやすいラッカーが塗られているのもあいまって、非常に耳障りな金属的な音がすることが多いです。
高級ナイロン弦を張っても、安価なスチール弦の音がします。

まとめ


現代の楽器の製法は平らなアーチを作ることが前提で発達しカンナを多用する傾向があります。

平らなアーチでカンナを多用すると、アーチを見る「目の感覚」が育たず粗悪なものも作られてしまいます。

ストラディバリはアマティ派の中では比較的平らなアーチのものが多いとはいえ、もともとアマティのような彫の深いアーチの楽器を作っていました。
したがって「目の感覚」に優れた職人が見れば、現代の楽器とは全く違うものであることに気づきます。

表板や裏板の輪郭はストラディバリそっくりにできてもアーチは現代の製法を捨てない限り真似できません。

私もアマティのアーチを研究し、アマティの再現を大量にこなした上で、ストラディバリを再現して作ると、大変美しい音色の楽器になります。

これは「うるさいだけの楽器」とは違う音ですが、ただただ音量を求める人には物足りなく感じるかもしれません。
5~6年弾き込むだけでも相当音量は出てきますから私は心配していません。

ただ金儲けのためなら新品の内はうるさいだけの楽器のほうが「音量がある」と気に入る人が多いので、そっちを作るべきです。


私はちょっと大げさですが貧乏でも人類の遺産として残るような楽器を作りたいと思っています。



余談ですが、日本では作者の知名度と値段で楽器を選ぶ傾向があります。
しかし、無名な作者の楽器でもマイナーな産地のものでもこれまで紹介してきたような「致命的な欠点」がない楽器なら有名な作者の楽器となんら変わらないレベルの音の楽器がいくらでもあります。
ヨーロッパにはこのような楽器がたくさんあって演奏者の耳が肥えているので、私も自分の楽器を控えめの評価にしています。

ところがこのような音の良い楽器はお金にならないのであまり日本に輸入する人がおらず出回っていません。
そのため、私の楽器も、値段が2~3倍もする有名な作者のイタリアの新作楽器と遜色ないか好みによってはそれ以上であることに驚かれます。
技術者から見ればイタリアの楽器も普通に作ってあるだけなので他の無名な作者の楽器と変わらないのは当然のことです。
日本で出回っている楽器のレベルが低いため、その中では私の楽器ももっと高めの評価をするべきなのかもしれません。