弦楽器の知識 超基礎編 【第3回】音だけで名器を見分けられるか? 弦楽器の価値について | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

これまでの記事も読んでくださった方にはもうお分かりでしょうが、専門家の間でも「良い楽器」について意見が分かれるものです。

かつてのソビエトのように単一の製品しか選択肢がないのではなくて、私たちには本来自分の価値観に基づいて気に入った品物を購入する自由があるはずです。

楽器の価値をめぐるトラブルと代表的な3種類の専門家について紹介します。


こんにちは、ガリッポです。

楽器の価値をめぐる思い込みや勘違いから、大きな損害を受けることがあります。
今回は視野を広げるために異なる専門家の視点を紹介します。

弦楽器の価値は演奏家が一番わかる?

私はヨーロッパの弦楽器店で働いていますが、楽器の売買について金善的なトラブルが後を絶ちません。
「音の良し悪しがわかる」と自負されるプロの音楽家も例外ではありません。
一例を紹介します。

ヨーロッパでも中堅のプロオーケストラのヴァイオリン奏者の話です。
彼は同業者の音楽家から1800年ごろにイタリアのクレモナで製作されたある作者のものとされる楽器を500万円ほどで購入しました。
保険をかけるために私たちのところに査定してほしいと依頼がありました。
本物なら少なくとも相場で1000万円以上します。

しかし、私が見たところでは旧東ドイツの地域で戦前に作られた大量生産品かその流派の楽器で高くても50万円くらいがいいところだろうと思いました。
技術者の目から見ると当時大量生産で使われてた技術的な特徴がはっきりしていたので疑いようがありません。
したがって査定した額は50万円程度でした。

なぜこのようなことが起きるのでしょうか?

①演奏者は楽器を見分ける訓練をしていない
②弦楽器の商慣行を知らない
③安い楽器の音が悪いとは限らない

ざっとまとめるとこんな感じでしょうか?

①演奏者は楽器を見分ける訓練をしていない
いかに腕良くても演奏者は特定の楽器しか知りません。
つまり自分の楽器しか知らないということです。

当然音で見分けるためには、あらゆる楽器を弾く経験が必要です。
しかしそれでも、前回説明したように、生産国や流派などを音で判定することはできません。

②弦楽器の商慣行を知らない
我々弦楽器の売買に携わるものにとって常識でも、一般の人には知られていないことがあります。
食品のラベルに偽造があれば、大変大きなスキャンダルになります。

ところが、弦楽器についてはラベルの偽造は当たり前に行われてきて、欧州で出回っている中古の楽器なら9割くらいが偽造ラベルが張られていると考えておけばよいでしょう。

ラベルの偽造が行われるのは安物ばかりとは限りません。
1000万円の楽器には4000万円の楽器のラベルが張られ、4000万円の楽器は1億円の楽器のラベルに張り替えるというのがもはや商慣行と言っても良いくらい当たり前に行われました。

先ほどの話の例で言えば、1800年頃に作られたというラベルが貼ってあっても、9割は「嘘」じゃないかと考えれば良かったわけです。

③安い楽器の音が悪いとは限らない
これまでの回で説明してきたとおり、作りに問題が無ければ大量生産品であっても音が悪いとは限らず、50~100年前に作られた楽器なら音量などが新品に比べるとずっと良いことがあります(もちろんひどいものも多数)。


しかし、大量生産品というのは、もともと値段の安いものを大量に生産する事業形態なので、希少価値がなく同じようなものが大量に出回っています。
音が良いからといってこれを1000万円で売ると裁判で負けます。

3種類の専門家

それでは弦楽器について3種類の専門家について楽器の価値について分析してみます。

①演奏家
②楽器商(ディーラー)
③職人


①演奏家
楽器の価値について、何よりも「音」を最優先する傾向があります。
当然音の良い楽器を選び出すことができます。

ただしいろいろな問題があります。
・骨伝導も含めて自分の耳に聞こえる音と客席で聞こえる音は違う
・いろいろな楽器を弾いた経験がないと良い音のイメージができない
・演奏レベルや骨格、感性など評価に個人差が多い
・楽器によって音を出す加減が違うため自分の楽器と似たものを選びやすい
・値段について無知で余計に多く支払ってしまう
・後で修理が必要なものを買ってしまい修理代が高くつく(楽器の値段より高いこともある)

②楽器商
楽器の価値について、何より「値段」を最優先する傾向があります
良い点は値段を熟知していて視野が広く豊富な選択肢を用意することができます。

問題は
・商人という職業上、安く買って高く売るのが最大の目的となりやすい
・楽器の違いが判らないため「値段=価値」となりやすい
・修理のことがわからない
・商売に有利な楽器には詳しくても、金にならない楽器については全く知らないことが多い

③職人
楽器の価値について、作者の「技術レベル」を最優先する傾向があります。
知名度や値段に関わらず、音響的に問題がなく工芸品として良く作られた楽器を見抜くことができます。
また修理に精通した職人なら楽器の状態や過去の修理歴まで評価できます。

問題点は
・外観の美しさに興味が行きやすい
・興味関心が楽器の細かい部分に行きやすい
・師匠や自分の流派以外を知らないか認めない傾向がある
・師弟の人間関係が何よりも優先されやすい
・製作中心と修理中心の人では、技術や知識が偏っている

音以外の楽器の価値

多くの場合、専門家もこれらのうち一つだけではなく複数の顔を持っています。
楽器の価値は音だけではなく総合的に判断することができます。

物置や倉庫から使わなくなった弦楽器が出てきて楽器の価値を査定欲しいという依頼がしょっちゅうあります。
このあたりは、さすがにヨーロッパです。

我々がまず最初に見分けるのは、大量生産品か、腕の良い職人による一点物のハンドメイドの楽器か見分けます。
大量生産品が安いのは先ほども触れましたが、大量生産品は価格を安くするために異なった製造技術で作られていて同じようなものを何度も見たことがあるので、優れた技術者はすぐに見分けることができます。

ハンドメイドの楽器の場合には戦前より前に活躍した有名な作者の場合、相場というものがあります。
作者が特定できれば、値段がはっきりします。
作者がわからなくても流派がわかれば、同じ流派の安いほうの値段が参考になります。

この作者の特定は大変に難しく、私のような職人では一部の楽器しかできません。
私たち職人が、「これは高価な楽器かもしれない」と判断した時、世界的に有名な鑑定士や作者の弟子など特定の楽器に詳しい人に鑑定を依頼します。
これらの鑑定結果に職人の目で見て疑問を持つことも多いですが、世界的に信用を持っている鑑定士の意見なら金銭的な価値は信じて良いと思います。



厄介なのは、大量生産の安物なのか有名な作者や流派のものなのか紛らわしいものです。

大量生産品はまず間違いなく木工技術レベルが最高レベルにはありませんから、高度な木工レベルで作られた楽器はその時点で、高級なハンドメイドの楽器だと確定します。
そこに作者の名前のラベルや焼印などがあれば信憑性は高くなります。

ところが、有名な作者や流派の楽器にも木工技術レベルが低いものがあります。
前の話で紹介したように値段は人気で決まるので、高価な楽器も特別優れた技術で作られているものばかりではなく、流派として人気があれば大量生産品より粗悪なハンドメイドの楽器でも何百万円という値段がつくのです。

私が見てもラベルの通り本物にも見えるし、ただの安物にも見える紛らわしいものです。
たとえば、10万円にも見えるし500万円にも見えるわけです。
このような楽器はオークションの目録には"A interesting violin"などと書かれています。
悪徳業者なら迷わず500万円で売ってしまうでしょう。


私が職人として音には必ずしも関係なくても、高い木工技術や塗装技術で楽器を作るのには、美しさや故障のしにくさだけではなく私の楽器が安価な量産品と容易に見分けがつくメリットがあります。
これにより財産の価値が確実になります。

もちろん私はそんなに有名ではありませんから、特別高い値段はつきませんが例え無名な作者でも高い品質のものは珍しいので安くはなりません。

もし大量生産品とみなされてしまうと、大きな損傷を受けたり古くなった時に、修理代のほうが楽器の値段より高くなって実質的に廃棄されます。
良く作られた楽器は古くなって、しっかりと手入れや修理を施すことで音が良くなっていくケースが多いのです。


楽器に限らす安価な中国製品を買って、パッケージを開けたとき、あまりの質の悪さにがっかりした経験はないでしょうか?

もちろんこのようなことも全く気にしない人もいますね。


「音さえよければ何でも良い」と言っていながら、値段が高い有名な作者の楽器と聞かされた場合には音について甘い評価をしている演奏者の方をたくさん見ます。
楽器の音は一長一短なので良いところを探せばどんな楽器にもあるのです。

自分の無知を認め、総合的な評価が大切

まとめると、音が楽器の価値について大事なのは間違いありませんが、値段や製作技術などを全く無視していると大きな損害を受けることになります。

有名な作者の楽器(=高価な楽器)には偽物と、本物でも実力より値段がが高すぎるリスクが伴います。
耳に自信があるなら、知名度の低い作者の比較的安価な楽器の中から音の良い掘り出し物を探し出すことに能力を使うほうが得です。

買った後、不具合が見つかって修理する場合がよくあります。
特にチェロの場合、ヴァイオリンやビオラに比べて痛みやすく修理の作業量も多いため、修理代が100万円を超えることもざらにあります。


演奏に自信のない方はなおさらですが、信用できる技術者が認めた作りの良い楽器の中から気に入った音の楽器を購入することをお勧めします。










コントラバスは巨大ですよね。
ドイツ製の高品質なもので400万円くらいしますが、中国製なら安価なものがあります。
「音さえ出れば品質なんていいんだよ」ということです。

30万円くらいのコントラバスで、ネックが根元から外れてしまう事故が起こりました。
コントラバスのネックの接合部分は接着面が広いため、きちんと加工して取り付けると外そうと思っても外すことはまず不可能です。
この事故で周辺にも損傷を与えたため、この修理代はコントラバス本体より高い値段になりました。
ちゃんと接合されているかは外側からは見ることできません。
そうなるとまるで欠陥住宅のようですね。
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これは倒壊した中国の欠陥マンションです。

「品質なんて細かいことはどうでもいいんだよ!」と言う人は、このまま住むのかもしれませんね。