致命的な欠点 【第6回】アーチングの欠点  前篇 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

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音に重大な影響を与えるにもかかわらず、規則性を見出したりタイプ分けが困難なのが表板と裏板のふくらみ・・・つまりアーチングです。

これについて語るということは、無知をさらけ出す覚悟が必要です。
英国の雑誌『The strad』や専門書にもほとんど記述がありません。

音についての規則性はいうまでもなく、その姿さや特徴も見えている人には見えていて、見えていない人には見えていないのです。

古い楽器などを見て、あのアーチは美しいなと思って、いざ作ってみるとそのようになりません。
これは「見えていない」のです。

つまり同じものを作った人だけが「見えている」ということになります。




こ、こんにちは、ヨーロッパの弦楽器工房で働いているガリッポです。


冒頭から重苦しい空気を演出してみましたが、伝わったでしょうか?

それくらいアーチングは不確かなことが多くうかつに知ったようなことを言ってはいけないのです。


オールドヴァイオリンとモダンヴァイオリンを見分けるための一番のポイントはこのアーチングにあります。
アーチが見えている人なら、すぐにオールドヴァイオリンを見抜くことができるので、19世紀後半に作られた楽器に、オールドの作者の名前が張ってあってもすぐにニセモノとわかってしまいます。

アーチが見えていなければこの違いも分かりません。
逆に作者が不明の楽器でもアーチによってオールドの楽器だとわかります。

また、現代の作者でも、作った楽器のアーチを見ることによってオールドの名器の構造をどれくらい理解しているかもわかります。


もちろんほんとうの意味で見えているというのは先ほど言ったように「同じものを作れる」ということですから、演奏家や営業マンなどに見えるはずがありません。



現代の楽器作りの常識を捨て去り、異なる工具を使い、異なる手順を研究し、目を鍛え、体で憶えて、理解したつもりになっていても、何台も作らなければ納得のいくものはできません。

まあ、納得できていなくても、年長者の職人でも間違いを指摘できないのですから責められることはまずありませんが…

音への規則性がわからない

規則性がわからない以上、アーチを見ても音が良い楽器なのか、またどんなキャラクターなのかわかりません。

もし、理想的なアーチというのがわかっていて、それを作るには技能で大変高度な難易度を要するというのならば、「腕の良い職人=音が良い楽器を作れる」ということになります。
また機械では精度が出せないというのなら名人による手作りのものが音が良いことになります。

そして才能を持ったものが長年の研鑽によってその境地に達することができるのなら、天才的な技量を持った職人にしか音の良い楽器が作れないことになります。


しかし、当ブログを読んでくれている方はもうお分かりでしょうが、理想のアーチなどわからないため、初心者が始めて作った楽器でも機械で作った楽器でも、とんでもない不器用な人の作った楽器でも、何らかの理由でいい加減に作った楽器でも、安価な楽器でも、無名な作者の楽器でもこれまで挙げてきたような「致命的な欠点」がなければ音が良い可能が十分にあるということです。

楽器の価値が音にあるというのであれば、残念ながら年長者や師匠が、後輩や弟子に偉そうする根拠はありません。
初心者でも良い音の楽器が作れるかもしれないからです。

現に私は、新人の後輩からも作風を盗んでいます・・・・。



また、アーチのカーブを数値化したり理論化したりしてあらわすこともできません。
従って、弟子に教えることもできなければ、違いも指摘できず、弟子や息子でも師匠と同じ楽器を作ることができません。

同じアーチを作ることができるとしたら、「教えやすいアーチ」で楽器を作る場合です。

現代ではヴァイオリン製作学校が世界各国にありますから「教えやすいアーチ」の楽器が多いです。


教えにくくて美しいアーチと言えばアマティのものですが、弟子のストラディバリやアンドレア・グァルネリ、ルジェッリやロジェッリ、カッパ、影響を強く受けたシュタイナーなどみなアーチが違います。
グァルネリ家も3世代5人職人を輩出しましたが、アーチはバラバラです。

このように、同じ門下の弟子でもアーチにばらつきがあるため、音はそれぞれ微妙に違います。
違うにもかかわらず、どういう場合にどういう音になるのか規則性がわかりません。


こうなると作者が意図的に計算して音を作るというより天然の「癖」ということになります。


どうです、弦楽器って面白いでしょ?
これがあるから、探求をやめられないんですよ。

このようにノミを横方向に使ってアーチを削りだしていく方法は20世紀前半に活躍したG・フィオリーニやS・F・サッコーニが昔の作り方として推している作り方です。
ほんとうに昔このように作っていたかわわかりません。

ただ、このようにノミを多用するとオールドの名器のようなアーチを再現しやすく、またその人の特徴のあるアーチ、つまり「癖」がでやすいのに対し、小型のカンナを多用する方法では特徴のないアーチになりやすいです。


じゃあもう、その癖で一生作る楽器の音が決まってしまうかと言えばそうでもありません。
自分の癖を知って、板の厚さやニスの質など、他の部分でその良さを生かし、欠点を補う、そういう組み合わせを探していく作業を続けていくことで地道な努力をすることも可能だと思っています。

その時に、音が良いニスや板の厚さの出し方を見つけたとしても、弟子や別の職人がそのまま同じやり方でやっても癖が違うなら良い結果が出ないでしょう。
やはり弟子も、自分の癖にあったものを見つけていかなくてはいけないでしょう。

実際に私が改良してきた油ニスを同じ門下の職人の楽器に塗ったところ、全く合いませんでした。



「このニスを塗れば楽器の音が良くなる」などと言って、ニスを塗りかえる業者がありますが、怪しいものです、作者のオリジナリティが失われるので骨董的な価値は下がってしまいます。


またその一方で、天然の癖による音も、50年、100年、200年・・・と月日によって変化していきます。
できたての時、強い音と感じられたものが、耳障りになったり、弱すぎると思ったものが力強くなったりします。

初めは地味な音の楽器でも致命的な欠点が無ければ、200年後には名器になる可能性があります。
人によっては「まさに好みにピッタリ!!」という演奏者も現れるかもしれません。

アーチングについて間違った知識


まずこの画像をご覧ください。

上がウィーンで18世紀に作られたと思われるヴァイオリンで下は1883年パリで作られたヴァイオリンです。

これは典型的なオールドヴァイオリンとモダンヴァイオリンの違いを示したもので、アーチの高さが違うのがわかると思います。



さて、これをふまえて常識としてよく言われてきた知識を紹介します。


アーチの高さは古い時代ほど高く、アマティのアーチは高く作られている。
アマティの弟子、ストラディバリはこれよりも低く平らなアーチを考案した。
グァルネリ・デル・ジェズはさらに低いアーチにした。
研究熱心なグァルネリは隣町のブレシア派の楽器を研究して低いアーチを取り入れた。

高いアーチは音は美しいが音量に欠けていて室内楽向きであるのに対し、低い平らなアーチでは音量に優れている。
音量を求めたデル・ジェズは平らなアーチで力強い音に特徴があるが、ストラディバリはこの中間で美しさと音量を兼ね備えた理想の楽器である。



このような何かの宗教のようなよくわからないことを、さも本当のことであるかのように語られてきました。

実際に、アマティやストラディバリ、グァルネリ・デル・ジェズの楽器を調べてみると全くこの説とは異なっています。

まず、アマティの楽器を調べると極端に高いアーチのものはあまり見られません。
理由は次回説明します。

中には、低く平らなものもあり、ストラディバリの黄金時代の100年前にすでにアマティ家によって平らなアーチのヴァイオリンが作られています。

また、ストラディバリもアーチの高さは様々で、作風が確立した黄金期以降でも一台一台まちまちで低いものもあれば高いものもあります。

さらにグァルネリ・デル・ジェズも年代に関係なく高いものも低いものあり、アマティより高いアーチのものがたくさんあります。
このアーチの高いストラディバリやグァルネリも音量がないということはなく超一流のソリストが演奏に使っています。


このほか、ピエトロ・グァルネリI,Ⅱ、D・モンタニアーナ、F・ルジェリ、G・B・ロジェッリ、J・シュタイナー、アレッサンドロ・ガリアーノ、T・バレストリエリなど高いアーチのヴァイオリンをソリストや教授、トップオーケストラのコンサートマスターたちが愛用しています。

これらを、音量が出ない「致命的な欠点」とするわけにはいきません。



またグァルネリ・デル・ジェズを職人の目で見たとき、作風に最も影響を与えた人物はカルロ・ベルゴンツィだと思います。
ベルゴンツィは始めストラディバリのもとで弟子として働き、その後グァルネリ家で働きました。

デル・ジェズの父にあたるジュゼッペ(I)の弟子で、デル・ジェズの兄弟子になります。
ベルゴンツィはストラディバリそっくりの楽器を作り続けていれば今頃はもっと評価が高かったのでしょうが、ジュゼッペ・グァルネリの影響を強く受けまた独自の作風を生み出していきました。

ベルゴンツィの作風とデル・ジェズの作風に共通点があり、兄弟子であることから考えると実質的には、ベルゴンツィが師匠だということになります。

ブレシア派云々の話ははっきりしませんが、少なくとも作風の基礎はベルゴンツィにあり特別何かを発明したような感じではありません。

アーチの高さの分類



この図でhをアーチの高さとします。
もちろん裏板も両方ともあります。

① 19mm~
② 17~18mm
③ 15~16mm
④ 13~14mm
⑤ プレス製法

アマティ、ストラディバリ、グァルネリ・デル・ジェズは②、③、④の範囲で作っています。
この範囲にあるものは十分名器なる可能性のあるものです。

現在の主流は③と④です。
標準的なのは③ですが、まっ平らな④を作る人もたまにいるようです。
しかし②でも上級者なら問題なく弾くことができます。


極端に高いアーチの①になるとさすがに、癖が強く難しいです。
⑤は安価な楽器の代名詞ともいうべきもので、アーチを削りだすのではなく薄い平らな板を曲げて作ります。
立体的なカーブに曲げるのは難しく、かなり平らなものになります。
安物ですが、意外と大きな音が出てびっくりします、まあ、音の質は期待できませんが…

したがって致命的な欠点を持ったアーチというのは①と⑤です。


現代のヴァイオリンの基礎がフランスで形成されたことは以前にも紹介しましたが、N・リュポーという人がフランスヴァイオリン製作界で支配的な地位を持っていました。
彼のヴァイオリンのアーチはとても低いもので④になります。

「平らなアーチのほうが良い」という考え方が広まったのもこの時代です。

しかし、②のようなやや高めのアーチでも十分名器になる可能性があり「致命的な欠点とまでは言えません。




アーチングの違いの音への影響

規則性はよくわからないと申しましたが、アーチの違いがどういう音の違いになって現れるのか考えてみます。

アーチの違いは、主に強度や弾力に影響すると考えています。
それもとても複雑で、部分部分によって強度も異なります。

この違いは、演奏時にうまく音を出すための弓の扱い方や音の硬さや柔らかさに影響してくるのではないかと思います。


同じような高さのアーチの楽器でも音の硬さや柔らかさは様々です。
しかし、演奏のコツは似ているようです。



ある音大教授でソリストの人は、はじめG・B・ロジェッリを弾いていました。
ロジェッリはアマティの弟子で作風もアマティの影響を強く受けています。
アーチはぷっくりと膨らんでいて高い物でした。

その後、J・シュタイナーに替えました。
シュタイナーはさらにぷっくりと膨らんでいます。

彼はこの楽器を大変気に入っていて素晴らしい音を出しています。


また、新しく楽器を購入したので修理を頼まれています。
L・ヴィドハルムというドイツの楽器です、これはさらに膨らんでいます。
保存状態が良くなく、修理をしなければまともに弾ける状態ではありませんので音については分かりませんが、このような楽器ばかりを好む上級者の人もいます。

また私が作った、高いアーチのA・ガリアーノのコピーを見事に弾きこなし、新しい楽器にしてはという条件付きながら「とても良い」と目を丸くして驚いたように言っていました。


しかし、一般的な演奏者では、このような楽器には慣れていないためにすぐには弾きこなせないかもしれません。



まとめ


これだけでもかなりおなか一杯になるくらいの情報量があったかと思います。
より具体的なアーチの構造については次回解説して、「致命的な欠点」を説明していきます。

忘れているといけないのでまとめますと、要するにアーチングは音に大きな影響を与えるものでありながら作者の癖のようなもので、計算して意図的に音を作り出すのは難しいものです。
何が良いアーチで何が悪いアーチなのかよくわかりません。

また楽器を見て音を予想することも難しいです。


さらに、強度が違えば、弓の使い方が違うため弾きこなす加減も異なってきます。
うまく弾きこなせれば、低いアーチでも高いアーチでも良い音を出すことができます。

致命的な欠点として指摘するのは高すぎるアーチとペッタンコすぎてアーチになっていないのはダメということです。


19世紀にはフランスのモダンヴァイオリンが「カッコいい進んだもの」としてヨーロッパ中に広まったでしょう。
高めのアーチの楽器は「古臭い、ダサいもの」と思われていたかもしれません。

しかし、モダンヴァイオリンが大量生産されて100年以上経った現在、珍しいものでもなくなりました。

個人的には、高めのアーチの楽器の魅力も再評価されて良いと思います。
今ではほとんど作られなくなってしまったので、将来こういう楽器がなくなってしまうのは残念です。

高めのアーチの楽器は癖が強い分、楽器自体がはっきりした音色を持っていることが多いと思います。
それに加えて古い時代の楽器は板が薄いことが多くこれも深みのある音色のもとになっていると思います。

低いアーチの楽器ももちろん楽器ごとに癖はあって音のキャラクターは様々ですが、どちらかというとプレーンで楽器自体が音色を持っているという感じではありません。

音楽に集中して、楽器の音色などにはあまり興味のない人もいるかもしれません。
それもわかります。

職務に忠実なプロのオーケストラの演奏者では、楽器の音色にこだわるより、指揮者の要求に応えらえる表現ができる楽器が求められます。


ただ、楽器の持っている音の魅力も違いが分かり味わって楽しむことができれば、人生は豊かになるんではないかと思うわけです。

特に趣味で弾かれるような方にはお勧めです。
美しい音の楽器なら、いつも聞かされる御家族の方のほうが歓迎することもあります。


さて次回は、欠点とは限りませんが、もう少しアーチングについて詳しく見ていきます。